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第三十話 勇者の初恋!?

「それで、そのジョーンって子、そのまま結局連れ去られちゃったんでしょ? ノエルって子に――。」


 マダムクロッシェは、紅いビロードのソファに気怠そうにもたれ掛かっていた。ソファの周りは、分厚い黒色のレースカーテンで仕切られており宵闇のような暗がりになっていた。


 暗がりには、ソファの他にテーブルが置かれている。


 テーブルの上には、マダムクロッシェの唯一の仕事道具であるお飾りの水晶があった。水晶は、ソファと同じビロードで作られたクッションの上に鎮座しながら、仄かな光をゆらゆらと映していた。水晶の横には、室内を照らす蝋燭が一本――。


 マダムクロッシェが、徐に手を差し出した。彼女の目の前には、オフィーリアが立っていた。オフィーリアにいつもの元気はなく、緊張した面持ちでマダムクロッシェに対面していた。


 オフィーリアは、意を決したように真剣な表情で、彼女が差し出した手に自身の右手をゆっくりと重ねた。


 マダムクロッシェは、ゆるりとオフィーリアの手を握り、自身へと手繰り寄せ、それから、彼女の小指にそっと口付けた。


 オフィーリアは、ソファの前に跪きながら、心配そうな表情でマダムクロッシェの閉じた瞳を見つめた。


 沈黙が続き、ようやくマダムクロッシェが顔を上げた。彼女の瞳が微かに赤く揺らめいた。


「――だめね。貴方とジョーン、ノエル? 彼らを視ようとしたのだけれど......全く、彼らの今の状況が分からなかったわ。

ジョーンは、今も意識がないなら、彼の事を視ることが出来ないのは仕方ないけど......少なくともローズを視た時には、彼の存在を捉える事はできていた訳だし.......理解できるけど――。

でも、ノエル、彼の事が全然視えないのよ。彼の願望、意思、感情の高ぶり、彼の運命を左右するような彼の想いが一切、何も視えないのよ。

彼、――ノエルって本当に存在するのよね。」


 マダムクロッシェは、悩まし気に首を傾げた。ため息交じりにどことなく流し目を送る。


「それにしても、ふふふ。リア、貴方は、ノエルの事が気になってしょうがないのね。」


 マダムクロッシェは、やわらかに微笑みながら彼女にそう尋ねたが、オフィーリアは、気まずそうにしてマダムクロッシェから視線を逸らした。


 視線を漂わせた先には、マダムクロッシェの後ろに立っていたキースがいた。不意に彼と視線が合ったオフィーリアは、それから顔を真っ赤にさせた。薄がりの中でもわかるほどに赤面した彼女にキースは苦笑しながら言った。


「姫の初恋か。」


 これは荒れるな。そう言ってキースは、マダムクロッシェを見遣った。そうねとだけ応えたマダムクロッシェは、オフィーリアを見つめたままいたずらな笑みを浮かべた。


「え? ちが、違うのよ。初恋? へ? えっと、あの子の、あの子が暴れないで大人しくなって、それで、お店に連れてってもよくなったから、それは、ノエルが土をくれたおかげだから、それでね。ただ、お礼を言いたくって。お礼だけよ。礼儀よね。私は――、そういうのないから。」


 そう言って俯いたオフィーリアは、視線をレースカーテンの向こうに移した。レースカーテンの向こう側には、うっすらとカウンターの影が見えた。カウンターの上には、四角い影がちょこんと佇んでいる。


「そう。お礼ね。でも、ノエルって子、侯爵家に出入りするほどの子なんでしょう? 使用人だったとしても、彼、貴族よね? 子爵か、男爵あたりかしら。」


 マダムクロッシェがそう言うとオフィーリアは、眉尻を下げて頷いて見せた。


「貴族だよね。やっぱり、多分、もう平民(わたし)なんかと会ってくれないよね。」


 俯きながらオフィーリアは、握りしめていた左手をゆっくりと開いた。手には、碧いビーズで作られたブレスレットがあった。


「あらあら、貴方らしくないわね。柄にもなく落ち込んじゃって。初恋ね。ふふ。

ねぇ。リア、ノエルがたとえ貴族だったとしても、ノエルは、貴方に会ってくれるかもしれないわよ。だって、彼、貴方と会話をして、貴方の事も助けてくれたんでしょう?

それにお貴族様も、今は変わってきてるじゃない。

ローズも貴族よ。でも、彼女、あれから頻繁にリアに会いに来てくれるし、二人とも仲良くやってるじゃない。

シンシアなんて高位貴族なのにあんな感じなのよ? 時代は変わるのよ。

とにかく、そのノエルって子? 私も彼の事が気になるから、ロイドとシンシアに頼んで探りを入れてもらうわ。

それに、貴方だって、また彼と会えるって思ったから、お礼を手作りしたんでしょ? ブレスレット(それ)大事に取っておきなさい。まだ、もう二度と会えないって決まったわけじゃないんだから。」


 貴方の想いがブレスレット(そこ)からあふれてるわよ。そう呟いたマダムクロッシェは、ブレスレットからオフィーリアに視線を移した。


 珍しく、しおらしい態度をみせる彼女を眺めながらマダムクロッシェは、やっぱり、荒れるわね。と、嬉しそうに言った――。



 ――ガン!!


 ガラスが割れそうになるほど乱暴に扉を開いた女性が、フライパン片手に手芸店に突っ込んできた。


 女性は、それからハァハァと肩で息をしながら店の中を鬼の形相でゆっくりと見回す。女性は、視界に黒いレースカーテンを捉えると、ここか。と呻き、カーテン越しに、オフィーリアたちを睨みつけた。


 ゆっくりとした足取りでカーテンに近づいてきた女性は、カーテンの目の前に来るや否や、シャッと一気にカーテンを開いた。


 そして、地を這うほどの凄みのきいた声で言った。


「クソワーデン、ここにいるんだろう? あいつ、私らの大切な命の水を......あいつ......」


 殺してやる。そう言って女性は、フライパンを振り上げた。


 激高する女性の後ろに困った表情のレオンが現れた。


 レオンの背後では、顔を真っ青にしたワーデンが、ガタガタと震えていた――。

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