第三章 第二話
翌日、第一会議室に集合させられた第二十二SAS連隊A部隊の一同は、部隊長バイロン・マクダウェル中佐に向かい、副長であるバート・ミルズ中尉を筆頭に総勢三十名が隊を組み、一斉にビシッと敬礼を返したまま整列をしていた。
その中には、一昨日レオが殴ったニックス・ベック二等准尉も、もう一人の先輩兵士も居たが、最初にチラリとレオに敵意の篭った視線を投げただけで絡んでこようとはしなかった。
コツコツと靴音を立てて、中央に歩み寄ったマクダウェル中佐が正面に立つと、また一斉に敬礼を外した部隊員達は直立不動の姿勢で部隊長に向き合った。
「さて、諸君。知っての通り間もなく世界は『発動』を迎える」
ここで一同をじっと眺め渡した中佐は、一度レオに目を止めて、また徐に話し始めた。
「だが先日の事だが、英国コミュニティ会議臨時会議に出席されたスコットランドの【守護者】及びスコットランド議会議長を乗せた車列が襲撃に遭うという事件が起きた。場所は中部ノースウエストイングランドのウォリントン北部二十km、M6ハイウェイ上だ。【守護者】が同乗していたため、結界を張り難を逃れたが、襲撃犯は小銃を所持していたとのことだ」
銃という言葉に少し部隊がざわめいた。
連邦が崩壊して既に四年経過した今、一般人が銃を所持している可能性が極めて低いからだ。レオも小さく眉を寄せて考えた。
【核】と【鍵】が湖水の安全地帯に保護され、旧連邦議長の声明でそれまでの紛争が一応の解決を見ると、英国も自国内の治安維持に全力を傾けた。
まず警察署に保管された銃器所持者リストを洗いざらい調べ上げ一般人より銃を取り上げ、機能崩壊した各警察署及び銃器店も全て閉鎖して、全ての銃及び弾薬の在庫を軍で徴収した。
それによりブラックルートから銃を手に入れていた一部の闇社会の人間以外には、一般人には銃も弾丸も残っていない筈だった。
確かに、自分がハルトン村付近で【核】を殺そうと襲った時にも、既にもう銃を入手を出来なかった事を思い出したレオは、それからまだ一年も経っていない事に気付いて、改めて今此処に居る自分に驚いて小さく苦笑した。
「部隊長殿、それは、襲撃犯が軍関係者の可能性がある、という事でしょうか」
副長のミルズ中尉が、心配そうにマクダウェル中佐に訊ねると、中佐は小さく眉を寄せた。
「詳細は不明だ。現在陸海空全ての軍に対し、近年除隊した者又は脱走した者の中で、銃器を持ち出せる可能性がある者が居ないか、調べさせている」
軍が絡んでいるとなると、厄介だなとレオも思った。
「でも、部隊長殿。【守護者】か番人が一帯に結界を張って、全て海に弾き出せば済む事なのではないでしょうか」
言い難そうに口をモゴモゴさせながら発言したのは、ベック二等准尉だった。
切れた口元には傷テープが貼り付けられて、腫れ上がった唇で、歯抜けの口の中を見られないよう口を開けずに話すので、不自然なモゴモゴとした口調になっているのを見て、レオは内心に浮かんだ嘲笑を悟られないよう、表情を変えないように気をつけて一瞥した視線を逸らした。
「まぁそれで済めば、わざわざ我々が出張る必要はないんだがな」
可笑しそうな笑みを浮かべた中佐だったが、直ぐに真顔になった。
「このベルト地帯と呼ばれる結界外区域には、結界内には入れないが暴虐を働く事無く日々を誠実に送り続けている人間も居るんだ。その理由は様々だ。結界に入れない者、そして生まれ育ったその地を離れたくない者。結界は彼らをも弾く事になるので使えない」
「でも、結界にも入れない人間ですよ? どうせ、この先の世界に不要な人間なのですから、戦闘になって負傷者が出るリスクよりも、彼らを排除しても襲撃犯を弾く事の方が、理にかなっているんではないでしょうか」
