第一話 豊穣の王国
Ⅰ
燃えさかる夜の港町に、沖合で列をなす軍艦から続々と砲弾が撃ち込まれてゆく。その火力支援を受けて進む輸送船の甲板に立つ巨大な人型構造物の胴体で、開いた装甲の裏に足を掛けて操縦室から身を乗り出した仮面の騎士が声を張り上げている。
「諸君、これまでの戦いご苦労だった!今より攻め込む港は、我らが帝国との同盟を拒み皇帝陛下に抗う最後の一国、ウェルスランドの港である!この一戦が、世界に帝国の威光を示す戦いの総仕上げとなる!諸君らの手によってそれを成すのだ!帝国に栄光あれ!」
帝国に栄光あれ!立ち並ぶ巨人が握り拳を胸まで上げ、騎士達が一斉に唱和した。剣を抜いてもよい状況なら胸に捧げ持っただろうが、激しく揺れる船上である。
「一人も欠けることなく、故郷に凱旋しよう!」
小さな教会の鐘楼ほどもある魔鉱兵、ナイトの胸部装甲が騎士達を包み込み、仮面の騎士が乗る銀のアークナイトの合図で魔鉱兵部隊が輸送船から浅瀬の海中へとしぶきを上げて飛び降りてゆく。
昼間であれば、水中に半身を浸して動きの鈍った魔鉱兵などは格好の標的にされるところだが、港を守る砲台も敵の艦載砲の発射炎ぐらいしか目印のない夜襲とあってはいささか不利だ。それでも王都からの援軍が到着するまでは撃ち続けるしかないのが港町の守備隊だった。
「撃てー!敵に上陸の隙を与えるな!何としても死守するんだ!……うわぁ!?」
闇夜に紛れ、泡立つ波を掻き分けて上陸した巨大な影が堡塁ごと砲台を蹴散らす。
アークナイトは剣のひと薙ぎで両隣の砲台も破壊すると、後に控える魔鉱兵部隊をハンドサインで左右に振り分けた。
「後続機、一班は船着場を押さえろ!二班は引き続き砲台と見張り台を潰せ!すみやかに本隊の突破口を開くのだ!」
家々を焼く炎に照らされた銀の胸部装甲が展開し、銀の甲冑を纏った仮面の男が操縦席から立ち上がりながら装甲の縁に足を掛ける。そのすぐ横を海からの至近弾がかすめ、先行して港の占領に向かうナイトの一体がよろめいた。
《白騎士殿!火力支援が厚すぎます!》
「戦争屋は、馬鹿のひとつ覚えで……!砲撃をやめさせろ!信号弾上げ!」
自動装填のアルバレストを背負った魔鉱兵アーチャーが時限式で炸裂するボルトを垂直に放ち、上空で発光信号が瞬いたのを合図に艦隊の砲撃が止んだ。程なくして小舟に乗った生身の兵士が続々と上陸し、崩れた護岸に立つアークナイトの脇を隊列を組んで通り抜けていく。兵隊の行く手ではウェルスランド王国の軍艦が停泊したまま無残な姿を晒し、その手前に並ばされた生き残りの船員や港の作業員が両腕を頭の後ろで組まされている。これから、あの捕虜どものうち抵抗する者は見せしめに殺し、帝国軍の荷下ろしに使えそうな者は使わなければならない。
「少し壊しすぎたな。最大の軍港と聞いていたが、他愛もない」
帝国の尖兵として最前線を駆け回っているうちはいいが、戦が掃討戦に移り、やがて終われば出世のチャンスは限られる。この国には踏み台になってもらうぞ……。そう呟く仮面の騎士ノイシュの口元は笑ってはいなかった。
* * *
大地に鍬を突き立て、手前に引いて掘り起こす。土中の栄養を攪拌することで畑が元気を取り戻し、ほぐれた土に作物が根を張りやすくなる。そういう理屈はレオにも理解できたが、騎士が自分の屋敷の畑仕事などをして、農夫の真似事をしなければならない理由については納得しかねた。「領民が飢饉で苦しんでいるとき、この畑が役に立つのだ」と父リカルドはいつも言うが、どうも趣味に付き合わされているだけのような気がする。だいいち農園では充分な人手を雇っているし、牛馬に牽かせる耕耘機もあるというのに、どうしてわざわざ人力で鍬を振るわなくてはならないのか。容赦ない日差しの下、楽しそうに畑を耕す父を睨みつけながらレオが額の汗を拭うと、農道から一騎の伝令がやってくるのが見えた。紋章でわかる。領主様の使者だ。
