分からない痛み
「なんだか裏がありそうだけど、君のお願いを聞いてあげる。君は僕の愛しい婚約者だからね。」
漸く現実世界に戻ってきたイオンが本題に話を戻した。
彼の恍惚とした表情からはまだ妄想の残滓が見て取れる。
「それは…」
アレシアは罪悪感から言葉に詰まった。
イオンから色良い返事をもらったにも関わらず、ありがとうの一言がすぐに出てこない。彼の許諾を受け取ることに一瞬躊躇した。
これはとても嬉しいことで、自分の人生を手に入れるための最初の一歩になる。
私の願いを叶えるために必要なこと。
そう、喜ぶべきことなのよ…
なのに、どうしてだろう…
正しいことだと何も間違っていないのだと、自分を肯定すれば肯定するほど、胸の痛みが増していく。
自分は、何に痛みを感じているのだろうか。
「君になら、謀られても良いよ。喜んで騙されてあげよう。」
イオンは自分の髪を耳にかけながら、はにかむように微笑んだ。
アレシアの胸の痛みは更に増した。
「姉様、良かったね!」
「そ、そうね。王子、ありがとうございます。」
ティモンの声で我に返ったアレシアは、急いで御礼の言葉を口にした。
「礼を言うのは僕の方だよ。僕を頼ってくれてありがとう。君の力になれていると思うと、僕の毎日に輝きが増すんだ。だから、これからも躊躇なく僕のことを頼って。どんなことだって構わないから。」
最後の彼の言葉に、アレシアは頷いて微笑み返すだけで精一杯だった。
「制度改変の雛形は僕の方で作るよ。また連絡する。」
イオンは、アレシアの様子の変化に気が付いたが、何も言及することなく、優しい微笑みだけ投げかけて、ファニスとともに帰って行った。
「姉様、大丈夫…?」
2人が帰った後、途中からアレシアの様子がおかしいことに気付いていたティモンが、心配そうな顔で問いかけた。
「私のやろうとしていることは正しいのかしら…」
どこを見るでもなく、何もない空間をぼんやりと眺めながら、半分独り言のように呟いた。
「僕は、姉様には自由に生きて欲しい。」
彼にしては珍しく、芯のある力強い声だった。
ティモンはアレシアに向けて、にっこりと微笑んだ。
「でも、今あるものを拒絶することだけが自由だとも思わないよ。最初は自分の意思じゃなかったとしても、もうそれは関係なくて、今の自分の気持ちが1番大事なんだと思う。」
「私の今の意思…」
敷かれたレールから外れることしか考えていなかった。
それだけが自由になることだと思って疑わなかった。
自分の望むものは何だろうか…
この胸の痛みは、何に対して警鐘を鳴らしているのだろうか…
痛みを感じられるようになったけれど、その要因が自分にはまだ分からない。




