アレシアとクロエ
会議の終わり、イオンはアレシアに声を掛けた。
「アレシア、いつでも君の自由にして良いのだけど、この二つだけは約束して欲しい。ひとつ目、王宮内でも必ずメルクーリを連れて歩くこと。中とは言え、何があるか分からないから。君自身も十分に気を付けて欲しい。ふたつ目、王宮の外に行きたい時は必ず僕の許可を取ること。いいね?」
「私、外に出てもいいの…?」
アレシアは目を見開いた。
これまでの人生のほとんどを王妃教育に費やしたアレシアは、王妃の立場を誰よりも理解している。
王妃という役割を押し付けられないとしても、公務以外で外に出ることは叶わないだろうと思っていたため、イオンの発言に驚いたのだ。
「言っただろう?僕は君の自由も守ると。でも君の身の安全を守るのも僕の役目だ。多少の条件は付けさせてもらうよ。」
「あの言葉、建前だと思ってたわ。」
「これは…僕の努力がまだ足りないのだろうか…」
建前だと思われていたことにショックを隠せないイオン。
見るからにしょげている。
「ありがとう。」
「え?」
アレシアの声に驚いてイオンが顔を上げると、そこには嬉しそうに微笑む彼女の姿があった。それは、何の意図も下心も無い、とても綺麗な笑顔だった。
今度はイオンが目を見開いた。
たった一言なのに、一瞬で彼の全部を奪ってしまった。
あぁもうほんとうに君はズルい…
そんな顔を向けられたら、何でも叶えてあげたくなる…また見たいとさえ思ってしまう。
本当に、僕の愛しい人。
「どういたしまして。」
イオンは満開の笑顔だった。
ファニスは、そんな二人のやり取りを見て、これはひょっとしたらひょっとするかもしれない…と期待に胸を膨らませていた。
「話はこれだけ??もう行くわよ。クロエ!一緒に畑に行きましょう!」
「え?あ、はい、畏まりました。」
アレシアはクロエの腕を引っ張り、何の余韻に浸ることもなく、颯爽とその場を去って行った。
イオンは、小さくなる後ろ姿を、遠い目をして見つめていた。
一度部屋に戻り、動きやすい服装の上にエプロンを付けたアレシアは畑…と言うより、ただの地面が広がる場所に来ていた。
隣にはもちろんクロエがいる。彼女は、先ほどまでと同じ騎士服を着ている。
騎士服は階級でマントの色が異なっており、一般騎士は紺色、上級騎士は深い緑色、そして近衛騎士は臙脂色だ。
一般騎士は、主に城下町や貴族街の警備を行っている。上級騎士は一般騎士よりも位が高く、彼らを管理する役割を持つ。一つのエリアに一人配置され、同エリアに勤める一般騎士を束ねるのだ。
そして、近衛騎士は、大勢いる騎士の中から選び抜かれた、王族を守るための精鋭である。
騎士の中のエリートとされ、一歩王宮の外に出れば、皆から羨望の眼差しを向けられる。
クロエのマントは、臙脂色である。
つまり、皆が憧れる騎士の中の騎士、超エリートだ。
周囲への牽制の意味も込めて、彼女は騎士服を纏ってアレシアの側にいるようにしてるのだ。
騎士の道に誇りを持ち、この国のために強くなりたい一心で血を吐くような努力を重ね、ここまで来たクロエ。
その甲斐あり、今回王妃の護衛に任命され、ようやく念願が叶ったと喜びとやる気に満ち溢れていた。
そのはずだったのに、彼女の顔は冴えない。
クロエが何とも言えない顔で見つめる先にはアレシアがいた。
彼女は、躊躇なく土の上に立ち、足元を泥だらけにしながら、一生懸命に土を耕していた。
「クロエ!良かったら貴女もどうかしら?あ、もちろん、これは命令じゃないわよ。」
「お心遣い痛み入ります。しかし、私はここでアレシア様をお守りするのが勤めですから。」
アレシアは、クロエのつれない返事にネガティブな反応を示すこともなく、ひらひらと手だけ振って作業に戻った。
クロエは、そんなアレシアの姿を見て唇を噛み締めた。
こんなこと、王妃殿下のすることじゃない…
でもクロエは口に出せなかった。
アレシアの護衛任務の指令を受ける時に、イオンから、『きっとアレシアは君が想像もしないことを次々にやり出すだろう。でも、安全を確保出来ている限り、彼女がやりたいことを止めないでやって欲しい。』と強く言われていたからだ。
何も言えないまま、クロエはアレシアの側に立ち続けた。
表情はまだ暗い。
そんなクロエの心情などお構いなしに、アレシアは嬉々として、暗くなるまで土いじりを続けた。




