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治癒魔法なんて要りません 〜転生外科医が教会の独占をぶち壊す〜  作者: いなばの青兎
医術覚醒編

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第13話 人垣

 彼らが来たのは朝の八時頃だった。


 馬蹄の音が先に聞こえた。コウルが窓から見て「騎士が来る」と言った。アレクは道具を片付け、ミアに「奥に下がっていろ」と言った。「嫌です」とミアは言った。「奥に下がるのが嫌なのか、それとも一緒にいたいのか」「後者です」。「分かった、ただし子供たちは裏庭に」


 鎧姿の騎士が六人、孤児院の前に馬を止めた。先頭の男が降りた。三十代、体格がいい。教会の紋章と騎士団の紋章を両方つけている。


 「ハルト・アレク、出てこい」


 アレクは玄関に出た。


 「無認可医療施設の封鎖命令だ」と騎士が言った。羊皮紙を広げた。「この施設が医療行為を行っていることを確認した。治癒師認定証を持たない者の治療行為は違法。施設を封鎖し、主犯者を教会法廷に連行する」


 「読み上げた法律の根拠条文を教えてくれ」


 騎士が止まった。「……なんだと」


 「羊皮紙に書いてあるはずだ。どの法律の、何条か」


 「法律の話をする気はない。命令に従え」


 「命令の根拠が不明確な場合、従う義務はない。これはリオーナ王国の法的慣行だ」


 「うるさい」と騎士は言った。「余計なことを言うな」


 騎士が踏み込もうとした。


 その時、強硬派と思しき若い騎士の一人が、玄関先で立ち尽くしていた孤児院の子供を腕で払った。八歳のベイだった。ベイが土の上に転がった。膝を擦りむき、額を地面に打ちつけた。額から血が滲んだ。


 悲鳴が上がった。コウルが裏庭から飛び出してきた——アレクの「下がっていろ」を、ベイが転んだのを見た瞬間に破った。


 「ベイ!」


 アレクは即座に動いた。子供たちの方へ駆け寄り、ベイを抱き起こした。額の傷は浅い。皮膚の擦過と、皮下の小さな出血。骨はやられていない。意識はある。


 「動くな、息を整えろ」


 「先生……」


 「大丈夫だ。腫れはするが、それだけだ」


 ハンカチで額の血を押さえた。コウルがベイの肩を抱きしめた。


 その光景に、最初に動いた人間がいた。


 建設現場で助かった男だった。男は道の端にいて、騎士団が来るのを見ていたらしい。妻に支えられながら、ゆっくりと、しかし迷いなく、玄関に向かって歩み出た。腹の傷はまだ完全には塞がっていない。歩くたびに顔をしかめていた。それでも歩を止めなかった。


 男はアレクの前ではなく、ベイの転がった土の上に立った。何も言わなかった。ただ、騎士の方を一度見て、それから子供の方を一度見て、立ち尽くした。


 次に動いたのは二人だった。


 帝王切開で子供を産んだ女だった。子供を腕に抱いていた。その横に、肉屋の男がいた。手の傷を縫った男だ。妻も一緒だった。三人とも、何も持っていなかった。武器も看板も。ただ、玄関に向かって歩いてきて、最初の男の隣に立った。


 その時、一人だけだった輪が、三人になった。


 それからは早かった。


 止血処置を受けた老人。難産で助かった母親の妹。手洗いの指導を受けて子供が病気にならなかった近所の主婦。下肢の腫れを処置した荷役の男。発熱から立ち直った商家の倅。一人ずつ、声を上げずに、玄関へ歩いてきた。輪が広がった。


 十人を超えた。


 そこで、奥の路地から声が聞こえた。「待って——」と誰かが言って、駆けてきた。それから、その後ろから、また数人。さらに数人。気づけば二十人を超えていた。子供を肩車した父親もいた。杖を突いた老婆もいた。


 誰一人、剣も棒も持っていなかった。ただ立っていた。


* * *


 強硬派の若い騎士が、剣に手をかけた。


 「どけ」と言った。「これは教会の命令だ。民間人が妨害するなら——」


 「それが神の教えか」


 アレクはベイの傷を押さえたまま、立ち上がった。ハンカチが赤かった。それを子供の母親代わりのエルダに渡した。


 「下がってろ」と子供たちに小声で言った。それから、騎士の前に出た。


 「神の教えに従って動くなら、聞かせてくれ。子供を突き飛ばすことが、治癒の神アスクレピオスの教えか。金がない人間を見捨てることが、神の意志か。あんたに信仰があるなら、その問いに答えてくれ」


