第二章 第三話
部隊に配属されたレオに課せられたのは、またしても訓練だった。
しかしそれは、デボンポート海軍訓練校での訓練がお遊びだったのかと思わせるほどの過酷なものであったが、屈強な体力と強靭な意志で、レオはその訓練についていった。
先輩兵士達が、根を上げてへたり込んでいる時でさえ、荒い息をしながらもレオは立ち上がっていた。
――俺は座り込んでなんかいられないんだ。
社会から弾かれて無き者とされた自分が、今一度チャンスを与えられてスタートラインに立った以上、また其処から転げ落ちる事は許されなかった。
自分が殺めた人達も許さないだろうし、何よりも、自分が自分を許せなかった。この境遇に甘える事を、自分自身に許す事が出来なかった。這い蹲って泥を舐めたとしても、もう自分は決して人外には堕ちないと、レオは固く決意をしていた。
そんな日々が始まって直ぐに、レオは呼び出しを受けた。
「アレックス・ザイア軍曹。本日はポーツマス海軍基地へ出頭せよ」
「海軍へ?」
「そうだ。サヴァイアー大佐殿がお呼びだ。至急、出立せよ」
淡々と命令を下すマクダウェル中佐に敬礼を返しながらも、怪訝そうな顔をしたレオを中佐は小さく笑った。
「アデス中尉殿に鉢合わせしないよう気をつけろよ。まぁ、殺されたら骨は拾ってやる」
「ご冗談を」
「冗談だ。早く行け」
笑ったマクダウェル中佐にレオは敬礼を返して、それでも内心の困惑は隠せなかった。
その送迎を担当する若い兵士に「済まんな」と声を掛けたレオに、兵士は敬礼を返して「いえ」と小さく返事をした。
「車の運転なら、幾らでもした事はあるんだが、生憎免許を持ってないんでな」
「来月にも実技試験があるそうです。その際に、正式な免許が発行されるでしょう」
機敏な動きで運転席に乗り込みながら、若い兵士は背後のレオを振り返った。
「五分程で到着します」
「宜しく頼む」
走り出した車の中で、あの大佐が俺に一体何の用なんだろうかと、レオは内心に不安を抱えて西へと向かった。
海軍の指令本部はポーツマス港の直ぐ脇に、灰色の影を落として威風堂々と鎮座していた。
案内の兵士に連れられ、佐官フロアのサヴァイアー大佐の部屋をノックしたレオが「陸軍第二十二SAS連隊A部隊、軍曹アレックス・ザイア、入ります」と声を掛けると、「入れ」と、久しぶりに聞く大佐の声がした。
「失礼します」
ドアを開けたレオの目の前、大きな樫の机の前にゆったりと腰を掛けたサヴァイアー大佐が、変わらない切れ長の黒い瞳に光を浮かべて、静かに微笑んでいた。
勧められたソファに腰を下ろしたレオが、正面に座った大佐に、背筋を伸ばしたままの姿勢で、
「本日はどのようなご用件でしょうか」
と訊ねると大佐はプッと吹き出して、少し眉を動かしたレオに、大佐はニコニコと微笑んだ。
「ああ、すまん。随分とまぁ人が変わったものだと思ってな。悪く思わないでくれ。今日は、君に是非謝りたいという人間が居てな。それでご足労願った。本来はそちらへ伺うべきなんだろうが、色々と面倒があってな」
大佐は笑いながらレオの顔を覗き込んだ。
「うむ。いい面構えになったな」
「……恐れ入ります」
大佐の真意を計り兼ねて、戸惑った返事を返したレオだったが、サヴァイアー大佐はそれでも嬉しそうだった。
「コンラッド・アデス、参上仕りました。入ります」
それから程なくして、ノックの音と共に聞こえてきたのは、あの中尉の声だった。
謝りたい人間という言葉で察していたレオだったが、本当に来るとは思わず、ドアが開くと同時に立ち上がったレオは、入ってきたアデス中尉に向かって敬礼を返していた。
その様子に一瞬驚いた顔をしたコンラッドだったが、ゆっくりと敬礼を返すとニヤリと笑った。
「久しぶりだな、訓練番号百二十三番。いや、アレックス・ザイア軍曹」
「お久しぶりです。アデス中尉殿」
互いに目を合わせた二人であったが、其処にはもう漂う緊迫感は無かった。
中尉に続いてコンラッドの妻ローラ・アデス准尉も入って来て、二人は大佐が席を空けたソファの、レオの前に陣取った。