「ご精が出ますな。騎士リカルド殿」
「や、どのようなご用件ですかな」
下馬した使者は汗ばんだ古着に髪を振り乱した浮浪者同然のリカルドを呆れたように一瞥すると、馬の鞍に取り付けた革袋から巻物を取り出しながらレオを指差した。
「今日はご子息に用事があるのだ」
使者が伝言を読み上げる間、レオは鍬を置き、リカルドの土まみれの大きな手で頭をぐいと押し下げられて畑にひざまづいた。背後では農夫達も各々の作業を中断して同じようにひざまづいている。領主様の言葉は領主様そのものだからだ。要約すると伝言はこうだ。王都からレオを名指しで呼び出しがかかったので、至急領主の城まで出頭せよ。
「……顔を上げよ。リカルド殿は先代より我が家に仕える身、その子息を預かるのだから、こちらが頭を下げたいぐらいです」
女領主イライザの一族は、地元の田舎貴族のうちで他より多少勢力が大きかったために周辺地域一帯を治めているだけとはいえ、その居城はレオの住む古い砦を改装したボロ屋敷などとは調度品の豪華さも清掃の行き届き具合も比べものにはならなかった。リカルドとレオが通された謁見の間には、家臣団や騎士団の主立った面々がすでに集合していた。リカルドはここではさすがに浮浪者のような姿ではなく、引退してからというもの倉の肥やしになっていた甲冑を引っ張り出し、レオにも用意できるうちで一番上等な服を着せ、腰には形ばかりの長剣を履かせてくれた。
「領主様、愚息レオナルドは年頃ではありますが、お城へ上がるには少しばかり早すぎます。今、取り立てて頂いても、戦でお力になれるとは思えません。国王陛下はなにゆえ、レオナルドをご指名なのでしょう?」
「詳しくは王都で、と言いたいところですが、ふむ……。帝国がどうしてウェルスランドを攻める気になったか分かりますか?」
「それは、大陸の諸国を従えて……」
「新兵器です」
レオとリカルドは顔を見合わせた。
「新兵器……?」
「大陸を席巻し、先ごろ我が王国の軍港を壊滅させたのも、その新兵器だったそうです。聞けば、王都でも同じものの製造に成功し、敵と同じ力をもって反撃を画策しているのだとか。おそらくは限られた者にしか扱えぬ代物ということなのでしょうね」
イライザは間を置かず話題を変えた。
「騎士エリシュを身辺の護衛に付けます。支度もあろう、明日出発なさい」
イライザが片手を上げて名を呼ぶと、玉座の背後に控える美女揃いの親衛隊から銀髪の女騎士が進み出た。平静を装う女騎士が一瞬、面食らった顔をして目だけで領主を見たのをレオは見逃さなかった。
「不服そうですね、エリシュ」
「そのようなことは……」
「王国の存亡を懸けた戦でありながら、我が騎士団には待機命令が下されています。子供の護衛とはいえ、この地の代表である以上は最強の者でなければならない。そなたにはそれだけの実力がある。私の代理と思って、誇りを持って任務に当たりなさい」
その言葉を聞いていた短髪の女騎士が言葉を継ぐ。
「エリシュ、あんたは間違いなくウチのエースだ。あたしらの分も暴れてきな」
「イライザ様、隊長……」
隊長というのは親衛隊長なのだろう。感極まったエリシュが銀色にきらめく金属の篭手の拳を突き出すと、隊長と他の女騎士達が円陣を組み、その拳に各々の銀の拳を突き合わせて親衛隊の誓いの言葉を唱和した。レオはうんざりしたが、感心した様子の父や得意げな女領主の手前、一歩も姿勢を崩すわけにはいかなかった。
