第16話 その名は、雷姫
(……相手の思い通りに進まなければいい)
山は、高台から戦場を見ていた。
ここまで白蓮は、速さと勢いで砦を落としてきた。
押し切る戦い方。
だが——
(止められたら、どうなる)
視線を細める。
(白蓮は雪国)
(長くは戦えないはずだ)
補給線。兵糧。帰路。
頭の中で並べる。
(……長くて二日)
(だが、帰る分を残すなら——実質一日)
なら——
(今を耐えればいい)
勝つ必要はない。
崩されなければいい。
(足止めする)
それだけで——流れは変わる。
山は高台を降りる途中、ふと足を止めた。
地面が、黒く濡れている。
(……なんだ)
しゃがみ、指で触れる。ぬめる感触。
鼻につく匂い。
(油か……?)
視線を巡らせる。
割れた樽。放置された容器。
(捨てられてたやつか)
一瞬、考える。
(……燃えるな)
門前。狭い通路。押し込まれる場所。
(ここで火が回れば——)
想像が浮かぶ。
敵も、味方も、まとめて巻き込む。
(……危ないな)
当然だ。
下手をすれば、自分も死ぬ。
一瞬、迷う。
(別にやらなくてもいい)
だが——前線を見て、理解する。
(このままなら、どこにいても同じだ)
小さく息を吐く。
(……保険だ)
⸻
「孫六」
山は短く呼んだ。
「油、門の内側に流してくれ。目立たないように」
「あと弓持ってる奴、数人。奥で待機させる」
後ろで、孫六が軽く頭をかく。
「……はいはい、また面倒なやつね」
いつもの軽い調子。
だが視線はすでに現場を“線”で見ている。
(ここに置くと巻き込まれる、ここは死角)
「弓、奥ね。了解」
深くは聞かない。
深くは踏み込まない。
(知りすぎると、次もやらされる)
それも彼の“生存戦略”だった。
ただ——
「……まあ、やるなら早めに頼むわ」
ぽつりとだけ言う。
恩義は覚えている。
でもそれを表に出すのは好きじゃない。
⸻
弥助が怪訝な顔をする。
「……おい、それなんの準備だ」
「保険だ」
「雑だなオイ」
孫六は肩をすくめる。
「雑くらいがちょうどいいんだって、こういうの」
だがそのまま後方へ下がる。
“最も見つかりにくい位置”へ。
(撃つのは最後でいい)
(撃たないで終わるなら、それが一番いい)
⸻
戦が始まる。
激突。
押し込み。
削り合い。
「押せぇ!!」
白蓮の圧は強い。
だが——
「……下がるな! 埋めろ!」
山は叫ぶ。
崩れかけた場所に人を回す。
抜けそうな隙間を、塞ぐ。
⸻
その時。
後方から、軽い息。
「……めんどくせぇ展開だなぁ」
孫六は弓をまだ構えない。
撃たない理由は単純だ。
(目立つと次から面倒)
(“あいつ使える”って思われたら終わり)
だから——“まだ撃たない”。
⸻
やがて。
白蓮軍の動きが変わる。
「……引いてる?」
弥助が呟く。
前線が、わずかに下がる。
(……来たか)
山は小さく息を吐く。
(読み通りなら——)
「退くぞ! 陣を整えろ!」
敵側から声が飛ぶ。
撤退。
白蓮軍が、下がり始めた。
「お、おい……!」
砦の兵がざわつく。
「退いてるぞ……!」
「勝てる……!」
空気が一変する。
絶望から——一気に希望へ。
「追えぇ!!」
誰かが叫ぶ。
「今だ! 押し返せ!!」
兵たちが前へ出る。
(……まずい)
山は眉をひそめる。
(誘ってる)
だが——流れは止まらない。
⸻
その瞬間だった。
前線が“崩れる”。
違う。
崩れたのではない。
(抜かれてる)
見えない何かに、線だけ切られている。
「……っ」
山の背筋が冷える。
(来る)
⸻
その瞬間——
後方の孫六の空気が変わった。
「……あー、ここだわ」
軽さが消える。
弓を持つ手が、まるで別人のように静止する。
(撃つときは一回だけ)
(外したら終わり)
呼吸が落ちる。
風の音。距離。角度。
全部が一つに収束する。
「……悪いな」
誰に向けたでもない。
だが確かに——“仕事”だった。
⸻
前線。
「山っ!!!」
弥助の声。
(来る)
山は確信する。
視線を切る。
空気の揺れを追う。
(そこだ)
体をわずかにずらす。
同時に——
「鉄!!」
山の声。
⸻
その瞬間。
前線が“消えた”。
(……え?)
