第十九話 『決意新たに』
幾度となく見慣れた教室の風景に、灼熱と血潮が踊る。
闇に包まれる教室内は黒く、その分赤い炎と血が余計にヨウの目に付いた。
惨たらしく皮膚を溶かす炎は青年の全身を隈無く焼いている。
ナイフから放たれた炎は青年の腹に傷跡を付け、それで終わることなく一瞬で青年の全身に行き渡った。
彼が焼け死ぬのも時間の問題だろう。
「あっ……はぁっ……」
喉をも焼き尽くす炎に、叫ぶことが出来ずに酸素を求めて青年は喘いだ。
溢れ出る血はその圧倒的熱量に支配され蒸発し、まだ動ける足でふらつきながら青年は後ろに下がる。
「――うっ」
例えそれがあまりにも憎い敵の姿だったとしても、ヨウが吐き気を催すには十分凄惨だった。
呻き声を上げながら、こちらを見る青年の澱んだ眼に反射的に目を背ける。
「見なくていいわ。これ以上」
その様子に気まずく、居た堪れないと感じたベティが言葉を向ける。
だが、すっかりとこの世界の裏側に片足を突っ込んだヨウに、それは今更すぎるフォローだった。
勝ったことによる達成感もなく、行き場の失った復讐と仇討ちの火種がゆっくりと消えていくのを感じ、後味の悪い。
こんなことをしてもソウマが戻ってこないことなどわかっている。殺意に殺意で応じた時からこうなることは分かっていたのに――
誰もがこの戦いの終焉を悟っていた。
何も残らない結末を。
――ただ一人を除いては。
「――ベティ!」
不意に向けられた叫びに、ベティは安堵の表情を捨て去る。即座にナイフを握りしめたのは、ベティの戦闘経験の豊富さが為せる悲しい能力の一つだろう。
視線をヨウから青年に向ける。刹那、その光景に青年から視線を外した。彼の腕がヨウに向けられているのを見て、ベティは強く踏み出す。
「最ッ悪!!」
青年の腕から射出されるのは、小さな影の弾丸。推進力を増す為に作られた弾丸と違い、青年が生み出していたのは完全な球体による弾丸だった。
月のような黄色の瞳の奥底に、夜のような漆黒が宿る。それが弾丸に込められ、ヨウの命を狙っていた。
この戦いの中で一番の焦りが氷となってベティの背筋に差し込まれる。
ヨウを殺す準備をしていたのだろう。
腕から放たれるそれを見るまでは、セイヤも安心しきっていた。
銃弾で影の弾丸を跳ね返すにしても、跳弾による危険性は十分にある。走りつつも到底間に合わないと判断したセイヤは、ベティにヨウを託した。
「――ッ!!」
接触までコンマ数秒。ヨウを突き飛ばす余裕はない。
ヨウの前に立ち塞がり、引き上げたナイフを縦に動かし、一閃。
縦薙ぎの威力に、まるで野菜のように球体が切り裂かれる。
球体が半円となり、ベティとヨウを通り過ぎて教室内の壁に突き刺さった。
「あはははははははは!! やっぱり凄いよ君たちは!」
狂気的に笑う青年が闇を纏った右腕で一振り――それだけで、彼を纏うように包み込んでいた炎が一瞬で霧散する。
有り得ない光景に瞳を見開き、三人が硬直。今の今まで青年を焼き尽くしていた炎が、まさか青年自身の手で振り払われるとは思うわけがない。
そしてそれは、青年を次の行動に移させるのに十分な時間だった。
「目的は果たしたよ。また今度遊ぼうか」
体を窓枠に預け――窓が無いため、青年の体重に沿うように全身が半回転。ヨウたちの視界から消える。
「くそッ!!」
舌打ちしたセイヤが、机という名の廃材を踏みつけてレールに足をかけそのまま蹴飛ばして直進。
垂直落下による重力の圧の中、セイヤはトンプソンを青年に向けた。
「逃がすか!」
トンプソンを突きつけられたにも関わらず、青年の表情は毅然としている。その理由は、
「逃げれるさ。漫画じゃないんだ。なんの準備もなしにこんなことするわけないだろう?」
そう言って青年は壁に足をつけ、その瞬間人間一人は入る影が現れる。
その光景に既視感を覚えるセイヤは嫌な予感がして、
「ほら、助けて見せなよヒーロー」
指が鳴らされ、その瞬間に影が泥のようにその場に崩れ落ちる。
泥が当然のように重力の流れに従い、全てが落下していけば、そこに居たのは、
「んなッ――」
――腹を裂かれ、既に事切れていた一人の少年だった。
「さぁ、どうする?」
――どうすればいいかなど、簡単だ。
合理性に富んだ行動をするのなら、この場で青年を殺せばいい。
幸い青年は足を地から離している。青年が影を操るには地に足をつける必要がある。つまり今は影が出てくる心配はない。
