第七章 第二話
迎えにきたSASの車に乗って、湖水へ帰っていく二組の一家を見送って、シドとジャスミンの二人は、修道院の門前で何時までも名残惜しそうに手を振り続けていた。
「ケビックも、シスルとガブに逢いたいんじゃない?」
何時までも立ち尽くしている二人の背中を見ながら、クリスが隣のケビックにクスッと笑い掛けると、ケビックはフンと鼻で笑った。
ケビックにも、この八月に第一子である長男ガブリエルが誕生していたが、多忙なケビックは湖水に居ない事のほうが多く、たまに戻って我が子を抱き上げる時には、何時もの皮肉屋の顔も消え失せ、目尻が下がっているのを隠して強がってみせた。
「俺は仕事第一だからな。尤もシスルの奴、最近はガブばっかりでちっとも俺の事を構いやしねぇ。帰ったら苛め抜いてやる」
不満げに口を尖らせたケビックに、同じ様に最近子供が産まれて同様にほったらかしにされているクリスは笑みを溢したが、聞いていたシドは慌てて「おいおい」と振り返った。
「尋常じゃないぞ、ケビック。嫁は大事にしないと」
「何だよ、ベッドでに決まってるだろ」
顔色も変えず平然とケビックは言い放ち、ジャスミンは「まぁ」と顔を赤くして、マリアも聞いてなかった風を装って顔を俯けたが、その顔は真っ赤になっていた。
「おいおい、淑女が居るんだから、慎めよ」
呆れながらもシドはカラカラと笑いながらケビックの肩を叩いた。
「じゃあ、今夜はウチに泊まっていくんだろ? ジャスミンが君の好きなステーキキドニーパイを作ろうかって」
まだ会議の予定があって帰れないケビックはその言葉に目を輝かせたが、悔しそうに歯噛みして不機嫌極まりない顔で呟いた。
「それが、この後はロンドンに戻ってからエドガーと打ち合わせで、その後は首相に面会だ。ソフィーとも打ち合わせせにゃならんから、今日はロンドン泊まりだ」
恨めしそうな顔のケビックに、ジャスミンは残念そうにため息をついた。
「また今度、泊まっていって頂戴。その時には用意するわ」
ケビックの言葉通り、全ての子供達を自分の子供のように愛するジャスミンが、ケビックにも母の慈愛を滲ませてゆったりと笑うと、ケビックも「是非」と顔を綻ばせた。
「じゃあ、車どうすんだ。お前の車はまだ、バッテリー不足だぞ。送っていこうか?」
シドが心配そうにケビックの顔を覗き込んだ時に、背後から車のクラクションが鳴り、修道院前に居た一同が一斉に振り返った。
「Mr.ケビック・リンステッド、ロンドンまでの送迎を命じられ参上仕りました」
「何だよ、レオか。つうか、お前がワイアット達を湖水まで送って行くんじゃなかったのか」
降り立ったレオが、敬礼を返して一応は丁寧に挨拶すると、もうすっかりと顔見知りとなったレオに、ケビックは何時もの横柄さで不平を溢し、レオはポリポリと頭を掻いて「済まん」と照れ臭そうに詫びた。
「別件が入ってな。それでロンドンまで打ち合わせに行くんだが、さっきクリスから『ケビックの車の事忘れてた』って連絡が来てな。ついでに拾っていくよう命が下ったんだ」
「ついでかよ」
剥れたケビックにレオは苦笑いしたが、潤んだ瞳で見上げているマリアに視線を送って、笑みを浮かべてゆったりと頷いた。
「じゃあ今度『爺の会』がある時には、俺も少尉殿に送ってもらうかな」
シドがレオにニコニコと笑うと、ケビックは「何だそりゃ」と、シドを振り返った。
「君の言ってた、文字通り祖父の気持ちで大勢の孫達を見守る会だ。クラークがやろうって言い出してな」
ユアンの父であり、湖水の近くにあるハルトン村の村長でもあるクラーク・ラッシュは、シド同様にヴィエリの祖父でもあったが、自分の孫以外の赤ちゃんも溺愛していて、その子供達全ての成長を見守る『爺の会』を設立したんだ、とシドは楽しそうに笑った。
