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15話「晴れと光と微笑みと」

特に何かあるわけでもなく、少し時間が経つと霧が晴れてきた。リディオの額、首筋、手、足、至る所から汗が止まらなくなっていた。完全に霧が晴れると、浅かった呼吸、速かった脈拍が正常に戻る。何事もなかったことに体の奥底から安堵し、するりとアリアの手から自分の手が抜け落ち、その場で尻もちをついた。


「よかっ……たぁ」


このような緊急事態に、リディオは慣れていない。1人になってしまった上に、守らなければ行けない存在が近くに居ることで、緊張の糸はいつにも増して張りつめられていた。それがいきなり、ふと緩められる。そんな感覚が全身を巡っていた。


「ごめんねアリア。とりあえず一回休ませて」


一呼吸置くと、自分の腕の中にうずくまった。アリアもその隣に、遠慮がちに座る。横目でその姿をじっと見つめたあと、手を泳がせた。その後しばらく、手の位置が定まらないまま時間が過ぎた。リディオの小さなため息を、アリアの耳が拾った。それが鍵の役割にでもなったかのように、鎖が外され手を伸ばす。そして、リディオの体を自身の腕で包みこんだ。


「……!」


「ありがとう……ございました」


どこまでも澄んでいて、どこまでもまっすぐな言葉。たった一言。でもそれが、リディオの疲れ切った、乾ききった体に、染み渡っていった。


           *


「よいしょっと。いつまでも休んでるわけには行かないからな。とりあえず、ちょっとばかし歩いてみんなを探すか」


リディオ達は一歩も動いていない。しかし周りの風景は若干変わっており、あの場所には無かったはずの川が近くに流れていた。


「一種の転移魔法…なのか?でも一体、誰が、何のために…襲撃されたとかでもないし…」


結論が出ずに、頭を掻きむしり


「とりあえず、歩くか!」


歩いても、歩いても、人の気配は感じられない。人の声はもちろんのこと、鳥のさえずりも聞こえない。葉の揺らめく音だけが妙に耳に入り込むだけの森の奥深く。


「アリア、体冷えてない?」


「はい。大丈夫です…。リディオさんこそ…」


「あぁ。俺は慣れてるから大丈夫。っていうか、本当に……みんなはどこ行っちゃったんだよぉ」


リディオは深いため息をついた。その瞬間、遠くの方で水色の光が見えた。あの光は──


「ミカル…ミカルだ!でも、ここからだとちょっと遠いな」


リディオは、自分は場所を伝える手段がないため、ミカルはそこから動かないはず、と考える。その場合、自分たちがあの場所まで行かないといけないが、アリアを連れてだと、ペースも遅くなる上に、注意力もいつもの倍増やさなければいけない。そして何より、アリアの体力が限界に近づいているのではないかと考えた。周りも暗く、これ以上動くのは危険な時間である。


「日も暮れてきたし、今日はここで休もうか」


「じゃーん!炎の魔導石と、水の魔導石と、守護の魔導石!これがあれば、魔法の使えない俺たちでも、少しは炎と水の魔法を出せるのだ!すごいよなぁ!」


自信あり気に魔導石を紹介するリディオに、アリアは口を押さえてふっと笑う。


「その魔導石、一般化されてるから…誰でも知ってるものなのに…はは」


「えぇー、そこで笑う?」


と、リディオもつられてはにかみながら、この笑われる状況は悪くない。そう感じる。守護の魔導石を使い、半径1キロ圏内に結界を貼る。弱めのモンスターはこれでこの結界の中には入ることはできない。強いモンスターがもし結界の中に入ったとしても、音が鳴り、危険を知らせる。リディオはまず、守護の魔導石を両手で包み、目を瞑って祈った。淡い緑色の光がリディオの手の隙間から漏れ出し、やがて光は消えていった。その次に、先程拾ってきていた大量の木の棒…いや、薪に、炎の魔導石を焚べる。


「野営するとき、結界があるとはいえ、本当は夜は交代で見張りをするのが基本なんだけど…ごめんな。さすがにずっと起きてるのは無理そうだから、うつらうつらさせてくれぇ…アリアを守るために、がっつり寝ないようにするから!!」


「そんなにあたしのこと…気にしなくて大丈夫です」


目の前にある焚き火に、隣で並んで暖かさを感じる。アリアの瞳に、炎の揺らめきのみが映し出される。リディオがアリアの方を向いても、目線はあまり合わない。ほんの少し眉を下げながら、とってつけたように頬を上げる。



