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後編



 俺の怪我の手当てをしてくれた彼女――リゼアの家に居候し始めて五日が経った。

 ようやく腹の傷もふさがり、脚の遅い獲物なら自分で狩れるようになった。

 本当は傷が塞がってすぐここから去ろうと思っていたのだが、だらだらとここに居続けている。

 それはリゼアの傍を離れがたくて、リゼアの家が温かかったから。リゼアも「ルフの好きにすればいいよー」と言っているので少なくとも鈍った身体が全快するまではここにいようと思う。


 そう、リゼアの傍は居心地がいい。彼女自身話し方と同じくのんびりとした性格で、つられてこちらも気を張り詰めることなく日々を過ごしている。

 そうすると今まで気付かなかった空の青さ、空気の美味しさ、花の綺麗さに目を向けるようになった。世界はこんなに輝いていて穏やかなものなのだと初めて知った。

 知ることができたのはやはり彼女のおかげで、その美しい景色を彼女の隣で見ることができるのが嬉しかった。

 ずっと彼女の隣でこの美しい世界を見ていたいと思った。


 そう思った時点で、俺は彼女に恋をしてしまったことに気づいた。


 リゼアはかわいい。一般的に言えば美しいとは言い難い容姿だろうが決して醜いわけではない。確かにちょっと目は小さめだが顔全体のバランスは整っているし逆に彼女のかわいらしさのアクセントになっている(と俺は思っている)。

 それに彼女は行動もかわいい。初めて獣の姿から人の姿になった時など、「ぬお!? ルフさんそんな美人さんだったのかね!?」と顔を真っ赤にして、俺から目を逸らすようになった。

 獣の時は青みがかった薄い灰色に黒の縞模様の毛皮の俺は人の姿になった時には薄い灰青色の髪に若草色の瞳で肌は白く一応整った容姿をしているとは思う。レストにもよく「俺にはルフが世界で一番綺麗に見える」と言われていたが、獣の姿の時には俺より灰青の色味が強く人の姿の時には日に焼けたような健康的な肌色の男前なレストに言われても素直に喜ぶことはできなかった。

 しかし俺の容姿で普段は見れないリゼアの表情の急激な変化を見ることができるとは僥倖だった。俺が視線を合わせようとリゼアの顔を覗き込んでもむちむちした両手で顔を覆ってしまったが、手を外させようと腕を掴んでも必死に抵抗する様も、落ち着いた時にちらちらと俺を見ては顔を赤く染める様もかわいらしい。

「だって、こんな美人周りにいなかったから抵抗力がなくてだね!」

 と焦ったように言い訳する姿も。

「もうちょっと時間をくれ! そしたら慣れるから」

 と言って実際一日経ったらそれまでの照れは一体なんだったのかというくらい平然と接するようになった姿も(顔を赤くする姿が見られなくなったことはちょっと残念だが)。


 かわいくてかわいくて。

 どうしようもなく惹かれる。

 こんな気持ちははじめてで。

 どうしていいかわからなくて。

 でもそんな困惑が嫌ではなくて。

 


 そんな気持ちを抱えながらかつてないほど穏やかな時間を過ごしていた。

 久しぶりの楽しい時間を送っていた。


 ずっとこの時が続けばいいのに……。

 そんなことを思いもした。

 でも――




 そんな願いは届かなかった。







 その日、リゼアは俺が倒れていた泉に水を汲みに行っていた。俺が行くと言ったのだが代わりの用事を言いつけてさっさと行ってしまった。

 リゼアは熊の獣人の血が入っているため普通の人間より力がある。泉からここまで普通の人間より二、三倍重いはずの獣状態の俺を一人で運べるくらいには強い。話に聞くだけでは信じられなかったが、実際に重いものを軽々と持っている姿を見ると納得せざるを得なかった。バケツ二杯分の水など楽々運んでくるだろう。それでも一応リゼアは女の子で、俺は男なのだから力仕事は俺に任せてほしかった。

