011 哲夫宅訪問
暦も11月に入り師走に向けて益々忙しくなる中、その日は稑にとって叶うまでの道のりがただただ待ち遠しく、前の日の晩はいよいよ寝付けないほど待ち侘びた日だった。そうなのだ、詩帆と共に哲夫宅を訪問する日が、ついにやって来たのだ。しかし…。
「どーもぉーーー!!!こんちゃーーっすッ。」
「およよ…?」
あまりに威勢の良い掛け声に哲夫が出迎えると、そこには目をキラキラさせて佇む新と、それとは対照的に目から光を失った稑が立っていた。
「あれ…、君は、新君かい?」
「はいッ!」
「あれ、えぇっと…、詩帆さんは…?」
「詩帆さんは今日急遽来れなくなってしまったので、僕が代打で来ました!」
「そ、そうかぇ…。」
哲夫はどこか豆鉄砲でも喰らったかのような顔をしていた。
「ごめんね、何も連絡せず…。」
「いやぁ、いいんだいいんだ。でも、何かあったのか?体調崩したりとか。」
「いや、そのぉ…、もう一つの仕事の方に…、"代打"で。」
それは今朝のことだった。過去に出張演奏に行ったことのある施設から突然その日のイベントの演奏者が体調不良で来られなくなってしまったとの連絡があり、急遽詩帆が対応することになったのだ。音楽を必要としている人を放ってはおけない、詩帆は己の使命を全うするべく即決し、すぐさま会場に向かったのだった。
「これ、詩帆さんから預かった手土産です。」
「おぉ、ありがとな。それにしても…、まぁ、残念だったなぁ。」
「そう?伯父さん、なんか…、ほっとしてない?」
「いぇ?いやぁそんなことは…ッ。」
哲夫は確かにガッカリしていた。しかし思ったほど落胆している様子はなく、まさにどこかほっとしているような、そんな顔をしていた。
「それになんか、今日の服装、変。」
「はぇ?!」
その日の哲夫の出で立ちは、確かに変だった。いつもの作業着ではなく、いったいどこから引っ張り出してきたのか今まで見たこともないスーツを着ていて、しかしスラッと決まったその風貌は一周回ってギリ令和、しかし哲夫の強面な面立ちからはやはりどうにも昭和の面影を脱することはできなかった。
「だぁってそりゃあよぉ!おめぇの…、マネージャーさんだし、それに…、んなぁ!!」
哲夫は隣りでずっと聞いていた新に力強く同意を求めた。
「そうです、未来の稑のお嫁さんですもんねッ。」
「え、僕まだそういうつもりで今日ここに来たわけじゃないよ?」
「まだ!?」
「まだ。」
「否定はしないんだ?」
「え、うん。」
新の言葉の綾にきょとんと真顔で返す稑を、哲夫はやはり稑だなぁと思った。出だしから予定が狂い想定外の状況になかなか頭がついていけない哲夫だったが、2人の屈託のないいかにも自然体なやり取りに段々と平常心を取り戻していった。
「ま、とりあえず!着替えてくるわ、なッ。稑、新君を事務所の方まで案内して。美代子さぁーーん!お茶お願い!!ん?お茶じゃない方がいいかぇ?」
哲夫は稑から受け取った紙袋を覗きながら言った。
「美代子さん!とりあえず、頼むッ。」
「はいはぁーい。」
そういうと哲夫は歳のわりに軽快な足取りで2階へと上がって行った。新は一定の距離を保ちつつ眩しい眼差しを向ける従業員一人ひとりに陽気にペコペコお辞儀をしながら稑の後に付いていった。
「そぉかぇ、そりゃあもう詩帆さんじゃなきゃ回らんだろうなぁ。しかしマネージャーに音楽療法士に、若いのによぉ頑張るなぁ。」
普段の服装になりやっと落ち着きを取り戻した哲夫が多忙な詩帆を労うと、未だ落ち込んでいた稑はなぜか自分が褒められたかのように顔をほころばせ、やはり詩帆さんだ、それが詩帆さんだ、とようやく気持ちが吹っ切れた。
「稑から詩帆さんの話はよぉく聞いてはおるんだが、新君から見た詩帆さんてのは、いったいどんな人なんだ?」
世間話から始まった話もだいぶ進み、話題の中心は今ここにいない詩帆のことへと深まっていった。
「え?僕から見た詩帆さんですかぁ?うーん。」
あからさまに考えるそぶりを見せた新であったがそれは十中八九想定内の質問で、新はここに向かうまでの間に改めて詩帆のことを振り返り頭の中である程度まとめていた。
「まず見た目が若い!」
「ほう。」
「僕が最初に会った時は、普通に新卒の新入社員かと思いました。」
「へ?そんなかぇ?!」
「はい。詩帆さんは今年で32になったんですけど、間違いなく5歳は若く見えます。っていうか、出会った頃と全く変わらないです。」
「へぇ。」
それには稑も何度も頷いた。
「これはメンバーの優から聞いた情報なんですけどね?前にバラエティ番組の収録に行った時、テレビ局の前に美味しそうなスイーツのキッチンカーが来ていて、帰りにそこでおやつを買って食べよう!って話になったみたいでぇ、」
「ふむふむ。」
「その時、ちょっとしたキャンペーンをやってたらしいんですよ。」
「ほぉ。」
それは稑も初耳だった。稑は詩帆の貴重な情報をひと言も聞き漏らすまいと、耳をダンボにして傾けた。
「そのキャンペーンっていうのが、20代30代40代って年齢が上がるほど、トッピングの数も2つ3つって無料で増量できるキャンペーンだったみたいでぇ、」
「へぇ。」
「優は2つ注文したんです。で、そのあと詩帆さんが3つ注文したら、店員さんが思いきり訝しげに詩帆さんを見るやいなや、
"いやいやどう見てもサバ読みすぎだろ!つーかそこまでして食べたい…!?"
