魔術師が残したもの
食事を終えると、私はもう一度装備の点検をした。
滋養強壮剤を飲むのも忘れない。恐らく私と同じであまり休めていないであろうザーティフにも分けてあげたら、喜ばれた。
やはり彼も疲れてはいたらしい。
似たような感覚を共有出来る普通の人がいるって素晴らしい。せめて一緒にいる間だけでも味わっておこう。どうせもうしばらくハイスペック過ぎて疲れる方々との旅が続く訳だし。
と私は思いながら、装備の確認を終えると、立ち上がった。
「それじゃあ、行きましょうか?」
「うん!」
エーミャが頷く。相変わらず元気いっぱいだ。ザーティフは重々しい顔で「ああ」と答えると、険しい眼差しで塔の入り口を見やる。緊張しているようだった。
当然だ。いくら魔族との戦いを最も行って来たシュロヴァスの騎士といえども、一歩間違えば簡単に殺されてしまうのである。
私も、今は勇者がいないのだと言うことを実感して、気を引き締めた。例え窮地に陥っても、いつもは勇者が助けてくれるという頭があったから、深いダンジョンでも安心していた部分はある。
もしかしたら追いかけて来るかもしれないが、それは考えない方がいいだろう。
今回、彼の助けは期待できない。
いや、今回だけでなく、別れた後はそれがずっと続くのだから、いい経験だと思った。
塔はすぐそこだ。元気あふれるエーミャとは対照的に、やや緊張した私とザーティフの足は少し重い。だが、これもエーミャを籠から出してあげるためなのだ。
入口から漏れる魔素を睨みながら、私は進む。
先頭に立つのはエーミャで、真ん中が私、最後がザーティフだ。
「じゃあ、入るよ」
「ええ」
ダンジョンの中に入れば、そこは魔族の領域だ。いつも必ず緊張する瞬間だ。こればかりは、何度くり返しても変わらない。けれども、一歩を踏み出すことをためらうことはなかった。
私はエーミャにつづいて、塔の中へと入る。
途端に、皮膚にまとわりつく空気が変化した。魔族や魔物にとって、最も暮らしやすい魔素がにじんだ空気。私たち人間にとっては、どこか重く、薄い死臭が漂っているように感じる空気だ。
ちらり、と振り返れば、ザーティフが一瞬顔をしかめたのがわかった。
先頭のエーミャの顔を確認することは出来ないが、きっと同じように感じたはずだ。
それから、私は前方の風景を睨むように見る。
塔の内部は、吹き抜け構造ではなく、普通の建物のように層で構成されていた。一階ごとに階段を上って行かなければならない、面倒なつくりだ。
元々この塔はある邪悪な企みを抱いていた魔術師が、研究結果を守るために作ったものだ。
それゆえ、あちこちに罠やら魔法生物やらが立ちはだかる面倒な作りになっている。
しかし、この塔が十分に機能していたのはもう何百年も前の話。その間に、研究結果を奪いに来たものや、冒険者たちなどが訪れて仕掛けを壊して行っているため、最上階へ行くのにそれほど困難を伴うことはなくなっていた。
少なくとも、神殿での説明はそうだった。
お願いだからその通りであって欲しい。お忘れの方もいると思うのでくり返す。私は不運なのだ。今まで何回も罠を起動させてパーティに迷惑を掛けてきた筋金入りだ。
仕掛けへの引っかかりやすさはまさに百発百中だと言っても過言じゃない。
常に所持しているのは幸運のグッズ類。それでも、私の運の無さと相殺できたかどうか怪しい。神殿による度にお祓いして貰っているのにどういうことだと一度本気で泣いたくらいだ。
そんな訳で、心から神に祈りながら、目の前に開けた通路を見やる。
壁には、魔術で灯された青い色の明かりがぽつり、ぽつりと並び、訪問者を奥へといざなっているように見えるが、薄暗い内部と明かりの色の不気味さに、巨大な魔物の口の中へ入って行くような恐ろしさがある。もちろん、それくらいで怯む私ではない。
