自由になった悪魔は
「——……と、まぁ。こういう出会いかな?」
「ちょっと!聞いて損しましたよ!明らかに作り話じゃないですか〜!!」
石造り、四階建ての商業ギルドの最上階。その一室に、若い女の叫ぶ声が響き渡った。
一枚板でできた分厚いテーブルを叩きながら、背もたれ付きの高級な椅子に腰掛ける青年へと文句を垂れ流している。
「パンドラクスの暴君が九人の王子に殺されてから、国がさらに荒廃したのは有名な話ですけど、五十二番目の王子なんて存在してませんからね」
「そう?記録が残ってないだけじゃない?なにしろ、残り滓の王子だったみたいだし」
「うーん……。パンドラクスに関しては、十年前の大洪水で国自体が湖になって沈んじゃいましたし。記録が残ってなくても……って、ごまかされませんよ!?いくらなんでも一国の王子についての情報が全くないなんて、ありえません!」
「……秘書が信じてくれない。悲しい」
「二十五歳にもなって泣き真似はやめてください。ていうか泣き真似してるだけのに、なんでそんな美人なんですか。腹立つな」
「母が暴君に攫われるくらい綺麗だったから」
「その話、もういいですって」
呆れたようにため息をついた女が、手にしていた書類を青年に差し出す。大きな窓から差し込む陽の光が、青年の銀白の髪と、それより少し濃い青銀色の目を明るく照らしていた。
「最年少商業ギルド長就任の、特集記事なんです。街で一番大きな新聞社から、一面使って出るんですよ?もっと真面目にやってください」
「やってるんだけどなぁ」
「シャリアさんに言いつけますよ?あっ、ちょうど来た!」
ノックもなく、扉が開く。一般的なサイズの扉にも関わらず、潜るようにして巨躯の男が入って来た。
手に、紙袋を抱えている。
「おかえり、シャリア。どうだった?」
「いい品種だな。甘味と酸味のバランスがちょうどいい」
男が紙袋から赤く色付いた林檎を一つ取り出し、テーブルの上にそっと置く。
「わぁ、美味しそう!ギルド長、これって今度販路を作るって言ってた東方の林檎ですか?」
「そう。この街どころか、この国でも初お目見えのはずだよ」
身を乗り出して林檎を眺める女に、青年が笑顔で返す。
「シャリアさんって、本当林檎好きですよね。こんなムキムキの色男が林檎好きって、ギャップがあると言うか」
「林檎には思い入れがあるからね、僕も彼も。シャリア、その袋の中は職員の試食用?」
「あぁ。後で下の階に持って行ってやる」
「えっ!?本当ですか!?やったー!シャリアさんが見つけてくる食べ物って、全部美味しいから楽しみです!」
大袈裟に跳ねた女が、「って、そうじゃなくて!」と首を横に振った。
「聞いてくださいよ!ギルド長ってば、新聞の一面に載るっていうのに嘘ばかり言うんです!自分が、神の怒りに触れて滅んだ、あのパンドラクスの五十二番目の王子だった、とか!」
「……ノストライアがそう言うなら、本当なんだろ」
湖面を思わせる瞳が、何の疑問もないかのように女を見る。
「そ、そんな……。ギルド長が黒と言えば白い物も黒、みたいなノリで」
「……?ノストライアが黒と言えば黒なのは当然じゃねぇか」
「あ、駄目だこの人。ギルド長馬鹿だった」
ドン引きした顔で一歩下がった女が、「とにかく」と青年へと振り返った。
「明日のお昼に記者が来ますから、それまでにギルド長とシャリアさんの出会いについて、ちゃんと真面目にまとめておいてくださいね?」
スケジュールの詳細はそれです、と先程青年に手渡した書類を指差す。
「十年前突然やってきて、この街の商業をあっという間に建て直し、最年少でギルド長となったノストライアさん。そしてその右腕として、どんなに難度の高い販路も切り開いてきたシャリアさん。お二人の人気は、我がギルドに留まらず、今や国中に広がってるんです。この機を逃さず、どんどん知名度を上げていきましょう!」
ぐっと拳を握りしめた女が、「では、よろしくお願いします!」と部屋から出ていく。
その後ろ姿を、男が呆れたように眺めている。おそらく、相変わらず騒がしい女だ、とでも思っているのだろうと青年は考えた。
テーブルの上の林檎を眺める。皮はピンと張り、艶やかで瑞々しい。
「僕も一つもらおうかな」
「切ってやるよ」
青年が手を伸ばす前に、男が林檎を取った。小さなナイフを使い、手のひらの上で器用に一切れ分切り出す。太く長い指がそれを摘み、青年の口元をツンと付いた。
「ほら、開けろ」
素直に開いた口の中に、林檎一切れの三分の一ほどが入れられる。サクリとそれを噛むと、男が残りの三分の二を自分の口に放り込んだ。
林檎は新鮮で香りもよく、甘味の中に爽やかな酸味が感じられた。そのままでもいいが、菓子にしても香り豊かに仕上がるかもしれない。
「美味しい。さすがシャリア」
「林檎のことは任せろ。いつかお前の前に、世界中の林檎を並べてやる」
男は抱えていた紙袋をテーブルに置き、代わりに座っていた青年を軽々と抱き上げた。
「僕、もう二十五なんだけど」
「だから何だ?お前はずっと可愛いままだ」
「僕は、髭を剃った君がこんなにかっこいいなんて知らなくて、最初見た時びっくりしたけどね」
視線が絡み、微笑み合う。
男は青年を抱いたまま、窓へと向かった。
賑やかな街並みが見える。
「……『自由になった悪魔は、助けてくれた少年の元で幸せに暮らしました』」
男の口から、お伽話の一節が紡がれる。
青年の手が、男の影のような色の髪を優しく梳いた。
