第八章 第四話
グレンシーで三泊し、心行くまでウィンタースポーツを堪能した一行は、二十九日の夕暮れに、またエディンバラへと戻ってきた。
翌日には、もう元気を取り戻した子供達に動物園で連れ回され、エディンバラの市内観光に出掛ければ、アチコチで市民に呼び止められて、創業数百年というキルト屋に招かれた一行は、特別に用意したという子供達用の特製のキルトを贈られた。
「スースーする! すごいスースーする!」
生まれて初めてスカート状のものを穿いたロドニーが、頼りなく感じる足元を恥ずかしそうに寄せ、大騒ぎしているのを皆で大笑いしたが、何時も強気なロドニーも流石に意地を張れないのか、顔を真っ赤にして俯いていた。
「これは、ヴァージン諸島の子供達用の特別な模様だよ」
と店長に笑顔で教えられた、南国の明るい海の色マリンブルーを基調とした独特のタータンを、女の子達はとても気に入ったようで、嬉しそうに顔を綻ばせながら笑い合っていた。
翌日の大晦日の夜は、ホグマネイと呼ばれる、スコットランドの一年で最大の祭りの夜で、夜も更けたと言うのに、エディンバラの中心街は人で溢れていた。
松明を翳した行列が眼下のプリンセスロードを埋め尽くしている光景を、目を丸くして振り返っている子供達は、議長に招待されてエディンバラ城近くの特別観覧席に居て、たっぷりとお昼寝をして英気を養った子供達は、もう午前0時が近いというのに、皆明るく元気だった。
「ぎちょうさん、花火ってどんなの?」
モコモコのピンク色のダウンジャケットと白い毛糸の帽子、同じ白い毛糸のマフラーをグルグル巻きにして、昨日靴屋から贈られたピンク色のフワフワとしたブーツをビアンカは気に入ったようで、上機嫌で足をブラブラとさせながら、僅かに覗いた隙間から大きな青い瞳で議長を見上げると、議長は白い息を吐きながら嬉しそうにカラカラと笑った。
「見てみると分かるよ、ビアンカ。とっても綺麗なんだ」
「終わりましたら、直ぐに車へ。裏通りは交通を規制してありますので、群集に巻き込まれずにホテルへ戻れるでしょう」
新年の祝詞を述べるアーサー牧師は正装で、分厚いコートも無い姿は見るからに寒そうだったが、それでも微笑んでマリアを促し、今日は帽子まで正装の軍服のレオは、立てたコートの襟を寄せて、底冷えのする寒波の中、同じ様に白い息を吐きながら疑問を呈した。
「そんなに凄いんですか」
レオの問いにアーサー牧師は苦笑を返した。
「新年の0時に祝砲が鳴らされ花火が打ち上がりますと、市民達は互いに手を繋ぎ合って、『Auld Lang Syne』という歌を歌うのですよ」
「それじゃあ、まぁ普通の祭のようだが」
怪訝そうなレオに、「それが」とアーサー牧師は苦笑いした。
「路上では、新年になると誰彼構わずにキスをしていい事になっているので、その中に子供達やバーグマン尼僧様が巻き込まれると、大変な事になろうかと」
「え! 誰にでもキスしていいのか!」
目をまん丸にして輝かせたロドニーを、隣のエドナが怒り爆発で腕を抓って、「いてぇ!」と大声を上げたロドニーは恨めしそうな顔でエドナを横目で睨んだが、フンと不機嫌そうにそっぽを向いたエドナが少し顔を赤くしているのを、マリアは微笑ましく見守った。
ロドニーが一方的に婚約宣言をしたあの日以来、一応は仲直りをしたエドナとロドニーの間は、それまでと変わらず姉と弟のようであった。
だが、十二歳になったロドニーの身長が、自分と殆ど変わらなくなってきたのを、エドナは複雑な思いで見ているようだった。
子供達の最年長として、親のように姉のように、子供達を守ってきたエドナは、その所為か他の子供達に比べると精神年齢は高く、常に自分を抑圧しているのではないかとマリアは感じていた。
