第十二章 第三話
レオ達S班が、重苦しい空気の中、ドイツ語共同体庁舎の一室で事態を考えあぐねていると、職員の一人が青い顔でアンドレアスを呼びに、慌てた様子でノックもせずにドアを開けた。
『市長、奴らが』
強張った顔付きの職員の言葉に一斉に立ち上がったレオ達S班は、顔を引き攣らせているアンドレアスに無言で頷いた。
街路に面した一室から、カーテンの隙間越しに外の様子を伺っているレオに、隣のネルソンが小声で囁いた。
「何のためなんでしょうか」
外では、銃を構えたドイツ軍兵らしい男が、建物の前で対応するアンドレアスと対峙をしていた。兵士の後ろに、もう一人のドイツ兵が油断無く銃を構えアンドレアスを牽制していたが、彼らが例年要求している農作物の量からすると、残党はこの二人だけとは思えなかった。
「今年の強奪量を伝えに来たのかもしれんな」
『そんな!』
アンドレアスの悲痛な叫びに顔色も変えず、冷たい視線を返したまだ若いドイツ兵は、踵を返すと後ろの相手と共に去って行った。
「追え。但し十分に注意しろ」
すかさずネルソンが、無線で建物影に潜んでいたジャスティンとビリーに指示を出すと「了解しました」と小声の返答があり、軍服を脱いで一般人に変装した二人が、十分な距離を保ってドイツ兵の二人を追い始めたのを見送って、レオは開けたカーテンの隙間から手を離し、階下に居るアンドレアスに向かって歩き出し始めた。
『奴ら、今年はzieも差し出せと言ったんだ』
一階の事務所内にある簡素なパイプ椅子に座り込んで頭を抱えたままのアンドレアスは、震える声でそう言った。
『zie? zieとは何ですか?』
耳慣れない言葉はレオの翻訳機でも反応せず、怪訝そうに訊ねたネルソンに、アンドレアスは強張った首を無理矢理捻るように顔を上げた。
『zieとは此処の言葉のリンブルフ語で、女という意味だ』
『女……』
『奴らは、最初に襲撃してきた時から若い女性を拉致していった。恐らく慰み者にするためと、手に入れた食糧を調理させるのが目的だろう。もう、この周辺だけでも二十人近くになる。そんな地獄に、どうやったら住民を送り出せると言うんだ』
アンドレアスは苦悩に歪んだ顔を覆ってしまい、怒りに震える拳を握り締めて口を固く結んでいたレオだったが、黒い瞳に強い光を浮かべてキッと顔を上げた。
『女性を差し出す必要はありません、ケスラーさん。我々が彼らを捕らえます』
その言葉にアンドレアスも、顔を覆って泣いていた女性職員や、悲痛な顔でそれを慰めていた男性職員も、驚きの顔でレオ達S班を見つめ返した。
『今、我々の班員達が彼らを追跡しています。直に彼らのアジトが掴めるでしょう』
『しかし』
『ご心配なく。我々はその為の訓練を受けている特殊部隊です』
険しい顔ながら自信に溢れたS班員達の表情に、その顔から目を離せずにアンドレアスはゆっくりと立ち上がった。
しかしそれでも、突入に際しては、これまでに拉致されたというベルギー人女性が取り残されている可能性が高く、その保護をどうすべきか、庁舎内の一室を作戦会議室として提供して貰ったS班は、顔を付き合わせて難しい顔で議論を戦わせていた。
「これまでの年月を考慮すると、彼らに弾薬が残っているとは思えません。強行突入でよいのでは」
強硬派のランスは、夜襲を掛けて一網打尽にする案を押したが、慎重派のルドルフはおどおどとしながらも懸念を示した。
「それでもナイフ類は所持している筈です。その場で女性を人質に取られたら我々に手出しは出来ません」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
ジロリとランスに睨まれるとルドルフは首を竦めて黙り込んだ。
「まだ実態は判明してはいません。ローグ曹長達からの報告を得てから検討するのが宜しいかと」
ネルソンが冷静にレオに進言すると、レオも「ああ」と頷いた。
ジャスティンとビリーがドイツ兵を追い始めてから二時間余りが経過していたが、彼らが徒歩で来たという事は、それほど遠くでは無いだろうとS班が読んでいた通り、直ぐに無線の呼び出し音が、けたたましく鳴り出した。
