第十二章 第四話
ドイツ兵残党達に気取られないように、旧ホテルから移動経路が丸見えの貯水池側ではなくて、旧ホテルの正面に当たる駐車場側を目指したレオ達は、オイペン郊外のニスペルトを経て自然公園内に伸びるシェーネフェルダー通りを進み、自然公園入口の工場跡地に車を隠すように停め、其処から先は車の通れない細い道を、徒歩で進んで行った。
旧ホテルの駐車場側に到達したレオ達は、互いに無言で頷き合い其々の位置に素早く展開し、正面玄関前の広場に一人で姿を見せたレオは、祈るように天を見上げてゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間、天を突く蒼白い炎が湧き上がり、レオ達の周囲を取り囲むと、ホテル前の広場にだけぽっかりと空間が出来上がった。
その広場の中央に唐突に投げ出された男達は、何が起きたのかも分からず顔を見合わせていて、自分達の目の前で仁王立ちしているレオに気付いた途端に顔を強張らせて立ち上がり身構えて、小銃を持っていた数名の男達はその銃口をレオに向けた。
『誰だ! お前は!』
その左右の森からも、銃を身構えたネルソンとルドルフ、そしてランスとニコラスに囲まれている事を知り、一人が手に持っていた小銃を構え直し、自分の真正面に武器も持たずに立っているレオに照準を当てて鋭い声で叫んだ。
『銃を捨てろ! この男を殺すぞ!』
『撃ってみろよ。当たればいいがな』
フッと笑って慄きもしないレオに、男はグッと唇を噛み締めた。
銃声が轟いたが銃弾はレオには当たらず「くそおおお」と叫びながら男は銃を乱射したが、その弾丸がレオを捉える事は無かった。
次々と男達が銃を身構えて四方に発砲し始めたが、それでも弾は誰一人当たる事は無く、少し緊張を浮かべていたランスも、事前の説明通りに結界はその外部からの弾を全て弾くという事を実感して、頬を膨らませてフゥと息を吐いた。
「結構、弾は残ってましたね」
小声で囁いたニコラスに「うるさい」と返したランスは、不機嫌そうな顔になったが、また表情を引き締めて前を見つめ直した。
次第に男達の顔には怯えが浮かび、一部が背後の建物に向かって一斉に走り出したが、数m走ったところで結界の壁にぶつかって、再び地面にもんどりうった。
『これから俺の話す事を良く聞け』
身じろぎもしないレオの黒髪を、湖から吹く風がゆっくりと揺らしていた。
『嘘を付くな! 連邦の犬どもめが!』
恐らくはこのグループのリーダーなのであろう、ボロボロに朽ち掛けた将校を示す階級章を付けた男が、口汚くレオを罵った。
『嘘では無い。連邦は消滅したし、世界は元に戻り子供も産まれるようになった。子供が産まれるようになった事は、お前たちももう分かっているんじゃないのか?』
レオは、背後のホテルから、ビリーとジャスティンに支えられるようにして出てきた女性達の中に、明らかに身篭っていると分かる女性の姿を見付けて、悲しそうに目を細めた。
『だからどうした! そんな事はもう俺達には関係無い。ドイツは焼け野原だ。ベルリンは陥落し、どうせ帰る国も無い。神はカナダだけを救ってドイツを見放した。俺達は俺達の好きなように生きていくだけだ!』
焦点の合わない目をして、甲高い声で嘲笑しながら話す男には、もう理性は残っていないように見えた。
建物内から助け出された女性五名に向かってランスとルドルフ、ニコラスが駆け寄って、其々が建物背後の安全地帯に誘導するのを見送って、レオはまた正面の男に目を戻した。
『ドイツはこれから復興する。域内で生き残っていた人々、国外に避難していた人々、そして彼らを手助けしようとする人々の間で、既に復興への道が始まっている。手始めはケルン大聖堂の修復だ。あの地にまたケルンの鐘が鳴り響く。お前たちもそれを助けようと思わないか』