エドナにも、普通の少女のように過ごさせたいと願っていたが、まだエドナに甘える子供達も多くて、自然と姉のように接しているエドナを見るにつけ、自分達がエドナの甘えを受け止める存在にはなっていないのを、マリアは常に心苦しく思っていた。
まだ少年っぽさが残っているロドニーだったが、此処のところ、時折エドナを庇う素振りを見せているのを、毎日の子供達の様子を注意深く見守っている尼僧達からの報告でマリアは聞いていた。
ロドニーも精神的に成長していて、きっと何時かは、ロドニーがエドナを受け止める存在になるんだろうと、まだぎこちない二人がこのまま真っ直ぐに成長してくれればと、マリアは願っていた。
だが、明日にでもエドナと結婚したくて鼻息の荒いロドニーに、「まだ勉強が先です」と諭しているマリアには、幼い二人の恋心が何処まで進んでいるのかまでは、伝わってはいなかった。
冷たい夜気に響くバグパイプの演奏を皮切りに、鐘の音と同時に祝砲が鳴らされ、そして規模は大分小さくなったとは言え、一斉に色とりどりの花火が打ち上げられると、星の瞬く夜空に開く大輪の花に、子供達は歓声を上げて目を輝かせた。
「すごーい! きれい!」
「ヤッホー!」
「音が大きいよ!」
きゃあきゃあと笑い合う子供達は、初めて見る花火に大興奮で、次々と夜空を彩る音と光の饗宴に大満足したようであった。
歌の合唱が始まると、子供達も見よう見真似で隣の人と手を繋ぎ合って、歌詞が全く分からなくてもニコニコと笑っていた。
その歌詞を知っているマリアが、綺麗な声で歌っているのを聞きながら、レオもマリアと繋いだ手にこっそりと力を籠めて、スラム育ちでも知っているこの歌を、恥ずかしそうに小さく呟いていた。
「新年おめでとう!」
ニコニコと笑った議長が、隣のビアンカの頬に嬉しそうにキスをして、きゃあと恥ずかしそうに笑ったビアンカも、議長の白い髭に埋まった頬に小さくキスを返した。
辺りの大人達が、にこやかな顔で頬にキスを交わ合っているのを、落ち着かなさげにグルグル見回していたロドニーは、ようやく決意を固めたのか、隣のエドナの肩に緊張した両手を置いて、そのままエドナを振り向かせ、目の前の驚いた顔をしているその小さな唇を奪って体ごと抱き締めた。
最初は目を丸くしていたエドナだったが、全身で抱き締めてくるロドニーを受け止めるように静かに目を閉じ、世界に二人だけしか存在していないかのように、小さな恋人達は唇を重ね合っていた。
「おやおや」
苦笑した議長が笑みを漏らし、頬を赤らめたマリアは止めようと手を伸ばし掛けたが、その手をレオがそっと押えた。
「でも」
「いいんだ。きっと俺達が思うよりも、子供達は成長しているんだ。それを見守るのも、俺達の役目だ」
戸惑うマリアにレオが優しく微笑み掛けると、黙ってレオを見上げていたビアンカがフッと鼻で笑った。
「レオも成長したわね」
「言ったな、コイツ」
悪態に苦笑したレオは、ビアンカを両手で掴み上げた。
もう七歳児とは言え、赤子の頃より栄養不足で育ったビアンカは、まだ四~五歳児ぐらいの大きさしか無く、易々と持ち上げたレオが肩より高く差し伸べて、テントの天井にまで着きそうな勢いで持ち上げると、ビアンカはまた子供らしい表情に戻り、きゃあきゃあと楽しそうに笑った。
そして、レオはビアンカを軽々と肩に乗せて、まだ二人の世界に入ってうっとりとキスをしている小さな恋人達の頭を其々ポンポンと叩いた。
「おい、そろそろ帰るぞ。その大事な恋人の唇を狙って、大勢此処へ押し寄せようとしてるからな」
エディンバラ城下の沿道では、大騒ぎの群集が子供達とも新年を祝おうと、この場所にも押し掛けようとしていて、用意された車にパタパタと駆け出した子供達を追って、苦笑しているマリアを促し肩の上で上機嫌なビアンカを抱いて、また新しい希望の年を迎えたエディンバラの街が賑わっているのを見ながら、レオはゆっくりと歩いて行った。




