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第三十九話 悩むことをやめた勇者と突き進む令嬢

「あ、またやってしまったわ――。もう朝なのね。」


 オフィーリアは、手芸店のガラス扉から差し込んでくる橙色の陽射しを眺めて伸びをした。


「イーサンの平民服、それっぽくしようと思ったら――」


 オフィーリアがそう言いながら見遣ったカウンターの上には、濃い茶色のトラウザーと麻生地でできた薄茶色のシャツがある。


「お店で売っているトラウザーだと、イーサンには長さが足りないのよね。イーサンの身体に合わせて作ったはいいけど――」


 また、やりすぎてしまったわと大きなあくびをしたオフィーリアは、椅子から立ち上がると手元に転がっていた焼き菓子のかけらを頬張った。


「これ、やっぱりあそこのカフェで食べた焼き菓子とは違うのよね。」


 オフィーリアは、貴族街のカフェで食べた菓子を再現しようとここ数日、大量の焼き菓子を作っていた。


「はぁ。また、私のお給金が......トラウザーと、焼き菓子――あと、鍛えぬかれた体躯の騎士の絵姿......この絵姿を完成させるために、今月も何枚もの高級紙を買ってしまったわ......。仕方ない、来月のお給金まで節約ね。」


 当分は、この失敗作でしのぐしかないわね。そう言いながらオフィーリアは、焦げ目のついた菓子を口に放りこんだ。冷え切った紅茶を一気に飲み干してぷはぁと大きく息を吐く。


 オフィーリアは、それからティーポットの蓋を開けて真剣な表情で中の茶葉の状態を確かめた。


「この茶葉も、まだいけそうね。あと、二回......三回は......いけるかしら」



 ――カラン


「あら、リア、早いじゃない。もしかして、貴方も寝ていないの?」


 気怠そうにして店内に入って来たマダムクロッシェは、ふらふらと歩み寄ってきた。彼女の後ろには、いつも通り飄々とした様子のキースがいる。


「うん。ちょっと、完成させたいものがあって......」


 オフィーリアは、横目でちらりとトラウザーを見遣った。


「ああ、あの自称黒魔法使いの服? 彼とはまた会うことにしたの?」


 マダムクロッシェは、キースに差し出された椅子にもたれ掛かるようにして座ってから、オフィーリアに尋ねた。


「うん.......どうしてもね。気になるのよ。ロイドには、イーサンとはしばらく会うなって言われたけど――。」


 マダムクロッシェは、そう。と短く相槌を打った。それから大きなあくびをしたマダムクロッシェは、


「リアの好きになさいな。――私、お店を開ける時間まで少し休むわね。昨日はちょっと飲み過ぎちゃったわ。」


 椅子から立ち上がったマダムクロッシェは、貴方も少しは寝るのよとキースに言い残すとカーテンを開き、奥へと入っていった。


「――キースは、私がイーサンに会うの反対?」


 オフィーリアは、上目遣いにキースに尋ねた。キースは、腰に手を当てて少し考えた後、口角を上げて柔らかく微笑んだ。


「姫様は、会いたいんだろう? 最近ずっと黒魔法使いやら土魔法について調べてたもんな。彼を仲間にすべきなのかどうかは、正直俺にもマダムにもわからないが――。

でも、まあ、いいんじゃないか? 相手が魔王の手先かもしれないけど、今のところ、俺らや島の平民(やつら)に実害はないしな。ロイドも、ああは言っているが、あいつが本気を出せば――、まあ、多少のリスクはあるかもしれないが、姫様が気になるなら、余計なことは考えずに、いつものように突き進めばいいじゃないか。

それでダメそうなら、いつもの台詞で『やばっ』って言って逃げてくればいい。

――なんか、今更な感じがしてな。相手には、姫様やこちら側のことを知られてしまってるんだろう。それなら、もう開き直って敵の懐に入っていくってのもありかも知れない。」


 キースは、カウンター越しのオフィーリアの頭を撫でた。


「何度も言うが、面倒なことは俺らに任せて、姫様は気の向くままに突き進めばいい。」


「キース、ありがとう。なんかね、私もいろいろ難しすぎてわからなくなっちゃって。

イーサンは、私たちの仲間にはならないって宣言したくせに、まだ契約は続けるって言ってるし、でも、ロイドはもうイーサンに会うのは危険だって、レオンもあんまりいい顔はしてなくって......

でも、私――私、ロイドみたいに相手の裏をかくなんてできないし、レオンみたいにうまく立ち回れないし、ルークみたいに器用じゃないのよ。それに、嘘......つけないし。私一人じゃ何にも、どうにもできないんだけど――

でも、なんか、どうしてもイーサンのこと、ノエルのことを放っておけないのよ。

とりあえずイーサンが仲間になりたくないのもいいし、敵だったら、悲しいけど――仕方ないわ。でも、なんかもやもやしてて、ずっと頭から離れないのよ。だから――、もう少し、イーサンとの契約を続けるわ。」


 オフィーリアはキースをまっすぐに見つめた。キースは、微笑みながら頷いた。


「あ、そういえば。ルークにまだカフェでのこと話してないわ。」


 オフィーリアが、思い出したように呟いた。


「え? まだ言ってなかったのか。早く教えないとまた拗ねるぞあいつ。面倒な奴だからな。あ、そうだ。あいつにカフェでの出来事を話すなら絶対に、イーサンにくちびるを触られたことは秘密にしろよ。あいつ、うるさいからな。」


 キースが、苦笑しながらオフィーリアに忠告した。オフィーリアは、当然だと言わんばかりに


「絶対に言わないわよ。イーサンにカフェで、くちびるをぷるんってされたなんて――」


 ――カラン


「なんなの、ここ。本当に占いをしてくれるの?」


 ドアを開けながら、訝し気な表情をした女性が店内を覗き込んだ。


 鋭い視線をオフィーリアたちに向けた女性は、つかつかとカウンターの方へ突き進んできた。キースに並ぶようにして立ち止まり、


「ここに、縁切りをしてくれる平民がいるって聞いたんだけど、お金ならいくらでも出すから、早く切ってちょうだい」


 オフィーリアを睨みつけた。

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