第十二章 第二話
翌日、パリを出発したレオ達S班は、フランス班・カナダ班とは別行動で、一路ドイツのケルンを目指していた。遠回りにはなるが、前回探索を行ったドイツ西部の状況を、改めて視察するのもS班の任務とされていたからだ。
和やかな雰囲気の車内で、一人ジャスティンは恨めしそうな顔でレオを振り返った。
「……何で、自分達に紹介してくれなかったんですか」
夕べ遅く、レオの元をマリアが訪問したと朝になってから知ったジャスティンは、皆には内緒にしていたレオを責めるように、口を尖らせた。
「そりゃ、お前に会わせたら間違いなく横恋慕してたからな」
助手席から振り返り笑ったニコラスに、ジャスティンは一層口を尖らせて抗議した。
「幾ら何でも、班長殿の婚約者殿に横恋慕なんか」
「するかもな。バーグマン尼僧殿は己の目を疑うほどお美しい方だそうだからな」
笑いながら冷やかした隣のビリーに顔を向けたジャスティンは、剥れながらも逆襲した。
「だったら、お前の方が岡惚れするだろうが」
「いーや。自分は女性にモテたいのであって、自分に振り向かない女性には全く興味は無い。まぁ、振り向いてくれたら嬉しいと思う相手ではあるが、自分は高嶺の花という言葉を知っている。見た傍から、片っ端から一目惚れするお前とは違う」
フフンと笑ったビリーの言葉に、最後尾に座っていたレオはプッと吹き出した。
「……余り無理を言うな、ウォレス曹長。婚約者殿の立場を考えろ」
最後にアトキンズ少尉が冷静にジャスティンを諭し、その言葉にハッとなったジャスティンは「済みません」と小さくレオに詫びて、笑いながら首を振ったレオに、気まずそうに頭をポリポリと掻いた。
そもそも修道尼であるマリアには、結婚はおろか恋愛すらも認められていないのが表向きの事であって、婚約者と公言出来る立場では無い事はレオも良く解っていた。
だからこそ、マリアが他の男に奪われるという心配も無いのだが、そんな表向きの事情に関わらず、レオには確信があった。
――マリアと俺とは魂の一番深い場所で繋がっている。
夕べの口付けでも感じた暖かい光が、まだ自分に満ちているのを感じながら、陽の傾き掛けたドイツのアウトバーンを疾走する車の前方に、赤く染まったケルン大聖堂が一行を歓迎するように夕景の中、静かに佇んでいた。
翌朝、早速ベント村を訪れた一行を、村長であるラインハルト・シュテファンは相好を崩して大歓迎した。
『お久しぶりです、ザイア中尉殿。皆さん』
以前よりも少しふっくらとして顔色も良さそうなラインハルトの様子にレオも安堵の笑みを浮かべ、握手を交わした手をブンブンと何度も振るラインハルトに笑い掛けた。
『村の皆さんはお元気ですか?』
『ええ。あの後早速、医薬品が届きました。それに此処では貴重な砂糖や塩の他、食料やドライフルーツまで。今年の冬には、立派なクリスマス・シュトレンが作れます』
嬉しそうに笑ったラインハルトに、S班の一同も顔を見合わせて笑顔を浮かべた。
『ザイア中尉殿!』
満面の笑顔で駆け寄ってきた若者二人はカール・クラウジウスとマルセル・ベームで、夏の間にすっかりと日焼けをした若者達は、一層逞しくなっていた。
『元気か?』
『はい! 今年はライ麦も豊作で、人数も増えたので、来年は麓のシェヴェンヒュッテまで耕作地を広げようと皆で相談してました』
そういえば見慣れぬ若者が三人、レオ達を遠巻きにして少し不安げな顔をしているのに気付いて『彼らは?』とレオが問い掛けると、マルセルがはにかみながら答えた。
『俺と同期だった仲間です。麓の廃墟を拠点にして俺と似たような暮らしをしてたんですが、呼び掛けに応じて投降してくれました。此処の村長さんが温かく迎えて下さって』
『だから、若い働き手は大歓迎だと言っただろう』
ラインハルトは内気なマルセルの背中をバンバンと叩いて豪快に笑った。
『投降の呼び掛けは上手く行っているんですね』
『まぁこの辺りは。東部のベルリンの辺りは中々難しいと、この間来たUNACの機動部隊の人が言っていました』
和やかに話すレオとラインハルトの横で、ニコラスは得意そうな顔でフフンと笑った。
『そんなのケルンの鐘が鳴れば一発さ。ヴァチカンが動いたんだ。修復のための技術者が、近々視察に来る事になってる』
『おおお』
ニコラスの言葉に、ベント村の村人達から一斉に歓声が上がった。
『フランス国内に避難しているドイツ国民の間でも、修復のために国内に戻りたいという声が高まっているそうだ。それを受けて国際コミュニティ会議と国連による協議がもう始まっている。もうすぐケルンが賑やかになるぞ』
