第23話 氷の顎
砦の上。
氷牙が、ゆっくり手を上げる。
「始めろ」
白蓮兵が動く。
同時に——
砦の門が開いた。
山の眉がわずかに動く。
(……開く?)
守る側なら閉じる。
だが白蓮兵は、
自ら前へ出てきた。
氷牙は静かに山を見る。
「すでに、お前たち黒曜がここへ来ることは分かっていた」
静かな声。
感情はない。
「なぜなら——」
一拍。
「ここの砦が補給拠点化され、捕虜が収容されていると黒曜へ流したのは、我ら白蓮だからな」
空気が変わる。
弥助が顔をしかめる。
「……は?」
鉄が舌打ちした。
「最初から罠かよ」
山は黙って砦を見る。
(誘われた)
嫌な汗が落ちる。
⸻
出撃前。
山は孫六を見る。
「孫六」
「はいはい」
気の抜けた返事。
「崖上を頼みたい」
孫六が肩をすくめる。
「また別行動っすか」
そして砦を見る。
「あの軍師、初手で抜いたほうが早くない?」
山は首を振る。
「捕虜が近い」
「混乱したら巻き込まれる」
一拍。
そして——
「あいつ、多分」
山は氷牙を見る。
「狙われる前提で立ってる」
孫六の目が少し細くなる。
「……嫌なタイプっすねぇ」
山は続ける。
「だから、撃つかどうかは任せる」
「お前が“ここだ”と思った時だけでいい」
孫六は苦笑する。
「責任重ぇなぁ」
だが——
その目は少しだけ楽しそうだった。
⸻
現在。
「山狐殿!」
黒曜兵が叫ぶ。
「捕虜が見える!」
砦の奥。
縄で繋がれた黒曜兵たち。
確かにいる。
偽物には見えない。
「どうします!?」
視線が集まる。
山は歯を食いしばる。
(撤退……)
頭では分かっている。
嫌な流れだ。
だが——
(ここで引けば)
捕虜を見捨てる。
借りた兵も納得しない。
そして何より——
“山狐”。
その名が頭に張り付いて離れない。
(……クソ)
山は前を見る。
「鉄」
「あ?」
「前を頼む」
鉄が笑う。
「おう」
「弥助、右」
「了解」
「玄、全体を見てくれ」
「分かった」
山は息を吐く。
「捕虜を救出したら下がる」
「長居はしない」
全員が動く。
⸻
合戦が始まる。
鉄が先頭を叩き割る。
「どけぇ!!」
白蓮兵が吹き飛ぶ。
弥助が横から入り込み、
隊列を乱す。
玄は後方から全体を見る。
「左が遅い! 押し込まれるぞ!」
黒曜兵が動く。
押している。
進めている。
砦前線を崩していた。
弥助が笑う。
「おい山! 行けんじゃねぇか!」
山は答えない。
違和感が消えない。
静かすぎる。
氷牙が——動かない。
砦の上から、
ただ見ている。
⸻
崖上。
孫六は静かに戦場を見下ろしていた。
「……嫌な感じ」
小さく呟く。
いつもと違う。
隠れている。
なのに——
見られている気がする。
「……なんだこれ」
弓は引ける。
狙える。
だが。
撃った瞬間、
終わる。
そんな確信だけがある。
孫六は小さく舌打ちした。
「……氷牙か。面倒くせぇやつだな」
⸻
その時。
砦の奥。
狼煙が上がった。
山の背筋が凍る。
(まずい)
次の瞬間。
山の左右。
森の奥から——白蓮兵が現れる。
「伏兵だ!!」
黒曜兵が叫ぶ。
さらに後方。
退路側にも旗。
完全包囲ではない。
だが——
逃げ道が狭い。
自然と、
一方向へ押し込まれていく。
山は即座に叫ぶ。
「弥助! 深追いするな!」
「鉄、戻れ!!」
玄が振り向く。
「気づいたか」
山は前を見る。
崖沿いの細道。
狭い。
隊列が崩れる。
(読まれてた)
いや——
最初から、
そこへ逃がすつもりだった。
氷牙が初めて口を開く。
「なるほど」
静かな声。
「雷姫殿が気にかける理由も分かる」
山は睨み返す。
氷牙は続けた。
「よく見えている」
一拍。
「だが——まだ浅い」
その瞬間。
白蓮兵が一気に圧を強める。
「っ……!」
黒曜兵が崩れる。
悲鳴。
血。
押される。
「下がれ!!」
山が叫ぶ。
「捕虜は!?」
黒曜兵の声。
山は奥歯を噛む。
(無理だ)
今向かえば、
全滅する。
だが、
言葉が出ない。
「山狐殿!!」
期待。
焦り。
視線。
全部が刺さる。
山の呼吸が乱れる。
(違う)
俺は——
そんな大した人間じゃない。
その一瞬。
判断が遅れる。
白蓮兵が一気に崩れ込んだ。
「ぐあああ!!」
黒曜兵が倒れる。
鉄が舌打ちする。
「チッ! 山!」
玄が即座に叫ぶ。
「撤退だ!」
その声で、
山はようやく動く。
「……下がれ!!」
遅かった。
すでに何人も倒れている。
黒曜兵たちは細道へ押し込まれる。
そこをさらに、
白蓮兵が追い立てる。
氷牙は動かない。
ただ見ている。
静かに。
冷たく。
山はその視線を感じる。
(……負けた)
まだ終わっていない。
なのに——
もう、
崩されていた。
(続く)
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