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闇色のLeopard  作者: N.ブラック
第八章 第二十二SAS連隊A部隊 北国の冬編
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第八章 第六話

 此処に自分の道があると分かっていても、レオが思い悩んでいる理由は唯一つしか無かった。それは勿論、マリアの存在だった。


 例え今は、自分の負の力を制御出来るようになってきたとは言え、一度彼女が暴走を始めてしまえば、それを止められるのは自分しか居ないという思いと、神に誓った絆の相手であるマリアの傍らを、自分が離れたくはないという思いが交錯して、グレン大佐の言葉に激しく揺さぶられながらも、レオは決断出来ずに居た。


 ――いっそマリアをスコッランドに連れて来ようか。


 院の後の事は副院長のマクニール尼僧(シスター・マクニール)に託し、マリアを説得して此処で暮らす事も考えたが、自分はこの先世界に出て行ってしまい、誰も知る人の居ないこのスコットランドに、独り残されるマリアの寂しそうな横顔が思い浮かんで、その考えも頭から振り払った。

 グレン大佐の申し出を断ってイングランドに残り、マリアの傍で日々の任務をこなしながら穏やかに暮らす日々も思い描いてみたが、果たして自分は、その日々で満足出来るんだろうかと、なだらかな平坦な道しか続かないのであろうイングランドでの未来に、将来の自分が行き詰り苦悩にもがく姿が見えて、レオは堂々巡りの思考に疲れて天井を見上げてため息をついた。

 ――答えは一つしかないのか。

 諦めにも似た境地で、レオはベッドから起き上がり部屋を出た。部屋より少し冷たい空気の廊下に身を軽く竦ませて、躊躇うように出たばかりのドアに向き直ったが、その躊躇いを振り払ってレオは決断した顔を上げ、ゆっくりと目的の場所へ歩いて行った。

 幾ら互いに想い合っているとは言え、子供達同伴の旅行で同室にする訳にもいかず、勿論レオとマリアには別室が用意されていたが、明日にはイングランドに戻るというこの最終日の夜、レオは初めてマリアの部屋を訪れた。



 子供達も寝静まった深夜の来訪に、もう寝る用意をしていたのか、修道服では無く白いロングの寝巻きに着替えていたマリアは、少し驚いたように眉を寄せたが、それでも僅かな恥じらいを頬に見せてレオを部屋へ招き入れた。

「直ぐにお茶を……」

 綺麗に片付けられていたティーセットを用意して、微妙な空気の流れる場に少し狼狽えている様子のマリアに、レオは覚悟を決めて悲しげな黒い瞳を向けた。

「マリア、話があるんだ」

 そう切り出したレオを振り返ったマリアは、もう何処か寂しげな顔をしていた。


「今日の軍への訪問は、転属命令だった」

「転属?」

「そうだ。このスコットランドのAASへ転属だ。今年の春に」

 一気に言い切ったレオは強張った顔で口を結び、その言葉に動揺を見せたマリアは、言葉の意味を探ろうと虚ろな瞳を宙に泳がせた。

「済まない、マリア。ずっとお前を守ると約束したのに」

 レオから別離の言葉が切り出されると、泳がせていた瞳を潤ませ、マリアは悲しそうにレオを振り返った。

「此処に、貴方様の道があるのですね」

「……ああ」

 レオの決意を知ったマリアであったが、不思議とホッとしているようにも見えるその表情に、レオも顔を曇らせた。

「実は私も、貴方様に告げねばならない事があったのです。でも、どう告げていいのかずっと思い悩んでおりました」

 寂しさを纏いながらも、決然とした顔を上げたマリアの横顔は、凛々しく美しかった。

「何れ後継者が育てば貴方様のお傍に、とお約束をしたのですが、ビアンカは私の後継者ではありませんでした」

「え?」

「彼女は、次代の【守護者(パトロネス)】になられる方でした」

 そう告げたマリアに、今度はレオが戸惑った視線を泳がせた。




 自分の後継になる尼僧は何れ現れるであろう事、その前に自分は、【鍵】が望んだ平らな世界を実現するために、対立を生む危険性を孕んだ宗教界に於いて、相互理解と協調を推し進めるために行動しなければならない事、そしてその実現には、どれ程の年月を必要とするか判らない事を、マリアは自分にも言い聞かせるかのように、ゆっくりとレオに語って聞かせた。



「じゃあ、お前はまだ院を離れられないんだな」

 レオの悲哀の混じった視線を感じながら、マリアは小さく頷いた。

「きっとまだ、私達の道は交わってはいないのです。こうして近くに寄って互いを見出す事は出来ましたが、其々に進まなければならない道は、この先で、少し離れていってしまうのでしょう。でも、でもきっと、何時かはその道は再び交わり、今度こそは一つの道になって……」

「マリア!」

 レオは突き上げる衝動に駆られて駆け寄って、堪えきれずに涙を溢したマリアを背後から抱き締めた。

「きっとその日が来ると信じて、今は、自分達が成すべき事を成さねばなりません。でも」

 背後から抱き締められた腕にそっと手を寄せて、その手を取って愛おしそうに頬に寄せ、マリアは温もりを噛み締めた。

「私は誓います。私には貴方様だけだと。愛しています、貴方様を、貴方様だけを」

「マリア。俺にも誓わせてくれ。俺にもお前だけだと。必ずお前の元に戻ると」

「レオ……」

 ゆっくりと向き直ったマリアの、悲哀に溢れた茶色の瞳に自分が映っているのを見て、少し色が抜け冷たい夜気を含んだその唇に、ゆっくりと自分の唇を重ね合わせ、細い腰に廻した腕にレオは力を籠めた。