「少年も幸せだよ。大好きな悪魔が、傍にいてくれるから」
——昔々。
あるところに、悪さばかりする男がいました。
生まれつき孤独の中にいた男には名前がなく、善悪の区別もつかぬまま、たくさんの人を殺し、たくさんの家畜を襲いました。
男を捕まえようと向かった兵士たちも、男の大きな身体と凄まじい剛力に歯が立ちません。
死んだ兵士の数が百を超えた頃、その国の王は男を殺すよりも手に入れたいと考えるようになりました。
そしてその願いは、ある邪悪な魔女によって叶えられました。
男は見える相手には負けたことはありませんでしたが、魔術に対抗する術を持ってはいませんでした。
ついに捕縛された男は、王から山盛りの黄金を受け取っていた魔女によって、『百人の王の願いを百度叶えるまで、影の悪魔となる呪い』をかけられてしまいました。
喚いても暴れても、王の願いを叶えるためにしか、影から出て来ることはできません。
王は、最初の願いを口にしました。
お前を影の悪魔にした魔女を殺せ、と。
仕方なく、男は従いました。
百代の王の百度の願いを叶えるために。
……最初の王は百度の願いを短い間で使い切り、最後は暗殺されて生涯の幕を下ろしました。
王たちは、時の流れとともに代替わりをしていきました。
それから、千年……二千年が過ぎ。
数えて百代目の王の百度目の願いは「塔にいる五十二番目の王子を殺せ」というものでした。
この王はとても強欲でしたが、同時に愚かでもありました。自身の願いの回数を数えていなかった上に、乱れた日々に流され、王子殺しを命じたことも忘れていたのです。百度目の願いを口にしてから、反旗を翻した王子たちに首を切られるまでの三年間、一度も願いを口にしなかったのは、単なる偶然にしか過ぎませんでした。
一方で、五十二番目の王子の暗殺に向かった男は、数えきれないほどの命を奪い真っ赤に染まっているだろう自身の手を「温かい」と言った少年を観察することにしました。殺すのは簡単で、それをすれば晴れて自由の身でしたが、男は「もう少しだけ」と言い訳を重ねながら少年の側にいました。
少年は最初に会った晩に盛られていた毒により、成長が遅くなっていました。栄養も足りておらず、細い体に低い背丈。惨めだな、と男は思いました。
しかし少年は、自身の境遇を嘆いたり悲しんだりしたことは一度もありませんでした。
そればかりか、少ない食料を男に分け与えようとしました。
欲しい物は力ずくで奪い、与えられるのは王による命令だけの、人ですらなくなった男に。
少年は、何もかも半分ずつ与えようとしてきたのです。
初めて貰ったのは、日が経ち硬くなったパンの半分でした。影の中に戻ってそれを口に入れると、やけに塩気の強い味がしました。
城の敷地内に限り行き来できる男は、調理場で果物を一つ盗みました。同じように盗んで物陰で食べていた下働きが、美味いと言っていたからです。
それは、赤く熟れた林檎でした。少年の元へ戻り目の前に放り投げてやると、少年は今まで見たことがないくらいに喜びました。「林檎だ!」と飛びつき、ナイフで半分に割ってから片方を夢中で食べ、それからもう半分を男に差し出しました。
少年は言いました。
ごめんなさい。あんまりに嬉しくて、先に食べてしまった。
ありがとう。
男は、それから様々なものを少年の元に運びました。
太陽の位置にも気をつけて、真上になると運ばれてくる粗末な食料の中に毒が混ざっていないか悪魔の力を使って確認しました。
なぜなら、男が何かを運ぶたびに、毒の有無を教えるたびに、少年が微笑んで言うからです。ありがとう
と。
やがて少年は、男を少年自身が付けた名前で呼ぶようになりました。輝く者、という意味だと教わりました。影の中にしか居場所がない、黒ずくめの男の名前だというのに。
生まれた時からずっと無縁だったその言葉たちは、男の中の孤独を静かに、けれども確実に溶かしていきました。
……いつの頃からか。
男は、自由から手を離していました。
少年を、ここから出す。
そのために、男は影に潜みながら動きました。
兵士や下働きの中にいる現状に不満を持つ者たちに、風が密会の会話を運んだかのようなやり方で、反乱を起こそうとしている者がいる、と思わせました。
次第に、何人もがそれに同調するようになりました。
やがて彼らはお互いを探し、意気投合し、城の目が届かない塔近くの森で本当に革命を起こそうと考え始めました。
全ては男の計画通りでした。
——ただ一つ誤算だったのは、少年の方も男を助けようとしていたことです。
とある国が滅んだ嵐の夜。
一人の男と一人の少年が、高い丘の上から沈みつつある国を見下ろしていました。
かろうじて逃げ出せた者たちの列が、山に向かって伸びています。彼らは口々に「水が来るから山へ逃げろと教えてくれた二人組がいた」と語っていましたが、数年も経たないうちに、それも忘れ去られました。
男と少年は、手を取り合い城に背を向けました。
二人がどこに向かったのかを知っているのは。
きっと、あなただけ。
お読みいただきありがとうございました。
この忠誠は、永久に
~腐女子転生!人気BL小説の最強スペック受けに転生しましたが、私は壁になりたいんです!~ (連載中)
お喋りクソ野郎、と言われ千年前に魔皇に声を封印された兵卒ですが、年下のイケメン最高指揮官に片想いしています。(完結)
もよかったらよろしくお願いいたします。