「リディオさんは優しいですね」


「優しい?俺が?!」


アリアの思わぬ発言に、声が裏返る。


「…。誰に対しても、全力で、真っ直ぐに向き合う。私には、できないことなので」


「いやいや。俺だって、ちょっとなーっていう人には、分かりやすく態度変わっちゃったりするよ!?なんか、」


「自分しっかりと持っているリディオさんを、私は…」


夜、そして二人きり。雰囲気と条件は整っている。愛の告白でもされるのかと、唇を噛む。リディオの心拍数は自然と速くなっていた。


「とても、尊敬します」


思っていた言葉とは違う文字が発せられ、心の中でずっこけると同時に、少し悔しがる。切り替えて アリアに目線を流すと、リディオは顔を顰めた。リディオはアリアがいつも以上に、小さく、消えてしまいそうに見えたからだ。


「アリ…」


「リディオさん」


今、世界で一番愛おしいと思うその名を呼ぼうとした。そこに自分の名前が被せられ


「な、なに?」


「い、いえ。それより…リディオさんも何か話そうとしてませんでした?」


「あ、あぁ…。えっとー」


反射的に名前を呼ぼうとしてしまった手前、何を言えばいいのか全く考えていなかったことに今気がつく。


「さ、寒くない?ほら、今夜謎に冷えてるからさー」


「大丈夫ですよ。火がありますし」


アリアは嘘が少し下手。アリアは嘘を付く時、目を伏せる。そして、口元だけでも心配させないことを頑張り、口角が上がるのだ。挙句の果てに、寒くないと言ってる割には手の平を擦り合わせていた。リディオは吐く息と一緒に


「…まったく」


「え?」


瞬間、リディオの両手が、アリアの両手をそっと包む。アリアのひんやりとした体温がゆっくり、ゆっくりとリディオの手元に伝わってきた。


「えっ…!あ、あの!!」


「やっぱり冷たいじゃん。アリアはまだ、遠慮がちだよなー」


「あの…!大丈夫なので!」


「いやいや。手ぇ、結構冷たいよ?こうしてれば、すぐにあったかくなるよ」


「み、ミカルさんに合わせる顔がなくなります…!」


「何でミカルがそこで出てくるの?いいじゃん〜別に」


「で、でも!」


「いいからいいから〜」


アリアの手を離さないまま時が過ぎていく。何を言っても無駄だと感じ取り、声を荒げることを止めた。アリアの耳は真っ赤で顔も真っ赤で。しかし、そのお陰で寒かった両手は徐々に暖かさを感じていった。胸の奥に流れ込んでくる、暖かな何かと一緒に。


「あ…。そういえば、アリアは何を言おうとしてたの?」


「そ、それは…ですね」


服の裾を強く掴んだ。呼吸を整え、目を閉じる。思い切って息を吸い、思い切って顔を上げた。


「あ、あたし…!」


アリアの瞳に、リディオが映る。瞬間、体が硬直した。足が震えた。瞳孔が揺れた。息が浅くなった。鼓動が速くなった。汗をかいた。喉が渇いた。


──言葉が詰まった。


「……ぁ……」


喉の奥で、キュッと音がなった。リディオはなにも言わずに、アリアの瞳から目を逸らさなかった。先に逸らしたのは、アリアの方だった。


「やっぱり、大丈夫です」


そう言って、リディオの手から自らの手を離した。


「…そうか。分かったよ」


リディオは目を合わせないアリアに向かって微笑み、愛を包みこんだような声色で返答をした。その後、重い腰を上げて立ち、背伸びをしながら


「まぁでも、言いたくなったらいつでも言ってね。きっと今は、アリアの中でそのタイミングじゃないってだけで」


「……はい」

 

数秒、二人の間に沈黙が流れたが、アリアが話を切り出した。


「あの。喉が渇いたので水の魔導石を使っても良いですか?」


「あぁ!おっけーおっけー」


ポケットから魔導石を取り出し、アリアに渡す。コップを少し離れた場所に置いていたので取りに行く。両手には2つのコップがあった。


「リディオさんもどうぞ」


「ありがとう!そういえば水分取ってなかったな」


水を飲みながら、2人は他愛も無い話をした。好きな食べ物、最近ハマっていること、最近の天気。そうしていると、リディオの瞳がうつらうつらしてきていた。


「やっばい。疲れたのかなぁ眠くなってきた…。うあーどうしよ。夜…見張りしなきゃいけない……の……に」


体のバランスを崩したリディオの体を、アリアは小さな腕と手でそっと支え、リディオの頭を膝にのせ、膝枕の形にする。小さな手で、黒い髪を、そっと一撫で。


「タイミングなんて、来ないです。あの時、あたしが躊躇してしまった時点で、もう…」


寝息をたてながら穏やかに眠るリディオは眠っていた。その姿を目に焼き付けながら、アリアは自身の唇を噛んだ。リディオの頬に、水滴が一滴。


「ごめんなさい。そして…ありがとうございました」

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