仕掛けられた罠
「あの……何か?」
「少し、じっとしていて貰えますか?」
私は、居心地悪そうに身じろぎしたザーティフに言う。彼は困惑した様子ではあったが、私の様子が真剣なのを汲みとってくれたのか、じっとしていてくれた。
それから私は彼の手を取り、目を閉じる。
先ほど捕らえた炎……それが何なのか、探っていく。暗転した視界の中で、魔術の仕組みが見えてくる。これは神聖呪文のひとつで、呪いを解呪する際に用いるものだ。
対象となる存在の魂に刻まれた、その人の生気を壊そうとしているものを突き止めるのである。
戸惑うザーティフをよそに、彼の魂に集中する。綺麗な魂だと思った。高潔さを感じさせるその色合いを好もしく思いつつもっと深くへ進む。
見えた。
魂に炎の矢が突き刺さり、燃えている。あれこそが仮面に宿っていた魔術だろう。何とか解呪できないだろうかと探りを入れるが、思いのほか緻密に構築されており、私ごときでは解呪できそうにない。
それだけではない。突き刺さって燃えている術の内容すら見えてこないのだ。
私は目を開いて、嘆息した。
「どうやら、面倒な魔術を掛けられたみたいです。私では解呪出来ませんが、レフィセーレ様ならきっと何とか出来ると思います。すぐに効果が出るものではないと思いますから、エーミャへの試練が終わってからすぐに戻って解呪してもらいましょう」
「そうか……嫌な予感はしていたが」
困ったことになったと言いたげな彼に、私は申し訳なくなった。
「すみません、私をかばったばかりに……あ、でも塔を出てレフィセーレ様に頼めば絶対に大丈夫ですから、早めに終わらせてさっさと戻りましょう!」
そういうと、ザーティフは「確かに、それが一番のようだな」と頷いてくれた。彼はすっと立ち上がると、仮面の消えた空間を眺め、気持ち悪そうに顔をしかめた。
「それにしても、一体何だったんだろうな。この塔に住むという魔族が仕掛けたにしては奇妙だし、元の持ち主が仕掛けたと考える方が妥当だと思うんだが」
「そういえば、この塔のもとの持ち主は相当な変わりものだったそうですよ」
彼の疑問を肯定しつつ、神殿で聞いた持ち主についての逸話を思い返ししつつ、説明する。
「何でも、この塔にかつて住んでいた魔術師の二つ名は『狂愛の魔術師』といって、自分が愛したもの全てをこの塔に閉じ込めることで有名で、最終的には殺していたそうです。
そのことが表ざたになったのは、彼がこの一帯を治めていた領主の娘をさらったからで、兵を率いて娘を取り戻しに来た領主は返り討ちにあったとか何とか」
「……嫌な話だな」
ザーティフがさらに眉間のしわを深くしたのを見て「ですよね」と答えた私は何もない壁を見た。
愛した相手の全てを自分のものとするために殺してきた男は、訪れた相手にどんなの魔術を掛けるつもりだったのだろう。もし、彼がここを聖域のように思っていたなら、侵入者を追い返す仕掛けがあってもおかしくはない。
自分の力が足りないことはわかっているが、それでも長いこと努力を重ねてそれなりの神官にはなっている。それでも解呪ができないとなると、とんでもない魔術師だったに違いない。
面倒なことになったと思いつつ、私はエーミャに目を向け、まだ座り込んだままの彼女に声をかけた。
「エーミャ、大丈夫? もう少し休んで行こうか」
すると、エーミャはようやく自分が呆けていたことに気づいたのか目を丸くして私を見ると、急いで首を横に振った。
「平気、ちょっとびっくりしちゃっただけだから」
「そうだね、私もアレは流石に怖かったわ」
そう告げると、エーミャは恥ずかしそうにしつつも少し安心したような顔をして、ゆっくりと立ち上がった。私はそれを見てから、何とか出発出来そうだと思ってザーティフにも声をかける。
「そろそろ行きま……」
言葉は最後まで続かなかった。何か、様子がおかしい。
