第五十三話 勇者と鍛冶屋のふたりごと
「――リア、本当に大丈夫なのか? 今日くらい休んでも良いんだぞ?」
オフィーリアの隣を歩きながらレオンが尋ねた。彼はオフィーリアの疲れ切った様子に、気遣わし気な表情を浮かべている。
「大丈夫よ。昨日は、ちょっと魔力を使い過ぎてしまったけど――、お昼には回復するわ。」
大したことないわと、オフィーリアはレオンを見上げながら微笑んだ。彼女の目元には隈が出来ていた。ここ数日、彼女の顔から消えない疲労の色に、レオンは困ったように眉尻を下げた――。
「――レオン、リアちゃん、いらっしゃい。リアちゃん、なんだか疲れているね。大丈夫かい?」
食堂の店主が、大きな麻袋を担ぎながら厨房から出てきた。オフィーリアの表情を見るなりその顔を曇らせた店主は、オフィーリアに心配そうに尋ねた。
「おじさん、大丈夫よ。ちょっと昨日徹夜してしまって。例の小説を読んでいたのよ。」
オフィーリアは、へへへと恥ずかしそうにして笑顔を作った。
「例のって、もしかして俺の女房に貸してくれていたっていう恋愛小説かい? リアちゃん、またあれ読んだの? お貴族様の契約結婚の話だろう? あいつが、興奮しながら俺に話してきたよ。あの、お前を愛するつもりは一生ないと言った男が、愛人に見捨てられて、妻に擦り寄ってくるやつ」
店主は、担いでいた麻袋をテーブルの上に置きながら、やれやれと言った表情でオフィーリアを見た。
「女房もそうだけど、リアちゃんも、健康が一番なんだから、あんまり夜更かしするんじゃないぞ。リアちゃんが病気にでもなったら島中で大騒ぎになるからね。」
オフィーリアは、へへへとまた同じような笑顔を作って曖昧に頷いた。レオンは、横目でオフィーリアを見ながら小さくため息を吐いてから、そうだぞ、早く寝ろよと言って彼女の頭をポンポンと撫でた。
店主は、柔らかい笑みを浮かべて二人を眺めていたが、不意にそうだと思い出すようにして、麻袋をぽんと叩いた。
「今日来てもらったのはさ、これをギルドまで持って行って欲しかったんだ。女房が作ったパンやら焼き菓子やら、あいつ、たくさん作ったから、孤児院の子どもたちに食べさせてやってよ、少しだけど。うちの串焼きもいれといたからさ、みんなで。
クレアさんから聞いたんだ。貴族街の孤児院から孤児たちが大人数でこっちに来ることが決まったって。
――そんなに貴族街の環境が悪かったのかい? クレアさんは何も言っていなかったけど、――ちょっと気になってね。」
そう二人に尋ねた店主の憂いを帯びた視線が、麻袋に落とされる。
「孤児院の老朽化が進んでいて改修することになったんです。それで、改修が終わるまでの間、子どもたちを預かることになって――。クレアさん、急いでいて言い忘れたんだと思います。俺らとあっちの孤児院の院長は昔からの馴染みなんですよ。」
レオンは、努めて平静を装い孤児院の件について答えた。オフィーリアも店主に心配かけまいといつもの人懐っこい表情を浮かべながら頷いて見せた。
「だからか。良かったよ。孤児だからって子どもたちが酷い環境に置かれていたんじゃないかって、余計な心配しちゃったよ。なんせ俺も孤児だったからね。
――よく考えてみればワーデンさんが貴族街の孤児院と繋がりがあるのも当たり前か。
俺らには、お貴族様なんて、縁遠い存在だから彼らの世界のことなんて想像もつかなったし、孤児院の存在すら知らなかったけど――。
そうか、あっちでも孤児はちゃんとした扱いを受けているんだね。安心したよ。」
店主は、胸をなでおろしながら納得の表情で、二人を見遣った。手元の麻袋を指さした店主は、
「これ、また、女房が作るって言ってたから、そん時は、また取りに来てくれる? 改修が終わるまでだけど、彼らが不自由しないように、子どもたちが腹すかせないように、いっぱい食べさせてやって。」
俺には、これ位しかできないからそう言って麻袋をずいと差し出した。
