いっときの平穏
一週間ぶりの更新ですね。遅くなってしまい、申し訳ございません。さて、上辺だけの謝罪もこれくらいにして、今回もテレキアとのお話回です。今のところ女神らしい要素もありませんが、次回から事態が急変していく予定です。どうぞ、お楽しみに。
「お義姉さま、朝でございます!」
「…テレキア、確かに朝ですが、少しばかり早すぎではありませんか?」
◆
「お義姉さま、お食事のご用意ができました!」
「テレキア、貴女の侍従が困っていますよ。もう少し貴族らしく慎みのある行動を…」
◆
「お義姉さま!ぜひお茶会を…」
「…分かりました。分かりましたからもう少し落ち着いてください」
軍からしばらく休んでヨシ!(意訳)と許可を出され、私はエルとカリン少佐と一緒に旧大陸にあるリーベ家の別邸で久しぶりの貴族らしい暮らしに耽っていた。少佐も最初はただひたすらに華美な貴族の様式に落ち着かない様子だったが、数日もすれば軍靴で分厚いカーペットを踏むのにもすっかり慣れたらしい。少佐は側から見れば険しい顔をして、私のことを穏やかに見守っている。
けれど、一つ問題というか、困ったことがあるとすれば、それは義妹であるテレキアがあまりにも元気すぎることだろう。今日も朝から三回も私の部屋に突入してきて、そして今回は半ば強引にお茶会の約束を取り付けてきた。流石にこう何度も押しかけられてしまえば私も乾いた笑みを浮かべることしかできず、実際に弟か妹がいたらこんな感じだったのかな、なんてことを考えながらエルに目配せして立ち上がる。
「アレクト様、あまりにもテレキアがしつこいようでしたら、そう注意してくださいませ。悪気はないのですが、テレキアお嬢様はあまり加減の知らない方ですので…」
「悪気がないのでしたら、やがて加減を知るようになるでしょう。私も暇をしていますし、時間を持て余すよりかは幾分も有意義ですらか」
使用人の女性の心遣いに感謝しつつ、二人を連れて前回茶会を開いた場所へと向く。エルの小さい歩幅に合わせつつ、窓から外の景色を眺めていると、曇天の下に雪がちらついているのが見えた。冬になるにつれ前線での生活は過酷なものになっていくだろう。私もその苦労を共有するべきではないのだろうか、今までならば考えもしなかったであろう身分不相応な考えが脳裏をよぎる。今までの貴族はただ惰性を貪る集団という認識でいたが、戦場で国のために戦ったことで彼らの人間性の欠如が同族としてより一層恥ずかしく感じられるようになった。
「アレクト…様、その、言いにくいのですが、テレキア様は危険な方かと」
「私もそう思います。義妹を可愛がりたくなる気持ちはわかりますが、油断して懐に入れると、胸に短剣を刺されることになるかと。分家とはそういうものです」
少佐の直感による警鐘と、エルの貴族としての常識に基づいた警告に私は思考を巡らせる。テレキアは自分を偽って私に接しているようには見えなかった。私に対して決して小さくはない好意を持っているのは確かなのだろう。けれど、貴族というのはそういう感情を必要とあらばあっさりと捨てることができる残忍な人間だ。
「…わかりました。寝首を掻かれることのないよう気をつけながら、上手に扱えるように心がけてみることにします」
二人の警告を心に刻みつつ、先日のお茶会の場へと足を進める。私を見てたいそうな笑顔を浮かべてくれる義妹にも警戒しなければならない。貴族とはかくも情けない生き物だ。効率だけを求めていては、やがて人間性が朽ち果ててしまう。けれど、帝国の貴族は近代的支配体制に順応してここまで来てしまった。今更全てを更地にしようと、きっと碌な未来は待ってはいない。私に出来るのは、ただ帝国の歪な支配体制の行く末が、せめて穏便なものであると願うことだけだ。
「お義姉さま、お待ちしておりました!」
