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今ここであなたと出会えたことは 本当の家族編  作者: 安田 木の葉
最終章

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027 触れて感じる温もり

 詩帆は抵抗しようか迷った。しかし今回は前回と違いこうなる原因に自分も少なからず加担しているような気がして、目が覚めた時に100%稑を責められない自分がいた。もしまだ寝ぼけていて無意識だったら下手に動くと起こしてしまう。でももし起きていたら、抵抗しなかったら受け入れたと思われてしまう。詩帆は硬直し、頭の中は着地点が定まらない思考がぐるぐると入れ替わりその混乱に目が回り過ぎて詩帆はまるで酸欠のような状況に陥っていた。すると稑が、何かもにょもにょと呟いた。


「しほさんおっこどしちゃってごめんねもうぜったいにおとさないから…。もうぜったいに…、離さないから…。」


(あ。)


 詩帆は思った。


(これ寝言だ。前もこんなこと言ってた。)


 すると詩帆は途端に極限状態から解放され、胸を撫で下ろした。


(なぁんだよかったぁーッ。やっぱり寝ぼけてるんだ。そんでもってまた私のことを抱き枕と勘違いしてるんだ。)


 状況としては結構なハプニングであるはずなのに、稑の日頃の天然ぷりとすでに2回目というのもあり、詩帆は意外とあっさりこの状況を受け入れてしまっていた。そして普段寝慣れた自身のベッドに比べたら遥かに寝心地は劣るはずなのに、稑にしっかりとホールドされそこから触れて感じる温もりは他の何にも変え難く、妙にしっくり来てむしろ居心地よく感じられた。やがて強張っていた緊張は徐々に溶け、気付くと詩帆は自身の体を完全に稑に預けていた。耳からは一定に時を刻む稑の心音が聞こえた。それは生きている証だった。それが何よりも詩帆に安らぎを与えた。すると詩帆の目には、再び涙が込み上げてきた。


(……!な、なんで?!)


 確かにそれは自身の体から湧いているのに、詩帆にはその理由が言葉では形容できなかった。しかし今まで当たり前のようにすぐ傍にいた稑を今約ひと月半振りに目の当たりにし、さらには肌で感じる温もりに、瞳から流れるそれはもはや自身ではコントロールが効かなかった。そしてそれは落ち着くどころか堰を切ったように留まることなく溢れ出した。喉の奥はぎゅぅっと締め付けられ、目頭と鼻の奥は塞がれるようにじんとし、やがて詩帆の身体は小刻みに震え出した。挙げ句の果てには鼻水まで出てきてしまった。


(ヤ、ヤバいッ、稑の服が…!)


 しかし尚も溢れ出るそれらは、お構いなく稑の服を濡らしていった。そしてそれが改めて自身の頬に触れることで、今自分は本当にどうしようもなく泣いているのだと再認識させた。


(ごめんッ、稑…!でも………。)


 どんなにここが涙と鼻水の湖になろうとも、稑は決して怒らない、むしろそのまま何も言わずに、きっとまた頭を撫でてくれる、詩帆にはそう思えた。いつも真っ直ぐで、今日一日だけでも稑は思いやりに溢れていた。それらが詩帆にそう思わせるのも、雨が天から地へ降るように自然なことだった。


(もう、どんなに突き放したって…、稑の溢れんばかりの優しさには、到底敵わないよ…。)


 それから詩帆は、もういつから堪えていたかも分からない何かに抗わなかった。


(もう…、バレたっていいや…。もう…、稑になら…。)


 詩帆は目まぐるしい1日の留めであるこの状況に頭も体力も精魂尽き果て、思考はすでに麻痺していた。そのためあまりにも心地よい温もりから再び誘発される睡魔には、もう身を委ねる他できなかった。しかし詩帆の理性との葛藤は、それでもギリギリのところで続いていた。


(そろそろ、新が来ちゃう…。でも、あと5分、いや…、あと1分だけ…。)




 次の日。


 詩帆はSmall Gateのボイトレ室にいた。正確にはそこに身を潜めていた。その日は新年度から月に2回になった月例ミーティングの日で、今となっては朝からsmall Gateに出社する数少ない1日だった。ミーティングは9時からだったが、詩帆がここに身を潜めてからすでに3時間が経とうとしていた。詩帆は1人頭を抱え悶々としていた。何をどうやっても思考はすべて今朝起きた時の状況に行き着き、詩帆は完全に自分で自分が信じられなくなっていた。



それは遡ること4時間前の朝5時を過ぎた頃、詩帆はふと目が覚めた。そこはいつもよりも明るく、ベッドもいつもより固く、そしてどこか不安定だった。しかしいつもより温かくて、それはそれで気持ちよく感じられた。しかし微妙に浮き沈みする寝床と、それに合わせて髪に掛かる寝息に気付くと詩帆は一瞬で眠気がふっ飛んだ。詩帆は恐る恐る顔を起こし上を見上げると、そこにはまだスヤスヤと眠る稑の顔があった。


(ッ!!!!!)


 詩帆は固まった。


(ど、どういうことッ?!え、もしや私、昨日あのまま寝落ちしたのかッ?!?)


