第十七話 『狂気の覚醒』
――生命には必ず終わりが来る。
「やった……ソウマ……仇は取ったぞ」
――積み上げた徳も、積み重ねた歩みも、名誉も地位も、一度死ねばそれは全て水の泡。
楽しいことなど一瞬で終わる。生きるとは苦しみの物語。泡沫の夢に、溺れているのだ。
「息をしているようには見えないな……ベティ。応援を呼ぼう」
――だからこそ、やることを全てやり続け、自身の楽しいと思えることだけしかしないのだ。苦しむことが美徳だというのなら、僕は甘んじて悪徳を受け入れよう。それが何かを冒涜することであったとしても構わない。
「ええ。ヨウ君。ありがとう、あなたがいてくれたからよ」
――悔いのない人生が無いのなら、僕が悔いのない人生を作り上げる先導者となろう。誰かのためじゃない。自分自身のために。その後で誰かが僕の後ろを辿るつもりなら、僕はそれすらも受け入れよう。
「……だから」
――そのためにこそ、
「こんな所で、死ぬ訳には行かないんだよなァァァァァァァ!!」
血みどろに倒れ込み、死を覚悟した青年の体が、何かに引っ張りあげられるように起き上がる。
口から血塊を零し、満身創痍同然の獣の瞳が、影に揺らめく。
「――ッ!? まだ生きてたのか!」
青年に近づこうとしていたセイヤとベティが飛びずさる。
構えは無い。明らかに先制攻撃を加えればそれで倒れそうな青年だが、彼の中にある禍々し威圧に堪らずセイヤたちは距離を置いた。
「ああ、今なら……」
生きることと死ぬことは表裏一体。オセロの白と黒。決して交わることは無いが、そばにはいる。
だからこそ、確実な死の琴線に触れた青年は同時に、生の琴線にも触れたこととなる。
「おいで」
影の中。そこにあるのは誰のかも知らない――片腕だった。
乱雑に毟り取られ、筋繊維も血肉もズタズタにされていたそれが、丁寧に中に保管されている。
時間が立ちすぎたからか。荒い切り口からは桃色の肉と白い骨が見えるだけで、赤い血が流れることはない。固まってしまっているのだろう。
そんなグロテスクな光景に視線が集まり、そんな現実逃避を数秒、ヨウたちの産毛が一斉に逆立つ。
しかし青年はそれを気にもとめず、片腕を徐に取り出す。目を妖しく煌めかせ、次の瞬間、その腕を貪り始めたのだ。
骨と血肉がひしゃげる悲痛のオーケストラが彼の咀嚼音と共に奏でられる。
口元を赤い斑点で汚し、優雅さの欠片もない青年の食事。
瞬間的にその牙で一閃された肉はミンチとなり、青い血管がだらりと青年の口腔からはみ出る。
骨すら厭わない様子で砕き、磨り潰し、飲み込む青年の表情には生気が戻り、最後に小指を一気に噛み砕いて青年は食事を済ませた。
そのあまりに突然の出来事に、三人は青年が食べ終わるその瞬間まで硬直してしまい、
「――! ヨウ君下がって!」
「隠術解放――『無夢影命創』」
青年が唱え、空に文字を書く。
書かれる文字は『蜂』と『燕』。それだけであれば、セイヤたちが恐怖を顔につけることはならなかっただろう。
まさか、書かれた蜂と燕の文字から、百は下らない数の影の蜂と燕が姿を現すなど、その時の彼らは思ってもみなかったのだから。
「――はぁ!?」
「僕を強くしてくれてありがとう。さぁ、死になよ」
腕を振り、無数の燕と蜂が三人を襲う。
弾丸と同速度で射出された蜂と燕。体躯に差があるため燕同士の間を補うように飛ぶ蜂によって、逃げ場が完全に無くなる。
攻撃は人体を容易く貫くだろう。
黒を赤に塗り替え、その数が襲いかかればたちまち戦況は変わるどころではない。即死だ。
生命の網に捕縛され、捕食される。
「反ッ則だろ!!」
事前にリロードしておいたことが幸を為した。
グロック18Cを全弾燕と蜂に射出する。
放たれた弾丸が驚異的な命中率でそれぞれに命中し、当たった燕と蜂はガラスのように粉々に砕け散った。
霧散した影が砂のようにその場に落ちていく。影と同化しないことや、血も出さず粉々に砕けていった事を不意に疑問に思いながらも、合間から抜け出た燕と蜂の対処にその思考を一旦投げ捨てた。
「ベティ任せた!」
「遠距離は得意じゃないの! 高くつくわよ!」
セイヤはリロードするために一旦バックステップでその場を離れる。そして前に出てくるのはナイフを二本、手に携えたベティ。
短く息を吐き、ナイフ同士を交差させ、それぞれを走らせる。
「炎の刃!!」
走りあったナイフ同士が火花を生み出し、火花が着火剤となってナイフの刃に炎が点火される。
炎を纏った刃が空を切る。
それに感化された炎が斜めにその場を切り裂き、炎の刃が遠距離斬撃となってそれぞれを焼き尽くした。
「……だからどうしたんだい?」
