第二章 第二話
デボンポートからポーツマスへと向かう車中から、物憂げに外を眺めていたレオは、破壊されて廃墟となった中核都市や、辛うじてコミュニティを保っているらしい小さな村々などが交互に点在し、最近は通る事の無くなった車の音に驚いたのか、顔を上げて不思議そうに眺めている羊の群れの姿を目にして、細々とながらも期待を繋いで生きている人間が居るのを知って、安堵している自分に少し驚きながら、通り過ぎる風景を眺めていた。
「ザイア軍曹殿。間もなく聖システィーナ結界境界です。念の為に減速して通行します」
車を運転している若い兵士が後ろを振り返らずに報告すると、
「ああ。もし俺が車から放り出されたら、そのままデボンポートに戻ってくれ」
と、自嘲を籠めてレオは呟いた。
それもいい、とレオは思っていた。あの少尉殿の部下として働くのも悪くないと思っている自分に呆れて、レオは小さく笑った。
ポーツマスの手前で減速した車は、警戒をしながら、ゆっくりと進んで行った。
結界の存在を示すような目印など何も無かったが、前方に見えるポートシー島に広がる広大なポーツマスの街が、次第に大きく目に映るのを、少し緊張した面持ちで真っ直ぐ見ていたレオだったが、若い兵士はレオに淡々と告げた。
「結界に入りました」
驚愕を顔に浮かべて後ろを振り返り、自分がまだシートに座っている事に、レオは信じられない思いで目を丸くしていた。
一年前の自分だったら、間違いなく弾かれていただろうに、この数ヶ月の間に、自分に起こった心境の変化を改めて感じて、レオは内心の動揺を隠せなかった。
――俺が結界に受け入れられるだと?
レオの脳裏には、今まで自分が殺めてきた人達の顔が浮かんだ。母親や、少女、青年、老人、数え切れない人々が脳裏を横切って、自分が犯したそれらの罪が消えて無くなる筈はないと、レオは狼狽して小さく頭を振った。
――罪無くして殺されたアイツらが俺を許す筈がない。
受け入れられた事に戸惑いを感じているレオを乗せて、それでも車は真っ直ぐポーツマスへ向かって行った。
英国陸軍特殊部隊、通称SASの新しい本部は、ポートシー島の東部、旧ポーツマス大学に設置されていた。
正面入口に停められた車から降りたレオは、白亜の建物を見上げながら、その背後を振り返った。
その方向、ポートシー西部には海軍の軍港が置かれ、其処にあの『ブリストル』が停泊している筈だった。
その船に導かれ、今此処に立っている自分の運命の不思議を思いながら、レオは玄関で敬礼をして迎えている兵士に敬礼を返して、ゆっくりと正面玄関から新しい自分の道へと歩を進めて行った。
「貴君が、アレックス・ザイア軍曹か。私はアーノルド・リンチ、少将だ。この第二十二SAS連隊の連隊長を務めている」
通された指令本部内で、机の前に敬礼をして立ったレオの前で、ゆっくりと立ち上がった壮年の男性は、静かな笑みを浮かべていた。
銀髪を短く刈り上げ、灰色の瞳には柔和な光が宿っていて、特殊部隊の長にしては随分と穏やかそうな人物だな、とレオは思った。
「アレックス・ザイア、本日より英国陸軍特殊部隊への配属を命じられました」
キリリとしたレオの精悍な顔を見上げて、リンチ少将は満足そうに頷いた。
「あの『餓えた虎』に初めて傷を付けた男らしいな、君は」
小さく笑ったリンチ少将に、レオは困惑して眉を小さく動かした。コンラッド・アデス中尉の通り名は、陸軍でも有名らしく、レオがアデス中尉に決闘を申し込んだ事も知れ渡っているようだった。
「いえ。自分は中尉殿には敵いませんでした」
「そうか。しかし、今迄彼に拳を当てた事のある奴は、一人も居なかった。それだけでも十分自慢出来る事だぞ」