父と並んで帰る城の廊下で、金属の篭手が不意にレオの背中をぽんと叩いた。女騎士エリシュだ。腰まで届く銀の長髪からすらりとした印象を受けるせいもあって、間近で見上げたその背丈はリカルドとそう変わりないように感じられる。
「おい、おまえ。すぐに出られるか」
「出発は明日のはずじゃ……」
「明日と言われて明日まで待つ馬鹿があるか。予定より早く馳せ参じて度肝を抜くのだ。王都の連中に、田舎者となめられたくないだろう?こういうときは最初が肝心なんだよ」
レオは父のほうを見たが、リカルドはレオの予想より一歩引いた立ち位置でひげを撫でて頷いている。その手をエリシュに差し出すと、二人は固く握手した。
「息子を、頼みましたぞ」
* * *
騎士の詰所で歩哨のために用意されている野営セットを受け取ったあと、レオは馬舎で馬を借りようとしたが、乗馬技術が未熟なせいか、レオを乗せても暴れない軍馬がどうしても見つからず、結局エリシュの馬に乗ることになった。レオはエリシュの前に騎乗し、エリシュの胸に頭を預ける格好になったが、ごつごつした金属の胸甲があっては心地のよいものではない。王都へ続く街道は、ゆけどもゆけども農地が広がり荷馬車の轍もないような田舎道である。二人乗りでは早駆けもままならず、夕闇が迫るとエリシュは道端の木に馬を繋いで火起こしに取りかかり、レオは薪を集めさせられた。レオが両腕いっぱいに小枝を抱えて戻る頃には、掃き集められた枯れ葉の間からすでに種火の煙が立ち昇っていた。
「ん、ご苦労。ちゃんと生木ではなく地面に落ちた枝だけを拾ってきたな?よし。もう少し火の勢いが増したら食事にしよう」
「あの、騎士さん」
「エリシュでいい」
「エリシュさんには従者はいないんですか?」
「馬鹿にしているのか」
「そういうわけじゃなくて、その……俺も父さんに連れられて野宿したとき、火起こしを教えられたことがあるんですけど、エリシュさんはとても手際がいいなと思ったんです」
エリシュは寝袋の上に座り込むレオから小枝を一本受け取って枯れ葉の隙間に差し込み、焚き火の様子を見ながらそっと掻き回した。おまえには関係ないと一蹴することもできるが、まあ、旅の連れ合いが得体の知れぬ女では居心地が悪かろう。
「私はこの地の者ではないんだ。事情があってよそから独り流れてきて、イライザ様のお側仕えの末席に加えて頂くまで、しばらく王国じゅうをふらふらしていてな、それで旅慣れている。従者などは考えたこともないな。確かに、周りの者は奇異に思っていることだろう」
「……」
「不安か?根無し草でもイライザ様への忠誠心は本物だ。私がおまえを守ってやる。そうすることがイライザ様への忠義の証になるなら、なおのことな」
日が沈んでしまえば、月のない夜である。星々が天空を満たし、焚き火の炎だけが二人の顔を闇の中に照らし出している。レオとエリシュは焚き火に群がる蛾を払いのけながら保存食の硬いパンを炙り、葡萄酒に浸して少しずつちぎっては頬張った。
「私のことより、レオナルド。おまえはどうなんだ?馬にもろくに乗れぬまま呼び出されて、祖国のために戦う覚悟があるのか?」
レオは焦げ臭いだけのトーストの残りを葡萄酒でむりやり流し込んでから星々を仰いだ。夜空には名前を何とかいう古代の英雄の姿を象った大きな星座が瞬いている。たしか、死んだ英雄を哀れんだ古代の神様が亡骸を天に上げて、それが星座になったんだっけ。
「俺、正直みんなのテンションについていけないです。でも、ここで引き返したら死ぬまで畑仕事だから」
「ふむ」
「怖いけど、現状を変えられる何かが王都にあるんなら、生きる意味が見出せるなら、俺はそれをやってみたいです」
「本当にそう思うか?」
「え?」
