4話
永正16年 1519年 遠江国高天神城 勝千代
「父上、領内の調子はどうですか?」
「まぁまぁだな。始めてから1年しか経っていないから、国力の上昇は少しずつだ。農家の次男、三男、山中に住む者たちや河原者たちを新田開発に募集している為石高は上がって来ている。干し椎茸や清酒、塩、石鹸に木材で資金はある。お前の言った通り新田開発では3年は年貢は取らん。
三河から取って来た綿花も少しずつだができ始めている。お前が開発した飛び杼という奴で随分効率よく綿布に出来るらしい。
関所の徴税撤廃は流石にどうかと思ったが三河や駿河、信濃からも商人が来て福島の領内の物を買ってくれるからな。船で西からは熱田や津島、堺からも来ている。東も関所での徴税がないおかげで船に乗ってくる商人は多いぞ。東の連中は堺の連中がうちに来ているということもあって堺の品がうちでも手に入るし、堺に行くまでにかかる費用はうちに行くまでの費用の10倍近いからな。機内には関所が腐る程あるからな。その度に徴税されて、尚且つ堺は遠いからな。食費だって馬鹿にならない。
関所での徴税がなくなった分、他国の乱破や素破が増えたが、お前の勧めで甲賀者の望月や和田、杉谷、鵜飼、高山を一族ごと雇用したからな。銭をその分使ったが他家に仕えられて敵対されるよりかは今後の事を考えれば安い物だろう。」
「雇った人数と禄はどれくらいなのですか?」
「大体2000程だ。それを全員武士として雇用した。子供や女、老人を含めれば1万程だろう。禄は棟梁には65貫、上忍には50貫、中忍には30貫、下忍には15貫だ。全員土地は与えず禄での支給ということにしてある。開発が成功して領地が豊かになっていなければ到底できなかったことだな」
父上は笑っているが俺が提案した領地経営が失敗していれば本当にヤバかった。2000の素破に領内を荒らされでもしたら大変なことになる。
後北条氏滅亡後の風魔みたいに野に下って盗賊行為されたら最悪だ。元忍びの集団なんて捕まえられるわけないだろ!ほんと上手く軌道に乗れて良かった。
それと甲賀者雇用のついでに柳生から手練れの者を10人ばかし雇用した。兵農分離によって常備兵に変わった兵が3000人程いるが、練度は正直お粗末な感じで、農民兵と変わらない。なのでビシバシ鍛えてほしい。また、常備兵のものには長槍の訓練もさせている。ファランクスの様な密集隊形の訓練等もだ。広い平地での戦いでは厳しいだろうがペルシア戦争でのテルモピュライの戦いの様な軍の展開ができない様な場所での戦闘であれば利用できるだろう。この時代、農民兵の行軍はただ歩いてるだけだからな、しっかりと隊列を組んでの行軍というだけで、練度が高いと威圧できる。
又、新たに数人の者を俺の教育係を兼ねて雇用した。
原能登守友胤とその息子の原美濃守虎胤だ。2人は元々は下総の千葉氏の家臣だったが永正14年の小弓公方の足利義明に居城の小弓城を落とされて流浪の身であったところを雇用した。又、甲賀の忍びを雇用する時に、甲賀出身であった横田備中守高松も雇用した。何処か仕官先を探していたようで此方から声をかけたらすぐに話にのってくれた。又、まだ若いが山本勘助に、会った。駿河の武家出身らしく、勘助は中国、四国、九州、関東などの諸国を遍歴して京流(または行流)兵法を会得して、城取り(築城術)や陣取り(戦法)を極めようと考えているらしい。その後は史実では、武田に仕えたが、私に仕えるよう頼み込んだ。元々、今川家に仕えようと考えていたらしい。史実でも今川に士官したいと願い出て朝比奈に見込まれて、今川義元に合うんじゃなかったかな。理由は今川家の家風を考えたら色黒で容貌醜く、指もそろっていなく、ましてや家を出て牢人になった者だからだったかな。義元はお歯黒して一人称が麻呂とか、公家かぶれの奴だったらしいし。俺は、それを比較的にオブラートに言ってやった。本人も自分の容姿や素性は気にしていたらしくひどく落ち込んでいたが納得していた。当家であれば高禄で雇う事を伝えるととても喜んでいた。一度落としてから上げるようなジゴロの様なやり方だが勘助の気を引けるなら俺は悪魔にでもなんでもなろう。
武田5名臣のうち3人も当家で手に入れられたのは今後武田とやりあう事を考えたらとても大きいだろう。特に親父は飯田河原で原虎胤に討ち取られたっていう話もあるから飯田河原での父の死がなくなる可能性があるのは大きいだろう。
