第九章 第五話
翌朝、インヴァネス指令本部長に挨拶を終えたレオは、その場に居並ぶ部下六名を前にして淡々とした表情で一同を静かに見渡した。
「これより任に赴く。しかし、行動計画について若干変更をする。アトキンズ少尉、ティペット二等准尉と共にインヴァネス行政庁舎にて、過去一年間に於ける州内の一次産業に関する情報と人口流動及び治安状況を調査せよ。ローグ曹長並びにウォレス曹長は、復旧途中のこの地区への、送電関係を調査せよ。ウィルソン一等准尉とレッド二等准尉は現地警察と共同でミルバーンロードに検問を張り、インヴァネスへと入出する車両の検問を行え。全ての任を明日中に終えよ」
「……検問、ですか?」
怪訝そうに返したランスにレオは表情を崩さずに言った。
「そうだ。移動の目的、出発地と目的地、トラックであれば積荷もだ。インヴァネスより北部からの来訪者には現地の様子も確認しろ」
「そういう任務であれば、レッド二等准尉よりも、ティペット二等准尉の方が適任かと」
確かに気さくで誰とでも話しやすいニコラスの方が向いているとレオも思っていたが、レオは顔を上げたまま淡々と言った。
「指示通りだ。全員速やかに任に赴け」
「了解しました」
其々不満を隠しながらも返礼を返した部下達に、レオは最後まで表情を崩さなかった。横で黙って立っていたハリソン少佐も、一切口を出す事も無く淡々とレオを見守っていて、
――これが俺の第一歩だ。
と腹に力を籠めたレオは、部屋を後にする部下達の背中をじっと見つめていた。
「……まぁ、いいだろう。茶でも飲むか?」
部下達が部屋を出ると、それまで黙っていたハリソン少佐がレオに声を掛けたが、「いえ」と首を振ったレオは、少佐に敬礼を返すと短く言った。
「自分も調査がありますので」
「調査?」
「此処で、過去一年間の軍の出動実態の調査です。資料室に指示をしてありますので」
淡々とした表情を崩さないレオを、ハリソン少佐はその顔を窺いながらじっと見ていたが、
「まぁ、いいだろう。行け」
と呟くように言って、レオはまた反射的に敬礼を返した。
「絶対嫌がらせですよ。こんな調査はルドルフの方が向いてるのに」
行政庁舎の資料室でPCを前にして、膨大な資料から目的の物を探しながら、ニコラス・ティペット二等准尉はブツブツとぼやいていた。
「無駄口を叩くな、ティペット二等准尉。夜までに終わらんぞ」
画面から目を離さずにネルソン・アトキンズ少尉が冷たく返すと、ニコラスは口を尖らせながらも作業に戻った。
確かに、気弱な上にポカミスも多いルドルフ・レッド二等准尉ではあったが、IT関係については抜群の才能を持っていて、彼ならニコラスの半分の時間で作業を終えるだろうとネルソンも思った。
――しかし、こいつは再三の指導でも変わらなかった。果たしてこれぐらいで狙った効果があると班長殿はお考えなんだろうか。
戦闘訓練の成績も悪くなく学力も低くないニコラスではあったが、その集中力の無さと責任感の欠如は如何ともし難く、常に彼はB班のお荷物であった。
ランス・ウィルソン一等准尉は優秀な兵士ではあったが、勝気な性格が災いして同僚達と揉め事を起こす事も多く、イングランドに対する敵愾心も強く、今回ザイア中尉がイングランドから赴任してきた事についても、声高に侮蔑の言葉を並べ立てていたのを聞いた事があった。
ルドルフは見ての通りで、頭脳明晰であるにも関わらず、信じられないミスを犯す事が多くて、それが彼から自信を奪っている事にネルソンは気付いていた。
最初に居並ぶ部下の顔触れを見て、グレン大佐が班長に何を求めているのか諮りかねたが、もし大佐がこいつらをあのザイア中尉が更生する事が出来ると考えているのなら、その根拠は何処にあるのだろうとネルソンは思った。
経歴も浅く、しかもそれまではスラムを中心に汚れた生活をしていたというザイア中尉に果たしてどこまで出来るのか、冷静に分析しながらも、ネルソンも行く先に不安を持っていた。
