第14話 侵食消滅
「オズワルド殿!」
長い会議が幕を閉じた。
陰鬱な玉座の間を退出し、魔王会議の開催に向けて去ろうとしていた背中へ、俺は声をかける。
気品ある銀灰色の髪を揺らし、古龍オズワルドが振り返った。
黄金の双眸には、不敵な光が宿っている。
「おお、アルノよ。上手くいって何よりじゃな」
「ええ。オズワルド殿がいなければ、どうなっていたことか。古城の件も併せて、本当にありがとうございます」
首元まで閉じた黒い長外套を静かに揺らし、俺は真っ直ぐな敬意を伝えた。
オズワルドは、そんな俺の言葉に豪快な笑みを浮かべる。
「なに、気にせんでよい。貴様がいなければ誰が八番目の魔王となるのじゃ。もっと頼るがよい」
「ええ。それにしても、オズワルド殿は魔王会議の準備で各地へ赴かれていると思っていました」
オズワルドは、不思議そうに白銀の眉を僅かにひそめた。
「……ん? 貴様のメイドと名乗るものから、貴様が一日、我が城で待機して欲しいと言っていたが?」
「…………!」
その一言を聞いた瞬間、俺の思考が一つの不気味な真実へと繋がった。
(――また、クロエラか……)
俺はすぐさま平静を取り戻し、努めて落ち着いた声を返した。
「……そうですか。確かにそうだったかもしれません。すみません、忘れてください」
「ふむ。まぁ、それでアリシアから事情を聞いての。ここへ駆けつけたという訳じゃ」
「本当に何から何までありがとうございます。このお礼は、どう返していいか分かりません」
「だから、気にせんでよいと言っておろう。じゃが、我が困ったら助けてくれ。それでよい」
オズワルドが、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
八番目の魔王となる俺へ向けられた、不器用な温もりだった。
「……分かりました。その際は必ず」
「ふむ。では、我はこれから魔王会議の準備を進めるとしよう。また会おうぞ、アルノ」
「ええ。またお会いしましょう」
俺は、今度こそ去っていくその背中を見届ける。
そして黒い長外套を翻し、今回の功労者たちのもとへ歩みを進めた。
「メザリアさん。アリシアさん。それに、シルヴィア」
「……アルノくん。改めて、一連の不祥事について、我が国の王族の長として本当に申し訳ありませんでした」
翡翠のドレスを静かに揺らしながら、メザリアさんが深く澄んだ紫翠の瞳を伏せる。
その隣では、アリシアさんが氷晶の法典ローブの首元を整え、瑠璃色の瞳で俺たちを静かに見守っていた。
さらに一歩引いた場所には、深海のサファイアローブを纏ったシルヴィアがいる。
王女としての品格を崩さず、静かに背筋を伸ばしていた。
「いえ、そんなこと気にしないでください。結果的には、何の被害も出てないじゃないですか」
俺はそう言ってから、アリシアへ視線を向ける。
「……それに、アリシアさん」
「……何かしら? アルノさん」
アリシアが僅かに首を傾げる。
白金の髪が、回廊へ差し込む光を受けて艶やかに揺れた。
「今朝、あなたからは何とも言えない違和感がありました。オズワルド殿と会っておられたんですね」
湖畔で感じた、あの僅かな違和感を思い返しながら尋ねる。
アリシアは瑠璃色の瞳を細め、淡々と答えた。
「ええ。打てる手を考えておりました。そうしなければ、お母様にも被害が及ぶ可能性がありましたので。グラズヘイム大樹海にそびえる山の頂上へ直接、赴いたのですわ」
一度、アリシアの視線がオズワルドの去っていった方向へ向く。
「オズワルド様が快く応じてくださって、本当に助かりましたわね」
「……そうですか。助かりました、か」
俺は短く呟いた。
オズワルド殿が口にしていた、俺の城のメイド――クロエラ。
彼女が単身で古龍を引き止めていたのだろう。
だからこそ、アリシアさんは秘密裏にオズワルド殿と接触できた。
だが、そのことを俺はあえて口には出さず、胸の奥へとしまい込んだ。
「俺には、考えられない一手でした。流石ですね、アリシアさんは」
「なんとか上手くいって幸いでしたわ。これで王宮内の実権は、お母様へ統一されました」
そこでアリシアは、俺の隣に立つシルヴィアへ視線を向けた。
「後は……シルヴィアのこと、よろしくお願いしますね」
姉としての静かな気遣いが、その言葉には滲んでいた。