「今度のことは、大人の都合でおまえのような子供に背負わせるには荷が重すぎると個人的には考えている。おまえぐらいの年頃なら、怖いとか、逃げたいとか思うのが当たり前だ。ひと晩考え直して、もしも家へ帰りたくなったらそう言え。私がイライザ様に話をつけてやる」
「それって、エリシュさんの命と引き替えにってことでしょ?」
エリシュはぎょっとした。
「俺は、そんなのいやだな」
「フッ……そうだな。ことが進展してしまえば、私にもおまえの背中を押すことしかできない。いずれにせよ今のうちによく考えておくことだ」
戦う覚悟など自分にだってあるのかどうか分かりはしない。少し意地悪な質問をしてしまったかなとも思ったが、エリシュは満足していた。どのような答えであれ、それがこの子の本音だと思えたからだ。そうであればこそ守るに値する。夜は更け、エリシュは居眠りすることがないように焚き火の前に立ち、剣の柄に手を掛けて周囲を警戒した。
騎士エリシュとレオを乗せた軍馬が王都にたどり着いたのは、結局出発を一日待った場合と大差ない頃合いだった。敵軍がすぐそこまで攻めてきているにもかかわらず、市街地は戦などどこ吹く風といった賑わいだったが、王城の門はさすがに開放されてはいなかった。門の上に増員された兵士が部下に弓矢をつがえさせ、門前のエリシュに大声で誰何した。
「何者か!」
「領主イライザ様の使者、騎士エリシュ!王命により、騎士リカルド殿のご子息レオナルドを連れて参った!国王陛下にお目通り願いたい!」
「……そこで待て!」
当直の兵士の中に今回の件を知らされている者はいなかったようだ。しばらくして、金属板で補強された巨大な門が音を立てて開き、その内側を守る太い金属の格子が上がり、堀に橋が渡されると、レオとエリシュは王に謁見することなく、じかに兵舎へ回るよう指示された。
練兵場の隅の兵舎には火砲や攻城兵器の格納庫が併設されているのだが、その内部に天井から幕を吊って秘匿された一角があった。レオが幕をくぐると、いかにも急ごしらえといった作業場に、ほの暗い灯火で照らされた巨大な人型構造物が片膝をつき、その周囲に組まれた足場のそこかしこで十名足らずの魔術師と、剣の稽古に使う木偶人形に似たパペット達がノミを振るったり、ヤスリをかけたり、床に落ちたゴミを掃き清めたりして忙しく立ち働いている。作業台で拡大鏡を手に小さな部品とにらめっこしていた老魔術師が立ち上がり、レオの背後のエリシュに声を掛けた。
「待ちかねておりましたぞ、騎士殿。しかしご婦人とはのう」
「お爺様、操縦者は殿方のはずでしょう。重要人物なんだから護衛だって付けます。そちらは護衛の騎士様と……従者さんかな?」
整備中の魔鉱兵の腕が装甲を開放した胸部から手前にゆっくりとスライドし、その手のひらに乗った紺のローブの利発そうな少女が、先端部だけでも人間の頭より大きい親指に掴まってぴょんと床へ飛び降りた。
「失礼ですが、レオナルド様はどちらに?」
ぼんやりしていたレオの背中をエリシュが無言で叩いた。こういうときは最初が肝心なのだ。
「きっ、騎士リカルドの息子、レオナルドです。レオって呼んで下さい」
「……あなたが?」
レオの差し出した手は無視されてしまった。少女は眉をひそめ、銀の甲冑のエリシュと埃まみれでみすぼらしい服装のレオとを見比べている。
「紹介が遅れましたな。この子はわしの孫、魔鉱兵開発チーム主任のスズと……わしはただの助っ人のじじいです」
「助っ人だなんて!」
「鉱石魔術に関してはお前のほうが詳しいじゃろ?」
「騎士エリシュと申します」
「ようこそおいで下さいましたな。スズ、さっそく起動実験じゃ」
「はいお爺様」