 そんな俺はリゼアに頼まれた繕いものをしている。怪我人であった俺が座ってでもできることを…というのが表向きの理由だが、リゼアは不器用でこういった細かいことは苦手らしく、手先が器用な俺がやったほうが早いというのもある。

 普通は男の俺が力仕事、女のリゼアが繕いものという役割分担が普通じゃないのかと思いながらリゼアの服に開いた穴を繕っている時であった。


 リゼアの匂いが近づいてきた。水汲みから帰ったようだ。

 迎えようと玄関を出ると、溢れんばかりの水を入れたバケツを両手に一つずつ持って歩いてくるリゼアの姿が見えた。水はちょっと跳ねるだけであまり溢さず運ぶ器用さはあるリゼアを見て思わず笑みが浮かんだが、一瞬で顔を強張らせた。


 ――リゼアからレストの匂いがする。


 なぜ……?

 なぜリゼアから……?


「リゼア!!」

 彼女の名前を叫んで駆け寄る。

「ぬお? ルフ、どうしたの?」

 俺とは対照的にいつも通りな彼女がゆっくりと首を右に傾ける。

「……リゼア、誰かと会った?」

 ――否定してほしい。

「ぬおー、やっぱりわかるんだ。虎の獣人の嗅覚ってすごいね」

 感心したような声を出す彼女。

「じゃあ私が誰と会って話をしたのかも、わかるんでしょ?」

「……レ…スト」

 彼女は否定しなかった。



 リゼアが奴と会った?

 リゼアが奴と話をした?

 どうして?

 なんで?

 何を話した?

 話をしてリゼアはどう思った?

 リゼアも奴と俺を比べるのか……?

 比べた結果リゼアも俺より奴を選んだら……?



 そんなの耐えられない。




 そこからの記憶は曖昧だった。

 衝動的に彼女を担ぎ上げ、家の中に入り、彼女の身体を彼女のベッドに落とした。彼女が起き上がる前にその身体に覆いかぶさり、ちょうど手近にあった布で彼女の腕とベッドを結びつける。

「どうしてこんなことするんだね?」

 そんなことを彼女が言っていた気がする。それに俺は答えなかった。


 もう誰にも会わせない。

 この部屋からも出さない。

 リゼアは俺のものだ。

 誰にも渡さない。

 奴にも、渡さない。

 彼女だけは、絶対渡さない。










 それからどれほどの時間が経ったのかわからないが、俺が正気を取り戻したのは夜中だった。

 俺はベッドの上で彼女を強く抱きしめ、彼女は横になって布でベッドと手を繋がれたまま俺をじっと見ていた。

 その目は初めて見た時と変わらぬこげ茶色。雨が降ったあとの土と同じ色なのに湿り気も濁りもない、宝石のような瞳が俺を一直線に見ている。

「どうして、何も言わないんだ……どうして……抵抗しない……」

 戸惑いを隠しきれなかった。

 人を縛りつけるなんて普通の者がとる行動ではない。縛りつけられるなんて普通の人間はほとんど経験しないだろう。

 なのに、なぜ黙っておとなしく繋がれている?


「……私はちゃんと聞いたよ。どうしてこんなことするんだねって」

 彼女の声は少しかすれていたが、それでもいつも通り高すぎず低すぎない芯の通ったものだった。

 確かにそんなことを言っていた記憶が薄らとだがある。

 ということは、彼女はまた俺の答えを黙って待っていたというのか。縛られていることに文句一つ言わず。

 彼女は初めて会った時から俺が問いかけに答えないと答えるまで無言で待っていた。最初はどこまでのんびりしたやつなんだと思っていたが、そのうち彼女の呑気さではなく俺が自分の気持ちを言葉にしていないことが沈黙の原因なのだと気付いた。彼女はそれを待ってくれていただけ。俺の気持ちを聞きたいから、聞けるまで辛抱強く待っていてくれたのだ。