シルヴィアは、そんな姉の言葉を受けて静かに顔を上げる。
その横で、メザリアさんが柔らかな笑みを浮かべた。
「私からも、我が娘のことをよろしくお願いしますね、アルノくん」
母親としての温もりを宿した紫翠の瞳が、シルヴィアへ向けられる。
「……さあ、シルヴィア。あなたの行くべき場所へ、進みなさい」
シルヴィアは一瞬だけ瞳を揺らした。
けれどすぐに、その表情を王女としての落ち着きへ戻す。
「お任せください。何かあったら連絡してください。すぐに駆けつけますので」
俺がそう告げると、シルヴィアはサファイアの瞳に真っ直ぐな誠実さを宿し、静かに頷いた。
「……は、はい。お母様、お姉様……行ってまいります」
気品ある声音でそう答えたものの、その声には僅かな震えが混じっていた。
「さぁ、シル。行こうか。準備しておいで」
「はい!」
シルヴィアは弾むような返事を残し、深海のサファイアローブを翻して王宮の奥へ駆けていった。
しばらくして、準備を終えた彼女が俺のもとへ戻ってくる。
その手には、ヴァルキア王家の美しい紋章が刻まれた、鈍い光沢を放つ白銀の大型旅行鞄があった。
「……随分と大きいな」
「ええ。必要なものを色々と詰めてきました」
シルヴィアが僅かに困ったように笑う。
俺はその姿を見て、思わず小さく息を漏らした。
「そうか」
白銀の鞄を携えたシルヴィアと共に、俺たちはメザリアさんたちの見送りを受けて王宮を後にした。
そして、鬱蒼としたグラズヘイム大樹海の入り口へ足を踏み入れたところで、俺は足を止める。
隣を歩むシルヴィアへ視線を落とした。
「その大きな鞄、預かっておくよ。ここから移動するのに邪魔だろ?」
俺はそっと手を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
シルヴィアはサファイアの瞳を瞬かせ、少し驚いたように頬を緩める。
そして、白銀の鞄を俺へ差し出してきた。
受け取った瞬間、足元に魔法陣が浮かび上がる。
真紅の魔力が波のように這い上がり、白銀の鞄を包み込む。
次の瞬間、それは俺の長外套が落とす影の底へ、音もなく沈み込んでいった。
「……便利ですね」
「そうだな。こういう時には助かる」
荷物の重みから解放されたシルヴィアは、軽く肩を回す。
その仕草がどこか嬉しそうに見えて、俺は小さく笑った。
「さて、また飛んでいくか?」
「い、いえ」
シルヴィアは少しだけ困ったように笑い、サファイアの瞳を細めた。
「……魔法を使っていきましょう。それに背中が破れたら格好悪いんでしょう?」
「……シル、からかっているな?」
俺はその蒼い瞳を見つめ返す。
「いつも私をからかってくるからお返しです」
「……まぁ、いい。それに、あの城に行くまでにちょっと説明したいこともある」
「説明したいこと?」
「ああ。まあ、道すがら話すよ」
シルヴィアは小さく頷く。
そして、サファイアローブの裾から覗く自身の足元へ視線を落とした。
腰まで届く銀髪が、その動きに合わせて流れる。
「揺らぐ葉よ、我が足元へ集え。――エアリアル・ヴェイル」
凛とした声音が、静寂の森へ響く。
その直後、彼女の足元から銀色の魔力粒子が鮮烈に立ち上った。
それは薄衣のように彼女の足元へ纏わりつき、やがて地面へ溶け込んでいく。
深い緑に包まれた森の中で、銀髪だけが木漏れ日を受け、一閃の光のように揺らめいた。
シルヴィアが静かに跳躍する。
着地した大樹海の葉が、一瞬だけ重みを受けてしなる。
その流麗な後ろ姿を追うように、俺も巨木の合間へ足を踏み出した。
「……融けよ。――シャドウ・レイド」
俺が短く呟いた瞬間、足元から真紅の魔力が広がった。
黒い長外套の裾が深紅の霧のように大樹海の影へ溶け込み、風切り音すら残さず、シルヴィアの銀色の軌跡を追っていく。
「ちょっとシル。そんなに速くいかなくても」
「湖畔まで競争です。話は、そこでしましょう」
「分かった。じゃあ、負けた方は相手のお願いを一つ聞くことにしよう」
「分かりました。行きますよ!」
シルヴィアの声が森へ響いた瞬間、銀色の粒子が一気に散った。
枝葉を次々と踏み締め、風そのものとなって加速していく。
「……おいおい」
俺は苦笑しながら速度を上げた。
真紅の霧を揺らし、その銀色の軌跡へと肉薄していく。
だが――。
シルが足場にした巨木の幹。