先程の話と、貴族への憂いが脳を駆け巡り、テレキアにどうやって接するべきか決めあぐねながら部屋に入ると、テレキアはそんな私を熱烈に歓迎してくれた。そして彼女は貴族の優雅さを忘れて椅子を蹴って立ち上がり、早速使用人から注意を受けていた。私はそんなテレキアを眺めながら対面に座り、いつもよりほんのり険しい表情を纏っている二人を背にする。
「お義姉さまはここでの生活には慣れましたでしょうか。もし彫琢品に不満がありましたら、すぐに手配させていただきます。分家とはいえ、五大貴族を満足させられなかったとの噂が広まるのは、貴族として出来るだけ避けたいことですので…」
「テレキアは正直者ですね。ですが、私はここでの生活に十分満足していますよ。お父様がもしここにいれば貴女の手腕をお褒めになるでしょう。派手過ぎず、しかし地味過ぎず。軍士官の名門として相応しいと…いえ、お父様はそのようには言いませんね。『まあ、いいだろう』といったところでしょうか」
「…それは本当に誉められているのでしょうか?」
テレキアが首を傾げるが、私は「これが普通ですよ」と返す。お父様は貴族として完璧すぎるが故に厳しいが、それでもなんとかついていけばそれ相応に得るものがある。私はお父様にあらゆることを手取り足取り指導されたからこうして五大貴族として相応しい立ち振る舞いができているが、もしそうでなかった時のことを考えると恐ろしい。今となっては忌むべき存在である堕落した貴族として平民を蔑んだり…いいえ、結果的にそうはならなかったのですから、今はそのような後ろ向きなことを考えるべきではありませんね。
「叱責ではなければお父様の発言は基本的に称賛しているということです。ですが、テレキアには今までのように純粋でいてほしいですね。お父様は大変厳しいですので心が荒んでしまいます」
「お義姉さまはそのようには見えませんが?」
「私はお父様の弱いところを知っていますから。ですから家族として、ある程度手加減してもらえていたのです」
お父様は、お母様を実質的に殺した私のことを最初は憎んでいたらしい。ラクーシャがある時私に教えてくれた。お母様の名前はリミアと言い、元々病弱であったにもかかわらず、お父様のことを想って家の後継ぎを産む決意をしたのだそうだ。その結果、私が生まれた。しかし、お母様は急激に体調を崩し、そのまま亡くなってしまった。
お父様はお母様の考えを理解していた。けれど、それを認めたくはなかった。お父様は貴族としての合理性と感情の板挟みになりながら、最終的にはお母様の遺言が決め手となって私を愛していこうと決断したそうだ。
『娘を私のように愛してほしい』
私がおませだった頃にラクーシャから聞き出した話だ。あの頃の私はラクーシャが色々脚色しているのだろうと思っていたが、今思えばあの時のラクーシャの少し寂しげな表情は決して嘘をついていなかった。だから私は男手一つで育てたお父様を心から尊敬しているし、多少の無茶な役回りは文句を言いながらも引き受ける。お父様の心の葛藤は、並々ならぬものだっととよく理解できるから。
「私は家督争いの蚊帳の外でしたから、蝶よ花よと扱われても、愛情のようなものを注がれたことはあまりありませんでした。ですから、お義姉さまのことを尊敬も、そして少しだけ羨ましく思っていましたが…お義姉様も苦労していたのですね」
「どうやらお父様の中では私がリーベ家を継ぐことは決定事項のようですから。注がれる愛情に比例して、強いられる苦労も大きくなるのです」
上質な紅茶の芳香にリラックスしつつ、神妙な顔で頷いたテレキアを見て私は胸を撫で下ろす。少佐とエルの危機する事項を引き出し、そしてある程度の人心掌握も完了。テレキアの尊敬が信頼に変わってくれると嬉しいなと思いながら、私は紅茶に口をつける。
「それで、こんなことのために私を呼んだのではないのでしょう?」
「…お義姉さまにはお見通しですか」