『俺らも行きます! 何年掛かっても、必ず直します!』
生き生きとした表情を見せるカールにレオは『ああ』と頷いて、実りの秋を迎えて一層賑やかなベント村を見渡し、自らの足で立ち上がろうとし始めたドイツの人々の、眩しい笑顔にゆったりと目を細めて見入っていた。
ロット村でも大歓迎を受けた一行はハイウェイを西進しドイツとベルギーの国境を越えたが、閑散としたSAには人影も車も無く、打ち壊された建物は略奪に見舞われたようで、壊れた調度が散乱し乾いた風に揺られていた。
「銃撃の痕が見られますね」
破壊された窓ガラスを検分していたネルソンが丸く残った銃痕を見付けてレオを振り返った。
「敗走したドイツ軍によるものか、ベルギー軍によるものかは判別出来ませんが」
「オイペンには軍基地はありません。過去憲兵隊は配置されていましたが、二千八十年代に憲兵隊組織そのものが解体されて現存しておりません。一番近隣でスパですがワロン地域内です。ベルギーは軍備縮小傾向で、二千百一年時点での残存兵力は陸軍二千名程度ですし、ドイツとの結びつきの強いドイツ語共同体の擁護に出向いたとは考え難いと思われます」
各国の軍事状況に強いランスが淡々と説明をすると、ネルソンも眉を寄せて考え込んだ。
「では、ドイツ軍による略奪があった可能性が高いな」
「となると、敗走したドイツ軍兵が国境を越えベルギー内に潜んでいる可能性があるという事でしょうか」
難しい顔で声を掛け合ったネルソンとランスがレオを振り返ると、キッと顔を上げたレオは全員に鋭い視線を飛ばした。
「その可能性は高い。最初のあのマルセルに遭遇した時の事を忘れるな。彼らは情報を持たず、我々を連邦軍だと勘違いする可能性が高い。十分留意して備えろ。但し、先制攻撃を受けても許可があるまでは発砲せず、説得を試みるんだ」
「了解しました」
強張った顔を返した班員達に、レオも身に纏った防弾チョッキに手を触れ、今日は帽子では無く、頭に被ったヘルメットを深く被り直した。
オイペンは、ホーエス・フェン=アイフェル自然公園に隣接する緑豊かな美しい街であったが、繊維工業を主体とする小工業都市は世界の崩壊に伴いその工業も衰退したらしく、ハイウェイを降りた車がゆっくりとオイペンに向かう道すがらで大規模な工業団地は既に廃墟と化していて、錆の浮いた建物が風の音だけが鳴る中で嘗ての繁栄の名残を留めていた。
古い歴史が物語るように広く無い域内に幾つもの教会が点在し、ドイツの中核都市アーヘンとベルギーの中核都市リエージュを結ぶ街道を中心として、古い町並みが緑の木々に守られるように並び、その郊外には豊かな水の恵みを受けて田園地帯が広がっていた。
この湿原地帯を水源の一つとしてベルギー東部を遍く潤すムーズ川はやがてライン川と共に北海へ注がれるのだが、街中を縫う様に流れる水路には煌く水が今も静かに流れ、ひと気の無い街に微かな水音と木々の葉ずれの音だけが響いていた。
街の中心部には聖ニコラウス教会が、エメラルドグリーンに輝く二本の尖塔を従えて、当時のまま破壊に遭う事も無く、ひっそりと建っていたが、破壊の見えない街並みは静まり返っていて、此処までは住民の姿を見る事は無かった。
「二手に分かれて探索を行う。警戒を怠るな。異常があれば速やかに無線にて報告せよ」
その聖ニコラウス教会の前で車を止めた一行は、教会より西側をネルソン、ランス、ジャスティンとビリーに任せて、レオ達は車で東側の探索を行う事として四人が車を降り立った時だった。
『止まれ!』
ドイツ語で鋭く飛んだ声にすかさず身構えた四人は緊張した顔で周囲を見渡した。
『……お前たち、何処の軍だ?』
声の主は教会の道を挟んだ向かい側、並木道の木立の中に潜んでいるようだった。
『我々は国連援助隊UNACの者です。我々はスコットランドから派遣されています』
小銃を手に警戒しながらもネルソンが声の主に言葉を掛けると、木立から姿を現した男は散弾銃を構えたままではあったが、顔には戸惑いが浮かんでいるのが見てとれた。
『国連……連邦じゃないのか』
『連邦は既に消滅しています。世界には平穏が戻りました。我々は世界崩壊などによって被害を受けた地域を救済するために派遣されています』
そう言ってネルソンは手にした銃を下ろしたが、男はまだ逡巡を浮かべて立ち尽くしていた。
この男は、元はオイペンに有ったドイツ語共同体庁舎の職員で、今は暫定で市長代理を務めているというアンドレアス・ケスラーと名乗った、三十代半ばほどの大柄な男であった。
アンドレアスはレオ達S班を教会裏手にある行政庁舎に招いた。