 すると詩帆はハッとし慌てて上半身を起こした。そして口元を拭った。


(セーフ……。いやアウトだろッ!!こりゃどう考えたってこの状況がアウトだろーがッ!!!)


 しかし稑がまだ起きていないのが幸いだった。このまま気付かれずに立ち去れば、これはすべてなかったことにできる。そう思った詩帆は爆速で鳴り響く心臓を少しだけ落ち着かせることができた。しかし、そう思えたのは一瞬だった。身体を起こした詩帆の肩から、1枚のタオルケットがするりとはだけた。


(…え。)


 それは誰かが2人に掛けてくれたことを意味していた。


(……誰。)


 詩帆の頭から血の気が引いた。しかしそれはもう新しかいなかった。が、今はとにかく稑が目を覚ます前にこの場を去る、詩帆はそのことに全集中した。


(も〜〜〜ッ!!なんでよりによって今日が出社日なのッ!!!)


 詩帆はそれから章の家でもSmall Gateでもミーティングまでは誰にも合わないように、最短爆速で家を出るとボイトレ室まで直行した。そして今に至るのであった。



"もう、バレたっていいや…"

(じゃないッッ!!ちっとも良くない!何を言ってるの詩帆ッ!!!)


 詩帆は昨夜のもはや自分ではない自分を100回連続背負い投げして再起不能にしてやりたい気分だった。


(とりあえず、魂狼のミーティングには少し遅れて行こう。今私の立場はオブザーバーだし、誰にも迷惑はかけん。)


 こんな時でも詩帆に休むという選択肢はなく、ルールや決まり事に律儀なのは今も変わらなかった。そして計画通り9:00から1分ほど過ぎた頃、詩帆はしれっとミーティングルームに入室し、入り口に一番近い席に座った。すでに要が進行していて、他にも研修生を含む3名の新たなマネージャーサブが魂狼のメンバーの他に同席していた。その中の1人は詩帆に気付き軽く会釈をしたが、詩帆は不気味な笑顔をニンマリと返すだけに留めた。そして稑や新の姿は一切視界に捉えることなくミーティングが終わると誰にも話しかけず誰にも声を掛ける隙を与えず瞬足でその部屋を後にした。


「何だ?今日の詩帆さん。変なの。」


 大抵の人たちは、優のそのひと言に共感した。


 その後の幹部ミーティングには新も稑も同席しないので詩帆は幾分落ち着きを取り戻し、そのまま章のオフィスに向かった。ここでのミーティングも順調に進んでいった。


「優は例の番組でほぼほぼ準レギュラーになりつつあって、本人も今後の出演を継続的に希望しているので、その予定でこれからも進めていきます。やはり彼のひた向きな努力と謙虚な姿勢が評価されていて、先方からはこれからも是非一緒に仕事をしていきたいという声をちらほら小耳に挟んでいます。」

「そうか、分かった。負担のない範囲でこれからもよろしく頼む。新のYouTuberとのコラボ企画は順調か?その後どこまで話が進んだんだ?」

「あ、えっと、"たまごにいさん"とはだいぶ現実的な話まで進んでいます。」

「そうか。それならこの後早速新と打ち合わせをして、今日のうちに今後のスケジュールまで落とし込んでくれ。」

「え"ぇッ、きょ、キョキョ、きょ、今日ッ?!?」

「あぁ。何か問題でもあるのか?」

「そりゃもぉーありまくりデッスッッッ。」

「ん?」

「いやッ、ナイですッ。」


 詩帆の挙動はもはや誰が見ても不審以外の何ものでもなかった。


「だよな。じゃあ、この後早速よろしくな。」

「……、あぃ。」


 詩帆にとって章の指示は絶対だった。


「ただなぁ、詩帆。」


 一旦終わり掛けたやり取りに、章は改まって声を掛けた。詩帆は情状酌量の余地を与えられるのかと僅かに期待をし、目を輝かせた。


「もし今日外部の人間にも会うことになるなら、一旦帰宅して着替えた方がいい。多分わざとじゃないと思うが…、そのスーツ、上下の色が合ってないぞ。」

「…?」


 そう言われ改めて自身の服を確認すると、確かに今詩帆は、上着は黒のジャケットで、下はライトグレーのスカートを履いていた。


「………ッ!!!!」

「まぁ…、ありっちゃありだとも思うけど……、やっぱないね。」


 さすがに誠もフォローしきれなかった。詩帆は自分が今日無意識にスーツを着て来ていたことすら今初めて認識した。


(こりゃ何かあったな。稑絡みか?アイツら詩帆さんの演奏会行くってだいぶ浮き足立ってたもんな。まぁ稑は全然いつも通りだったけど。)


 蓮もさすがに詩帆の異変に気付いていた。




 その後詩帆は再びボイトレ室に直行すると、とりあえずすぐにチャットで新に連絡をした。


"ち" "ょ" "っ"

(あッ、ヤバ!!入力履歴でつい送っちゃったッ。)


"ちょっと来い。"


(さすがに今回はこんな言い方よろしくないな。)


 いつもよろしくない、という感覚は詩帆にはなかった。


- 送信を取り消しました -

"ちょっと話があるから

ボイトレ室まで来てください。"


"え、何?話って。

今勇と優とランチルームにいるから

詩帆さんがこっち来てよ"


(げっ!!やんちゃ三人衆ッ!!!)


