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第三十六話 勇者、羽根より軽い男の誘いに乗る

「フィー。絶対に断るんだよ。」


 足早に廊下を突っ切ろうとしているオフィーリア。彼女に縋り付くようにして、ルークが契約は無しにしようと繰り返し懇願している。


「あいつ、めっちゃくちゃ軽い男だよ。羽根よりも軽い。あんなやつの当て馬役になるなんて、本気でやばいって、フィー。」


 既に小走りとなっているオフィーリアに必死でしがみつきながらルークの説得は続く。


「それに、最初の契約の内容と話が全然違うんだよ。最初はあの羽根男を引き立てる取り巻き令嬢のさらに取り巻きとしてただ夜会に参加するだけみたいな話だったんだ。

だから僕だって安心していたのに。でも、あいつ、取り巻きとかやめたって、当て馬とかやめたって突然ふざけたこと言い出して、フィーを一人だけ残すって言いだしたんだよ。」


「どういうこと? え? 夜会、なくなっちゃうの?」


 オフィーリアは、部屋を出てから初めて口を開いた。速度を緩めながらオフィーリアはルークにそう尋ねて、残念そうな表情をした。


「だから、夜会どころじゃないんだって。それが、他の取り巻きたちは全部切られて、それでフィーだけがなぜか残ってさ。それでしかも、事前準備とかいって......半月も!!」


 顔を真っ赤にしながら、最悪だ! と叫んだルークは、大通りへと出る扉をばんっと開いてオフィーリアを外へと促した。


「とにかく、わかったわ――。たぶん」


 オフィーリアは曖昧に頷いてみせた。納得のいかない様子でぶつぶつと文句を言い続けるルークを宥めながら店までたどり着いたオフィーリアは、そっと手芸店の扉を開けた――。


「うっわー。思っていたよりも可愛い子だなぁ。」


 ルークと同じ銀髪の長身の青年が、店内に入ったオフィーリアを見つけるとすぐに歩み寄ってきた。ルークが鬼の形相でオフィーリアと青年の間に入って宣言した。


「貴様には渡さん。」


「ちょっと、君なに? 邪魔なんだけど。」


 青年は、訝し気な表情でルークに視線を向けたが、すぐにルークの背後にいるオフィーリアに興味を移した。


「ねぇ、この子が僕と契約した子でしょ? ギルドすごいなぁ。こんな可愛い子も所属しているんだ。君、可愛くて強いの? 最高だね。髪の毛もふわっふわだ、ちょっと触ってもいい? その瞳もくりっくりで零れちゃいそうだね。あ、これあれだ。最高に庇護欲そそるってやつだ。初めてお目にかかるよ。ちょっと君、もぐもぐってしてみてくれる? いや、にゃにゃにゃとか、言ってもらっちゃおうかな。」


 青年は、新緑色の瞳を輝かせながらオフィーリアを上から下まで食い入るようにして見ている。


「やめろ。見るな。減る。すり減る。そして、気持ち悪いこと言うな。もぐもぐも、にゃにゃにゃにゃも、全部なしだ。」


 ルークが、オフィーリアを抱き寄せながら青年に抗議の眼差しを向ける。


 オフィーリアは、口をぽかんを開けながら、彼女よりもずっと背の高い青年を物珍しそうにして見上げていた。


 青年の銀髪はルークのそれとは違い、柔らかくふわふわとしていた。長めの前髪から覗く切れ長の目は、目尻がほんのりと下がっており、マダムクロッシェのような妖艶さが滲み出ている――。


「――すごい、これが上級貴族......」


 ルークにがっちりと抱かれたままのオフィーリアの視線は青年に釘付けであった。


 青年は、皺ひとつない上等な濃紫色のジャケットを身に纏い、胸元にはスカイブルーのポケットスクエアがその存在を主張していた――。


 遠巻きに見ていたレオンが疲れ切った表情をしながらようやく口を開いた。


「申し訳ないですが、イーサン・ディープ様、契約がこれほど変わるとは......、一度、マダムに確認してきますので、こちらでこのままお待ちいただけますでしょうか。申し訳ありません――では、失礼して」


 レオンは、これ以上巻き込まれたくないと言わんばかりに逃げるようにして店を後にした。


「そういう事ですので、この契約は無かったことに」


 ルークは、キッとイーサンを睨みつけるとそう言ってオフィーリアを彼から遠ざけるようにしてその身を翻した。


「えー。せっかくこんな可愛い子と知り合いになれたのに? 契約ねぇ。もったいないなぁ。そんなに必死に彼女のこと隠さないでよ。もっと近くで彼女をじっくりと愛でたいなぁ。」


 イーサンはへらへらと笑いながらルークの目の前に回り込んだ。


 ようやくオフィーリアと視線を交わしたイーサンは、彼女の頬にそっと触れると彼女の顔を覗きこむようにして、本当に可愛いねと言って艶っぽい笑みを浮かべた。


 イーサンから逃げるようにして顔をそむけたオフィーリアは、頬を真っ赤に染めてルークを見上げた。縋るような眼差しでルークに助けを求めたが、彼は、オフィーリアの恥じらう姿を目の当たりにして呆然とした。


 呆気に取られているルークの一瞬の隙をついたイーサンは、力が抜けているオフィーリアの手を素早く取った。


 オフィーリアの身体を引き寄せながらイーサンは、彼女の手を握り締めた。彼女の耳もとで息を吐くようにして小さく囁く。


「――君は、これ、どうしたい?」


「き、貴様!?」


 ルークが、叫びながらオフィーリアの視界を塞いだ。ルークから引き離されていたオフィーリアの身体が再び彼の胸にきつく引き寄せられる。


「おい! 勝手にフィーに近づくな、今、フィーになんて言った?! とにかく、ダメだ。見るな、話しかけるな! 触るなー!!」


 ルークが叫びながらオフィーリアを抱いたままイーサンから距離をとった。


 それまで大人しくルークに抱かれていたオフィーリアは、不意にイーサンに触れられていた手をぎゅっと握りしめた。


 「ルーク、ちょっとごめん。」と短く謝ると、オフィーリアは、すぐにその身を捩り出した。すり抜けるようにしてルークの拘束から逃れた彼女は、ルークが騒ぐのも聞かずに、イーサンと触れた手を何度も握りしめてその感触を確かめた。


「――あの、その契約ですが、私だけでもマダムがいなくても結べますか?」


 イーサンを見据えながらそう尋ねたオフィーリアの表情は、真剣そのものだった。


 イーサンは、へらへらと笑いながら「できるよー。結べる結べる。」と言ってオフィーリアに満足そうに何度も頷いてみせる。


「フィー!!」


 ルークが、慌てながらオフィーリアの腕をとり、引き戻そうと力を込めるがオフィーリアは微動だにしない。オフィーリアの視線は揺るぐことなく、イーサンを捉え続け


「夜会まで、どうぞよろしくお願いします。」


 オフィーリアは、握りしめていた手をイーサンに差し出した――。





 『――これで、交渉成立だね。これからよろしくね、子ねこちゃん。』


 片目を瞑って見せたイーサンは、それからルークが引き留めるのも聞かずに、羽根のように軽い足取りで手芸店を後にした。


 イーサンを黙って見送ったオフィーリアは、それからそっと手のひらを見た。彼女の手のひらには少し温かみのある茶色い土がついていた――。

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