スズは魔鉱兵の手のひらに戻ると、レオに手招きをした。だが手を差し伸べて引き上げてくれるわけではない。巨大な手のひらはレオがどうにかよじ登るのを待たず動き出し、胸部の操縦室の脇で停止した。打撃や砲弾などの衝撃を受け流すように斜めに面取りされた胸部装甲は、上から三分の二ほどが頭部の前に跳ね上がり、暗い開口部の奥には乗り合い馬車の内装を思わせる革張りの座席が見える。しかし、窓もないのに装甲を閉じてしまったら外が見えないのではないか?疑問はいろいろあったが、驚くばかりのレオの口は老魔術師が先ほど言った聞き慣れない単語をおうむ返しに喋るのが精一杯だった。
「魔鉱兵って、これが新兵器?」
「そう。魔鉱兵は、あなたの魔力で動かす魔法鉱石製の甲冑みたいなものよ。もっとも甲冑にしては大きすぎるから、“着る”って言うよりは“乗り込む”って言うほうが正確なんだけど。はい、これ」
スズは懐から金具のついた小石のようなものを二つ取り出し、一つをレオに手渡すと、レオに例示するように髪を掻き上げて手元の一つを自分の耳の穴に嵌め込んだ。なるほど、この金具を耳介に引っかけることで、小石が耳の穴からこぼれ落ちたり、逆に奥へ詰まって取り出せなくなったりすることがないようにできているのか。
「声を出したときの頭の骨の振動と魔力とを相互変換する魔法回路を刻み込んだ魔法鉱石です。……理屈はともかく、これを着けていれば操縦室にいても外と話ができるわ」
目の前にスズがいるので今はあまり実感できないが、小石を耳に嵌めてみれば確かにそこからもスズの声が聞こえてくるような気がする。耳元からの声はなんだかくすぐったい。じきに慣れるわ、と笑うスズに促されるまま、レオは剣帯を解いて長剣を操縦席の肘掛けの外側にあるホルダーに固定し、握り拳ほどの大きさの水晶球が半ば埋め込まれている奇妙な装置を跨いで操縦席に腰掛けると、身じろぎして座席の詰め物の具合を背中で確かめながら胸部装甲が自動的に閉じるのを待った。
《肘掛けの先端に丸く盛り上がった部分があるのが分かる?そこに両手を置いて下さい》
闇の中、スズの声が聞こえる。操縦室は闇、完全な闇だ。左右の肘掛けの先にある冷たい半球状の石に手のひらを当てると、そこを中心にして幾条もの稲妻が音もなく操縦室内を駆け巡り、座席の手前で光る水晶球からレオを囲む前後左右と頭上の装甲裏に外界の様子が投影された。水晶球の丸みに合わせて装甲の裏側にもゆるやかなへこみがあるので、どの方向の影像もほぼ歪むことなく投影されている。眼下に並んで拍手する魔術師達をよく見ようとレオが頭を動かすと、影像も同じように動いた。これなら背後を見るのに背もたれの後ろを覗き込む必要はなさそうだ。
《ひとまずは成功ね。じゃ、立ってみましょうか。……っと、その前に注意点が二つ。ひとつ、今見えている影像はあなたがいる胴体ではなく、頭の高さの影像です。もうひとつ、立ち上がる前にハーネスを締めて下さい。座席の裏にあるわ。起動には成功したから、もう肘掛けから手を離してもいいわよ》
背もたれの裏側に垂れ下がったベルトを手探りで捕まえて、両肩と腰を固定するベルトのパズルのような四つの金具を臍の位置で組み合わせてから、レオは呼吸を整え、立ち上がるという動作を頭の中で整理し直した。巨人は……魔鉱兵は膝をついていたはずだ。まず体重を前に移動する。操縦室がぐらりと前に傾く。続いて膝を伸ばす。視点がぐんと上がる。こうして操縦している間のレオの身体感覚は夢を見ているときのように溶けて魔鉱兵と一体となり、巨大な手足が、指先が、まるで自分のもののように動くのがわかった。難点は自分の手足と違って触覚がないことぐらいだろうか。だが考えてみれば、剣や鍬の刃先にだって触覚はないのだ。
《なかなか好調のようですね》