 詩帆はその面子の名前を聞いただけで気が滅入った。


"仕事の話だから!!

"新一人で今すぐ来なさい!!"


 気性が荒れている上情緒不安定に陥っている詩帆の理性は秒で崩壊した。


"えー。うぃー。

今から行きまーす"

"ピロン"


 次いで駆け足のスタンプが送られてくると、詩帆はもうこのやり取りだけでどっと疲れが出てきた。しかし気を休めている場合ではなかった。


(仕事の話…。でも、まずは口止めしないと…!!)


 すると新はあっという間にボイトレ室に現れた。新はいつも通りの明るい笑顔で言った。


「来たよ!何?仕事の話って。」


(うっわぁ〜やな感じッ!!この知られたくないこと知ってますぅみたいな顔!!)


 詩帆はそう思ったが、新はあくまでいつも通りの明るい笑顔だった。詩帆はすぐさま呼びつけたものの、どう話を切り出そうか考えがまだまとまっていなかった。そして待てども待てども詩帆が話し始める様子はなかった。


「おーぃ、詩帆さん?」


 催促されると益々詩帆はイラついた。しかしその僅かすぐ後、詩帆は昔あったあることを急にふと思い出した。それはあゆみが稑に稜太のことを話した事実を詩帆はまだ知らなかったのに、あゆみの勘違いで自爆し、誤ってあゆみ自ら詩帆にそのことを話してしまったという過去だった。


(あれ…、もしかして今私、あの時のあゆみちゃんと同じことしようとしてる…?あのタオルケットを掛けたのって、本当に新なの…?)


 そんな思惑が思い浮かぶと、詩帆は急に自分が今からしようとしていることに自信がなくなってきてしまった。


「ん?どうかしたの?」


 新はそんな詩帆を気に掛けた。


(だってそうだよ。もしかして明の寝かしつけにだいぶ時間が掛かっちゃって、ピアノ室に来たのは実はあゆみちゃんだったのかもしれない。そんで私に気を遣って、稑はもう寝ちゃったからって、新はそのまま帰らせたのかもしれない。)


 詩帆は尚もじっと新を見つめたまま思案を続けた。新もそんな詩帆を不思議そうにじっと見つめたまま尚も詩帆から話し始めるのを待っていた。


(ほら、だって新は本当に知らなそうじゃん。え、でも待って、これってまさか演技なの??いや、でもそうだよこれ、新なら充分あり得る!でも…、やっぱり本当に知らなかったとしたら……ッ。)


 やがて詩帆には新のいつもの笑顔が不敵な笑みにも見え、迷宮のドツボにハマってしまった。2人はまるで荒野で見つめ合うカウボーイのような、はたまた木々が生い茂る森の中の、ほんの少しだけ開けた場所でやはり一定の距離を置き(つか)を握り見つめ合う侍のような、そんな一触即発の張り詰めた空気を漂わせ無言の睨み合いが続いていた。






閑話


 詩帆が稑の腕の中で完全に寝落ちし、それからさらに15分ほどが経過した頃…。


「この2人って…、付き合ってないわよねぇ、まだ。」

「そうだな。付き合っていないはずだ、まだ。」

「一番歳の近い兄として、僕は稑の持ってるパンツの枚数まで把握しているつもりですが、付き合っていないはずです!まだッ。」

「えーでもこの2人、たまに休みの日にベッドで昼寝してるパパとママみたいになってるよー?」


 明がそう言うと、光は稑や詩帆の目の前で手を何往復か動かしてみせた。しかし2人は全く無反応だった。


「完全に、爆睡してる。」


 光は冷静に観察を終えた。すると章が言った。


「そうか。まぁ、いいんじゃないか?なるようになるさ、この2人なら。」

「うん、もう今さらだよ、この2人なら。」


 明も続いた。すると章が光の頭を撫でながら言った。


「きっとさっきのナイスアシストのおかげだな。さすがは俺のできた息子だ。」

「だってこの2人、令和の小学生よりノロマなんだもん。見ててイライラする。」

「ははは。でももう、これで機は熟したってことだな。」

「はい、そうですね。僕もそう思います!章さんッ。」

「??」


 全貌の見えない章と新の会話にあゆみは少し首を傾げていたが、主の言うことでありやはりなるようになると思ったあゆみも続けた。


「そうね、もうこのままにしておきましょ。明、そこにあるタオルケット取って来てもらえる?」

「はーい。」


 明がスタスタッと奥まで取りに行くと、その後を光も追った。そして2人でそのタオルケットの両端をそれぞれ持ち、大きく広げると高々と舞上げ、そのままそっと優しく2人に被せた。あゆみは光と明の息の合った見事なコンビネーションに思わず小さな拍手を贈ると、みんなは最後まで2人を温かく見守りながら忍足でピアノ室を後にした。




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