幾人かの男達が驚愕した顔を見合わせているのを見て、ネルソンがゆっくり声を掛けた。
『その気がある奴はゆっくりと建物に戻れ』
逡巡している背後の気配に、先頭の男は振り返って血走った眼で睨むと、
『敵前逃亡は死ぞ! お前らはそれでも誇りあるドイツ兵か!』
と、唾を飛ばしながら怒鳴りつけた。
『誇りあるドイツ兵が女を拉致し、散々弄んだ挙句に嬲り殺すのか』
レオの黒い瞳にはかつての闇色が戻ってきていた。
ジリッと一歩前に出たレオに、怯えの頂点に達した何名かは喚き声を上げながら背後に向かって走り出した。
『伏せろ!』
将校が懐から小さな樽型の物を取り出したのを見て叫んだレオは、黒の瞳を光らせながら身を躍らせた。
「班長殿!」
何時も冷静なネルソンの焦りの浮かんだ叫び声に、S班達は女性を支えながらも強張った顔で振り返った。
森の木々に反射するように銃声の木霊が駆け抜け、辺りに静寂が戻った時、ジャスティンとビリー、ルドルフは、爆風から女性達を守ろうと覆い被さり、将校の腕を狙って銃を構えていたランスは、近すぎるレオの存在に逡巡を浮かべたまま呆然と立ち尽くしていて、先頭の男の手元にあるのが手榴弾だと気付いたニコラスは、それを分かっていて飛び出していた。
ネルソンが放った一発の銃弾は、既に男を捉えるまでに近づいていたレオの頭と、それに気付いて振り返り、狂った笑い声を上げながらレオごと自爆しようと、高く掲げた両手で信管を抜き取ろうとしていた男の右腕のその僅かな隙間を的確に捉え、将校が手榴弾を手にした左腕を射抜き、信管を抜く前の手榴弾は、呆気なく後方に飛ばされていた。
レオが再び張った結界は、将校の他数名の男を残して他の男達を結界内に保護していたが、腰砕けになりながらも、レオに銃を向けようとしていたその数名の男達は、機敏に飛び出して銃で威嚇したネルソンと、背後から駆け寄っていて、その背にピタリと銃を突き付けたニコラスによって、戦意を喪失して銃を捨てヘナヘナと座り込んだ。
そんな辺りの様子も介せずに、左手の痛みに悶える将校の胸倉を憤怒の表情で掴んだレオは、嘗ての渾名通りの黒い豹と化していた。
手負いの将校にも手加減せず、唸りを上げた拳が左頬を抉ると、将校は「ぐほっ」と鈍い声を立てて口元から血飛沫を飛ばした。
『俺はな! 全ての命を救いたいんだ! 例えお前らようなクズの虫けらであってもだ! 一般住民達はな、例え地に堕ちたお前らであっても信じているんだ。お前らも共にドイツを守る仲間だったと、そう信じているんだ。何故その声を聞こうとしないんだ!』
慟哭のような叫びを上げながら、止まる事も無く将校を拳で殴り続けるレオを皆呆然と見ていたが、静かに近くに寄ったネルソンがその腕を押えて止めた。
「班長殿。それ以上殴れば死んでしまいます」
その声に我に返ったレオは、血のこびり付いた自分の拳を見て、自分が捻り上げている男の顔が、醜く腫れ上がってもうぐったりとしているのに気付いて、ゆっくりと左手を離すと将校は地面に崩れ落ちた。
腰を抜かして立ち上がれないでいる他の男達に冷たい視線を投げ掛けて、
「コイツらは拘束しろ。処分は総隊長殿のご判断に任せる」
とだけ言って、怯えたように固まって震えている他の元兵士達のところへ、レオはゆっくりと歩み寄った。
ドイツ西部に展開していたUNACの機動部隊によって、此処を根城にしていた元ドイツ兵達は全て連行されていった。
改悛の情が見える者には寛大な処分を依頼して、オイペンの街を去っていく装甲車を見送ったレオ達だったが、胸の中には苦い物が込み上げていた。