死んでいるこの少年に構うよりも、この先の脅威を潰す方がいい事は火を見るより明らかだ。
だから、
「……くそッ!!」
「さすがヒーロー。でも、そんな甘ちゃんじゃ一生僕には勝てないよ」
壁に足をつけ、飛ぶ軌道を変える。真っ直ぐに直進するセイヤは少年を抱き抱えた。
分かっている。こんなことをしては青年に逃げられることなど。
だが、それでも、死人をこれ以上辱める行為だけはしたくなかった。
誰にもこれ以上、彼を傷つける権利はないのだから。
抱き抱えたままセイヤは縦に回転。重力の勢いを相殺しながら地面に着地し、トンプソンをもう一度青年に向け、
「ちくしょう!!」
そこにはもう、誰も居なかった。
―――――――
その後、セイヤたちはシノブたちと合流し、職員全員とバスケ部員を保護した。
ただ、バスケ部員は十三名いたが、そのうち七名は死んでしまっていた。
シノブたちの話によると、職員室内に入った途端、影が職員室内を取り囲んだらしく、その間シノブたちは動けなかったらしい。
そこからセイヤたちは青年に仲間がいたことを判断。
これからはより青年への警戒が深まることだろう。
こうして、Sランクとの戦いは一時終結となった。
「……ヨウ」
「ああ、シンジか……」
その中で、あまりにも言い方は悪いが、不幸中の幸いにもシンジは生きていた。
早いうちからシノブたちと出会ったシンジは行動を共にしたという。
「志村先輩も……木村先輩も……轟先輩も園崎も三浦も康太も……ソウマだって……みんな、みん……な」
耐えきれなくて声を殺しながら涙を流すシンジに、ヨウは心臓を握り締められたような痛みを感じる。
シンジが名前を呼んだのは、死んでしまった七人。
全員の死体を見たわけではないが、ここにいないことやセイヤたちの言葉からヨウたちはそれを理解した。
一瞬だった。
一瞬で日常は壊れ去った。仲間は死んでいった。
教室内の机椅子は吹き飛び潰され、廊下や運動場にはいくつもの血溜まりが残っている。
緑の芝生も灰色のアスファルトも茶の床も、全てがどす黒い血に染まっていた。
凄惨な死体は住民に気づかれないよう駆けつけた警察に回収される。
ただ、時間の問題だろう。自身の子を失った親にも説明しなければならないし、教室の説明もある。
暫く学校は封鎖。事件に巻き込まれたという形で親には説明する予定だ。
「……シンジ」
涙でアスファルトを濡らす親友の姿を見て、ヨウは今一度決意する。
たった一日。それだけで、ここまで人の心に傷をつけた。
「俺、行かなくちゃならないんだ」
「……何処に?」
やはり許すことは出来ない。
「俺にしかできないことが出来たんだ」
「……何が」
仇を打ちたい。
「そのためには、俺はここにはいられない」
「……何で」
みんなを守りたい。
「だから、じゃあな」
「……おい、ヨウ!」
言いたいことだけ告げ、ヨウはシンジに背を向ける。これ以上シンジはこちら側に来なくていい。知らないでいて欲しい。
シンジはそんなヨウを止めようと声をかけるが、振り向くことの無いヨウに伸ばした手が躊躇われる。
「さぁ、君も。お家まで行こう」
そこで警察官が介入し、シンジの背を押してヨウとの距離を広げる。
最後まで、シンジはヨウの背を見続けていた。
「セイヤさん。俺を、連れてってください」
「……いいんだな?」
一部始終を遠くから見届けていたセイヤは、ヨウにそう問いかける。
「復讐のための行動は、いつか後悔するぞ」
「……正直、復讐したい気持ちはあります。でもそれ以上に、これ以上何も出来ないなんて嫌なんです」
拳を握りしめ、真っ直ぐにセイヤに目を合わせる。
自身の持った血気術師としての力。青年との戦いではそれに慢心し、復讐に惑わされていたが、今はもう違う。
ヨウが守れる人なんてちっぽけだ。両手で掬い上げることができる数しかいない。
それでも、何もしないよりも守れるだけの人間を守りたかった。
「……それでいい。誰かのために戦えるのは立派だけど、それだけのために動ける人間なんて限られている。私情も入れながら、自分の信じている道を進めばいいさ。それが、答えなんだろう?」
「はい。これは、俺が決めたことです」
「分かった。一緒に来い」
人が死ぬことは仕方がない。生きているということは、死ぬことでもある。
ただそれでも、心の底に孕まれた感情が消え去ることはない。
これ以上、大切な人が死ぬ姿なんて見たくない。
だから必ず――俺はアイツを殺す。




