自警団
『空を見上げれば、いつでもそこにはテトラの星がある』
それは一種の『おまじない』のようなものだった。
琥珀糖のような星が瞬く真夜中。
寝静まったオクトーバーフェストの町外れの、住宅街から離れた丘の上に、未だ灯りの消えていない一軒家があった。
マイエン・サジェの家である。
家の中ではマイエンが、バチバチと何やら火花を散らし、作業をしている。
服装も、作業着に耐熱性の手袋、そして普段の丸眼鏡ではなくマスク姿だ。
バチバチ、ガチャガチャ、ガンガンと、家から洩れる音は賑やかだ。
換気の目的で窓も少し開けられており、そこからも音が漏れている。
ここがオクトーバーフェストのど真ん中にでもあれば近所迷惑極まりないが、幸いな事に町からは離れている。
音を気にせず作業出来る環境であるが為、マイエンはそれだけに集中し、時間を忘れて作業をする事が出来た。
ビロードのような空がゆっくりと動き、やがて金色のカーテンが掛かり始めた頃。
ようやくマイエンはマスクを取り、満足そうに口元を上げた。
道具の電源を落とし、作業着を脱いで髪を解くと、ソファーに寝転がって「ふわあ」と欠伸がてらに大きく伸びる。
徹夜による眠気と、作業が終わったという満足感から、そのまま目を閉じてマイエンは眠りへと落ちた。
閉め忘れた窓からは、キラキラとした光が差し込んでいた。
「わん!」
ふと、至近距離から聞こえてきたそんな鳴き声に起こされて、マイエンは目を覚ました。
腹の上が何やら重い。
マイエンはだるい体を動かして、何とか体を起こそうとするも、その重さが邪魔をして上手く動けない。
眉間に皺を寄せながら、ソファの直ぐ横にあるテーブルに置いた眼鏡に手を伸ばす。
「わんわん!」
何か、わんわんと鳴いている。
寝起きのぼんやりした頭で、そんな事をぼんやりと考えながら、手をふらふらと動した。
テーブルの上から何とか眼鏡を取ると、それを掛けて、腹の上を見る。
「わん!」
灰色をした子犬のような動物が、くりくりした目でマイエンを見て尻尾を振っていた。
「……あー、窓を閉め忘れたか」
子犬を脇に抱えながらマイエンは開いた窓を見て、がしがしと頭をかく。
恐らくそこから入ってきたのだろう。窓枠には足跡がついていた。
「えらく人懐っこいけど、首輪はないし。野良か?」
うーん、と考えながら、マイエンは子犬を見る。
子犬は楽しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。
マイエンは両手で子犬を持つと、窓枠にそっと座らせた。
「ほら、自分の家へ帰りなさい」
そら行け、と手で合図をするが、子犬は首を傾げるばかりだ。
逆に、何やら遊んで貰っていると思ったのか、尻尾を振ってマイエンに飛びつく。
「うわ!?」
その勢いに、マイエンはバランスを崩して座り込む。
子犬は楽しそうに尻尾を振るだけだ。
ふさふさした尻尾には黒色のグラデーションが掛かっており、まるで絵筆のようだった。
マイエンは半目になって子犬を見ていたが、ふと、自分の体を見て「げっ」と目を張った。
シャツにもズボンにも子犬の足跡がついている。
嫌な予感がしてばっと部屋の中を見渡すと、カーペットやテーブル、ソファーにもべったりだ。
マイエンは右手を顔に当てて天を仰いだ。
子犬だけは「わん!」と楽しげに鳴いていた。
それから十数分後。
マイエンの家の前からは、日の光に照らされたシャボン玉がふわふわと空に向かって浮かんでいた。
「ええい、こら、暴れるんじゃない! ぶっ」
あの後、家の中の惨状に頭を抱えたマイエンは、とにかく部屋を掃除しようとしたのだが、その度に子犬が飛び回っては足跡をつけていた。
これはダメだと、先に子犬を洗う事にしたのだが、ここでも子犬は元気だった。
最初は少し嫌がっていたのだが、洗っている内にふわふわと浮かぶ泡に興味を持ったのか、タライの中でばしゃばしゃとはしゃいでいる。
そんな子犬とは反対に、マイエンは髪やら眼鏡やらに飛ばされた泡をつけながら、必死の形相をしていた。
「ぐっ、おい、こら、犬! おとなしくせんと、目に泡が入るぞ、ええい!」
子犬を洗う為に四苦八苦をしていたマイエンの所へ、ふと、影が覆い被さる。
見上げると、そこには先日、空気清浄施設で働いていた警備員の姿があった。
「おはようございます、マイエンさん。お洗濯中すみませんー」
帽子に手をあてて朗らかに挨拶を返した彼は、先日、空気清浄施設でマイエンが会った警備員だ。
名前はミスト・ブルーと言い、歳は二十代前半。ゆるくウェーブの掛かった茶色のショートヘアと、緑色の目をした青年だ。
