第三十八話 勇者と羽根男の初デート
「お貴族様専用カフェ――」
オフィーリアは、初めて訪れるカフェの店内を隅々まで観察していた。彼女は、視界に入るものすべてを目に焼き付けて生涯忘れまいと、真剣な表情であたりを見回している。
「すごいわ。本物のカフェよ。全部が本物だわ。匂いも違う」
深呼吸をしながらオフィーリアは、天井を仰いだ。豪奢なシャンデリアが吊るされていた。
「どこを見ても――、とにかくすごいわ。」
イーサンは、目を輝かせてきょろきょろとしているオフィーリアの対面で、うっとりとするような笑顔を浮かべていた。テーブルに収まりきらない彼のスラッとした長い脚は、流すようにして斜めに組まれている。
昼下がりのカフェは、貴族街の年若い令嬢たちでにぎわっていた――。
「フィリア、初めてのカフェ、そんなに嬉しい? かわいい僕の子猫ちゃん、君の、そのそわそわした感じ――」
最高だよね、と身を乗り出したイーサンは、オフィーリアの顔に触れた。彼女の目元をゆっくりと指先でなぞった彼は、それからその指先を徐々に下へと動かした。オフィーリアの輪郭を撫でるようにして指先を動かしたイーサンは、彼女の唇を指で弾いた。
イーサンの突然の大胆な行動に、店内にざわめきが起こった。
されるがままだったオフィーリアは、令嬢たちの黄色い声を聞きつけて、慌てた様子で周囲を見回しはじめた。
「フィリア、僕に触れられても、君、ぜんっぜん動揺しないね。ちょっとくらい身構えたり、緊張したりしてくれたらいいのに。――君のくちびる、僕が触れたら、ぷるんってなったよ。白い歯まで見えちゃって、僕にされるがまま。全然気にしないんだ? それに君、僕のことより、周りの方が気になって仕方ないみたいだし――」
イーサンは、言いながら周りで顔を真っ赤にしている令嬢たちに視線を向けた。彼女たちを一周するようにして視線を漂わせたイーサンは、ふっと笑みを浮かべた。
オフィーリアは、イーサンの笑顔を確認すると、頬を染めながらあちこちに視線を動かした。
ご令嬢たちは、しかし、イーサンがこれ以上何もしないと悟るや否や、つまらなそうな表情をして扇子で口元を隠した。何事も無かったかのように、それぞれの会話に花を咲かせ始める。
オフィーリアは、残念そうな顔をして目の前に出された焼き菓子に視線を落とした。
「――イーサンと視線を交わしたご令嬢たちは、彼の美貌に目がくらみ、悲鳴のような声を上げて次々に倒れていった......なーんて、フィリア、君、僕の笑顔で令嬢たちがばったばたと倒れるんじゃないかって、期待していたでしょう。君さ、『え? 倒れちゃうの?』 とか、もう期待感がたっぷりな心の声が、口から溢れちゃっていたよ。」
クククと笑いを堪えるようにしてイーサンは、オフィーリアを見遣った。
「だって、イーサンとここに入ってきた時からずっとみんな、ちらちらこっちを見ていたんだもの。ちょっと、期待しちゃって――知っているのよ。ある人が教えてくれたの。貴方、身長も高いし、お色気たっぷりだから、女性にとても人気があるって、だから、私が一緒にここに来たら、もしかして、ご令嬢の牽制、あの小説で有名な、貴方、生意気なのよ! の、お水ぶっかけが起きるんじゃないかしらって――」
オフィーリアが言い終わる前に、思わず噴き出したイーサンは、それからアハハハハと白い歯を見せて豪快に笑った。
先ほどまでイーサンの微笑みに頬を染めていたご令嬢たちは一転、彼の大笑いに眉を顰めて冷ややかな視線を向けている。
「アハハ、ごめん、ごめん、今度は変な注目を浴びちゃってるね。フィリア、君、本当に面白いね。恋愛小説にはまっているのは知っていたけど、そこまでとは。ククク――」
オフィーリアは、肩を竦めながら
「だって、カフェって言ったら、牽制なのよ。とにかく......ライバルご令嬢たちの出会いの場なの。」
それよりと、上目遣いでオフィーリアは、尋ねた。
「今日初めてイーサンと出かけたのに、貴方もう、私のこと勝手に、フィリアって呼んでいるし、私が言わなくても、私の趣味を知っているし、イーサンの雰囲気もなんかちょっと前と違うし――もう、どういうことなの?」
「ん? 僕? この間と同じはずだよ。君たちの言う通りに羽根より軽い男のままでいるけど?」
イーサンは、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべて答えた。
「羽根って――、も、もしかして私たちの話を聞いていたの? え? どれくらい? どうやって――って、もういいわ。これ以上は聞けないわ。余計なことは、今日は聞かないのよ。とにかく、今日は――この焼き菓子を食べるわ。」
オフィーリアは、動揺した様子でフォークとナイフを手に取った。ぎこちなく焼き菓子を切り分けると、ちょこちょこと啄むようにして焼き菓子を頬張る。
これで大丈夫よね。と呟きながらもぐもぐと口を動かして、周囲を確認した。ごくりと焼き菓子を飲み込むとオフィーリアは言った。
「今日は、お行儀よくして、ご令嬢をよく観察して、それでご令嬢を真似して――って、ある人に言われたのよ。今日は、夜会への第一歩なのよ。」
「そのある人って誰なの? 僕の事をよく知っていたり、君に今日の目標を与えたり、君もその人のいう事をかなり従順に守っているようだけど――」
「秘密よ。」
すました顔でティーカップを口に運びながらオフィーリアは、答えた。
「秘密ね。君、今日は、ノエルの事を聞きに来たんでしょう? なのに君は、ひたすら周りのご令嬢や、カフェを観察している。君、僕が渡した土の事を聞きたくて僕の誘いに乗ったはずなのに、今日は全然その話をしない。それに、ずっとあの人に聞いた、あの人がそう言ったって、そればかり。」
ふんと顎に手を添えたイーサンは、目を細めてオフィーリアを眺めた。オフィーリアは、たまらず目をそらして、またもぐもぐと焼き菓子を頬張り始めた。
「――ロイドだな。」
イーサンは、ニヤリと笑みを浮かべるとオフィーリアの様子を窺った。
オフィーリアは、ごくりと焼き菓子を飲み込むと、目を見開いて「なんで......」と小さく呟いた。
「ククク。当たったね。いや、フィリア、本当に、君、嘘を吐けないね。心の声がすぐに口に出る。ロイドか、そうかあの眼鏡男子は、優男を装っているけど、腹黒冷徹男だからな。そうか、彼に忠告されたな――。」
イーサンは天井を仰ぎながら小さく息を吐いた。腰を上げてオフィーリアにぐいと顔を寄せたイーサンは、彼女の耳もとで低い声音で静かに言った。
「ノエルは、黒魔法使いじゃない。僕がそうだ。でも、僕は――君たちの仲間にはならないよ。」
イーサンを見上げたオフィーリアは驚いた表情をして、それから――悲しそうに俯いた。