すかさず取ったネルソンが「どうだ」と短く訊ねると、ビリーの声でザーザーと雑音の入る聞き取り難い返事が返ってきた。
「オイペンの南約四マイルの、オイペン湖の畔に建つ、旧ホテルと思われる建物が彼らのアジトです。その数少なくとも数十名単位、女性の姿も見えますが総数は判りません」
「お前たちは何処だ?」
「道を挟んだ向かい側の堤防施設と思われる建物に侵入しました」
「そのまま監視を続けろ。気取られるなよ」
「了解しました」
ビリーの声がブツッという音と共に途切れると、ニコラスがそれまで息を止めていたのかフゥと大きく息をついた。
「此処ですね」
地図を広げたネルソンがその場所を指し示し全員が覗き込んだ。
「前面はオイペン湖で、此処はこの地域に水を供給している施設ですが、ケスラー氏によると、僅かに発電出来る設備を備えていて、現在も稼動して水を供給しているそうです。この左右は森林、背後には駐車場を備えた広いスペースがあり、その先の道は自然公園内に伸びています」
「夜襲を掛ける地形としては申し分ないですが」
ランスがうずうずと瞳を光らせたが、レオは難しい顔をしたまま顔を上げた。
「先ずこの旧ホテル内の構造を確認しろ」
「了解しました」
機敏に反応したニコラスが部屋を出ていくと、ルドルフがフゥとため息をついてポツリと言った。
「こういう場合は結界が一番有効なんですが」
「レッド二等准尉、この地の【守護者】若しくは番人の所在を確認せよ」
ルドルフを横目で見たネルソンが声を掛け、慌てて敬礼を返したルドルフも部屋を出て行った。
元々自然公園探索の拠点だったホテルの構造は、この行政庁舎に建築許可申請が出された時の資料が見付かり容易に手に入ったが、【守護者】と番人について齎されたのは悲報だった。
「彼らは中心にある聖ニコラウス教会を含めて、域内にある聖堂・教会を問わず、全ての宗教関係者を射殺してしまったそうです」
悲しげに報告したルドルフの言葉に、また場には重苦しい空気が戻ってきた。
「【守護者】や番人、結界に関する事なんか知らなかった筈なのに」
ランスは悔しそうに唇を噛み締めたが、ネルソンは、僅かに顔を顰めて言った。
「彼らが遭遇したのは、神の反逆だ。自分達の民族には、もう子は産まれないという絶望だけが彼らを支配していた筈だ。その運命を神に呪わずして、誰に呪うんだ。彼らは天に唾を吐き掛け、信仰を捨ててしまったんだろう」
「となると結界は使えない。他に捕らわれている女性達を救う方法を考えるんだ」
険しい顔を上げたレオであったが、そのレオをじっとルドルフが見返していた。
「何だ、レッド二等准尉」
「番人は此処に居られますよね?」
「何だよ、今皆殺されたって自分で言ったばかりじゃないか」
ランスは呆れてルドルフを見下ろしたが、レオは驚愕を隠せずに僅かに口を開き、物言いたげな視線を自分から外さないルドルフを見つめ返した。
レオは、自分が聖システィーナの【守護者】クリス・エバンスの番人の一人である事を、スコットランドでは明かしていなかった。
それを知る筈の無いルドルフが、自分の正体を知っているという事実が、レオを困惑させていた。
「確かに、居る」
「え?」
レオの言葉に驚きの顔を上げた一同に、レオはフゥと息をつくと静かに言った。
「俺は、聖システィーナ地区の番人の一人だ」
「だったら、結界が使えるじゃないですか!」
パアッと明るい表情になったニコラスだったが、レオは戸惑いを隠せず首を振った。
「番人も全てが結界を張れるわけじゃないんだ。聖システィーナで結界を張れるのは【守護者】クリスと、その筆頭番人であるマリア、バーグマン尼僧だけだ。俺は結界を張れない」
途端にしょげた顔になったニコラスはジロリとルドルフを睨んだ。
「何だよ、期待を持たせやがって」
「班長殿、結界が張れるかどうか試された事は?」
それでも真顔を変えないルドルフに、レオは怪訝そうに「いや」と首を振った。
「試されてみては?」
一歩も引かないルドルフの真剣な顔を、レオは、困惑を浮かべて見返すだけだった。




