爪痕
「ねぇ、イオン。あの二人何か進展あったと思う?」
「興味ないな。僕達さえ上手くいっていれば他の者達の色恋ごとなどどうでもいい。」
王都から皇宮へ戻る馬車の中、キラキラした瞳をイオンに向けたが、その反応はそっけなかった。相変わらず、イオンの眼中にはアレシアしか入っていなかった。
「もう!大切な臣下のことなんだから、もう少し興味を持っても良いじゃない。二人が結ばれれば私は嬉しいわ。」
膨れっ面をするアレシアのほっぺたをイオンは両手で挟み込み、隣に座る自分の方を向けさせた。アレシアの瞳をじっと見つめる。
「なにひゅるのよ」
半眼でイオンのことを睨み付けたが、彼の手が緩むことはない。
「こんなにも僕のことを妬かせてどうするつもり?」
「ふぇ…」
本気の声音に、アレシアの防衛本能がけたたましい警戒音を上げた。
これはマズイ…
そう思った時には既に遅かった。
イオンはアレシアの顔を手で挟んだまま耳に唇を寄せると、秘密事を話すかのようにワザと声量を抑えて囁いた。
「さては、熱い夜を御所望かな?」
「きゃああああっ!!」
熱を帯びた瞳で妖艶に微笑んでくるイオンに、アレシアは顔を真っ赤にして悲鳴をあげた。
ようやく自分のことでアレシアの頭の中をいっぱいに出来たイオンは、満足顔で彼女の顔から手を離した。
まだ赤らむアレシアの顔を、イオンは至極幸せそうな瞳で見つめている。
そんないつもの二人の寸劇であったが、目の前に座る護衛二人からは死ぬほど気まずそうな空気が漂っていた。
本人達の目の前で話し出すアレシアに、クロエは力づくでも止めに入りたかったが、さすがに主君相手にそのような不敬な真似は出来なかった。
仕方なく、皇宮に着くまでの間、気まずい空気に耐え忍ぶ戦いを選択したのだった。
***
翌朝早朝、荷物を馬車に運ぶため皇宮の使用人達がイオン達の部屋を訪れていた。山積みになっている箱を次々と部屋から運び出していく。
彼らが出立の準備をしてくれている間、イオン達は皇帝に挨拶をするため謁見の間を訪れていた。
相変わらず豪奢過ぎる造りに、アレシアは落ち着かない気持ちで皇帝の到着を待った。隣から伝わる緊張に気付いたイオンがそっと彼女の手を握る。
しばらくした後、皇帝が現れた。
早朝ということもあり、いつもよりシンプルな装いで、その上に権威の象徴であるマントを羽織っていた。
膝をついて首を垂れるイオンに習い、アレシアも挨拶の姿勢を取った。
「面を上げよ。」
皇帝の了承を得た二人は、ゆっくりと立ち上がり、優雅に一礼をして見せた。
「滞在中は愚息が世話になったな。最後の挨拶に同席させられず申し訳ない。体調を崩して寝込んでおるのだ。全く情けない。」
「こちらこそ、レンブラント皇子殿下並びにアイカル皇子殿下の両名には大変お世話になりました。私のような若輩者に、得難い貴重な経験をさせて頂いたこと、改めて感謝申し上げます。」
改めて美しい姿勢で深く頭を下げた。
顔を上げたイオンは、本来であれば宰相がいるであろう皇帝の右隣の空席を横目で見ると、悲しそう表情を浮かべた。
「宰相殿からお聞きするお話も大変興味深く、沢山の学びを得る事が出来ました。今この場でご挨拶を出来ないことが悔やまれます。」
「あいつもイオン国王陛下にそこまで言って頂き涙が出る想いであろう。私から伝えおこう。」
「身に余る光栄にございます。」
皇帝への挨拶を終えたイオン達は、皇宮の騎士に先導されて王国の馬車へと向かっていった。
「最後まで食えぬ男だったな。」
イオン達がいなくなった後、皇帝はなんとも言えない表情を浮かべた。
その隣に、申し訳なさそうな顔をした宰相が立っている。
「…申し訳ございません。」
「アレは中々に手強い。愚息どもにはちと荷が重かったか。」
目論見が外れた皇帝の声音には、ほんの僅かに悔しさが感じられた。
「だが、あいつらには良い踏み台となることであろう。」
「いっ…」
まだ諦めていない皇帝の言葉に、宰相は思わず声を上げてしまった。慌てて口を押さえたが、鬼のような形相をした皇帝が鋭く睨み付けてきた。
「お前、あの男に怯えているのか?」
「め、めめ、滅相もございません!」
殺意を向けられた宰相は慌てて首を思い切り横に振った。イオンの脅威と身に迫る皇帝の圧力に、目が血走っている。
「このまま泳がせて、調子に乗ったところを叩くのも一興だな。」
新たな遊戯を発案するかのような気軽な口調に、宰相は気が気でなかった。
『アレとは絶対に敵対してはならない…』
彼の身体の全神経がそう告げていた。
それと同時に、あの金髪と青目、人に威圧を与える話し方を思い出し、全身に悪寒が走り顔から血の気が引いていく。
必死に冷静になろうとするが、無意識下で起きている反応は止めようとすればするほど、悪化する一方であった。
明らかに様子のおかしい宰相に、皇帝は諦めたように首を振った。
「予想以上に手ひどくやられたようだな。この様子ではしばらく無理そうだな。」
皇帝は忌々しげに呟いた。
その隣で黒目を左右に揺らしガタガタと震える宰相。彼の耳には皇帝の言葉は届いていなかった。