違う、とレオは声を上げそうになった。
【鍵】はそんな事望んじゃいない。全ての命が生き永らえる事を望んでいるんだ、と叫びそうになったレオに、中佐がほんの僅かに視線を向けているのに気付いた。
「……確かにリスクは有る。だが、そのリスクを負ってでも国民を守るのが我々の使命だ。そして、貴君が排除して構わないと言っている彼らも、我ら英国の国民なのだよ」
マクダウェル中佐の低い声が会議室に響き渡り、しんとした室内に静かな空気が流れているのを、レオは中佐の声を胸に留めながら感じていた。
顔を上げて部隊の仲間達の顔を見回した時、中佐の言葉に反発を感じているような表情の者は殆ど居なかった。
発言したベック二等准尉も、少し俯き加減で唇を噛んでいるのを見ると、少しは自分の発言を恥じ入ったらしいと察してレオは安堵した。
「出発は明後日。任期は襲撃犯を捕らえるまで。全員心して任務を遂行せよ!」
「了解しました!」
マクダウェル中佐の檄に全員が声を揃えて敬礼を返し、同じ様に敬礼を返したマクダウェル中佐は、口元に満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
出発を明日に控えた翌日の午後は休暇となり、レオは久しぶりに聖システィーナを訪れた。
嬉しそうに出迎えたマリアの頬が薄っすら紅を帯びて、キラキラとした光が浮かんだ美しい茶色の瞳が潤んでいるのを見て、レオは安心して穏やかに微笑んだ。
「お忙しい中、お越し下さってありがとうございます」
それでも丁寧な口調が直らないマリアに、ちょっと苦笑したレオだったが、「ああ」と頷いて照れ臭そうにずっとマリアを見ていた。
これだけでもいい、とレオは思った。こうして穏やかに微笑んでいるマリアを見ているだけで、自分の心も凪いで、木漏れ日が差すように暖かく穏やかな気持ちになれると、しみじみと思っていた。
「何しにきたんだよ!」
突然目の前に金髪が揺れて、プクッと頬を膨らませたロドニーが不満そうにレオを見上げているのに気付いて、レオはクスッと笑みを漏らした。
「好きな人に会いに来て悪いか」
平然と言い放ったレオに一層剥れたロドニーと、顔を真っ赤にして俯いてしまったマリアを見て、レオは楽しそうに笑った。
通された執務室で、午後のひと時をゆっくりマリアと過ごそうと思っていたレオだったが、其処には先客が居た。
「よぉ。やっぱり来たか」
ニヤリと笑って振り返ったのは、英国海軍のコンラッド・アデス中尉だった。
マリアの実兄であるこの男とは幾度かの因縁を超えて、今はレオが目標とし生涯の好敵手と思っている人物だった。
「何でお前が居るんだよ」
途端に不機嫌になったレオを見て、コンラッドはしてやったりとカラカラと笑った。
「SASが、今回の襲撃犯の掃討に出張ると聞いたんでな。きっと出掛ける前に、マリアに会いに来ると思ったんだ。ローラと賭けたんだが、俺の勝ちだな」
フフンと笑ったコンラッドにレオは益々憮然としたが、同じ様にムスッとした顔をしていたロドニーがコンラッドに向かって、
「何でローラを連れて来ないんだよ!」
と怒鳴ると、コンラッドもムッとして言い返した。
「アイツは、今日は勤務なんだよ」
「じゃあお前も働けよ! ローラばっかり働かせるな!」
ロドニーの悪態に、コンラッドもブスッとした表情になったが、このやり取りを可笑しそうにクスクスと笑っている、金髪で長身の男二人がこの場に居るのに気付いて、レオがチラリと視線を送ると、気付いたマリアが微笑んで彼らを紹介した。
「こちらのお二方は湖水の番人の方で、Mr.スティーブ・フェアフィールドとMr.サミュエル・ニールセン、今回は治療のために湖水からおいでになって、明日帰られるところなのです」