「あの爺、本当にそういうのが好きだな」
嘗て過去世で、ニナ・シニアを守る『ニナの親父の会』を作った事もあったクラークが、意気盛んに気炎を上げながら叫んでいる姿を想像して、ケビックが呆れて呟いた。
「俺とクラークだけじゃないぞ。テディとマーカス、ボブ、それにサヴァイアー大佐殿も会員だ。みんな張り切ってるぞ」
一層楽しそうなシドに、レオもクスッと笑って言った。
「大佐殿も、これからはちょくちょく湖水に行くと言ってたから、大層賑やかになるだろうな」
「ちょくちょく?」
多忙なフリゲート艦長である大佐を思ってクリスが不思議そうに首を傾げると、レオはにこやかに笑った。
「もう発表になるが、大佐殿が来年船を降りられる事になったんだ。将官に昇進されて、近いうちに国防大臣を引き受けられるだろう」
「やっとか! 大佐は『現場が第一だ』ってんで何年も固辞してたからな。これで我が国の国防は安泰だ」
内情を知るケビックがその一報に顔を紅潮させて喜びを表すと、レオも「ああ」とゆったりと頷いた。
「じゃあ、後継はコンラッドか?」
「いや、アイツは、どうしても『エクセター』に乗りたいらしい。来年役に戻る前に、佐官になるべく今珍しく必死になって真面目にやってる」
マリアの実兄である海軍のコンラッド・アデス大尉は最近大尉になったばかりだが、太陽光化を終え来秋、役に復帰するフリゲート『エクセター』の艦長を目指し、最低でも佐官という目標をクリアするべく、恐ろしいほど真面目に任に取り組んでおり、妻ローラの両親と、自分の祖父パーシバルが暮らすデボンポートを母港とする『エクセター』に乗って、矍鑠とした祖父がまだ元気なうちに家族で暮らしたいのだろうと、レオは小さく笑った。
自分と同じように家族の絆というものに縁が無く、孤独に生きてきたコンラッドが、最愛の妻を得て来年初めには第一子も誕生し、長年捜し求めていた妹マリアを見出した上に、自分達の事を愛して止まなかった祖父の存在も知る事となり、それまで失っていた家族との絆に満ちた日々をコンラッドに送らせてやりたいと願っているレオも、彼の奮闘を静かに見守っていた。
一方の自分は変わらず今も独りで、マリアとの間に越えられない壁が立ちはだかっているのを感じていたが、何時か時が満ちるのを待つしかないと、今はそれでも修道尼であるマリアの傍にいられる事に、僅かな喜びを見出していた。
フンフンと機嫌良さそうな顔になったケビックだったが、シドは意地悪そうに顔を覗き込んだ。
「大佐殿がちょくちょく湖水に来て下さるなら、余りシスルの事を苛められないな、ケビック」
「う……」
傍若無人を絵に描いたようなケビックでも、妻シスルの父であり、温厚な人格者であるサヴァイアー大佐には流石に無礼を働くわけにもいかず、困惑して眉を顰めたケビックを、シドはカラカラと笑い飛ばして肩をバンバンと叩いた。
「クソッ! じゃあ、恋人達の絆の時間を邪魔してやることにするかな。さっさと行こうぜ、レオ」
二人が遣り合っている間、互いに見つめ合っていたレオとマリアを一瞥して、ケビックはフンと面白くなさそうなため息をつくと、一同に軽く手を振って、もう車に向かって一人さっさと歩き出し、その後ろ姿に苦笑いしながらも、レオは軍人らしくその場の全員に敬礼を返して、「では、また」と短く挨拶した。
ロンドンへ向けて去って行く二人を乗せた車を、何時までも少し寂しそうにじっと目で追っているマリアに、
「次の彼の休暇に、お茶に招待しましょうか」
と、クリスが穏やかな顔で微笑み掛けると、少し赤らんだ頬で、マリアは「ええ」と笑みを浮かべて嬉しそうに小さく俯いた。