助け出された五人の女性達は心身に深い傷を負っていて、治療が必要な状態であった。その女性達の証言では、自分達以外にも拉致された女性は数十名にも及び、病気になり弱った者や逃げ出そうとした者などはいとも容易く殺され、ホテル脇の森に投げ捨てられたと言う。
何時自分が同じ目に遭うのか、いや、何れ自分も同じ道を辿るのだという暗い絶望感だけが支配する環境の中で、正常を保てというのが無理だろうと、レオは深いため息をついた。
「彼女達のケアが必要ですね」
ネルソンも沈んだ顔で去っていく車を見送っていたが、ルドルフだけは何処か吹っ切れたような明るい顔をしているのに気付いて、レオは戸惑った視線を向けた。
「レッド二等准尉、何か感じているのか」
「地獄の中にも救いがあるのかもしれません」
余りにも漠然とした答えに皆不思議そうな顔を見合わせていたが、去っていく車をただ見守っているだけのルドルフは、それ以上何も言おうとはしなかった。
そのルドルフの言葉の意味を知ったのは、それから数日の後で、レオ達S班が、改めてオイペンの街の復興に向けて再調査を行っている最中の事だった。
「近々に、一部の兵士が、女性を連れて脱走する計画を立てていたんだそうだ」
本部に居るブノア中佐からの報告にレオは訝しげに眉を寄せた。
それによると、五名の女性と本気で恋仲に落ちた若い兵士五名が、其々の想い人と手を取り合って、あの地獄の中からの脱出を計画し、今度差し出される新しい女性に皆が夢中になっている隙にその計画が実行される手筈になっていたと、一部のドイツ兵が供述したのだと言う。
「だがそれも、その新しい女性を犠牲にしての事だったので、こうして捕らえられた事は恋人やその女性にとっても、そして、自分にとっても幸運だったと思う、そいつはそう言っていた」
「では、女性達も?」
「ああ。辛い苛酷な環境ではあったが彼らの事は信じていたそうだ。だが改悛の見えない将校のビョルン・アッヘンバッハ少佐他五名は、シャロン=アン=シャンパーニュ駐屯地内の軍用刑務所内に留置をする事となったが処分はまだ未定だ。他二十三名の兵士については、ケルンにての労働刑を科す事で調整をしている」
「寛大なご処分に感謝致します」
レオが電話口で頭を下げると、ブノア中佐は「うむ」とだけ短く返した。
本来なら過酷な処分を科してベルギーの支持を得たいところなのであろうが、元々ドイツ寄りのドイツ語共同体は今後帰属をドイツに変更する可能性もあり、それよりも、北部のフランデレン地域やワロン地域などに力を入れたいフランスとしては、ドイツ共同体での僅かな支持など眼中に無かったのであろうと読んだレオは、まだベルギー内に潜伏していると思われるドイツ軍残党の掃討をブノア中佐に依頼して、また苦虫を噛み潰しているのであろうブノア中佐の不機嫌そうな声を聞きながら電話を切った。
「良かったですね。恋人達は軽い処分で済んで、ケルンに来る事になりそうだと話したら、彼女達大分落ち着いてきました」
女性達のケアを担当するビリーの笑顔の報告に、レオも「ああ」とホッとした顔を見せた。
「でも亡くなってしまった女性の家族にしてみたら、遣り切れない結果ですよね」
寂しげに言ったジャスティンの言葉に誰もが口を噤んでしまった。
こうして彼らを捕らえても、その手により殺された多くの人々の命は戻って来ないのだと思うと、場には重苦しい空気だけが漂った。
足早に冬の近づくオイペンの街の木々を揺らす冷涼とした風が、帰って来ない娘を想う母親達のすすり泣きの声のように聞こえて、同じ罪科を抱えるレオの胸中を、木枯らしが通り抜けるかのように吹き過ぎていった。