見たことある男と聞いた事のある苗字だとレオが考え込んでいると、スックと立ち上がった方の男が、少し目尻の下がった青い瞳に笑みを浮かべてニコニコと挨拶をした。
「貴方はアレックス・ザイア軍曹でしょう? 僕は、スティーブ・フェアフィールド、国立中央病院で医師をしています。尤も本業は湖水の診療所の医師なんだけど」
仔犬のような優しげな顔を見て、レオは「ああ」と思い出した。マリアの診察で病院に行った時に、白衣を着て立っていた若い医師の一人だったと思い出して、レオは差し出された右手を握り返した。
「で、彼がサミュエル・ニールセン。僕らの仲間で『アルカディア』で獣医をしています。ジニアの、旧姓ジニア・スティーブンソンの夫です」
変わらずにニコニコとしているスティーブだったが、レオはその言葉に、杖をつきながらソファに座って、レオを穏やかに見上げている長身の金髪の男を振り返った。
――彼女の、彼女の夫なのか。
ジニア・ニールセンは、嘗て自分が【核】と誤認して、殺そうとした女性だった。
もう少しで殺せるというところで、レオは張られた結界により、英国の中部からブリテン島南のイギリス海峡まで弾かれて、海上で浮いていたところを、このコンラッドの乗ったフリゲートに救助されたのだった。
「僕はあの時、君に会っているんだ。橋の反対側からね」
静かに微笑んでいるサミュエルに、レオは驚愕した瞳を震わせたまま、弾かれたように頭を下げて叫んでいた。
「申し訳ありませんでした!」
嘗て自分が殺そうとした女性の夫に頭を下げながら、これは運命の偶然の悪戯なんだろうか、それともと、ドクドク鳴る鼓動を抑えようと、レオは必死で唇を噛み締めていた。
「頭を上げて下さい、ザイア軍曹殿。君は改心して今は立派な軍人になったと聞いてる」
穏やかな声に、レオは静かに顔を上げた。
「それにある意味、君は僕の恩人なのかもしれない」
そう言って笑ったサミュエルにレオは怪訝そうな顔を向けた。
「あの時、一人で君達に向かっていったジニアを僕は追えなかった。この左足は動かないんだ。彼女の足手纏いになるだけだと分かっていたから、追えなかった。しかし僕は彼女を守るためだけに生きてきた。中々その現実を受け止められなくてね」
サミュエルは苦笑を浮かべて少し俯いたが、レオは立ったまま、苦しそうな顔を向けるだけだった。
「だから僕は決心した。元通りの足を取り戻して、また彼女を守るんだと。その背を押してくれたのは君だからね」
穏やかに笑っているサミュエルの言葉に、レオはどう返していいのか分からなかった。
「……それも、宿命なのでしょう」
静まり返った場でポツリとマリアが呟き、レオは静かにマリアを振り返った。
「絡み合いもつれ合っていた因縁の糸が、今解かれつつあるのです。最後の局面、『発動』に向かって。其処には何世代にも亘る因縁も、こうして目に見える形で目の前に存在する因縁もあるのです。でも、今全てが明らかになりつつある今、それは全て良き未来に繋がる為の、いいえ、繋げるための定められたレールのような物ではないでしょうか」
「繋げるため?」
訥々と話すマリアの言葉にレオが小さく首を傾げると、マリアは天上の微笑みで頷いた。
「そう、【鍵】が望んだ、穏やかで差別も区別も無い世界に」
そうか、とレオは思った。一見遠い過去をバラバラに生きてきたように見えるこの執務室内に居る人間達も、【鍵】を通して繋がっているのだ、とレオは思った。
恐らく同じ様に感じているであろう一同が、マリア・バーグマン尼僧の言葉にゆっくりと頷くと、レオの心にまた凪ぎの風が吹いて暖かい木漏れ日が戻ってきた。




