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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第十二章 国際連合援助隊~UNAC~先遣隊 Headwaters(源流)編
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第十二章 Headwaters(源流)編 第一話

 九月も終わろうとしているパリはエディンバラより僅かに暖かく、色付き始めたマロニエの葉が葉の周辺部から中心に向かって黄色く染まって、秋風に揺れている様子を窓越しに見ながら、閑散としたノートルダム寺院前の広場を散策する人達も、薄手の上着を羽織り始めているのが、この地に秋が訪れた証なんだろうと、レオは手にした紅茶のカップに口を付けた。

「班長殿、そろそろ会議の時間です」

 ネルソン・アトキンズ少尉に声を掛けられて振り返ったレオは、国連本部が何処から探してきたのか、ウェッジウッド社製の藍白に彩られたティーカップを机に置き、「ああ」と頷いた。



 二回目となる今回の派遣でも総隊長はブノア中佐が務め、今回はカナダ班三班も加わって、UNAC先遣隊の八班全てが参加するという大規模なものとなった。

「しかし、ドイツと比べるとベルギーに力を入れるというは何なんですかね」

 作戦会議を終えS班控え室に戻った一同の中で、疑問を口にしたニコラス・ティペット二等准尉に、ランス・ウィルソン一等准尉はフンと鼻で笑ってみせた。

「建前上は、前回カナダ軍が、相手国がドイツという事で参加出来なかったからだが、フランスが今度こそ、ベルギーを自国に編入したいからだ」

 前回の事もありフランス班を信用していないランスは、むっつりと寄せた眉をニコラスに向けた。


 ランスの説明によるとベルギーという国には複雑な歴史があって、長い間隣国であるオランダ、ドイツ、フランスによる影響を受けていたのだと言う。

「当時はフランス領だったネーデルランド、現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルクを、フランスの北方進出を阻止する目的で、ウィーン会議により独立させたのが始まりで、其処から分離独立を果たしたのがベルギーだ。しかし、過去に亘る複雑な民族関係から、オランダ語の一種であるフラマン語が公用語のフランデレン地域、フランス語が公用語のワロン地域と、その両言語の併用地域であるブリュッセル首都地域に分かれ、現在は連邦制を取っている。この二つの言語間には言語戦争があって、対立は根深い。更に、過去の大戦では、二度に亘ってベルギーはドイツに占領されているんだ。対ドイツへの国民感情も良くない。どちらかというとカトリック系の多いベルギーでは、プロテスタント国家であるオランダよりも、フランス寄りだ。だからフランスとしてはこの地を再びフランスに組み込んで、また大フランク共和国でも作りたいんだろうさ」

 長々と講釈を垂れた後、ランスは腕を組んでフンと鼻で息をした。


「でも、自分達の担当区域は、ドイツ語共同体なんですが」

 困惑した顔のルドルフ・レッド二等准尉に、ネルソンは何時もの淡々とした表情で言った。

「ドイツとの国境近くに、僅かにドイツ語系を公用語とする共同体がある。ベルギー全体の人口の、一%にも満たないが。我々は其処に赴く」

「それで何でF班がそのワロン地域じゃなくて、態々オランダ語の公用地域で、カナダ班がワロン地域担当なんですかね?」

 今度はジャスティン・ウォレス曹長が不思議そうに首を傾げると、室内のポットで湯を沸かし、備え付けのティーセットで紅茶を入れ皆に配りながらビリー・ローグ曹長が苦笑いを溢した。


「だからだよ。元々フランス歓迎のワロンに手厚くする必要は無いし、それにベルギーは南部よりも北部の方がGNPも高く繁栄していた。その北部を手に入れたいのさ、フランスは」

「其処からオランダまで手を伸ばすつもりかね」

「いや、オランダは元々宗教的にフランスとは対立関係にあるし、オランダはそれほど崩壊はしてない。政府機関も機能しているし、【守護者( パトロネス)】である国王も健在だ。フランスの狙いはベルギーの次はやはりドイツじゃないか」

「自国でまともなのはパリぐらいなのに、先ず自国の復興が先だろうに」

 ギュッと眉を寄せた顔になったジャスティンに、レオはポツリと呟いた。

「それが、今まで我々人類が繰り返してきた歴史だ。拡大と侵略の果てには、常に滅亡があった事を思い出せていない人々が居る」

 遠くを見るような目をしているレオを、ネルソンはチラッと横目で見た。

「我々が目指すべきなのは、国境の拡大では無く、撤廃だ。其々の地域の特色を、文化を、誇りを守って暮らす人々が、多くの地域と交流し、且つその価値観の違いを互いに受け入れ、尊重して豊かに暮らす社会だ。俺達はそれを胸に刻んで、決して忘れるな」

了解しました(  イエスサー)

 一斉に敬礼を返した一同の中で、ネルソンは緑の瞳を真っ直ぐにレオに向けて、口を結んで見つめ返していた。







 

 そのフランスの思惑を知ってか知らずか、レオがフランスに到着して直ぐにヴァチカンより発表された声明は、国連本部だけで無く世界を揺るがせた。

 それは、『ヴァチカン市国並びにローマ教皇庁は、ケルン大聖堂の復興に賛意を示し、あらゆる手段にてその援助を行う』というもので、同時に、英国国教会並びにスコットランド国教会もその協力を惜しまない、という異例とも言える発表であった。