 互いに相手の全てを己の魂の底に刻みつけるかのように、激しく愛し合う二人が居た。

 再び出会う交差点が遥かに霞んで見えない今、この手の感触も、香りも、唇に触れる肌の熱さも、その全てを己の記憶に封じ込めようと火照った体で愛し合う二人に、その記憶に蓋をするかのように粉雪が静かに降り始めて、静寂の音だけが響く冷たい夜が、二人が心の中であげている慟哭を飲み込んで、ゆっくりと更けていった。










「やだ! まだ帰らない!」

 翌朝、名残を惜しむ大勢の市民に見送られ、子供達もボロボロと泣きながら帰りのバスに乗り込んだが、すっかりとスノーボードが気に入ったロドニーは、冬の間中此処に居るんだと駄々を捏ねて、夕べのうちに降り積もった真新しい雪の上で大の字になり、虚しい抵抗を見せていた。


「帰らないと、次の秋に上の学校に進級出来ないわよ?」

 冷静なエドナが、雪の上でジタバタとしているロドニーを呆れて見下ろすと、フンと脹れたロドニーは、

「別にそんなもん、どうでもいいよ!」

 と一層剥れて雪を蹴飛ばした。

「あっそ。W校に上がれば寄宿舎生活だし、そうしたら付き合ってもいいってマクニール尼僧(シスター・マクニール)が言ってたけど、どうでもいいのね」

 逆にフンと脹れたが、頬は赤くしているエドナを驚いて見上げたロドニーは、ガバッと起き直って「本当か、それ」と、少し照れてそっぽを向いているエドナの顔を、繁々と覗き込んだ。

「本当よ」

「じゃあ、W校に入ったら俺と付き合ってくれるんだな?」

「……ええ、いいわよ」

 態と剥れてそっぽを向いたままのエドナを、「やったぁ」と満面の笑顔で抱き締めたロドニーは、動揺したエドナの唇を「チュッ」と軽く奪って、意気揚々とバスに乗り込み、

「早くしろよ! 遅くなるだろ!」

 と、呆れた周りの空気にも気付かず言い放ち、フンフンと鼻歌を歌って上機嫌だった。

「……じゃあ、帰りましょうか」

 クスクスと笑ったマリアにレオも苦笑を返して、最後まで息子達との別れを惜しんでいるアシュレイ夫妻を振り返った。

 

 長男夫婦と次男夫婦、其々に産まれた孫に何度も頬擦りをして、ボロボロと泣いているアシュレイ夫妻の後姿をレオは寂しさと共に見ていたが、やがて歩み寄って、アシュレイ夫妻の背をトンと軽く掌で叩いた。

「折角結界も無くなったんだから、一緒に暮らしたらどうか?」


 レオの言葉に、そんな事思いつかなかったというように驚いた顔を見合わせたアシュレイ夫妻だったが、悲しげに目を落とし、少し躊躇った後、ベンジャミンが静かに言った。

「ずっとお世話になっている湖水でも沢山の赤ちゃんが産まれて、ここ最近は何時も人手が足りないんだ。自分達が此処に来るのも、心苦しいぐらいで」

 ベンジャミンの告白に嘆息をついたレオは、それでも真っ直ぐに夫妻を見つめ返した。

「気持ちは分かるが、今お前達の目の前に居るのは愛する息子夫婦とお前達が守るべき孫達だ。湖水には、見守ってくれる奴らが大勢居る。ハルトンもそうだし、聖システィーナもだ。あの場所は政府からも特別に守られている。折角、この子達には本当のグランマとグランパが居るんだ。孫達の笑顔と共に暮らしたいと思わないか?」

「そうだよ! 父さん、母さん。一緒に暮らそう」

「だが」

 まだ戸惑っているベンジャミンに、長男ジェドは明るく笑った。

「俺達の将来を考えて、スコットランドに残る道を父さんも母さんも許してくれた。俺達のどちらかがカークブライドに戻っていたら、今頃はきっと、生きてはいなかっただろう。恩返しがしたいんだ。俺達に恩返しさせてくれないか、父さん母さん」

 泣き崩れたオルコットを次男ヒューバートが優しく抱き止めた。

「幸い、俺と兄さんは家も隣同士だし、両方を行き来してくれればいい。久しぶりに食べた母さんのバノック、本当に美味しかった。あの味を、この子にも味わわせてやりたいんだ」

 泣きながら肩を寄せ合う親子を、涙を浮かべたマリアが見守っているのを見ながら、レオは内心の苦笑を飲み込んで笑顔を浮かべていた。


 ――きっとケビックからはどやされるな。


「湖水への移住希望者はまだまだ多いのです。戻ったらクリス様に相談しましょう」

 レオの内心を見抜いているかのように微笑んだマリアに、レオは「ああ」と頷いた。

 夫妻を歓迎する市民達が幸せな親子に笑顔で歩み寄り、励ましの声を掛けているのを眺めながら、自分の事のように胸が温かくなるのを感じて、レオも自然に顔が綻んでいた。

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