 今回も同じこと。

 俺は、自分の気持ちをリゼアに伝えてなかった。


「俺はリゼアが好きなんだ」


 リゼアの頬にそっと手をあてる。


「誰にも取られたくない。俺だけのものになってほしい。レストと俺を比べないでほしい。ずっと俺の傍にいてほしい。好きなんだ。愛してるんだ」


 思うことはたくさんある。でもいざ言葉にしようとすると難しくて、こんなことしか言えない。もっともっと、想う気持ちはあるのに。


 でも、リゼアは。


「そうか」

 と言って微笑んだ。


 その微笑みがあまりにも綺麗で。


 見とれていると、リゼアは「よいしょっ」の掛け声と共に両手を戒めていた布を蜘蛛の巣のように簡単に引き裂いてしまった。


「ぅえっ!?」

 ぎょっとした俺の身体を軽々と自分の上から退けさせ、起き上がったリゼアは「ぬおーー」と身体を伸ばしていた。

 獣姿の俺を一人で軽々と運べる力はあるのだから、布一枚を引きちぎるくらい簡単にできるのだろう。ましてや俺を退かすことくらい楽勝なのだろう……が。


 非常に複雑な心境である。


 そんな俺の心を知らぬリゼアは一人非常に晴れやかな顔で俺に向き直った。

「言っただろう? ルフは言葉が足りないって。でも、今回は私も言葉が足りなかった。ごめん」

 そして彼女はゆっくりと、俺を抱きしめた。


「私もルフが好きだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、一瞬呼吸が止まった。

 そして次の瞬間にはオレはリゼアを抱きしめ返していた。

 この気持ちをどう表せばいいのか、言葉が出てこない。

 その言葉を探すように、俺はリゼアをかき抱いていた。









 あのまま抱きしめあって眠った翌日。

「何度も言うけど、ルフは言葉が足りないよー。心の中で色々思ってることはわかるけど、言葉に出さないと伝わるものも伝わらない。お兄ちゃんとのこともそうだよ」

 朝ごはんを食べながらリゼアは言った。

「言えばよかったんだ。自分とお兄ちゃんを比べるなって。自分は自分だって。あと――」


「お兄ちゃんのこと、大好きだって」


 ぎくっとした。

 リゼアは昨日見たのと同じ微笑みを浮かべている。


「今からでも遅くないと思うよ? お兄ちゃんに自分の気持ち、伝えたくない?」

 本当に遅くないだろうか? 今更ではないか。俺が縄張りを出てから数日経っている。しかももう二度と縄張りには戻らない体で出てきたのだ。もし伝えようとしてもどうしようもない。しかし、もし伝えれるのならば。


「伝えたい」

 ずっとレストと比べられていたことが嫌だったこと。レストに嫉妬していたこと。と同時に尊敬していること。そして兄として、家族としてとても大切に思っていることを。


「よし。そうと決まれば行こう」

 いつの間にか朝ごはんを食べ終わっていたリゼアが立ち上がり、俺の腕を引いたまま家の外に出た。どこに行こうというのか。

 まさかレストの縄張りなわけないよな? と思っていたが、リゼアはどうやら泉に向かっているらしい。泉に何の用があるのだろう……?

 リゼアの考えは泉に近付くにつれ見えてきた。というより匂ってきた(・・・・・)

 この匂いは間違いようがない。生まれてから毎日ずっとそばにあった匂いなのだから……。


「ルフ!!!」


 泉の方面の草むらから人影が飛び出し俺に体当たりしてきた。


「ルフ!! よかった! 無事だったんだな! 動いて大丈夫なのか? 怪我はもう治ったのか? ちゃんと飯食ってるか? 睡眠も充分とってるんだろうな? あの女に無理矢理働かされてるとかもないか?」

