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 熱いけど。

 口の中が火傷するなんてことは無かった。


 なんとも言えぬ、絶妙なあつあつ温度。

 もしかして。

 この人、ちょうどいい温度を……。


「うん、みくはすっぴんも悪くない。素材によっては、衣を付けないで素揚げのほうが美味いしな」

「……」


 なに、この揚げ物視点発言!?


「なぁ、コロッケ作る工程って……なにげにエロティックだと思わないか?」

「はぁっ!? 思ったこと無いです!」


 うわっ……キモッ!


 サングラスの色は濃く、私からはどんな目で・視線でこっちを見てるか分からない。

 ふざけてるのか、からかってるのか……馬鹿にしてるのか。

 それとも真面目に言って……あ、これが一番イヤかも。

  

「ふ~ん。揚げ物のエロスが分からないなんて、まだまだ餓鬼だな」


 阿呆か。

 揚げ物にエロスなんか存在しな~い!

 その声でエロスとか言うな!!


「みくは」


 他にお客さんがいないからって、のんびりしてないで持ち場に戻って働け。

 夕方は稼ぎ時でしょうがっ。


「髪を切ったんだな。かっぱみたいだ」


 かっぱ。


「……」


 なんて失礼な人!

 カラーリングとカットで2万以上かかったこの髪型をかっぱだって、あんたは言いますか!?

 ああ、でも……いまさらか。

 この人、最初からずっとこの調子だった。

 見た目も中身も、変な人。

 

「うん、そのカラーも似合ってるな。唐揚げ色だ」


 か、唐揚げ色?

 そんなサングラスしてるから、ちゃんと見えてないじゃないの!?


「俺は唐揚げかっぱ頭のみくのほうが、前のよりずっと可愛いと思う」


 !? 


「おい、なに小難しい顔してんだ? うまいもん食ってるんだから笑いなって!」

「…………っ」


 だって、コロッケが。

 想像以上に美味しかったから。

 目の前にいるこの変な人が作ったコロッケがこんなに美味しいなんて、なんかとっても悔しいから。

 だから、こんな顔になっちゃったんだ。

 それにすっぴんだから、誤魔化しが……うん、絶対理由はそれ。


「なぁ、それ求人誌だろ? 仕事を探してるなら、俺んとこにこないか?」

「……」


 ここでバイト?

 個人商店って、時給いくら?

 850円位?

 今のご時世、それ以下!?

 無理です。

 私はもっと稼がなきゃならない。


 口の中にあったコロッケを、しっかりと飲み込んでから言った。


「ここ、バイト募集してるんですか?」


 でも、一応そう聞いてあげただけ。

 このコロッケは安くて美味しい。

 また買いにきたいから、お店の人とトラブリたくない。


「話、ちゃんと聞いてなかったろ? 俺んとこって言った……ま、いいか。バイトからってのもありだな」


 バイトから正社員への登用ありってこと?


「今なら数量限定スペシャルローストチキンを先行予約させてやる。しかも俺のおごりだ。お得極まりないぞ?」


 ローストチキン?

 あ、来月はクリスマスだから……。

 一人で一羽食べるのも良いかもね。

 他は何も用意しないで、ケーキも無しで。

 チキンだけにすれば、一人でだって食べきれるだろうし。


「ぶっ……衣が唇についてるぞ。衣がうらやましいなんて、俺も末期だな」

「え!?」


 ショーケースから離れた背中は前向きに折られ、一斗缶椅子に座っている私に左手が伸びてきた。

 これは。

 これって‘お願いします‘って姿勢というか態度というかっ。





「……結婚を前提に、肉のヤマダでアルバイトしてください。山田みくさん」


 



 私に差し出された手のひらは、ところどころ白かった。

 小麦粉が、ついていた。


「っ……な、なに言って」

「……返事しろ、みく。もうコロッケ全部食っちまったんだからな。食い逃げは許さない」  

「わた……し」

「ふってくれていいんだ。言っておきたかっただけだからな」


 空っぽに胃に、揚げ物であるポテトコロッケは重すぎたみたいで。

 私のお腹なのかで、その存在を無意味に強く主張した。

 そしてあつあつのコロッケの熱が、胃から広がり心臓までじんわり包む。


「俺、ずっと見てた。見てるだけだった自分を、今はミンチにしたいくらい後悔してる」


 あ。


「言えなかったけど、言いたかった。ずっと、言いたかった」


 ああ、私。

 あいつにずっと、ずっと気がついて欲しかった。

 言わなくても 、分かって欲しかった。

 知って欲しかった。


「好きだって、言いたかった」


 万年ナンバー5の美久那だけど。


 甲斐性無しで女好き。

 知ってて好きになったから、あのベッド以外でなら他の人と何してたって我慢できた。

 美久那はなんでも許してくれるから一番好きなんだって、あいつは笑って言っていた。

 違うよ、違うの。

 許してたんじゃない、我慢してただけ。


「わた……わたっ、私! 行かなきゃっ!」


 私はそんなあんたが大好きだった馬鹿な女だけど。


「テル君に……テル君に会いたいっ!」


 あんたの前じゃ、私は『美久那』じゃなくて『みく』だったんだよ?


「なっ!? やめとけ、あんな男! 橋田照広は最低だ! みくを金ズルにしか思ってないじゃないかっ! あんなに苦労してして……酒吐きながら稼いだみくの金、みんな消えちまったじゃないかっ!!」


 何でテル君のフルネームを知ってるのよなんて、聞く気にならない。

 どうして吐いてたのに気づいたのなんて、知りたくなんかない。


「会ってくる。だって、言ってなかったから」


 何でいろいろ知ってるのかなんて、どうでもいいの。


「馬鹿か、お前はっ! だいたい俺が今みくにプロポーズしてる最中なんだぞ!?」

「黙れ、ストーカー! 引越してなんかでターゲットを見失うなんて、ストーカー失格よっ!」


 私の肩に伸びてきた両手を、丸めた求人雑誌で叩き落した。


「私、あいつにさよならって言ってくる!」

「っ!?」


 よろりと後ろに数歩さがった白衣の胸で、竹串で止められた小麦粉のついた手のひらサイズのメモ用紙が揺れた。

 ただしくはメモ用紙じゃなく、広告の裏。

 よっぽど慌ててたのか、斜め45度になっちゃってるそれにはマジックで漢字が4つ。


「それと、あのっ、私っ……コロッケが美味しかったから、ローストチキンも食べてみたい」

「え?」

「あ、でも! お金は払いますから」

「み……」


 ベッドを捨てるときのあいつの眼は、たしかに私に向けられていた。

 何か言いたげなあいつを、私は気づかないふりをして……。


 言えないことが、言えなかった私だけど。

 それって、私だけじゃなく。


 もしかして、みんながそうなのかもしれない。 


「じゃあ、また明日。“山田千秋”さん!」

「気づいてたのかよっ!?  ……って、おい、みくっ!?」


 求人雑誌と空のお皿を山田千秋に押し付けて、私は駅に向かって駆け出した。






 駅のホームに立ってから、55円を払ってないのに気がついた。

 明日じゃなくて、テル君のところからのこの街に帰ってきたら直行しよう。

 食い逃げだなんて、思われたくない。


 夜になっちゃうけど。

 きっと閉店時間ぎりぎりだろうけど。


「……その時間なら、サングラスとマスクしてないよね?」


 言いたい事を、あいつに言おう。


 言えなかった言葉が。

 コロッケの熱で、消えてなくなるその前に。 

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