 ヴァチカンは、そもそも単一国家ではあるが国連には加盟はしておらず、国際コミュニティ連絡会議には守護下であるローマを派遣していたが、国連とは一線を画した存在であった。

 元々はカトリックではあるがローマ教皇とは分離した組織である英国国教会と、プロテスタントの一派であるスコットランド国教会が足並みを揃えるこの発表は、宗教界における共同歩調の第一歩だとして高く評価されて、その名が挙がる事は無かったが、この件の裏にはマリアが存在している事は、レオには良く解っていた。


「これでフランスも『Non(いいえ)』とは言えなくなりましたね」

 してやったりと破顔の笑みを浮かべたニコラスに、レオも嬉しそうに「ああ」と答えた。

「元々、ケルン大聖堂は、ローマ・カトリックの教会だったんだ。ヴァチカンが見過ごす筈は無いとは思ってはいたが、本国まで同調するとは思わなかったな」

「我らには聖母(マリア)が付いてますからね」

 クスクスと笑ったビリーに、レオは少し恥ずかしそうに、小さく笑った。


 ――アイツも自分の道を邁進してるんだな。


 マリアが掲げた『宗教界の相互協調と共存』という道は、レオには想像も付かない果てしない道のように思えたが、その一歩を確実に歩いているマリアの毅然とした姿が見えるような気がして、その傍らに立ち励ましてやる事の出来ない自分をもどかしくも思ったが、自分がこうして市井の人々を同じ方角を見据えられるように手助けしていく事が、彼女の見る世界と同じ方角を向いているのだと思い、その先にきっとある『理想郷(アルカディア)』の中の、咲き乱れる花々の中で再びマリアと出会えるのだろうと、その風景を思い描いてレオはフッと目を細めた



 ところが明日にはケルン経由でベルギーに発つという夜、レオに思いがけない出来事が起こったのだった。

 

 国連本部宿舎担当の国連軍警備兵より面会が告げられたレオは、フランスには知合いは誰も居ない筈なのにと、訝しげに宿舎玄関に向かったのだが、ロビーに置かれたソファに座っている修道尼姿の後ろ姿に、まさかと途端に鼓動を打ち鳴らし始めた心臓の音までもがロビーに響いているようで、戸惑いを浮かべたままその先に足を進めなくなった。

 人の気配にゆっくりと立ち上がって振り返ったその女性( ひと)は、もう潤んだ茶色の瞳にうっすらと涙を浮かべて、赤い小さな唇を動かし感極まった声で小さく呟いた。

「ザイア中尉様……」

「マリア!」

 此処が人の目に付く場所だという事も、彼女が修道服姿だという事も忘れて、レオは目の前の愛しい女性( ひと)に駆け寄って、自分の腕の中のマリアが夢ではないようにと願いながら、そのほっそりとした体を抱き締めた。


 マリアはヴァチカンでの謁見を終えた後、レオが推察した通りに、ケルン大聖堂の修復に関して、各宗派間での垣根を超えての支援を訴えて、飛び回っていたのだという。

「今日、ノートルダムで謁見の許可を頂きまして、支援のお約束を頂きました」

「そうか」

 国連本部のあるシテ島の端にある小さな公園の片隅で、二人肩を並べながら黒々とした水を湛えるセーヌ川を見下ろしていた。


 街の明かりは、やはり全盛期に比べると十分の一程度にはなってはいたが、川面に揺れる街の明かりが揺れながら小さな光を返しているのを目で追って、レオは話したい事は沢山あるのに言葉が出て来ないもどかしさに、フェンスに乗せた両手をギュッと握り締めた。


「……お前が元気そうでよかった」

 ようやくそれだけを口にしたレオにマリアは嬉しそうに頬を染めたが、

「……はい。ザイア中尉様も、お怪我も無くお元気そうで……」

 其処まで言うと堪えきれない涙が浮かんで、口を手で覆い嗚咽を堪えたマリアにレオは顔を向けた。

「毎日、毎日、貴方様のご無事をお祈りしておりました。時には、貴方様が銃撃に遭う夢を見て、苦しくて、怖くて……」

「マリア」

 他に歩く人も居ない公園で、レオはまたマリアを抱き寄せてその耳元で囁いた。

「俺は死なない。お前を残して死ぬ事は絶対に無い。お前を守る事が俺に科せられた使命だからだ。俺達は其々の道をまだ歩き始めたばかりで、ゴールはまだ遠いかもしれないが、それでもきっと道は繋がる。俺は必ずお前の元に戻る。信じて待っていてくれ」

「……レオ……」

 マリアの美しい瞳から零れる涙を拭ってやり、小さく震える唇を捉えたレオは、心を震わせるマリアの懐かしい芳しい香りに、引き寄せた腕に力を籠めてマリアの背を抱き締めた。


 ――我らが貴婦人( ノートルダム)、一瞬だけ目を瞑っててくれよ。


 暗闇に沈む大聖堂の気配を背後に感じながら、レオは掻き抱いたマリアを離すまいと、セーヌのさざ波を聞きながら唇を重ね続けていた。

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