みたいなリアクションをされちゃったらしくて(笑)。」
「へぇ…。」
「詩帆さんは見た目が若い上にいつもほぼすっぴんで、当時は服装もまだリクルートスーツを着てたもんだから、それこそ新入社員に見えちゃったんでしょうね。詩帆さん、"何だろこの嬉しいのに損した気分…"ってぼやいてたってッ。クックックッ。」
「いやぁ、そりゃあ間違いなく損してるだろぉよ。」
「まぁでも女性はやっぱり若く見られると嬉しいじゃないですか。」
「でも詩帆さんにその感覚はないよね。やっぱり食い意地が勝るよね。」
「そうそうそれが詩帆さん。」
「そうなのか?」
哲夫の問いに2人は首を揃えて頷いた。
「万年スーツなのも化粧をしないのも、とにかく自分に対して無頓着なんです。正直部屋もいつも汚」
と、そこまで言い掛けた新の口を稑が慌てて塞いだ。
「?」
哲夫が不思議そうな顔をしていると、新は口に当てられた稑の手をペリッと剥がし尚も続けた。
「基本雑だし言葉遣いもたまについ耳を疑うし、怒ると怖いし酔っ払うとソファで寝ちゃうし、社長のことも名指しだしね。」
「それは生まれた時からの幼なじみだからでしょ!?」
話を聞いているうちに段々と顔が引きつっていく哲夫に焦った稑は、慌てて新の発言を補正した。
「ま、それもあるけどさ。とにかく飾らない、まっすぐで、いつも熱くて全力投球、行き過ぎてたまに猪突猛進!!」
「うんうん、そうだね。」
「そんでもってとにかくいつも自分のことは後回しで、今日の"代打"もそうだし、僕たちのことにも常に全身全霊を掛けてる、そんな感じです。」
「へぇ…。」
次々と湧いて出てくる新の言葉からは、まるで動く詩帆が想像できた。テンポの良い新の話に哲夫は聞き入り、相槌ももう無意識になっていた。
「つい、先日も…。」
それまではまるで噺家を真似るように話していた新だったが、そこからは少し声色が変わった。そして視線は哲夫から机上に並んでいる美代子が用意してくれた紅茶のカップへと移り、そっと胸のうちを語るような口調になっていた。
「実はこの前の大阪公演は、直前で稑がメンタル的にリタイア寸前まで行っちゃって…。」
「えぇッ、稑ッ、そうだったのか?!」
「あ、いや、まぁ…、でも大丈夫だったよッ!ちゃんとやり切って、成功したよ!」
哲夫は目玉が飛び出そうな顔をして思わず半身に構えた。そして稑が大丈夫と言ったところで、その原因が分からないうちはその心配は尚も哲夫をまとったままだった。
「僕は稑の一番歳の近い兄として、何とか力になりたかった。でも、結局励ますことすらできなかった…。そんな稑を、詩帆さんは次の日までにしっかり復活させて。」
「…そうか、詩帆さんが。」
「確かに詩帆さんは、今稑と同じ家で暮らしてるから、それもあるのかもしれないけど、でもこの2人には、何て言うか、親子とも違う、兄弟とも、同志とも違う、もっとこう…、何か例え用のない絆で結ばれてる、そんな気がするんです。稑には詩帆さんがいて、詩帆さんには稑がいれば、もう何でも大丈夫!みたいな。」
「ほぇ…。」
哲夫はもう言葉にならない言葉でしか答えることができなかった。しかしそれは稑も同じだった。いつも何かと気に掛けてはくれるものの起きてる時間の5分の4は基本おちゃらけて見える新が実は自分たちのことをよく観察しそんなふうに思ってくれていることが、稑には新鮮で仕方がなかった。
「それではお邪魔しましたッ。お寿司もご馳走様でしたッ!!」
談笑の時間はあっという間に過ぎていった。思いの外情報量が多く、哲夫の頭はちょっとしたパンク状態になっていた。この僅かな時間で、哲夫はまだ実際の詩帆には会えていないのに、まるでもう初対面を済ませたかのような感覚になっていた。
「新君、今日はありがとう。よかったらまた来てくれな。稑のこと、これからも、よろしく頼む。」
一緒に仕事をする仲間が自身の家族を兄弟のように慕ってくれるのは、哲夫にとっては稑がトップアーティストになることよりも喜ばしかった。哲夫は工場の入り口の外まで足を運び、2人の姿が見えなくなるまで見送った。