そこに、僅かな銀色の魔力が残っていた。
触れた他者の魔法を消してしまう、シルヴィアの異能。
その力が、意図せず森へ残した魔力の残滓だった。
俺がその座標へ影を重ねた瞬間――。
その残滓が、俺のシャドウ・レイドへ触れた。
火花も、音もなかった。
ただ、足元の影だけが一瞬、融けた。
「…………!?」
シャドウ・レイドの推進力を支えていた影が、唐突に失われる。
俺の身体が僅かに揺らいだ。
ほんの一瞬。
だが、それで十分だった。
シルが、その隙を見逃すはずもない。
俺が遅れて木々を抜けた時には、すでに目的地へ到着していた。
鏡のように澄み切った水面。
その湖畔に、腰まで届く銀髪を揺らしながらシルが立っている。
振り返ったサファイアの瞳には、出し抜いたことへの悪戯っぽい光が宿っていた。
「私の勝ちですよ、アル」
「……ああ、参ったよ」
俺は苦笑しながら長外套の襟元を正す。
「まさか、あの速度の中で魔力の残滓を置いていくとはな」
「ふふ」
シルは小さく笑った。
「お願いは、そうですね……」
湖面へ視線を移し、少しだけ考える。
「湖畔に着いたら、アルが私に説明したいと言っていたことを――何一つ隠さず、全て私にお話してもらうことにしましょうか」
「……分かった」
そうして俺たちは、静かな湖畔へ並んで立った。
言葉を交わす前の、穏やかな沈黙。
差し込む陽光が、水面と彼女の横顔を静かに照らしている。
俺は隣に立つシルヴィアから漂う月下香の香りを感じながら、口を開いた。
「まずは、俺の城に怪しいメイドがいるんだ」
「……怪しいメイドさん?」
「ああ。でも、何も説明はしてくれない」
少しだけ言葉を止める。
「ただ……信頼している」
シルヴィアが僅かに瞳を見開いた。
風に揺れる銀髪の隙間から、彼女がじっと俺の横顔を見つめているのが分かる。
「だから、仲良くしてほしい」
「ええ。分かりました」
シルヴィアは柔らかく微笑んだ。
「後は、オズワルド殿から割譲された城なんだが、ちょっと荒れていてな。俺もまだ、どうなっているのか全部は把握できていない」
「そうなんですか?」
「ああ。これから色々始めようと思っている。だから、その辺りも少し踏まえておいてくれ」
「ふふ……分かりました」
シルヴィアの微笑みが、僅かに深くなる。
「そのメイドさんと、色々考えていきましょう」
その表情は、王宮にいた時の王女としての微笑みとは違っていた。
もっと柔らかく、日常に近いものだった。
「そういえば、シルの特別な力はどういうものなんだ?」
問いかけた瞬間、シルヴィアのサファイアの瞳から、僅かに光が消えた。
銀髪が風に揺れる。
「……本当によく分かってないんです」
彼女は、自分の手へ視線を落とした。
「アルが言った魔力の残滓を置くっていうのも……正直、私の意思ではないんです」
自分でも理解できない力。
それが、自分の中にある。
その事実への戸惑いが、声の奥に滲んでいた。
「なるほどな」
俺は一度、彼女の手を見る。
そして、その力が先ほど俺の魔法を消した瞬間を思い返した。
「でも、凄くいい力だよ」
「……そう、でしょうか」
「ああ。少なくとも、俺にはそう見える」
シルヴィアが僅かに顔を上げる。
「名前は決めているのか?」
「いいえ。まだ決めていません」
「じゃあ、名前を決めないか」
俺は少しだけ考える。
触れた魔法を侵し、消し去る力。
それなら――。
「そうだな……」
俺は彼女へ視線を向けた。
「侵食消滅とか、どうだろう」
「……侵食消滅」
シルヴィアは、その言葉を確かめるように、ゆっくりと口にした。
自分でもまだ理解できない力。
けれど今日、その力には初めて名前が与えられた。
「……いい名前ですね」
そう言って、シルヴィアは小さく微笑む。
差し込む陽光が、彼女のサファイアの瞳に反射した。
銀色の魔力粒子が舞い上がり、静かな湖面と調和するように輝いている。
そんな穏やかな時間が、湖畔の静寂の中をゆっくりと流れていった。
「さて、行くか」
「はい」
俺たちは再び歩き出す。
森の木々の向こうへ消えていく湖畔を背に、俺とシルヴィアは並んで歩いていった。
これにて1章は終了です。ここまでご覧いただき誠に有難う御座いました。
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