 騎士が剣の柄を握ったまま、固まった。


 答えられない——アレクには分かった。騎士は命令で動いている。命令の背後にある「正しさ」を考えることは、命令に従うことより難しい。


 指揮官格の騎士が進み出た。「今日のところは引く」と言った。「しかしこれで終わりだと思うな」


 騎士たちが馬に戻り始めた。人垣が静かに道を開けた。誰も声を上げない。ただ立っていた。


 馬蹄の音が遠ざかった。


 アレクは人垣を振り返った。顔を知っている人間も、知らない人間もいる。なぜここに来たかを全員に聞いたわけではない。ただ来ていた。


 「ありがとう」とアレクは静かに言った。


 誰かが頷いた。誰かが「先生こそ」と言った。それだけだった。


 ミアがアレクの横に来た。「先生」と言った。「また来ますよね、あの人たち」


 「来る」とアレクは言った。「次は法律を使ってくる。それなら、こちらも法律で準備する」


* * *


 人垣が解けるまで、しばらくかかった。


 誰も急いで帰ろうとしなかった。ベイの額の傷を、アレクが消毒液で洗い、清潔な布で覆った。コウルがその横で、ずっと「ベイ、痛い?」と聞き続けていた。「もう痛くない」とベイが小声で答えた。


 建設現場の男が、アレクの肩を一度だけ叩いて、何も言わずに帰っていった。歩き方は、まだぎこちなかった。妻が支えていた。


 帝王切開で助かった女が、子供をアレクに見せた。「先生、この子、もう微笑むんですよ」と言った。アレクは子供の頬に指で触れた。柔らかい。指先に伝わる温度が、生きている証拠だった。


 肉屋の男が、無言で頭を下げて、立ち去った。


 最後に老婆が、アレクの腕を握って、こう言った。


 「先生、教会に何を言われても、私はこの町から離れない。あんたを必要な人間として、ここにいる」


 アレクは頷いた。何と答えればいいか、すぐには言葉が出てこなかった。前世で、患者の家族から似た言葉を聞いたことがあった。けれど、何度聞いても慣れなかった。


 老婆が手を離して、ゆっくり去っていった。


* * *


 最後まで残っていたのは、ミアだった。


 「先生、ベイの傷、もう一度見てもいいですか」


 「頼む」


 ミアがベイの額にしゃがんで、目を細めた。「光の歪み、ほとんどないです。打撲だけだと思います」


 「骨は」


 「触れていません」


 「結構だ」


 ベイがコウルの手を握ったまま、アレクとミアの顔を交互に見ていた。「先生、今日の人たち、ぼくのために来たの」


 「お前のためだけじゃない」とアレクは答えた。「俺たちのために来た。俺たちは、ここに残って、また患者を助ける——それが今日の人たちへの礼だ」


 ベイが頷いた。コウルが「ぼくも手伝う」と言った。「もちろん」とアレクは答えた。


* * *


 夜、アレクは記録帳を開いて、今日の出来事を書いた。


 「教会騎士団六名、施設封鎖を試行。住民約二十名が玄関前に立ちふさがり、騎士団は撤退」——一行で書ける事実の裏に、二十人の顔があった。建設現場の男、肉屋の男、産婦、老婆、その他大勢。一人ずつ顔を思い出しながら、名前の分かる範囲で記録した。


 ミアが横でランプを支えた。「先生、いつかこの記録、誰かに読まれる日が来ますか」


 「来る」


 「誰に」


 「分からない。だが、来る」


 ミアが頷いた。それから、ペンを取って、自分も書き始めた。今日の人垣の様子。誰が最初に動いたか。誰が次に来たか。アレクが見ていなかった部分を、ミアが補った。


 ランプの灯りが揺れた。外で風が出ていた。


 今日は勝った——とは言えなかった。次の手が来るまでの猶予を稼いだだけだ。それでも、今日助かった子供がいる。それは負けではなかった。


ブクマや評価をいただけると、続きの執筆がすごく捗ります。

楽しんでいただけたら、ぜひ応援してやってください!

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