耳元にスズのものではない穏やかな声が混信した。足元を見ると、魔鉱兵を見上げるエリシュと魔術師団とスズの隣で異様な人物が微笑んでいる。人物……?いや、トカゲの顔に表情はないはずだが、大きく裂けた口角がわずかに上がっているために微笑んでいるように見えるのかもしれない。レオは竜人の実物を見るのは初めてだった。白いローブに身を包み、全身がプラチナのように白く透き通った鱗で覆われている竜人はこちらに小さく手を振った。
《今次作戦の指揮を執るルミラです。到着したばかりのところ申し訳ありませんが、今は時間が惜しい。可能ならばプロトナイトはそのまま出撃して下さい》
「港まで歩かせる気!?」
「それぐらいできなければ実戦兵器とはいえない。でしょう?スズさん」
確かに、起動状態の魔法鉱石は常にごく薄いマジックフィールドで覆われており、物理攻撃に対しても魔法攻撃に対してもわずかな抵抗力があるため、歩行によるパーツの摩耗は金属より遅い。だが問題は操縦者の魔力を動力源としている点であって、乗り続けて疲労が溜まれば精神力と密接に関係している魔力の供給量も落ち、魔法回路を維持できなくなる危険性がある。機体はなるべく台車で運んでもらいたいところだが、実際に集中力の限界に達するまで乗ってみたことはないのがスズだった。
《プロトナイト?》
スズの思考にノイズが入った。馬鹿な質問はしないでもらいたいものだ。王都の大学で身につけた鉱石魔術の全てを注ぎ込んだウェルスランド王国初の魔鉱兵の操縦者が、こっちの凛々しい女騎士だったらどんなによかったか……。
《その機体は帝国軍で量産されているナイトの模造品なのよ。王国製ナイトのプロトタイプだからプロトナイト。レオ、港町まで歩ける?》
「戦なんだろ?やってみなくちゃ」
《では、そういうことで。レオナルドくん、君に手伝ってもらいたいのは、これから行く港町の奪還と、港を占拠している敵戦力の殲滅です。僕の部隊はあとから追いつくので、騎兵隊長さんの指示に従って先に仕掛けていて下さいね》
* * *
国土に敵軍の侵入を許している以上、こちらの動きは斥候に察知されていると考えて間違いない。しかし、そうだとしても、斥候からの報告を受けた敵が迎撃態勢を整える前に先制すればよいのだ。幸い、地の利はこちらにある。騎士エリシュを加えた少数精鋭の騎兵部隊は、プロトナイトの巨体を隠せそうな谷間の道や丘陵の陰を選んで慎重かつ迅速に進み、海に臨む崖の上ぎりぎりの距離から敵陣を観察した。土塁や空堀、鋭く削った丸太を組み合わせたバリケードなどで構成された即席の防衛線はところどころ未完成だが、手薄な箇所は必ず二、三体の魔鉱兵が守っている。
「弱点が丸出しと見せかけて、巨人に手間取っていると砲台の援護射撃に潰されるわけか。憎たらしい配置だな……」
隣のエリシュに望遠鏡を手渡して、騎兵隊長は舌打ちをした。耳の小石に手をやる。
「操縦者のボウズ、聞こえているか?我々もプロだ。一箇所、穴を開けてくれればいい。こちらの動きは気にせず砲台と巨人どもの注意を引きつけろ」
《はい》
「ボウズのタイミングで、いつでも行っていいぞ」
伏せていたプロトナイトが起き上がり、崖から躍り出た。剥き出しの岩の終端を蹴って、生身で落ちれば人の形も残らないような高低差を滑り降り、剣の柄に手を掛けて港町まで一直線に走る。魔鉱兵を操縦して跳ぶのも走るのも今日が初めてだが、今のレオは巨大な甲冑を自在に動かせることがただ爽快だった。
「……遅い、遅すぎる!」
