第九章 第四話
翌朝、インヴァネスへ向けて出発したレオは二台に分乗した車の一台目に乗り、後部座席のシートに背を預けて、内心の不安を隠すように表情を変えずに黙り込んでいた。
「折角のドライブ日和だぜ。もっとかっ飛ばせよ」
助手席から隣に茶々を入れている、茶髪で淡茶色の瞳をした男はニコラス・ティペット二等准尉で、B班から来た彼は、人懐っこい性格のようで誰にでも気さくに話し掛けていた。
「おいおい、道を熟知している俺らとは違って、班長殿は、北部は初めてでいらっしゃるんだ。北部視察を兼ねてるんだからゆっくり走って差し上げないとな」
レオの隣に座りニコラスに苦言を呈したのはランス・ウィルソン一等准尉で、ハイランド出身だという彼は背も高くがっちりとした体つきで、ただその物言いに、レオに対する悪意を感じて少し眉を動かしたレオだったが、敢えてランスの方は見ないで、黙ったまま受け流していた。
「どうされますか、班長殿」
ランスの軽口をまともに受けて訊ねてきた、運転席のルドルフ・レッド二等准尉に、レオは小さく息をついて言った。
「急ぐ必要は無いが、制限速度を守って走行してくれ」
「了解しました」
律儀な性格らしいルドルフが返礼を返すと、またニコラスが白い歯を溢しながら隣のルドルフに笑い掛けた。
「軍用車がスピード違反で捕まったら洒落にならないからな」
クスクスと笑っているニコラスに、レオは内心でフゥとため息をついた。
その後もベラベラとしゃべり続けるニコラスに、たまにランスが呆れてやり返すという、二人だけがしゃべっている中、車は順調に走っているように見えたが、右手に中核都市のパースが見えてきた分岐点を過ぎて直ぐ、二号車からの無線連絡を知らせるアラームが鳴った。
「はい、こちら一号――」
助手席のニコラスが取って、のんびりした声を返そうとするのを遮って、アトキンズ少尉の冷たい冷静な声が響いた。
「一号車。道を間違えているぞ」
その声に反射的に後ろを振り返ったレオの眼前に、それでも追走してきている二号車と、遠くなっていくパースの街並みが見えて、困惑したレオは前に向き直ってルドルフに訊ねた。
「どうなってるんだ」
「先程の分岐で道を間違えたんですよ、班長殿。本来はラウンドで北上しなければならなかったのに、誤って現在車両は西進しているようです」
レオの隣のランスが白々しい顔で報告するのをレオは横目で見て、慌ててナビを確認しているニコラスに目をやった。
「えっと、次を右、いや、此処じゃダメだな。その先を右に行って、それから――」
「……申し訳ありません……」
情け無い声でしょげ返っているルドルフに、レオはハァと嘆息をついて、「兎に角、元のルートに戻ってくれ」とだけ伝えて、諦めたように目を閉じた。
その後は順調に走っていたかと思えば、カリンゴーム国立公園内のアビモア近郊で、何をどう間違ったのか正規のA9ハイウェイを外れてA95ハイウェイに入り込んでいた車が東進し始めた時には、流石にレオも気付いてた。
だが、大回りしてA938ルートから元のA9ハイウェイに戻るしか無く、予定では午後五時にはインヴァネスに着く筈だったのが、ようやくこの北の街の明かりが見えてきた時には、既に午後八時を回っていた。
二度目にはもう追走せずに先に着いていた二号車は、ネス川沿いにあるスコットランド軍施設の駐車場にひっそりと停まっていて、険しい顔のレオは、運転席からルドルフが降りるよりも先に自分でドアを開けて車を降り立った。
「申し訳ありませんでした」
しょぼくれた顔で頭を下げるルドルフに軽く手を挙げて往なして、もう灯った明かりも少ない軍施設のドアを開けると、入って直ぐの右のロビーで、ソファに一人腰掛けて待っていたアトキンズ少尉が立ち上がってレオに敬礼を返した。
「小隊副長殿は、インヴァネス指令本部長との面会を終え、現在は宿舎にて待機をされておられます。ローグ曹長及びウォレス曹長は疲労が見受けられましたので、先に宿舎へと戻しました。班長殿のご指示を待たず申し訳ありません」
「いや、それでいい。手間を掛けさせたな」
「いえ」
疲れ切った表情のレオにも、アトキンズ少尉は淡々とした表情を変えず、続けて言った。
「インヴァネス指令本部長も、もうご帰宅されましたので、班長殿との面会は明朝に再設定させて頂きました。お疲れでしょうから、本日はこのまま宿舎にて休まれたほうがよろしいかと」
「ああ」
頷いたレオだったが、気付いたように後ろを振り返って、
「アイツらも疲れてるだろうから、先に宿舎に案内してやってくれ」
「……了解しました」
アトキンズ少尉が施設を出て車へ向かって歩いていくのを見送り、レオは視線を宙へ投げると、大きくフゥとため息をついた。