他にも数人の小者を雇用したがこれは良いだろう。
「父上領内の事は分かりましたので当家の立ち位置などはどうなっているのでしょうか?」
俺が質問すると父上は眉間に皺を寄せながら答えた。
「今川家内での立場はここ1年で飛躍的に上昇したと言って良いだろう。遠江内では今川家より当家の方が影響力が大きくなっているからな。朝比奈みたいに今川家に忠誠を誓っている家もあるが瀬名や井伊、鵜飼が当家寄りの立場となった今大して問題にはならん。だが、今川の本家にかなり警戒されている。どうにかして当家の力を削ごうとしてくるだろう。」
父上は苦々しげに言った。
「当家の力を削ごうとするのであれば戦で当家を負けさせようとしてくるのでしょうかね。今の世の中戦で弱ければ意味がないですし、そうやって影響力を落とそうとするのではないでしょうか?」
史実では大永元年(1521年)甲斐に進攻した福島正成を、武田信虎が撃退した飯田河原の戦いがあったはずだ。とにかく、謎の多い戦いで、記録が全然残ってない。中世甲斐国の基本史料である『勝山記』にも、どのような状況だったのか、くわしい記述はなく、そもそもの福島正成の甲斐進攻に関しても、今川氏親の命令であったという話と、逆に、正成が氏親と対立した末の独断での進攻であったという話の両方があるからな。
今の状態を考えると両方とも考えられるから厄介だよ。
「ふむ、何処とぶつけようとしてくると思う?」
「まず、今川家の周りで敵対関係に、あるのは甲斐の武田と三河の松平、戸田です。そしておそらく相手は甲斐の武田でしょう。甲斐国内には大井氏や今井氏など信虎に従わずに反発を繰り返しておりますし今川家は何度も戦っておりますからね。大井氏や今井氏救援を大義名分に甲斐を攻めろとか言って来そうです。」
「ふむ、やはり甲斐か。一筋縄ではいかない相手だな。」
「松平と戦うよりかは良いでしょう。当主は暗愚と言われてる松平信忠ですが、実権を握っているのは全当主の松平長親です。長親は昔、今川家臣だった伊勢盛時の手勢1万余を相手に5百の手勢で破った東海道を代表する様な百戦錬磨の名将です。」
「ふむ、儂も完敗するという事はないだろうが徐々に徐々に押されていくだろう。戦は水物というから此方が圧倒出来るかもしれないがな。」
「氏親はそれを恐れてるのでしょう、三河の松平は今川家が勝てなかった相手ですから、もし当家をぶつけて当家が勝つ様なことになれば当家の力が今川家を抜く可能性が出て来ます。」
「そうだ、その様な博打は今、打ってくる事はないだろう向こうも此方が下克上を企んでいるとまでは考えていない様だからな。まぁ事実、今川家に対して此方が思う事はない。当家と敵対してくるので向かい打ってやるが、互いにやり合っても利点が少ないというのも事実だからな。」
「今はいつ、甲斐遠征を命じられても良い様に準備するに留めておきましょう。武田に従ってる甲斐の国人も武田に対して必ずしも好意的ではあるとは限りません。先ずは侵攻ルート上の甲斐の八代郡の国人を。その後都留郡や、巨摩郡の国人衆を調略しましょう。穴山氏や小山田氏は武田の家臣団に組み込まれながらも自身の郡内領において独自の支配を展開しております。この2人が調略出来れば躑躅ヶ崎への道は開かれ北条への抑えにもなります。特に穴山氏は重要です。甲斐への侵攻は富士川に沿っての侵攻となるでしょうから。山梨郡への調略は慎重に行きましょう。武田の本拠地ですから、感づかれたら面倒です。」
そうはいっても武田家が三ツ者を強化し始めたのが、1548年の上田原での大敗以降だからな。油断さえしなければ感づかれる事はないだろう。そもそも武田の忍びは全盛期でも200しかいなかったらしいからな。
正直情報や調略に於いて負ける事は無いだろう。
本来、他国の者を嫡男の教育係になんて命じる事は有りませんが、福島家の文献が、自分が調べた感じ全然見つからなかったので、無理やりですが、ぶち込みました。
原虎胤の虎は武田信虎の諱で、本来であれば未だ虎胤を名乗る前ですが、此方の方が変換などの都合上やりやすかったのでこっちを使ってます。すいません。
今川家の甲斐出兵ですが、救援の為に兵を出していただけで、甲斐を攻め取るつもりでの出兵では無いという風にこの小説では解釈してます。
三河 への侵攻は占領含めての侵攻で、戦への意気込みご全然違うって感じです。