最初に出会った時からテレキアは私を前にすると落ち着きを忘れ、貴族らしくない、言い換えれば可愛らしい振る舞いをするが、今日のテレキアの態度はそれとはまた別で落ち着きがない。何か落ち着きがないというか、何かを隠しているようなやましい事がありますと態度で示しているようなものだった。
「もしかしたらお義姉さまの方がよくご存じかもしれませんが、リーベ家はC軍集団の後盾、パトロンであると私は認知しています。それで、お義姉さまが今後どのような立ち回りをするのか、教えてはいただけないでしょうか」
「テレキア、それではあまりにも言葉足らずではありませんか?それだけでは貴女がスパイの真似事をしているようにも感じ取れますし、立場を決めあぐねているので何か助言が欲しいと言っているようにも思えます」
両手を胸の前に当て、両目を見開いたテレキアに私は諭すように言う。彼女の仕草は私とよく似ているように思える。私とテレキアは遠からず血縁なんだなと思いつつ、私はそれでも落ち着く様子の無いテレキアと視線を合わせる。彼女の慌てぶりから何となく言いたいことは分かっている。けれど、それは彼女の口から言わなければいけないことだ。認識の強要とは、自認させるのではなく押し付けることなのだから。
「C軍集団は、今回の大規模な撤退で支持拠点である新大陸を失いました。確かに帝国全体からすれば賢い選択なのかもしれません。ですが、C軍集団は派閥の管理がなっていません。リーベ家がどう頑張って経済的な支援を行ったとしても、精々火の車がいいところです。お義姉さま、早々に見切りをつけるべきではありませんか?」
「テレキアの指摘はもっともかもしれませんが、それこそ私のことだけを考えて、家のことを考えていないと思いませんか?リーベ家は名門ですが、今や私とお父様の二人だけ。つまりテレキアはそこに亀裂を入れて、自己保身に走るべきだと、そう私に言いたいのですね?」
テレキアは私の言葉を聞いて言葉が出ない様子だが、私は心を鬼にして畳みかける。
「確かに、貴族全体の常識からすれば常に勝ち馬に乗り続けるべきなのかもしれません。ですが、私は一応ですが五大貴族の身です。帝国の中で五本指に入る力を持った家の人間がそう軽々しく腰を上げては、身の上に積もった誇りが、無情にも散ってしまいます」
「…お義姉さまでも、貴族としての誇りをそのように大切にされるのですね」
「ええ、上手に使えば不要な争いを避けることのできる、使い勝手の良いカードですから。無闇に捨てては、私はとっくに官僚機構の中で堂々巡りに遭ってしまいます」
「…私の考えは、お義姉さまにすっかりお見通しだったみたいですね。そのようにユーモアに富んだ返答をされてしまえば、もう、私から言えることは何もありません」
テレキアは私の考えを理解したようで、捻りだすようにそう言うと寂しそうに下を向いた。波乱のランカラでの戦いの後、C軍集団はレーリッヒ大将の名の下に新大陸から撤退した。それも首尾よく、民間人を引き連れて。
閣下は正しい行動をした。それが前々から計画していたものなのか、はたまた土壇場での苦肉の策だったのかは分からないが、今でも新大陸からの引き揚げは大々的に行われている。この英断を前にしては今まで艦隊保全主義を取っていた海軍も惜しみなく護衛用の艦艇を港から引き出し、船団を敵艦隊の襲撃から守っている。
人的資源の損害は可能な限り抑えられたのだろう。しかし、その後のことを考えれば、C軍集団とリベラル派閥は肩身の狭い思いをすることになるだろう。帝国は近代的であり、しかしそれは完全にというわけにはいかず、色々と時代遅れとなった産物を抱えながら前に進んでいる。そのひとつが陸軍における軍集団という組織編成だ。
帝国は歴史上常に新旧両大陸で同等の国力の国家と国境を接してきた。西のハルパリ帝国に、東のデルモルヴィド連合王国。世界大戦でも矛を交えることになった二ヶ国とコルト帝国は長い歴史を持つ。つまるところ、帝国は所謂二正面作戦を常に強いられてきた。こちらが行動を起こせば、それに呼応するようにして反対側の勢力が行動を起こす。海によって国土が隔てられた帝国が、その対応を一つの命令系統では無理がある。先人は悩んだ末、一つの名案を思い付いた。それが軍集団だ。