不貞腐れながらも作業を進めているニコラスが叩くキーボードの音を聞きながら、制限時間迄に作業を終えるには自分も集中せねばならないと思い直し、ネルソンはきっちりと伸ばした背をもう一度引き締め直した。
「あの、お伺いします」
検問で止めたトラックの運転席を見上げ、ルドルフが恐々と声を掛けているのを見て、ランスは呆れて鼻でフンと息をついた。
――あの気の弱さでよく軍人になれたな。
大きな体格の運転手が、眉を顰めて怒鳴る勢いでしゃべっているのを、ルドルフが柔らかな物腰で聞きながら丁寧に書きとめている姿を後ろから眺めて、ランスは面白くなさそうに、道にペッと唾を吐いた。
ランスには何もかもが不満だった。
そもそも、優秀な兵士が此処スコットランドには大勢居るというのに、態々崩壊したイングランドのSASから招聘する理由が分からなかった。
その上、三顧の礼で招かれた男が、まだ軍に入って二年余りで、その階級も、たまたま自分の彼女が特別な力を持っていて、それに対処したに過ぎない事も不満だった。
――その前には、スラムで暴れてた社会不適格者だったっていうじゃねぇか。
先祖代々、遥か昔にスコットランドがイングランドに併合されるよりも前からハイランダーの家系で生まれ育った自分が、その男の後塵を拝して、頭を下げなければならないという事が、ランスには我慢ならなかった。
――フン。どうせ何も出来なくて、尻尾を巻いてイングランドに泣きついて帰るだろうさ。
心の中で悪態をついたランスは、トロトロと時間を掛けて質問をしているルドルフの背中を見て、また面白くなさそうに唾を吐いた。
「おい、さっさとしろ。後ろに行列が出来てるだろが」
隣のレーンでは現地警察がテキパキと進めているのにも関わらず、何やら細かい字で、びっちりと書き込まれているルドルフの調書を呆れて覗き込んで、恐縮して顔を強張らせたルドルフを一瞥したが、かと言って自分でやろうとはせず、苛々とした靴音を立てながら、ただ時間が過ぎてくれるのをランスは待っているだけだった。
――こんな班とはさっさとおさらばして、またA班に返り咲いてやる。そん時にはあのうすのろ班長を追い出して俺が班長だ。
軍事訓練では、誰にも引けを取らないと自負しているランスは、目の前の気弱なルドルフに冷たい視線を投げ掛け、寒そうにコートの襟を合わせて一回小さく身震いした。
一方のルドルフも、どうして班長は自分に敢えて不得手な作業を命じるんだろうかと気に病んでいた。
――きっと昨日の事をお怒りなんだ。これは懲罰なんだ。
陰鬱とした気分が今日になっても晴れないルドルフは、切なげにため息をついた。
ルドルフは、どうして自分が考えられないようなミスを犯すのか、自分でも分かっていなかった。
昨日だって、道を知らなかったわけでは無かった。何度も通った道でもあり、事前にルートの確認も何度もしていたにも関わらず、北上ルートではなく西進ルートに、吸い込まれるように入り込んでいた。
――俺ってどうしてこんなに駄目なんだろう。
ポカミスをする度に上官に叱責され足蹴にされ、同僚には嘲られ或いは軽蔑の眼差しで見られ、毎日がそんな事の繰り返しばかりでルドルフはすっかり自信を無くしていた。
そんな時にこの異動が命じられたのには、きっと理由があるんだと思っていた。居並ぶ顔触れを見て、自分を含めて各班でお荷物と言われているメンバーばかりなのを見て、きっと此処は落ち零れの吹き溜まりなんだと、ルドルフはそう思っていた。
班長ザイア中尉はイングランドからの転属で、彼の過去の経歴をルドルフは詳しくは知らなかった。
「イングランドのならず者で、上手く上司に取り入って昇進した、えげつない神経の持ち主だ。昔は、スラムで暴れてた人殺しだったそうだ。俺達を苛め抜くために態々呼んだんだろ」
ランスが憎しみの籠った顔をしてそう話していたのを思い出して、ルドルフは身震いした。
過去のSASでは懲罰という名の元に拷問が行われ、死んだ兵士も居るらしいという噂話も思い出し、ルドルフは益々強張った顔で自分の手元の調書を見下ろした。几帳面に書き込まれた文字を見て、ルドルフは背後のランスが羨ましいと思った。