先日イギー達に町を案内して貰った時に紹介を受けた、自警団員の一人である。
ミストの後ろには、他にも二人の自警団員が立っていた。
「おはようございます。どうかしましたか?」
「ええ。それがですね、町にツヅリオオカミが現れたとの目撃情報がありまして。それで皆さんに注意喚起している所なんです」
「ツヅリオオカミ?」
「ヴァイツェンに生息する動物です。灰色の毛並に、黒色のグラデーションが掛かった尻尾が特徴の。大人しい動物なんですけど、それでも野生動物ですからね。何かあると危険ですので」
ミストの言葉に、マイエンは『あれ?』と思って、タライの中に視線を落とした。
子犬はタライの泡の中で気持ちよさそうな顔をしながら、水を含んで細くなった尻尾を揺らしている。
「町の周りには獣避けの道具が設置されていますから、滅多な事では入ってこないんですけどねー。ここだけの話、ツヅリオオカミの尻尾って高値で取引されているんですよ。だから、密猟のセンもあるかもしれないって事で、自警団総出で探しているんです」
「へぇ……もしかして、それって、こ――――」
「ツヅリオオカミを密猟した奴がいたら、俺達が問答無用でギッタンギッタンにしてやりますから、どうかご安心を!」
ぐっと力瘤を作って言うミスト。
それを見てマイエンは、密猟はしていないけれど、今見せたら問答無用でギッタンギッタンにされるのだろうかと、一瞬考えた。
――――その一瞬が、命とりだった。
「わん!」
「うわっ」
マイエンが洗っていた子犬が、タライの中から飛び出した。
ぶるぶるぶると勢いよく体を振って泡を飛ばし、そのままマイエンの頭にジャンプする。
ミスト達の前で揺れる子犬の尻尾。水に濡れて細くはなっているものの、黒色のグラデーションは健在だ。
ミスト達の目が丸くなる。
そうして、小刻みに震えた後、びしっとマイエンを指さし、
「確保――――ッ!」
自警団員がマイエンに飛び掛かった。
「いやーすみません! こちらの早とちりだったみたいで、ご迷惑をお掛けしました!」
へこへこ平謝りするミスト達自警団員の前で、マイエンは半目になって息を吐いた。
目の前には暖かい紅茶が出されている。
あの後、自警団員に飛び掛かられたマイエンは、泡だらけのまま自警団の詰所へと連れて行かれた。
そして事細かに事情聴取を受けたのだが、なかなか信用して貰えない。
最近引っ越してきた事や、オルヴァルのジャンクショップで言い合う様子や、先日大通りで何か喚き散らしていた様子を通行人に目撃されていた事がその原因のようだった。
「最初から怪しいと思っていたとか」
「いやーはははは」
「いつかやると思っていたとか」
「あっはっはっは! いや、ホント、すみません……」
笑って誤魔化すミスト達に、自分の自業自得の部分は棚に上げたマイエンが恨みがましい目を向けていると「まぁまぁその辺で」と、カッツェルが間に入った。
先日会ったベリー商会の代表のカッツェル・ベリーである。その向こうでは、ルーナが子犬、もとい、ツヅリオオカミの子供と遊んでいた。
マイエンの無実が証明されたのは、この二人のおかげだった。
連行されたマイエンの事を噂で聞いたルーナが、カッツェルを引っ張って慌てて駆けつけてくれたのだ。
「ルーナ、ありがとう。カッツェルさんも助かりました」
「えへへへ。びっくりしましたよー、もー」
「いえいえ。私もマイエンさんに用事がありまして伺おうと思っていた所で、ルーナから話を聞いて驚いて」
ルーナは照れ臭そうに笑って、カッツェルは苦笑気味に頷いた。
「マイエンさん、そういう事する人じゃないと思うもの。やるなら、もっと堂々とやるんだろうなって。ねー」
「わん!」
ルーナがそう言うと、その言葉を理解しているのかは分からないが、ツヅリオオカミが元気に鳴いた。
ルーナはわしゃわしゃとツヅリオオカミの頭を撫でる。
すっかり乾いているようで、灰色の毛並や尻尾はふさふさに戻っていた。
「やっぱり密猟ですか?」
「その可能性が高くなりましたね。親より子の方が攫いやすいですし」
「あー……洗ってしまったんですが、野生に戻せますかね」
「ツヅリオオカミに限っては、その辺りは大丈夫ですよ」
ツヅリオオカミは基本的に仲間想いで、大人しい動物だ。
人の匂いがついていても、群れからはじき出すような事はない。
ツヅリオオカミは一匹一匹はあまり強くはないが、その分を群れでの連携で補っている。
その為、他の動物よりも仲間同士の結びつきは強いのだ。
「子供を攫われて怒っているかもしれませんが、逆にその方が、この子のいた群れを探しやすいですね」
「お願いします」
マイエンはそう言うと、ツヅリオオカミの子供を見た。
