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第五十一話 ジョーンとノエル

『お前の大事なノエルが居なくなったからか。』


 シンシアは、イーサンの表情の変化を確認するかのようにじっと彼を見つめた。


 イーサンの背後にある明り取りの小さな窓が一瞬だけ陰りを帯びた。シンシアは、ちらりとその陰りを見遣るとすぐに視線をイーサンに戻した。


 イーサンは、先ほどまでの表情を一変させて動揺した様子を見せている。


「――なぜ、それを。」


 シンシアは、イーサンを見据えたまま真剣な表情で、続けた。


「ジョーン・ダムドーのことは、知っているな。ノエルが診療所に取り返しに来た令息のことだ。あの時、王宮から逃げ出したご主人様の人形(おもちゃ)をお前も一緒に回収しに来たのだろ?」


 イーサンは、彼の名前を聞いて困惑した様子を見せたが、その後、顔を歪ませながら頷いた。


「そのジョーンがまた平民街に現れた。それなりに衰弱はしていたが、あいつ、今度は自分の足で診療所まで来たよ。リチャード医師の見立てでは、以前診療した時よりも彼の状態は良かったようだ。歩行できるほどに回復していた。医師は、以前とは見違えたと言って驚いていたよ。」


 ジョーンの症状を聞いても表情を変えないイーサンに、シンシアはその顔を歪めた。


「お前にとっては、本当に貴族のことはどうでもいいようだな。ふん、まぁいい。――そのジョーンだが、彼は、ノエルに手伝ってもらって、城から逃げてきたと言ったんだ。」


 ノエルの名前を聞いて、目を見開いたイーサンは、シンシアに尋ねた。


「ノエルに?」


 シンシアは、黙って頷いた。


「あいつは、ジョーン・ダムドーは、嘘を吐きすぎて貴族(ここ)から追放された人間だ。

彼の発言は、まったく信用ならないってことですぐにマダムが彼を視た。だが、ジョーンの恐怖心が大きすぎて、やつの周りの人間関係が全く視えなかった。

ガチガチに縮み上がっている人間の話だ、俺らも普通ならそんな戯言を本気には取らないんだが――。」


 シンシアは、過去を探るようにして天井を見上げた。


「――ルークが。あいつが城の自分の部屋に仕掛けていた索敵魔法について話し始めたんだ。

やつが仕掛けた罠に、土魔法の気配が引っかかっていたと言ったんだ。

その気配は、リアの手芸店にいる赤足の蜘蛛が入れられているガラス箱、そこに敷き詰められているお前の気配と同じだったらしいんだ。

だから、ルークは、やつの部屋に侵入したのは、恐らくお前だろうと推測していたんだが――、オフィーリアとお前が平民街を回っている間も、――それに昨日もずっとその気配は、ルークの部屋(そこ)にあったそうなんだ。」


「ノエルは、いつも俺の土を持っている。」


「ああ、リアから聞いていたよ。ルークも知っていた。だから、ルークもあいつの部屋に入ったのは、ノエルで間違いないだろうとは思っていたそうなんだ。

ただ、魔法自体の効果も時間とともに薄れていっているようで、その気配がどのような動きを見せているのか、何をしているのか等も、もちろんわからなかった。

だから、ルークも、オフィーリアが帰ってきてからマダムやみんなに伝えようくらいにしか思っていなかったようだ。」


 シンシアは、天を仰いでいたその視線をイーサンに移すと、彼をじっと見つめながら、ゆっくりと口を開いた。


「――その気配だが、昨夜遅くにジョーンが診療所に逃げ込んできた頃合いで、無くなったんだ。」


 イーサンは、焦ったような表情で尋ねた。


「ノエルの気配が? 彼は、どうなった? そ、その索敵魔法だが、他には、王宮の他の場所にはかけていなかったのか。やつの魔法で、俺の土魔法の残滓を、追うことは出来ないのか。」


 シンシアは、黙って首を振った。イーサンの焦りに、まあ、待てと言ってシンシアは、続けた。


 イーサンは、浮かしかけた腰を再び戻して、悔しそうな表情をしながらシンシアの話の続きを聞いた。


「お前も知っての通り、ルークが城を引き上げてからかなりの時間が経っているから、魔法の効力が薄れてきていたようなんだ。だから、ルークの魔法が感知した気配が、お前のものか、ノエルのものかの判断すらも難しい状態だった。

あいつの索敵魔法は、何種類かあるらしく今回発動したのは、小さな罠のようなもので、何かが引っかかるまで細く長く魔法の効力を持続させ続ける種類のものらしいのだが、この魔法の術式を完成させるのにはまだ相当な時間がかかるらしい。

お前も知っている通り、誰にも見つからずに長時間滞在できる場所は、王宮にはほとんどない。

ルーク自身、王宮で自由に動き回れる存在ではなかったからな。

元々その索敵魔法も、あいつの新しい魔法の開発としてひっそりとあいつ一人でやっていたことだったらしくて、よもや実際に誰かが引っかかるなんて思っていなかったようだ。」


「そうか」


 イーサンは、残念そうに呟いてから思案の海を彷徨い始めた。


 シンシアは、イーサンが、ぶつぶつと言いながら、必死で打開策を探っている様子に眉尻を下げ、小さなため息を吐いた。


 イーサンは、シンシアのため息に気がつくことはなく、視線をひたすら漂わせながら考えを巡らせていた。


「――ジョーンの話に戻るが、ルークの索敵とジョーンの証言にある程度の整合性が取れると俺たちは考えたんだ。ジョーンの話に信ぴょう性があると。

それで、ジョーンが落ち着いたのを見計らって彼にもう一度、話を聞いたんだ。

その話によると、ジョーンは、王宮に存在する抜け道を通って逃げ出してきたということだ。」


 抜け道という言葉に反応したイーサンは、縋るようにしてシンシアに視線を上げた。


「ワーデンが王宮から抜け出すためにいくつかの抜け穴を用意していたらしいんだが、その一つがルークの部屋にも用意されていて、ジョーンは、そこを抜けて平民街まで来たらしいんだ。」


 イーサンは、黙ったままシンシアの続きを待った。


「抜け道をノエルとともに通ってきたそうなんだが、その途中で二人は、魔物に襲われた。」


「魔物!? 魔物がなぜノエルを! ノエルは!? ノエルは、無事なのか」


 腰を浮かせて慌てた様子のイーサンに、シンシアは静かに答えた。


「ジョーンからこの話を聞いて、すぐに、オフィーリアとルークが、ノエルの救出に向かっ――。」


 駆け出すようにして院長室を飛び出たイーサンは、その後振り向くことなく 孤児院を後にした。


「あいつ、しっかし、慌てすぎだよ。人の話は最後まで聞けよ。ノエルが危険な状態だったら、こんなにゆっくり話なんてしないだろう。――ま、こっちもあいつの態度には、言いたいことがたくさんあったしな。わざと、長々と説明していたのもある、クク。ま、これで少しは、リアを泣かせた仕返しが出来たかな。」


 シンシアは、それからゆっくりと腰を上げるとうんと背伸びをした。


 彼の視線の先には、窓から顔を覗かせているロイドがいた。


 シンシアは、窓の向こうで苦笑しているロイドに肩を竦めてみせた。


 イーサンが開けっぱなした扉からは、少しだけ短くなった朝日とともに、きりりと澄んだ海の碧い香りが差し込んできた――。

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