「貴君の上申書のお陰で自分の処分が軽減されて、一週間で謹慎が解かれた。貴君のご配慮に感謝する」
アデス中尉が任務中らしい厳格な面持ちでレオに語り掛けると、レオは俯いて頭を振った。
「いえ。元はと言えば、自分の暴言が発端ですから」
「まぁそうだよな」
突然くだけた様子になったコンラッドは、ニヤリと笑った。
「ちょっと、まだ任務中よ」
眉を顰めて叱責したローラも、普段の口調に戻っていて、それに気付いたコンラッドがローラをチラリと横目で見た。
「アデス准尉、何か」
「ったく。アデス中尉殿、此処は軍指令本部内であります。言動にご注意されたし」
ブツブツと言い直したローラに、コンラッドは呆気に取られているレオを置き去りにしてカラカラと笑った。
「まぁ、そういうわけだ。残念ながら、貴君は本船への配属はならなかったが、SASでその威力を是非発揮してくれたまえ」
「了解しました」
困惑しながらも返答したレオに、コンラッドは更に笑い掛けた。
「俺が謹慎を食らってんのに、コイツはのんびりとスコットランド旅行だぜ。新婚の俺を置いてな」
「ちょっと。あれは任務の一環だったでしょ。それに、男となんか親しくなってないわよ」
「どうだかな。湖水に居るのも皆いい男だって聞いてるしな」
面白くなさそうにポリポリと耳を掻いたコンラッドに、ローラはムッとした顔で食いついた。
「あそこは皆既婚者よ。それにアーサー牧師だって聖職者よ」
「聖職者だって、色事に興味が無いとは限らないだろ? 尼僧とかもさ」
目の前で痴話喧嘩を始めた二人をポカンと見ていたレオの存在も気に留めず、サヴァイアー大佐が、「まぁまぁ」と笑って二人を取り成したが、それすらも無視してローラは口を尖らせた。
「失礼ね。尼僧だって聖人よ。一緒に過ごせば分かるわよ。魂の底から清らかな空気を感じるもの。名前だってマリアだし」
「マリア?」
膨れながら呟いたローラの一言に、コンラッドは怪訝そうな顔を向けた。
「ああ、そうね。貴方の妹と同じ名前だし、年齢も一緒だったわ。二十四歳ですって。でも、尼僧は赤ちゃんの時から聖システィーナに居るそうだから」
コンラッドの疑念に気付いたローラが、困惑した顔でその誤解を正したが、コンラッドは眉を寄せて考え込んでいた。
「そう言えば、バーグマンに聞き覚えがあるんだが……」
もう目の前のレオは全く視界には入らないようで、立ち上がってウロウロと歩き廻っているコンラッドに、レオは自分はどうしたらいいのかと困惑した視線を投げていた。
「ちょっと。謝りに来たんだから、ちゃんと……」
「そうだ! バーグマン、バーグマンだった!」
レオの困惑を察してローラが咎める声を掛けた瞬間、何かに気付いたコンラッドが、紅潮した頬で空に向かって叫んだ。
「バーグマンは俺の母親の旧姓だ。俺の母方の祖父母がバーグマンだった」
興奮した顔で、まだウロウロと歩いているコンラッドに、大佐が小さく目を細めて声を掛けた。
「アデス中尉、それは本当か」
大佐に向き直ったコンラッドは、ビシッと敬礼を返して軍人の顔に戻った。
「はっ。間違いありません。当初自分達の保護を命じられ拒否した母方の祖父母が、バーグマン姓でありました」
「ふむ。一度聖システィーナ修道院に確認しよう」
そのやり取りを見ていて、レオは困惑しか感じなかった。
たかが一兵士の個人的な事に、何故大佐が其処まで心を砕くのか、レオには分からず呆然と呟いた。
「何故、一個人の私的な事で其処まで……」
その言葉にレオに視線を送った大佐は、黒い瞳に笑みを浮かべて答えた。
「それはな。皆、救うべき命だからだ。このコンラッドも、そして妹君もだ。そして、それはお前も一緒だ。お前を救えとハドリーが、【鍵】が俺達に命じた。【鍵】は、人としてあるべき姿を、俺達に自らの姿勢で指し示したんだ」
サヴァイアー大佐が、コンラッドが、ローラがレオを振り返って見ていた。
「上は聖職者から、下は俺達のような元虫けらの底辺まで、誰一人欠ける事も無く、未来を紡いでいくんだ。それが【核】と【鍵】の願いであり、俺達の使命だ」
静かに語るコンラッドの緑の瞳を、レオは立ち上がり黙って見つめていた。




