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第二十三話 賢者の占いと貴族の娘

「は? え? 好物? あの、私......」


 先ほどまでの勢いを一気になくした女性が、俯きながら床に視線を這わせておろおろとしている。ちらちらとオフィーリア、ルークそしてキースを盗み見てそれから、彼女は、絶望の色を滲ませて、出口のガラス扉に縋るような眼差しを向けた。


 マダムクロッシェは、妖艶な笑みを湛えたまま玉座の様に豪奢な椅子に座り、白い丸テーブルの対面にちょこんと置かれている背もたれのない椅子を指した。


「どうなさったの? 私に占ってもらいたいのでしょう? 早くお座りになって。詳しく聞かせてちょうだいな。」


 マダムクロッシェの目配せでキースは、椅子を引きながら「さあ、ご令嬢、こちらです。」と言って口角を上げた。


「はっ。はい! すみません! 座ります!! すみません!」


 女性は、キースの燃え盛るような赤い髪から覗くその鋭い碧眼にひっと小さく叫ぶとすぐに、椅子に座った。ひたすら謝罪を繰り返している。


「あらあらまあ。」マダムクロッシェは目を細めてそう言いながらキースに再度視線を移した。


 マダムクロッシェに応えるよう頷いたキースは、それからオフィーリアたちがいるカウンターの方へと向かった。


 勝手知ったる様子ですたすたとカウンター向こうの倉庫へと入ったキースは、それからほどなくして赤い袋を手にして戻り、マダムクロッシェと女性の間にあるテーブルにその袋を置いた。


「ありがとう。これがなくっちゃね。」そう言って、マダムクロッシェは、袋の中から透明な球体を取り出した。


「こ、これで、私の縁を切ってくれるんですか?」そう言って、女性は球体をおそるおそる覗き込んだ。球体には、怯えきった表情の女性が写り込んでいる。


「これはただの飾りよ。これを置いておくと、それっぽくなるのよ。

それと、貴方、さっきから、縁を切るとかどうとか言っているけど、私は、貴方の縁を切る事はできないわよ。それは先代の能力(ちから)なの、私はそんな事はできないわ。

私が貴方にしてあげられることは、貴方の運命、ご縁、そうね。貴方と貴方の周りの人間の想いの強さとか行方を視て貴方に教えてあげるだけ。ただそれだけよ。その想いについて行動を起こすのは、貴方自身。切ったり貼ったりなんて、できないわ。」


「え?」


 惚けている女性に、マダムクロッシェは、「貴方、利き手は?」そう言って手を差し出した。


「み、右です。」そう言ってマダムクロッシェに言われるまま右手を差し出した。マダムクロッシェの唇が女性の右の小指にすっと落とされる。


「――え。 あ、ふわぁっ。」


 ひゃうと言って女性は頬を真っ赤に染めながら手を引っ込めた。


「な、な?!」真っ赤な顔で涙をためた女性はマダムクロッシェを見た。


 マダムクロッシェは、甘ったるい声音で「貴方と殿方の想いの行方が視えたわ。」そう言ってから女性の視線を捉えた。


 マダムクロッシェの瞳が仄かに赤く揺らめき、それを見た女性は、ごくりと息を飲んだ。


「そうね、もう解決したようなものだけれど、とりあえず、貴方のお話を聞かせてもらおうかしら? まずは、貴方のお名前から教えてちょうだい。」


 そう言ってマダムクロッシェは、ぱさっと扇子を開いて口元に添えた――。


「り、リアル恋バナ」オフィーリアがそう小さく呟いた。ルークが大きくため息を吐く。



「――あ、あの私、ローズと言います。ベネット男爵家の長女です。」


 しばしの沈黙の後、ローズは意を決したように、マダムクロッシェだけをまっすぐに見据えて言った。


「私、恋人への想いを断ち切るために来ました。」


 ローズの真っ直ぐ射貫くような眼差しをしっかりと受け止めてマダムクロッシェは、尋ねた。


「どうして断ち切りたいの?」


 マダムクロッシェを見据えたままローズは、ゆっくりと一言一言を噛みしめるように話し始めた。


「私が恋人だと思っていた幼馴染の彼、オリバーに婚約者がいたからです。私は、男爵令嬢の分際で婚約者がいる伯爵令息に手を出していた。

オリバーの婚約者にそのことを知らされて......彼、婚約者がいるとか、そんな事一切教えてくれなかったから、でも、知らなかったなんて通用しないんです。横取りした私がすべて悪いんです。

だから、私、彼女に誠心誠意謝って、それでもう彼には会わないって約束したんです。

でも、それでも彼女の気は収まらなくって、彼女、侯爵家のご令嬢なんです。スレッドブルグの騎士団を統括している侯爵家の次女なんです。

オリバーが、彼女に不貞を理由に婚約破棄されたとしたら、彼の夢が、騎士としての夢が潰えてしまう。彼の昔からの夢が......私がばかだったせいで......」


 ローズは苦しそうにそう言って俯いた。


「そのご令嬢、エリザベス侯爵令嬢が、オリバーと彼女との婚約を継続する条件として、私に、ジョーン・ダムドー侯爵令息と婚約するようにとおっしゃられて。

私が、彼を婿に迎え入れれば今回の私の失態は帳消しにして、それでオリバーとの婚約もこれまで通り継続してくれるって言って下さって。

だから、ジョーン様と婚約することにしました。明日、先方の侯爵家と顔合わせをするんです。

それと......エリザベス様に言われたんです。ジョーン様と私が婚約したら、これから先、何度も社交場で私はエリザベス様とオリバーと顔を合わせる事になるって。

けれど、その時に私が、少しでもオリバーに想いを残しているようなそぶりを見せたり、彼と視線を交わすような事があったら、男爵家を潰すって。オリバーの騎士職もはく奪するって。

私、オリバーの事、どうしても好きだから、ずっと好きだったから、今でも、やっぱり好きで、だから、彼の為に政略結婚しても耐えられる。彼が夢をかなえられるなら、大丈夫。

でも......彼への想いだけは、断ち切ることは出来なくって、断ち切ったようにふるまう事も自信なくって、彼に無関心を装う事なんて、一生できそうにないから、だから、私の彼との縁をきっぱりと切ってもらおうと......」


 ローズは、くしゃりと眉尻を下げて微笑んだ。店内が重い静寂に包まれる。


 彼女の頬にマダムクロッシェの指が触れた。


「泣かなくても良いのよ。大丈夫。貴方の想いは、そのままで大丈夫よ。断ち切ることはないわ。」


 凛とした声音で言ったマダムクロッシェは視線を前に向けた。その視線の先、ローズの背中越しに男性の低い声が響き渡った。


「ローズ」


 ローズが振り返った先には、白い制服に身を包んだ青年とその青年に寄り添っているシンシアがいた――。

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