一瞬だけ、理解が遅れる。
さっきまでそこにあった兵の列が、まるで最初から存在していなかったように空いた。
(崩れた? 違う)
(切られた)
だが——誰も斬られた音を聞いていない。
誰も気配を捉えていない。
“何も起きていないように見える空白”だけができる。
⸻
そして、その空白の中心。
「……っ」
雷姫がいた。
いや——
(いつからそこに?)
分からない。
視界に入る前に、距離が詰まっている。
まっすぐ。
迷いなく。
山へ。
(来る)
認識より先に“死”が近づく感覚。
⸻
「山!!」
弥助の声が遅れて響く。
だが間に合わない。
雷姫の一歩は、すでに“届いている距離”だった。
⸻
その瞬間。
「おい……!」
鉄が動いた。
反射ではない。判断でもない。
“間に割り込むしかない”という一点だけの動き。
鉄は山の前に“滑り込む”。
真正面ではない。
刃の軌道の上に、身体ごとずらすように。
(受けるんじゃねぇ)
(止めるんだ)
⸻
次の瞬間。
「ぐっ……!!」
鉄の肩が裂ける。
だが——倒れない。
むしろ、踏み込む。
衝撃を“前進力”に変えて、位置を潰す。
雷姫の軌道が、一瞬だけ歪む。
「チッ……!」
鉄が歯を食いしばる。
「……通さねぇって言ってんだろ」
血を吐きながら、そこに“壁”になる。
(時間を、ほんの一瞬でいい)
⸻
その“一瞬”。
山の視界に、雷姫が完全に入る。
(速いじゃない)
(“無い”)
そこに“いる”という認識だけがある。
だが、体はまだ動けない。
(間に合わない)
(終わる)
そう理解した瞬間——
⸻
後方から。
空気が裂けた。
ヒュッ——!!
一直線。
曲がらない。
迷いのない線。
(弓?)
雷姫の視線が初めて“逸れる”。
わずか。
だが致命的。
⸻
キィンッ!!
金属音。
雷姫の刃が、空中で“別の力”に弾かれる。
動きが止まる。
ほんの刹那。
だが——それで十分だった。
⸻
山は、その場から“抜けている”。
死の位置ではない。
生の位置へ戻されている。
(今のは……)
理解は追いつかない。
だが一つだけ分かる。
(撃ったのは——孫六だ)
ただし——
(姿は見えない)
(まだ出ていない)
⸻
雷姫は、ゆっくりと視線を動かす。
“妨害された”。
それだけを理解する。
そして——再び動く。
だが一度だけ、速度が僅かに“乱れた”。
(……効いた)
⸻
後方。
森の影。
孫六はまだ動かない。
弓を下ろし、息を吐く。
「……あー」
小さく笑う。
「今の一回で十分だろ」
誰にも聞かせる気のない声。
そして弓を肩に戻す。
(ここで目立つとダメだ)
(次がある)
(本番はまだ先)
視線を門の奥へ向ける。
そこには——油。
火種。
まだ誰も触れていない“爆弾”。
(あっちのほうが大事だろ)
⸻
前線。
鉄が膝をつく。
「……悪いな、ちょっと無理した」
血は出ているが、折れてはいない。
弥助が舌打ちする。
「バカが……!」
だが誰も動けない。
雷姫が“まだいる”。
⸻
山は息を吐く。
(今ので分かった)
(止める方法はある)
だが同時に理解する。
(これは“勝てる相手”じゃない)
(ずらす戦いだ)
⸻
雷姫が、こちらを見る。
初めて。
“止められた相手”として。
⸻
山はゆっくり息を吐く。
(ここからだ)
(見える戦いになる)
(続く)
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