「いえ。自分と中尉殿の間には、越えられない壁があります。その全てを超える日まで、自慢出来る事などありません」
言い切ったレオにリンチ少将は小さく目を細めた。
「まぁ、いいだろう。ザイア軍曹。第二十二SAS連隊A部隊への配属を命じる。詳細は其処のバイロン・マクダウェル中佐より指示を仰げ。貴君の健闘を祈る」
「了解しました」
敬礼を返したレオに、リンチ少将はまた小さく笑みを漏らしたが、それ以上は何も言わなかった。
「俺が本部隊の部隊長のバイロン・マクダウェルだ。宜しく頼む」
マクダウェル中佐は気さくに握手を求めてから、レオの顔を繁々と覗き込んだ。
「荒っぽい奴とは聞いているが、お手柔らかに頼むぞ」
栗色の髪に琥珀色の瞳を持つマクダウェル中佐は、四十代ぐらいの背の高い屈強な体の持ち主だった。レオよりも十cmほどは高いであろう中佐を見上げながら、レオは気さくな中佐に少し困惑していた。
SASと言えば、英国陸軍の中でも精鋭部隊として知られ、そのメンバーは、鍛え上げられた一部のエリートでのみ構成されていると聞いていたが、連隊長のリンチ少将も、このマクダウェル中佐も、おっとりとした穏やかそうな顔付きで、そのイメージからかけ離れていたからだった。
そのレオの困惑を読み取ったのか、マクダウェル中佐はニヤリと笑った。
「これが精鋭部隊のSASか、って顔をしてるな。まぁそう思っても仕方ないだろうな。こんな一見優男じゃな」
目尻の下がった柔和な顔に一層の笑い皺を寄せて、マクダウェル中佐は面白そうに笑った。
「いえ」
短く否定したレオだったが、中佐はその返事を気にするでもなく続けた。
「前任者が前任者だったからな。確かに、スティーブンソン中佐殿は優れた軍人であられた。全ての能力に秀でておられ、このSASに相応しい人物と、高い評価を得ておられた。しかし、その過酷なまでの冷酷さが、全て徒となった」
マクダウェル中佐は、遠くを見ながら目を細めた。
「お前がハルトン村で襲った若い女性、覚えているか?」
「は、はい」
突然あの日の事を持ち出されてレオは困惑した。
「彼女は、そのスティーブンソン中佐殿の一人娘だ。誰よりもその中佐殿の教えを体得していた人物だ。並のSAS隊員など彼女には敵わなかった。あの日の、W校でのSASの暴走事件では、彼女の手によって多くの隊員が倒された。そして、中佐殿自身も、彼女が処分した」
「え」
「お前と同じだ、アレックス・ザイア軍曹。彼女も自分自身の手で親を殺した」
レオの脳裏に、全身からオーラを発して自分の前に立ち塞がっていたあの金髪の美しい女の姿が浮かんでいた。
「分かっていて何故?」
「何で捕まえないのかって? そりゃ一種の正当防衛だったからな。スティーブンソン中佐殿は、誤った情報で【核】を殺そうとした。彼女はそれを未然に防いだ。それだけだ」
マクダウェル中佐の訥々とした声を聞きながら、自分も同じ様に【核】を殺そうとしていたのに、だったら自分は何故、此処にこうして立っていられるのかとレオは訝しんだ。
「お前は今も【核】を殺したいと思ってるか?」
マクダウェル中佐の一見穏やかな瞳が、真っ直ぐレオに向けられていた。しかし、柔和に見えるその顔の、奥底にある厳しさを垣間見て、レオは小さく身震いをして首を振って否定した。
「いえ」
「だから、お前は生きていられる。その違いだ」
また穏やかな顔に戻った中佐は、レオに「ついてこい」と言って、白く輝く長い廊下をゆっくりと歩き出した。
――この先に、俺の道があるんだろうか。
長く続く廊下に靴音を響かせながら、窓から差し込む光が自分の影を床にユラユラと映しているのを見て、レオは覚悟を決めた顔を上げ、これから続く長い道程へと、ゆっくりと歩いて行った。




