第6章
アーロンは、吸い寄せられるように棚の中の古びた書物に手を伸ばした。ページを捲ると、そこには青い花からつくられる恐ろしい毒薬の処方が記されていた。アーロンは、夢中でそれに見入った。この毒は、掌に入るほどの小瓶一瓶ほどの僅かな量で、人間を死に至らしめる。これを致死量摂取すると、俄かに皮膚が爛れて体液が滲出し、激しい悶絶とともに死に至るであろう・・・・・・。
「何をしておる?」
突然老魔術師に声を掛けられ、アーロンはびくりとして振り返った。魔術師はアーロンの手の中にある書物に目を留めるや、すぐさまそれを奪い取った。そして、彼の目を覗き込むようにしながら、激しい口調で言った。
「いかん、このようなものを読むでない。これは悪魔の発明とも言われた怖ろしい毒薬の処方でな、ごく微量を服用すれば薬になることもあるが、少しでも量を間違うと、何ヶ月もかけてじわじわと体を腐らせていき、長い生き地獄の果てに死に至らしめるというとんでもない代物じゃ。よいかアーロン、このようなものを二度と見るでないぞ」
「しかし、どうしてここにそんなものが?」
アーロンは訊ねた。老人は答えて言った。
「これはな、わしがまだ東方から来たばかりの若い頃、わしの魔術の師匠が、伝染病を防ぐ薬として研究しておったのじゃ。だが、服用量の調整が極めて困難なために、結局実用には至らなんでな・・・・・・。わしらは動物を使って何度も実験を試みたのじゃが、実験に失敗した動物たちの様子たるや、目を覆わずにはいられないものじゃった。危険すぎる薬なので、わしらはあくまでも極秘裏に研究しておったんじゃが、どこから洩れたのか、この薬のことが外部に知れてしもうてな・・・・・・。これを使って政敵や主君を暗殺しようと、数多の悪人どもに狙われるようになってしもうたのじゃ。わしの師匠はそのうちの一人の手に掛かって死んだが、死の間際にこの屋敷に呪文をかけ、外部の侵入を防いだ上で書物をわしに託したのじゃ。
その後長年にわたり、わしは独りでこの薬の研究を重ねてきたが・・・・・・、確かに、成功したときには素晴らしい効果を発揮したが、どうにも薬としては危険すぎる代物じゃ。あまりに多くの生き物を犠牲にしたのでな、わしはどうにも気が咎めて、この研究を断念することにしたのじゃよ。
よいか、アーロン、もう二度とこの書物を見てはならん。そしてこのことは、決して口外してはならんぞ、よいな」
いつになく厳しい師の様子に、アーロンは思わず頷いた。だが、彼の視線はじっとその書物に注がれていた。アーロンは、無残に死んだ妻のことを思っていた。これこそ、彼女を失ってからの年月、ずっと彼が願い求めていたものだった。アーロンはつとめて平静を装おうとしたが、興奮でその身が打ち震えるのを抑えることができなかった。ついに時が来たのだ。彼は確信した。
その夜、老魔術師が寝静まったのを見計らい、アーロンは悪魔の発明が記されたその書物を盗み出した。そして馬を駆り、魔術師の館を飛び出した。その間、彼は幾度神に祈ったことだろう。神よ、どうか私に、この復讐を遂げさせて下さい・・・・・・!
翌朝、魔術師はすぐに異変に気付いた。馬がいなくなっており、あの書物がなくなっている。彼ははっとして辺りを見回し、屋敷中を駆け巡ってアーロンを探した。だが、弟子の姿はどこにもなかった。老魔術師は何かに憑かれたように屋敷から飛び出したが、すぐにその場にくずおれた。彼は天を仰ぎ、悲痛な叫びを上げた。
「アーロン!わしはとうとう、お前を救ってやることができなかったのか!帰って来い、アーロン!憎しみに身を任せてはならぬ!それはお前自身の破滅を招く。戻ってくるのだ、アーロン。アーロン!」
だが、老魔術師の悲痛な嘆きは、遂に弟子の耳に届くことはなかった。
悲壮な覚悟を胸に抱き、アーロンはただひたすら馬を駆った。人間の体を生きながらにして腐らせる、悪魔の発明を手にした彼の目は、月光を浴びた黒く暗い泉のような、虚ろで異様な光を放っていた。