攻撃を全弾受け止められたのに、青年の表情は全く揺るがない。
それもそのはず。このようなこと、青年にとっては滑稽でしかないのだから。
その場に落ちていった影の残りカスが、青年の元へと舞い戻っていく。
青年の手元に戻った影たちは青年の手元で回転していき、小さな球体となって青年の掌の上に浮く。そうして青年がもう一度燕と蜂という文字を書くと、その球体が燕と蜂へと変貌していった。
その光景を見ていた三人の顔が、徐々に青ざめていく。
何故なら、その数は先程と同数というくらい、青年のそばを飛んでいたのだから。
「なんだそれ……攻撃の意味がないってことかよ」
青年の元で飛び回る燕と蜂を見て、ヨウが呟く。
それぞれの羽音が教室内に騒々しいオーケストラを作り出し、不快音が三人の焦りをさらに加速させていく。
「……いえ、無尽蔵じゃないみたいよ。よく見たら、数が減ってるわ」
炎を一振りで消したベティが、燕と蜂を指さす。
ヨウには全く違いがわからないが、どうやらベティの言う言葉は本当らしく、セイヤの口元が一瞬緩む。
「……それもそうだ。壊しても壊しても戻り続ける半永久機関の能力なんてあってたまるか。ただ、今の調子だと総数は三百くらいで考えた方が良さそうだ」
燕と蜂の合計数が百だったのは、数に制限があるからだろう。その制約が何なのかまでは把握出来ないが、今の数を捌けたのなら、攻撃を防ぐことは出来る。
しかしそれではジリ貧だ。今の攻撃だけで隠力を全て使い切ろうとするほど青年も馬鹿ではないだろうし、予備を追加で投入してくるかもしれないし、彼の性格上絡め手を使ってくる方が素直だ。
そこでセイヤはグロック18Cの残数。ベティは血気力の消費が著しい問題点となる。
Sランクの隠力は伊達じゃない。絡め手や体勢を整えられる前に、短期決戦を仕掛ける他はないだろう。
「それにしても……狗と鴉に対してはあんなに優しかったのに、そいつらには随分冷たい対応だなぁお兄さん」
「どうしようと僕の勝手だろう。それに、そんなことないんだけどね!」
青年の元から燕と蜂が勢いよく迫り来る。
生物の連撃を、セイヤとベティはグロック18Cとナイフで対処していく。
「あんまり舐めない方がいいよ」
先程と同じようにセイヤが連射、ベティが残りの対処をしようとして。
――刹那、燕と蜂の速度が急激に跳ね上がる。
「――ッ!!」
攻撃の緩急に遅れを取ったベティが攻撃を捌ききれず、その手足を襲われる。
数匹の燕と蜂の攻撃が血肉を抉りとり、床に激突。
小さなクレーターを数個作り霧散する。
「弾幕がさっきより減ってて助かったわ……」
血気力で怪我した部分の回復をしながら、ベティは呟く。
傷を負ったがその分情報も手に入れた。
燕と蜂は数こそ多いものの命令式自体は複雑ではない。自律型というわけでも無さそうだし、今の攻撃も自律型だったとするならば四肢の損害はもっと激しいものになるはずだ。
おおよそ今の攻撃は直進と緩急についての命令式のみなのだろう。早くなる弾丸と捉えればいい。
床にクレーターを作りながら霧散していく様も、急旋回して二撃目が来るかと考えていたのだが、そんなことは無かったようだ。
本来は百匹が襲ってきて霧散したのならば百匹また襲ってくるのだろう。
しかし、ベティの炎の刃とは相性が悪かったらしい。
霧にもならないほど焼き尽くしてしまえば、元に戻ることは出来ない。
「燕と蜂は私が引き受けるから、吸血鬼はそっちに任せたわ。何故かわからないけど、彼が来ることはなさそうだもの。待ち伏せかしら」
「ならこっから打ち込みてぇところだが、無理だな。避けられるか相殺されるかだ」
互いの考えをすり合わせ、役割分担。
炎で活路を開き、銀の弾丸を御見舞する。
力を得たことからか、青年は今完全にセイヤたちを舐め腐っている。そこにつけ込めば、勝機は見えてくる。
「んじゃ、下がってな。遠距離対応できないんだ。お前じゃ分が悪すぎる」
セイヤとベティの背を見続けていたヨウに、声がかけられる。
当然のことではあるが、ヨウはこの間全く動けないでいた。
血気力による攻撃の反動か、今は拳が外と中がぐちゃぐちゃに掻き回されるように痛んでいる。
当然、青年を倒したいという気持ちはあるが、つまらない意地を張るよりも、言う通りにした方が賢明だと言うことはヨウの頭でもわかることだった。
「……ソウマの分を返せたとは思えないですから……本当は戦いたいです。でも……わかってます。わかってますから、あとは任せました」
「ああ、任された」
後ろに下がったヨウを見て頷き、セイヤは青年に視線を向ける。
