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第10章

 男装した王女は長い髪をかき上げ、アーロンの目を真っ直ぐに見つめながら続けた。

「一目貴方の姿を見たときから、……ずっと、ずっと貴方をお慕いしておりました。アーロン様、……母が貴方を愛していること、私も承知しております。私の思いが叶わぬものであることも……。でも……」

 彼女の言葉が途切れた。彼女は、思い詰めたような目でアーロンを見つめた。彼の黒い泉のような双の眼が、少女の青く澄んだ目を捉えた。その瞬間、彼女の心は、底なしの黒い泉の中に絡め取られてしまったのだ。彼女は思わずか細い腕を広げ、自分よりもずっと背の高い彼をその胸にかき抱いた。

「……お止めください、人目もありましょう」

 アーロンは戸惑い、王女のほっそりとした体を自らのそれから引き離そうとした。だが彼女は、しっかりと彼を抱きしめて離さなかった。

「お願い、アーロン様」

 少女は囁くように、しかし厳然と言った。

「一度きりでよいのです。どうか、私を……、私を抱いては下さいませんか」

 突然の少女からの求愛に、アーロンは完全に当惑した。これは彼にとって、全く予想外の事態であった。彼は、ひたむきに自分を愛しているであろう、まだあどけなさの残る王女を、憐れむような眼差しで見つめた。だが次の瞬間、その眼差しには、既に蛇のように狡猾な光が宿っていた。彼の心の中には、供犠を求める邪神の社のそれのような邪悪な炎が揺らめき、その炎は、この無垢な少女を復讐の道具に変え、灰になるまで貪り尽くすことを欲していた。

 アーロンは優しげにその手を王女の顎にかけ、そっと顔を上げさせた。そしてその切れ長の黒い瞳で、少女の円く、青い瞳をじっと見つめた。彼女は恥じらい、思わず面を伏せたが、彼は尚も彼女を見つめ続けた。

「愛らしい王女様」

 アーロンは嘆息して見せたのち、低く、甘美な声で囁いた。

「私は、一介の吟遊詩人に過ぎません。卑しい身の私が、どうして高貴なお方である貴方に相応しい筈がありましょう。貴方は美しく、そして愛らしい。それに大層、お若くていらっしゃる。貴方のそのお心が、他の若い娘たちにありがちな、ごく一時の気まぐれでなければよいのですが」

「気まぐれだなんて、どうしてそんなことを仰るの?」

 少女は驚きと戸惑いを隠さず、目を見開くと、彼を見上げて訴えるように言った。

「あのようなこと、とても気まぐれでは申せませんのに……」

 顔を赤らめて思わず俯いた王女を、アーロンはその腕に抱きしめた。

「王女様、私の目に、貴方はとても愛らしい。しかし貴方もご存知の通り、私は貴方のお母上にお仕えする身であります。それに私は、卑しい身の上ながら、貴方を愛してしまうことが怖ろしいのです」

「アーロン様」

 王女は既に、恍惚の面持ちであった。

「私はいずれ、愛してもいない異国の王子の許に嫁がねばならぬ身です。けれども私は、愛してもいない男のものになるのは厭でございます。私は、私の愛する人、貴方のものになりたいのです。もし、私を愛して下さるのなら、貴方のお言葉が偽りでないなら、今この花園で、どうか私を抱いて下さいませ」

 王女は恥じらい、ときに俯きつつも、しっかりとアーロンを見て言った。それに対し、彼は如何にも幻惑されたふうを装って答えた。

「王女様、貴方がそう仰るのであれば、最早地獄の業火も怖しくはございません。あなたの為にこの身が燃え尽されたとしても、それは私の本望。美しい王女様、……どうか、私の腕に……」

 アーロンは、少女の唇に接吻した。初めはそっと、そして徐々に、激しく貪るように。そして彼は、ゆっくりと少女の衣の紐を解いた。二人の姿が、花園のかげに消えた。

 初めて味わう、愛する者に抱かれる喜びに、少女は身も心も蕩けるような快感と陶酔に囚われていた。しかし、アーロンは違った。彼は、何も感じてはいなかった。ただ、彼自身の行うべき復讐が、滞りなく実行されるであろうことに対する喜悦の他には。

 この日から、少女は母親同様、ますます強くアーロンを求めるようになった。彼女は身分こそ王女ではあったが、実際の彼女は既に、彼の奴隷も同然であった。その腕で優しく自分を抱く彼が、心の内では自分を襤褸ほどにすら思っていなかったことに、彼女が少しでも思いを巡らすことはあっただろうか。

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