指令本部に隣接する宿舎に通されたレオは、「直ぐに夕食を用意させます」と言ったアトキンズ少尉に「いや、俺はいい」と、首を振ったが、「小隊副長殿が今食堂にて夕食を取られております」と、冷たい眼差しでレオに告げたアトキンズ少尉の言葉に、挙げた手を下ろして、階上に向かい掛けた踵を返して食堂に向かった。
フロア中央で機嫌よさそうに食事を楽しんでいたハリソン少佐の前に立つと、レオは深々と頭を下げて「申し訳ありませんでした」と詫びた。
「おお、ご苦労、ご苦労。長旅大変だったな。まぁ、座れ」
青い瞳を細めてにこやかに笑った少佐に「いえ、自分は」とレオは言い掛けたが、少佐はにこやかな表情は崩さずに短く言った。
「お前が座らないと後ろの連中も飯にありつけない。座れ」
その言葉にハッと後ろを振り返ったレオは、食堂の入口で並んで立っている四人の部下に気付いて、手を挙げて座るように合図をし、観念したように少佐の前に腰を下ろした。
給仕のために残っていたらしい此処の当番の兵士が、レオに好みのメインディッシュを訊ねようと近づいてきたのを見上げ、レオは目の前の少佐が殆ど食べ終わっているのをチラリと確認して兵士に告げた。
「少佐殿のお茶と一緒に、俺にはお茶だけを持ってきてくれ。後、後ろの連中には夕食を」
「畏まりました」
少佐のトレーを手に頭を下げた兵士に、少佐は一層頬を緩ませてニコニコと笑いながら「旨かったよ」と労いの言葉を掛け、確かに旨そうに、にこやかにナプキンで口を拭った。
少佐は拭ったナプキンを見かけによらず丁寧に折り畳みながら、「あの」と話し掛けようとしたレオを制してポツリと言った。
「移動経路は把握していたよな? ザイア中尉」
「はっ」
穏やかな表情とは裏腹の冷淡さを含んだ言葉に、レオは短く返答して口篭った。
「初めての場所だったという言い訳は今後は通用しない。お前達が行く場所は、これから先は、全てが『初めて行く場所』だ。僅かなミスであっても取り返しのつかないロスを生む。現に我々の計画は半日のロスを生んでいる。その意味が解るか」
「はっ」
レオは悔しさに奥歯を噛み締めた。
少佐の言う事は尤もで、あれだけ何度も移動ルートの確認はしていたのに、まさかAASの隊員ともあろう者が、自分達のお膝元であるスコットランドで道を間違えるなどという、安易なミスを犯す筈が無いという先入観が自分の中にあった事はレオも自覚していた。
「部下のミスは上官のミスだ。それを忘れるな」
「了解しました」
背後の部下達には聞かれないように小声で呟いたレオに、少佐はそれ以上何も言わず、運ばれてきた紅茶に美味しそうに口を付けていたが、レオは湯気を立てているカップを、黙って見下ろしているだけだった。
「このクソ寒い中、初日から野営にならなくて良かったな」
ニコラスの暢気な笑い声を背後に聞きながら、ユラユラと揺れるカップの底に澱むように沈んでいる茶葉の欠片を見下ろして、自分の心にも降り積もろうとしている澱を振り払おうと、レオはただ、唇を噛み締めていた。
「クソッ!」
小奇麗に片付けられている部屋に入ると、レオは腹立ち紛れに、一人掛けソファに置かれていたクッションを、乱暴にベッドに投げ付けた。
「何処が精鋭だ! 落ち零ればっかりじゃないか!」
あの時のグレン大佐の意味深な笑みの意味を、ようやく理解したレオは悔しそうにベッドに体を投げ打った。
ルドルフは、律儀で真面目な性格のようだったが、信じられないぽっかりミスを連発し、ニコラスは陽気で人当たりはいいが、だがそれだけで、異変にも気付かずにしゃべりまくっていた上に、そのミスの意味を解っているのかいないのか常に暢気だった。
そしてランスに至っては、恐らくは道を外れているのを分かっていた筈なのに、敢えてレオには報告をせず、明らかに敵意の籠った態度で、レオを嘲笑うかのように事の成り行きを静観していただけだった。
「あれが此処の精鋭なのか? じゃあ他はどれだけボンクラだって言うんだ」
まだ腹立ちの収まらないレオは、ベッドに横たわったまま、投げ遣りに呟いた。
階級が上の三人があの体たらくでは、二号車に乗っていた二人も同程度なんだろうと、レオは益々陰鬱な気分に包まれていくのを、為す術無くため息を付くしか無かった。
――これからの俺は、アイツらのミスの尻拭いばかりをしなきゃならないのか。
そもそも、自分も部下に指示を出すという事自体初めてで、右も左も分からないのに、その部下が指示通りには全く動いてくれないとなったら、この任務の成果は押して知るべしだった。
暗い気持ちでベッドに体を投げ出していたレオだったが、ガバッと起き上がると、座り込んだままじっと考え続けていた。
――こんな時、アイツならどうするんだろう。
レオの頭の中には、自然とコンラッドの姿が浮かんでいた。
闇の気配が色濃くなって、やがてその外も白々と明るさを増して闇が彼方へ押しやられようとしていても、レオはベッドの上に座り込んで、まんじりともせず考え続けていた。