赤レンガ造りのその建物も破壊は少なく、一階の事務所では数名の職員と思しき男女が細々と業務を続けているようだった。
通された二階の応接室も調度は整っていて荒廃は伺えなかったが、アンドレアスが暗い表情で『お出しするお茶も無くて済みません』と詫びると、レオは『お気になさらずに』と声を掛けて勧められたソファに腰を下ろした。
彼が言うには、やはり連邦軍に追われたドイツ兵が国境を越えて雪崩れ込み、当時は老齢の人間を主体に僅かに二千名だけが暮らしていたこの場所を襲撃していったのだと、アンドレアスは暗い顔をした。
『奴らは武装していて、此処や市庁舎の職員や、警察官を一箇所に集めると問答無用で全員射殺した。そして住民達から食糧を奪うと容赦なく住民も射殺していった。中心部から外れた地域や、郊外の農作地帯の住民だけが生き残った。それからも、次々とドイツ兵がやって来たが、もう供出する食糧も無いと分かると、腹立ち紛れに見掛けた住民を殺して、皆西へ向かって行った。恐らく発展してた北ベルギーを目指したんだろう。その頃のベルギー軍は、もうその当時は二千名程しか残っておらず、ワロンとフランデレンで起きた暴動の鎮圧で手一杯で、俺達は見放された』
元々は、ドイツに編入されていた時期もあったこの地域は、同じ言語を公用語とし、近しい関係だと思っていたドイツによる暴虐にアンドレアスは終始重い口調だった。
『現在此処にはどれぐらいの人が?』
レオの隣に座ったネルソンが掛けた問いにアンドレアスは項垂れていた顔を上げた。
『五百名ほどだ。西側に広がる耕作地で作物を作りながら暮らしている。食べるだけで精一杯の貧しい暮らしだ』
『先ほど拝見した限りでは、かなり収量の見込める麦が実っていたようでしたが』
ハイウェイから見えたオイペン郊外の農作地帯に、黄金色の麦がたわわに実っているのを確認していたネルソンが淡々と訊ねると、再び項垂れたアンドレアスは力無く首を振った。
『その収穫物を目当てに、この時期には奴らがやってくるんだ』
眉間に深く苦悩を刻んで、長いため息をついたアンドレアスに、レオは結んだ口に自然に力が入るのを感じて小さく眉を動かした。
何処かに潜んでいるらしいドイツ軍の残党達は、作物が実るこの時期になるとオイペンにやってきて、収穫物を強奪していくのだと言った。しかも、根こそぎ奪われると住民が餓死してその収穫物を翌年得る術を失ってしまう事を知ってか、ある程度の量だけを要求してくるのだと、まだ三十代と思われるのに、皺の浮き出した手を握り締めてアンドレアスは怒りに震えていた。
『我らが細々と生きていけるだけの、僅かな量を残してだ。それで翌年も作物を作れと言う事なんだろう』
『くそっ、なんて浅ましい奴らだ』
ギリギリと歯軋りをしたランスに、誰もがむぅと押し黙った。
『隠れているドイツ兵もさほど多くはないでしょう。五百名の方が居られるなら、反撃も可能なのでは? ベルギーでは、銃所持率が高いと聞きましたが』
眉を寄せたまま訊ねたビリーをアンドレアスは暗い瞳で見上げた。
『それは昔の話だ。二千年代以降度々起こった銃乱射事件を受けて、個人の銃所持は厳罰化の方向に進んで、連邦の成立と共に、一部の狩猟目的の銃以外は、個人所有が認められなくなったのは、知っているだろう。此処でも、自然公園保護の名目で散弾銃を持っている者が居るだけで、それも大半は老人だ。訓練された兵士に敵う筈はない。刃向って殺された者も多いんだ』
元々銃規制の厳しい英国育ちのビリーは、自らの知識不足を恥じ入るように頭を下げて、
『安易な提案を申し訳ありませんでした』
と詫びたが、アンドレアスは責めるでもなく首を振り長い嘆息をついた。
『周辺地域でも細々と生き残っている集落があるが同じ様な状況だ。歯痒いがこれ以上住民に犠牲者を出したくない。僅かだが子供達も産まれ始めている。そうやって街を守っていくしかないんだ』
諦めの浮かんだ弱々しい光を淡い蒼の瞳に浮かべて、頭を上げたアンドレアスの疲れきった表情に、レオは押し黙ったまま唇を噛み締めていた。
だが自分達が此処へ来た以上、何がしかの変化があるのかもしれないと、僅かな期待がアンドレアスの瞳に浮かんでいるのにも気付いて、レオは結んだ唇に力が入るのを感じた。
ケルン郊外で保護したマルセルのように、誰も傷つける事無く、僅かな糧で細々と暮らしてきたのとは訳が違うとレオは思った。
己の武力を以って力で捻じ伏せ、長年強奪を繰り返してきた男達は、恐らく正常な軍人としての判断能力を保持していないだろうと思ったレオは、今度は戦闘になるかもしれないと、暗澹たる黒雲が自分の頭上に垂れ込めてきたような暗い気持ちで顔を上げた。