マイエンの視線に気づいたツヅリオオカミの子供は少し首を傾げて尻尾を揺らす。
「お前、良かったな。家へ帰れるぞ」
「わん!」
マイエンの言葉にツヅリオオカミの子供はひと鳴きして、そのままぴょんとマイエンの膝の上に飛び乗った。
マイエンは反射的にテーブルの上の紅茶のカップに手を伸ばす。
ぐらりと揺れるだけで、ツヅリオオカミの子供には紅茶が掛からなかった。
「こら、火傷したらどうする。紅茶は飲むもので、被るものじゃない」
「わん?」
その様子を見て、カッツェルはくすくすと笑った。
「なら、その子の群れを探す間は、マイエンさんの所に預けてみてはいかがでしょう?」
「えっ」
「わっ」
カッツェルの言葉に、マイエンのルーナはそれぞれ別の意味で反応をした。
ミスト達も「これだけ懐いているならその方が良さそうだ」と頷いている。
「いやいや、私は動物なんぞ、飼った覚えもないので」
「大丈夫です、資料はお貸しします!」
「そういう問題ではなくてだね?」
「マイエンさんの所なら、この子と遊びに行けますね!」
「いや、ルーナ。あのな?」
「わん!」
「わんじゃなくて、ってこら、お前は人の頭によじ登って来るなあいたたたたたた」
「それじゃあ、マイエンさん! よろしくお願いしますー」
「いや、おい、こら!」
マイエンがツヅリオオカミの子供にじゃれ付かれている間に、話はどんどん決まって行く。
人の話を聞いているようで聞いていない、一種のこの強引さには覚えがあった。
「……これは土地柄か?」
ツヅリオオカミの子供を引きはがした時には、マイエンが預かるという事で話が決定していた。
マイエンはイギーとルーナが押しかけてきた時の事がデジャヴして、頭を抱えた。
自警団の詰所から出てオクトーバーフェスト大通りを歩きながら、マイエンは自分へ視線が向けられている事に気が付き、居心地が悪そうに丸眼鏡を押し上げた。
自分の前にはルーナとツヅリオオカミの子供が並んで仲良く歩いている。
その様子が微笑ましくて、マイエンは息を吐いて苦笑した。
「僕も実際に、ツヅリオオカミの子供は初めて見ましたが、可愛いですね」
「可愛いですが、家の中は足跡だらけですよ」
「ふふ。……あ、普通の口調で話して下さって構いませんよ」
「普通?」
「ルーナ達と話しているのが聞こえてまして。僕のはこれが普通ですので、お気になさらず」
にこりと笑うカッツェルに目を丸くすると、マイエンは「うっ」と眉間に皺を寄せた後、一度目を閉じてから頷いた。
「密猟者ってのは、結構頻繁に?」
「頻繁という程でないですね。ヴァイツェンは辺境の星ですから、ツヅリオオカミが取引されていても、どこに生息しているかは限られた筋でしか流れていないようです」
「なるほど。独占ルート的な」
「的な。まぁ、運ぶには宇宙船しかないですから、注意はしやすいんですけどね。僕らも宇宙船を利用する時は気を付けていますし、自警団も目を光らせているのですが……自警団は自警団であって、警察ではないのが、痛い所です」
そう言ってカッツェルは目を伏せた。
確かに、それはそうだろう。自警団はあくまで自警団だ。
警察のような一種の『権力』のようなものは持ってはいない。
法は守れても、法で取り締まれない。
役所が幾ら許可を出していても、自警団だけでは限界があるのだ。
「……中央は、辺境の事を何も考えない」
ぽつりと呟いた言葉に、マイエンは何も言えず、空を見上げた。
そこには、昼間にも関わらず、等間隔に並んだ白い光の線が見えた。
テトラの星。
恒星の爆発から、星を守る為に作られた発明だ。マイエンはそれを見て目を細める。
『空を見上げれば、いつでもそこにはテトラの星がある』
テレビやラジオのコマーシャルで流れたキャッチフレーズである。
それは一種のおまじないのようなものだった。
これがあれば大丈夫。だから安心して暮らしていける。
テトラの星を見上げる度に、人は心の中でそう口ずさんだ。
そして、そのおまじないが成就した時に気づくのだ。
それがもたらしたものは、決して良い物ばかりではなかった事も。
「……そう言えば、カッツェルさん。私に何か用事があると言っていなかったか?」
「ああ、そうでした!」
ぱちん、と手を合わせてカッツェルは頷く。
そして、少しだけ目を細めて、マイエンを見た。
「あなたに、ご協力を願いたい事があるのです。――――テトラの星の製作者、マイエン・サジェ博士」
カッツェルの言葉にマイエンは立ち止まって目を張った。
マイエンの視線に、カッツェルはにこりと微笑みを返す。
その切れ長の青い目に宿った光は、鋭利な刃物のような色を宿していた。