もっとろくでもないダンジョンに潜り込んできた経験があるからだ。
――だが。
「不気味だな」
「うん、いかにも来いって感じがして……何か嫌かも」
ダンジョン潜りの経験はあまりなさそうなふたりが異口同音に言った。
同時に、互いが互いを驚いた顔で見る。私はその微笑ましさに、思わずくすっと笑ってしまった。すると、双方から嫌そうな視線が投げられる。
「と、とにかく行くね! 行かなきゃ始まらないんだから」
エーミャが慌てたように言って、通路へと小走りに向かう。一方のザーティフも、やや気まずそうにいながらも、言った。
「そうだな。では最上階へ向かおうか」
「そうですね」
私はほほ笑みながら頷いて、エーミャの後に続いた。
◆
それから、私たちはひたすら塔を上った。途中、魔物にも何度も出くわし、エーミャの拳とザーティフの剣で何とか切り抜け、怪我は私が治療して進んだ。それほど強い魔物には今のところ出くわしていないが、油断は出来ない。
相変わらず、変わりばえのしない通路を行くと、不意にそれまでとは違う空間が開けた。
私は思わず眉根を寄せてつぶやく。
「なに……これ」
そこは、ドーム状の小さな空間で、礼拝堂のような作りだった。だが、壁一面にならんでいるのは仮面だった。喜怒哀楽様々な表情をしたそれらは、中央で燃え盛る炎に照らされ、濃い陰影を与えられている。あたかも、生きた顔が並べられているみたいで気持ちが悪い。
「この塔の持ち主の正気を疑うな」
ザーティフが理解しかねると言ったふうに頭をふる。エーミャもまた、嫌そうな顔で仮面を見ていた。私はふと、この塔について教えられた中にあったことを思い出す。
「確か、狂愛の魔術師と呼ばれていたそうです。詳しいことは分かりませんが、この仮面はその彼が生み出したもので、精神操作の魔術に関係しているのかも……」
しれません、そう続けたかった私だったが、それは叶わなかった。
私が話している途中で、仮面がカタカタと音を立てて動きだしたからだ。ぎょっとした後ずさった私たちの目の前で、仮面が宙を舞い始める。
「何だこれは、塔の仕掛けか!」
大剣を振り回し、自分たちの周囲を飛び交う大量の仮面を叩き落とそうとするザーティフ。しかし、仮面は砕いてもすぐに元通りにくっつき、再び周囲を乱舞する。エーミャが「嫌だ、気持ち悪いよ」と言いながら、寄ってくる仮面を払いのけているのが一瞬見えた。
私はと言えば、驚きすぎて早速その場で転んでしまった。仮面はその隙を逃さずに、私の顔に張り付こうとした。
だが、そこへザーティフが割って入った。
「くそ!」
彼は私にとりつこうとしていた仮面を払いのけて、助け起こそうとしてくれた。だが、仮面は一瞬を逃さなかった。すかさず、彼の顔に張りつき、ケタケタと笑い声を立てたのだ。
同時に、すぅっとその場を飛び交っていた仮面が消え去り、ザーティフの顔に貼りついた一枚だけが残る。彼は気持ち悪そうに、必死になってはがそうとする。
私も手伝おうと手を伸ばした、が、その時には彼の顔の仮面も、透けるように消え去っていた。
地面に座りこんだ姿のまま、私たちは茫然と黙りこくった。
突然のことに、思考がついて行かないのだ。しばらくして、その沈黙を破ったのはザーティフだった。彼は忌々しげに言った。
「……一体何だったんだ」
けれど、彼の言葉に答えられるものはいない。私とて、これが何なのかはわからない。ただ、ひとつだけ理解していたことがある。だから、彼の目を真っ直ぐに見て、集中した。
私の予想では、これは魔術だ。
恐らく、タチの悪いもの。呪いと似たものだ。それが何か、見極めなくてはならない。じっ、と視線を注いでいると、少しずつ見えてきた。
それは、小さな炎だった。