レオンは、ありがとうございます。とっても助かりますと言いながら、麻袋を受け取った。思ったよりもずっしりと重い麻袋に驚いた表情を見せたレオンは、店主の顔を仰ぎ見た。
店主は、白い歯を見せてニコリと笑うと、遠慮なく持ってってと言いながら手をひらひらと振って厨房の奥へと戻っていった。
「――食堂のおじさんには、感謝しかないな。」
レオンは、大きな麻袋を担ぎながら嬉しそうな表情で言った。オフィーリアも笑顔で答える。
「そうだね。これだけあれば新しく入る子たちの歓迎会までできちゃいそうだね。」
「歓迎会か、そうだな。子どもたちに体力がつけば、そういうのをやってあげたいな。喜ぶだろうな。テッドも、絶対に喜ぶぞ。」
レオンは、目を細めながらオフィーリアに同意した。オフィーリアは笑顔をレオンに返すと、それから表情を暗くして呟くように話し始めた。
「私、全然わかってなかった。お貴族様って、みんながみんな綺麗な洋服を来て、立派な家に住んで、それで優雅に、幸せいっぱいに暮らしているって、そう思って、そう――思い込んでいるだけだった。」
だめね。とオフィーリアは、眉尻を下げた。
「まあ。そうだな。俺ら平民は、今まで貴族に関わることを一切許されなかったからな。ワーデンさんも、平民街のことしか話そうとしなかったし、俺らもそれが当たり前と思っていたから。
俺たちにとって、貴族は俺らの生活を脅かす恐怖の対象でしかなかったよな。
リアも、貴族の話を出すだけでびくびくしていたもんな。ロイドくらいだよ。飄々としていたのは。ま、あいつはワーデンさんの指示で少しは王宮と係わりがあったようだけど――。まあ、あいつはな、例外だ。」
レオンは、肩を竦めてそう言うと、空いている手でオフィーリアの頭を撫でた。オフィーリアは、俯きながら黙って歩みを進めている。
「ルークが戻って、シンシアが来て、マダムが来て、それでようやく貴族街と繋がりができはじめたんだ。
リアだって、エルザと係わりを持つようになって初めて貴族街に足を踏み入れただろう。
――まだ始まったばかりなんだよ。リアが貴族のことを知らないのも仕方のなかったことなんだ。
大体、俺まだ貴族街に入ったこと一回しかないしな。」
「でも――」
「カールのことか?」
「そう。私、彼があんなところに住んでいるなんて知らなかった。彼と何回も鍛錬していたのに――。しかも、孤児院の子どもたち。あれじゃ、まるで魔王の人質みたいじゃない――。私、なんにも知らないで、それで、貴族のことを助けたいとなんて思わないって言っちゃった。」
オフィーリアは、悔しそうにして顔を歪めた。スカートをぎゅっと握り締める。
「でも、今はそう思わないんだろう? ノエルの事だって全力で守ったじゃないか。あいつ、貴族だし、それに――。」
「ノエル、やっぱり魔王の末裔だったね。」
レオンが言い終わる前に、オフィーリアが顔を上げながら言った。彼女は真剣な眼差しをレオンに向けている。
レオンも、彼女をまっすぐに見つめながらゆっくりと頷いた。オフィーリアは、レオンを見つたままその場に立ち止まった。
港の噴水広場まで来ていた二人に生ぬるい海風が漂う。
「ノエル、私たちと一緒だった。私たちは、勇者、鍛冶屋、獣人、魔法使いの先祖返りで、ノエルは、魔王の。――私たちみんな、むかしの名残。」
「名残か。そうだな。俺たちは、平和な世の中には必要ない、ただの名残だ。――でも、状況は変わった。魔王が、この島を滅ぼそうとしている、この島の貴族を使って。」
広場の噴水にはすでに半月以上も水が通されていない。カラカラの噴水の底が太陽の光を反射している。真っ白な光がオフィーリアの表情を照らした。
「ここが魔王に獲られたら、おしまい。絶対に阻止しないと。
魔王を倒すための能力はほとんど残っていないけど、でも――、みんなでやるしかないのよね。」
オフィーリアは、レオンをまっすぐに見つめたまま、そう言って胸元のネックレスを握りしめた。