「ザーティフ、さん?」
恐る恐る、呼びかけてみる。
しかし、応えはかえってこない。変だ……彼が呼びかけを無視するとは思えない。もう一度呼びかけてみると、ザーティフは両腕をだらり、とぶら下げた状態で先ほどまでと同じ場所に立ったまま、こちらを見た。
瞬間、ぞわりと背筋が粟立った。
外面上には、際立った変化は見られない。だが、それまでにはなかった何か禍々しい気配が、彼の中からにじみ出ているのがはっきりとわかる。
同時に、ザーティフがそれを必死に押さえこもうとし、葛藤していることもわかった。
だが、それは唐突に終わった。
「リフィエ、どうしたの? 行かないの? ザーティフさんも」
そんな私を訝しんだのか、エーミャが訊ねてくる。私は強張った表情でエーミャに顔を向けた。それだけで、彼女には伝わったようだ。エーミャはすぐにザーティフを見る。
「逃げ……もう」
その時、ザーティフの口から苦悶の呻きがこぼれた。より一層苦しげな顔になった彼は、その場にくずおれるように膝をつき、地面に爪を立てた。私は背筋を這い上る悪寒を感じながら、まさか、という思いでいた。
この重苦しい空気。彼から漂い、にじみ出る気配は、どう見ても「魔素」だ。
だとしたら、ザーティフに掛けられたのはこの塔に住んでいた魔術師ではなく、魔族が仕掛けた術だということになる。ならば、やはりここには確実に魔族がいるのだ。彼はその術から私をかばって、代わりに術に掛けられてしまった。
こみあげる罪悪感とともに、何とかしなければと考える。
だが、ここへ来てもまだ、彼に掛けられた術が何なのかはっきりとはわからない。精神系の術であることくらいしか判別できない。
悔しさに唇を噛み、私は急いで目を凝らして心の中で呪文を唱える。もう一度、術を見極めようと思ったのだ。
――が。
「リフィエっ!」
突然、エーミャが私に体当たりしてきた。その勢いのまま、重なり合うように一緒に倒れる。ほんのわずか、息が止まった。
悲鳴をあげる背中の痛み。それを無視して急いで目を開けると、それまで立っていた場所が黒く焼け焦げているのがわかった。
焦げ臭い臭いとともに、冷や汗がどっとあふれる。
あと一瞬、エーミャの反応が遅れていたら、私は消し炭になっていただろう。
頭の中で警鐘が鳴り響き、心臓の鼓動もうるさいほどだ。私はからからに乾いた喉で「あ、ありがとう」といった。
声はひび割れ、掠れている。
急いで立ち上がらなければと思うのだが、足が震えてうまく立てない。
そんな情けない私を振り返りもせず、エーミャは硬い声でいった。
「あたしが取り押さえる。リフィエは援護して」
言うなり、ザーティフの前へ行くと、構えをとる。そんなエーミャを見るザーティフの目は、それまでの温かみのある色ではなく濁った赤に変じ、炯々と光っていた。
その口元には残忍な笑みが浮かび、自分より遥かに小さなエーミャを見る目は、面白そうなオモチャを目の前にした子どものようだ。
私は必死に自分を鼓舞して立ち上がると、すぐに呪文を唱え始める。
唱えているのは、魔法を弾く盾を対象にまとわせるものだ。先ほどの攻撃は、まぎれもなく魔法。あんなものを食らったら、いくらエーミャでも危険極まりない。
それが済むと、立て続けに身体能力を引き上げる呪文の詠唱に入る。
これらの呪文は、サーミュとツィーラの要望で覚えたものだ。
最初は回復と浄化のみだった私の呪文の種類はそうして増えた。エーミャの体に、きらきらとした鱗粉のようなものが散りばめられる。術は成功だ。私はさらに呪文を唱えた。
それだけやっても、勝てるかどうかはわからない。魔族とはそれだけ、この世界の人間にとっては恐ろしい存在なのだ。
ザーティフとエーミャは動かない。睨みあいが続き、私の詠唱が一旦途切れたわずかの隙に、エーミャが仕掛けた。