それに呼応し、青年は球体を愛おしむように撫でながら、見下すように視線をセイヤに向けた。
「僕を殺したいほど憎いはずなのに、美味しいところだけ取ろうとする君らはなんて外道なんだろうねぇ。その子が可哀想」
「一番の外道には言われたくないわ」
それもそうかと笑い、青年はまた空に文字を書く。
球体が分裂していき、燕と蜂が青年の上を飛び交い、地面の影からも燕と蜂が生み出されていく。
「さ、これで補充は完了したよ。せいぜい、足掻いて見せな!」
「真正面からぶつかるかよ!」
地を這うように身を引くくし、セイヤは爆進。それを追うように走る生物の雨に幾分か皮膚を持っていかれるも、攻撃の射程圏内に入れる。
腹部へのグロック18Cの乱射。それが間違いなく青年の腹を蜂の巣にしたような気がして、
「防御しないわけないじゃん」
セイヤの攻撃を、青年の腕の袖口から飛び出してきた蜂が全て受け止める。
当然、グロック18Cの装填数と蜂との数では差ができる。残り残党がセイヤを狙い放たれて、
「――ッ!?」
咄嗟の防御で急所は守ったものの、手足や頭部を抉られ出血。全身に走る痛みに奥歯を食いしばって耐え、蜂がいなくなったのを見計らい、臆することなくトンプソンを青年の腹部に直接当てる。
「燕たちのこと忘れた?」
しかし、床下を這うように低空飛行を続けていた燕が急上昇。セイヤのトンプソンをその翼で跳ねあげる。
血気力によって硬化したトンプソンが燕の翼を折っていくが、元々ガラスのように脆い燕は砕けた瞬間に青年の手元に霧となって戻っていく。
一方は弾切れ、一方は照準が定まらない状態のセイヤに、好機を見出した青年の牙突が迫り、
「お前こそベティを忘れたかよ」
「――上かッ!!」
攻撃を中断。
だが、それは既に遅い。重力を無視したベティが天井を蹴飛ばし、二つのナイフを握りしめ青年に接近する。
「なら!」
青年は左腕をベティの前に突き出し、ナイフをその腕で受け止める。
骨まで達したナイフがそのまま青年の腕を切り裂こうするが、青年が筋肉を膨張させることで刃の勢いを完全に殺す。
「――そんなッ!!」
満身創痍のはずの青年のこの行動にベティが目を見開く。
筋肉の膨張と神業ともいえるナイフ捌きが組み合わさり、青年の腕からは溢れるような鮮血が流れず、片方のナイフを封じられたベティが一瞬の判断の停止後すぐにもう片方のナイフを青年目掛けて振り下ろす。
しかし、戦闘において一瞬は大きなものだ。青年は攻撃が当たる直前でベティの手の甲を払い、幾重にも重なる攻撃を完全に受け流していく。
「飛べッ! ベティ!!」
数回の攻撃と受け流しの繰り返し後、後ろからの声に反射的にベティが跳躍。青年の腕に突き刺さったままのナイフを支点に逆さ気味に縦に半回転。
声の主であるセイヤは距離を詰め、青年に足払いを仕掛ける。
身を引くくしたまま放たれた払いは華麗に決まり、青年が後ろへ倒れ込むようにバランスを崩した。
ベティがそれを逃すわけがない。
薄く切れ味抜群のナイフを迫らせ、音すら置き去りにして青年の額を狙う。心臓か脳の破壊は生命体において致命的な急所だ。
バランスを崩した青年に防ぐすべはない。
しかし、そのベティの推測が外れるように、次の瞬間青年はとんでもない奇行に出た。
「――やっぱり化け物よ貴方は」
「ふぁあね」
突き出されたのは、青年の顔。
その顔の下半分。口元にはナイフが滑り込まれており、そのナイフを青年は歯で食い止めていた。
腕の力すらも止める噛む力に半ば驚愕。ナイフを噛み砕き、破片を口から吐き捨て、青年はその表情を張りつけたベティとセイヤを思い切り蹴り飛ばす。
骨の軋む音と共に鮮血を撒き散らしながら二人が壁に激突。かかる血を拭って青年はたかが外れたように笑い出す。
「あはははぁ。やっぱり生きてるって最高だね! 死にかけたからこそ、実感出来る!」
腕に突き刺さったナイフを引き抜き、鮮血の雨を自身のそばに降らせる。
血を零しながらも笑う青年に生理的嫌悪感を示しながら、砕けた骨を労わるように触れてセイヤたちは立ち上がる。
「何人も殺した奴が言うセリフじゃねぇなぁ」
「そりゃ僕以外が生きてたって僕は気持ちよくないもんね。むしろ僕以外が死んでた方が最高だと思うよ」
「吐き気がする」
「じゃあ殺してその気持ち悪さ解消してあげるよ」
無邪気な笑みと血臭、生物の羽音という五感への暴力。
いっそ清々しくも感じるその純粋な殺意を見て、セイヤたちは身を低くして構えを取った。
「さぁ、第三ラウンドと洒落こもうか!」
声を張り、再び青年が生物を操る。
呼応するようにセイヤとベティも息を詰め、それぞれの獲物を握りしめた。
――決着まで、あと十分。