軍集団は陸軍総司令部の傘下にあるが、様々な面で独自裁量権が認められている。作戦の立案や、武器の予備在庫の独断での使用許可などがその最たるものだ。旧大陸と新大陸、それぞれで柔軟な対応をしながら、戦略の根本をなす重大な決定には従ってもらう。当時の帝国にとっては画期的な概念だった軍集団だが、しかし、時代が経過するにつれ通信技術は発達し、わざわざ新大陸と旧大陸で指揮系統を分割しなくても問題なく軍隊を運用できるようになった。
けれど、ほとんど陸軍という枠組みそのものになってしまった軍集団を今更纏め上げることはできず、そのままずるずると世界一近代的な軍隊は古い指揮統制の下で運用されている。というのが現在の帝国の現状だ。
ところが、C軍集団が新大陸から軍隊を引き揚げ、旧大陸にやってきたことでその歪んだ均衡は崩れ去った。軍集団は予算を取り合うことはあったが、互いに干渉するようなことはまずなかった。それなのに、C軍集団は創設された理念を放棄してしまった。どうしたって肩身の狭い思いをするであろうことは誰の目にも明らかだ。だから、テレキアは私にそんな泥船からはとっとと抜けるべきなのだと言った。
「それに、私を心配したとしても、それはきっと杞憂で終わりますから。そう思えば、降りかかる火の粉を自分で掃う必要が無い私はとても幸運かもしれませんね」
過保護なお父様が、きっと今も私の動向を裏から観察している。だから、貴族とのやり取りで私が過剰に心配する必要はない。私が本当に心配しなければならないのは戦場で死なないこと。理不尽に襲い掛かってくる死に対しては、流石のお父様も先手を打つことはできない。自分の身は、だれにも頼らずに自力で守れるようにならなければならない。…いつか、私も少佐のように強い魔導兵に。
「魔導兵という兵科は、とても過酷な環境だと聞きます。お義姉さま、お義姉さまには私の心配など不要かもしれませんが…」
「私は善意での配慮を、必要ないからといって跳ね除けるようなことはしませんよ。テレキアの心配も、貴族からすればもっともなものなのですから」
それでも不安そうな表情でいるテレキアに、私はどうしたらいいか考える。今の私は戦場に立って、確かに貴族らしくない。戦場とは血腥い場所であり、優雅さとは無縁のところだ。そして、貴族は本音をそう簡単には打ち明けないもの。もしかしたら私の本心からの発言も、テレキアには頑張って平静を取り繕っているように見えているのかもしれない。…あ、そういえば私にも戦場に立つ理由がありましたね。
「原初が五剣の一本、ケトゥーヴァも、私のことを選びましたから。剣神様も私に戦って武勲を上げろと仰っているのです。五大貴族として、そのような名誉あるお告げを、光栄と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか」
「まあ!原初の五剣がお義姉さまの手に渡ってきたのは、剣神様によるお導き。そのように考えれば、お義姉さまの境遇も、英雄譚の序章のように思えますね」
私からすれば新大陸での戦いでも十分一つの物語になると思うのだが、そのことをしらないテレキアは満面の笑みでえげつないことを言ってきた。
「ええ、そうですね。旧大陸の貴族にも私は文武両道で、家を継ぐに相応しい存在だと周知させなければなりませんから。私が男性でしたら、もう少し家を継ぐのも簡単でしたのに」
「お義姉さま、もしお義姉さまがお義兄さまでしたら、私、我慢ができずに押し倒してしまったかもしれません。ですから、私のためにも、お義姉さまはお義姉さまでいてください」
テレキアの冗談なのか、はたまた本気なのかわからないその瞳に、私はなんとか乾いた笑みを浮かべるのが精一杯だった。