――あんな風に自信を持って、上手く立ち回れたらいいのに……
眼前の車の運転手から、苛立たしげなクラクションを鳴らされてハッと我に返ったルドルフは、軽く帽子を取って会釈をして、
「お待たせしてすみません。少しお伺いしたいのですが」
と、それでもまた丁寧に話し掛け、強面の運転手に怯えながらも、また几帳面に調書に書き付けていった。
行政庁舎で資源エネルギー担当と面会したビリー・ローグ曹長とジャスティン・ウォレス曹長の二人は、その足でインヴァネス北部の水力発電施設の一つを見学に行った。
天然ガスを利用した発電所は、首都であるエディンバラと大都市グラスゴーの二箇所にしかなく、殆どの地域で、太陽光発電だけが頼りであった。
北部最大の都市インヴァネスには、最盛期は十万人程度が住んでいたが、少子化で数を減らしたものの、今でも三万人は住んでいる立派な大都市で、この規模の都市を存続させているのは、この北に位置するダム湖による水力発電による力が大きかった。
インヴァネスの名前の通り、ゲール語でネス川の河口を意味するこの町の上流に有名なネス湖があったが、高低差の少ないこの湖はダムとしては向いておらず、北部の山岳地帯に位置する大量の湖がその役目を担っていた。
「無理に送電線を通さなくても、十分この地域を賄えそうだな」
「ああ。だが此処より北は厳しいな。人口の流出も続いているようだし、インヴァネスに集約も止むを得ないかもしれない」
満々と水を湛えたダム湖を見下ろして、冷静に分析をする二人はまだ若さをその表情に漂わせていたが、落ち着いた物言いは彼らの聡明さを窺わせていた。
兵役に就いてまだ五年という若い二人は、元々海軍の出であった。
グラスゴー西部にあるファスレーン海軍士官学校を出て、自前の艦船を急速に拡大していたスコットランド海軍で護衛艦の任に就く筈だったのが、世界の崩壊によりその艦船が鉄くずと化して行き場を失っていた二人が、畑違いのAASに呼ばれた事に戸惑いと不安を感じていない筈は無かった。
「なぁ、ビリー。俺らなんでAASに呼ばれたんかな」
士官学校時代から同期のビリーに、ジャスティンは吹く風に銀髪を揺らしながら、蒼い瞳で遠くを見ながら呟いた。
「俺は語学力だろうな、きっと」
短い金髪のビリーは、琥珀色の瞳に苦笑を滲ませて呟き返した。
首都エディンバラ出身であるビリーは、スコットランド人の父とフランス人の母を持ち、英語と仏語の他にもドイツ語、イタリア語、スペイン語と五ヶ国語に堪能で、世界へと出ていくこの部隊では、その語学力を必要としているんだろうと、そう思っていた。
「俺はこれといって取り得も無いんだがなぁ」
北部アバディーン出身のジャスティンは、懐かしい北部の風景に和みながらも、両手を伸ばして伸びをしながらポツリと呟いた。
「そうか? 俺らはこの先世界に出るんだから、海上移動は常だろ。海軍の基礎訓練を受けてるのと受けてないのとじゃ、随分と違うと思うぞ」
「そりゃそうだが。確かザイア中尉殿も、元々は海軍訓練校出身だそうだな」
「地獄のデボンポートだ。其処からSASに配属されたそうだ」
「てことは、その頃からAAS配属は予定調和だったんかな」
「かもな。一度崩壊したSASには国連先遣隊になる余力は無い。恐らくは、ザイア中尉殿がこの場所に必要になる人材だと見抜いておられたんじゃないか」
「誰がさ」
淡々と深読みしながら会話を続けていたビリーはニヤリと笑った。
「ムーアハウス少尉殿だ。お前も会っただろ。俺らがデボンポートに研修に行った時に」
「ああ。そうかもしれんな」
見た目の若さとは裏腹に聡い二人は、静かに湖に目をやった。
「しかし、中尉殿はご苦労されそうだな」
ビリーは苦笑いを浮かべて、自分達の先輩達を思い起こした。
「だな。つうか、俺らもだぞ。先が思いやられるわ」
何と無く自分達が何のためにこのS班に呼ばれたのかを悟って、レオの思惑とは裏腹に実際には有能な二人は、互いに苦笑を浮かべ肩を叩き合った。