「レスト……」

 俺に体当たり……もとい、がっしりと抱きしめてきたのは俺の兄のレストだった。

 最後に会った数日前と変わらない姿。俺が付けた傷も完治しているようだ。レストに怪我を負わせたことは本意ではなかったので元気そうで安心する。


「失礼だなー、ルフのお兄ちゃん。せっかくルフを連れてきてあげたのに。感謝の言葉一つないとは群れのリーダーが聞いてあきれるよー」

「何が連れてきてあげただ! 俺がどんだけ待たされたと思ってる! 今日来なかったらお前の匂いをたどって乗り込みに行こうかと思ってたんだぞ」

 のんびりと文句を言うリゼアに、レストは文句を言いかえして俺を抱きしめる腕に力を込めた。苦しい。


 リゼアの説明によると、ここで水汲みしてたら俺を探してたレストに会ったらしい。彼女から俺の匂いがしたらしくレストは彼女を殺しかけたのだとか。


「お兄ちゃんと会うようルフに説得するって言ってもなかなか信用してもらえなくて。ずっと『ルフはどこだ』『ルフに会わせろ』ってうるさくて敵わなかったんだよー。このブラコン」

「お前のような女、信用できるわけないだろうが! ルフの匂い身体中に纏わせやがって。これ以上ルフに近づくんじゃねーぞ熊女!」


 というかこの二人、なんか仲があまり良くないように感じるのは気のせいだろうか……?

 レストは昔から俺の事となると少々煩くなる性質だったがこれほど煩く鬱陶しくなるのは初めてな気がする。

 それにリゼアもいつもと違って言葉に棘があるような……。初対面で殺されかけたら良い印象は持たないだろうが……。


 戸惑う俺に、リゼアはにっこりと笑う。

「そんなことより、ルフがお兄ちゃんに言いたいことがあるんだと」

「お前に『お兄ちゃん』言われたくねえんだよ! なんだ? ルフ?」

 リゼアに向けては威嚇するように、俺に対しては柔らかく言葉を発するレスト。

……レストってこんなんだったか……?


 いや、今はそんなことより。


 ――自分の気持ちをレストにちゃんと伝えよう。

 昨日リゼアに伝えたように、言葉に出して。



「レスト、俺は――」






             ――了――



読了ありがとうございました。


ルフ レストの弟。十六歳。青みがかった薄い灰色に黒の縞模様。若草色の瞳。レストより若干色味は薄い。レストにずっと劣等感を抱いて生きてきた。生まれた順番、力の強さ、足の速さ、狩りの力量はレストより劣っているが、頭の良さ、毛並の良さ、人化した時の美しさは勝っている。劣等感はあるがレストのことが嫌いなわけではなく、逆に好き。尊敬している。若干卑屈な性格。


レスト ルフの兄。十六歳。青みがかった灰色に黒の縞模様。生まれた順番、力の強さ、足の速さ、狩りの力量はルフより勝っている上、カリスマ性がある。減少しつつある獣人の数に危機感を抱き、共存していく道を模索している。共に生まれてきた弟のルフのことはとても大切にしており、ルフの自分に対しての劣等感を払拭させたいと思っている。が、どうすることもできずルフが去ってしまって数日は何をする気も起きなかった(ルフとの戦いで負った傷を癒すためにずっと寝ていたのもあるが)。ブラコンの気がある。


リゼア 人間。二十歳。祖母の祖父が熊の獣人の為普通の人間より力持ち。街中の賑やかな生活より自然の中で生きる方が好きなので森の中に自分で家を建ててそこに住むようになった。脂ののった魚が獲れる川の近くにあるため今の居住が気に入っている。細かいことは気にしない、大らかな性格。身長は小さめだが小柄ではなく全体的にムチムチしている(太っているわけではない)。「ぬおー」が口癖。こげ茶色の髪。


という設定でした。

ルフくんが正気を失っている間のことはご想像にお任せします。


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