仮面の騎士ノイシュは遅々として進まぬ設営作業に苛立った。ノイシュは魔鉱兵部隊の指揮官であって工兵隊長ではないが、補給態勢が整わないことには出撃もできない。現在警備をさせているナイトとアーチャーは港に上陸したままの満身創痍の部隊だけで、輸送船のスペースを節約すべく四肢を分解して貨物室に詰め込んできた機体や予備パーツの荷下ろしさえ済んでいないのだ。
「白騎士殿、兵達はみな長旅で疲れています。無理をさせれば今後の進軍にも影響が出るかと」工兵隊長が言った。
「皇帝陛下がウェルスランド攻めを最後に回したのは、海を渡らなければ攻め込めぬ島国だからという理由だけではないぞ。“砲術師”ルミラ・ノーゥン……貴様も軍人なら聞いたことがあろう」
「まさか、竜人などおとぎ話の中の存在です」
「新型の大砲を発明したという話は、根も葉もない噂とは思えん。少なくともそれを警戒して、陛下は敵の砲撃に耐えうる魔鉱兵部隊を送り込んだのだ」
敵軍に動きありとの報告を受けて、港はにわかに騒がしくなった。不完全な防衛線の一角を守る三体のナイト部隊も剣を抜き、敵の大砲の発射煙に目を光らせる。王国軍が攻めてくるとすれば、その前に敵の陣形を崩すための準備砲撃があるのが定石だからだ。胸部装甲を開放したナイトの操縦席で、若い騎士が絵入りのペンダントをしばし見つめて何事かつぶやき、胸に収めた。
《どうした、さっさと装甲を閉じて周囲を警戒しろ》
「故郷で、もうすぐ子供が産まれるんです。帰れるといいなって」
《……帰れるさ。この戦いが終わればな》
《小隊長!正面に敵!!》
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
耳の小石が受信する魔力は敵味方を問わないのだが、できれば聞きたくない会話だった。レオの雄叫びとともに突進するプロトナイトは剣を抜き放ち、散開したナイトの中央の一体に迷わず狙いを定めた。考え無しに突っ込めば逆にこちらが包囲されることになるが、三体に囲まれるよりは初手で一体を吹き飛ばし、残る二体と戦うほうがましだ。レオは奥歯を食いしばり、真正面のナイトが構えたカイトシールドにプロトナイトの左肩を喰らわせた。
「魔鉱兵だと!?」
レオから見て右に退いた隊長機は、ウェルスランド王国の紋章を持つ謎の魔鉱兵の背後を突くべきか、それとも自機が囮となって僚機にとどめを刺させるべきかを見定めようとした。敵の騎士が素人なら前者で充分だが、もし玄人なら二対一の挟撃で挑まねば危うい。しかしそれを決めあぐねた一瞬の隙に、左に退いていた若い騎士が無謀にも仕掛けた。
「よせ!技量の分からぬ相手だぞ!」
《行けます……倒します!》
レオには秘策があった。領主の使者を畑で見送った日の晩のこと、レオは父リカルドに叩き起こされ、かがり火の炎が爆ぜる屋敷の中庭に連れ出された。稽古に使う木剣を手にリカルドは言った。
「レオ、打ってこい」
屈強な父と違って畑仕事で全身の筋肉が悲鳴を上げているし、朝の稽古には早すぎる。わけが分からないまま苛立ちに任せて木剣を振るううち、父の動きが普段とどこか違うことにレオはなんとなく気がついた。右、左、右、右。リカルドはレオの剣筋を読んでいる。型どおりに打ち合っているからレオの剣を受けることができるのではない。少しムキになって父の裏を掻こうとしてみてもやはり読まれる。まるで未来が見えるかのように。
「いいかレオ、人は何かを実行しようとするとき、無意識に自らの思考を予告している。例えばさっきのお前のように、これから狙う方向を見たり、これから体重を乗せる方向に足を踏み出したりといった具合にな。もし敵と剣を交えることがあれば、相手の仕草をよく観察しろ。これが、我が一族に伝わる奥義……の、ようなものだ」
リカルドは頬を掻いた。
「騎士として、お前には教えきれていないこともまだまだあるが、今、私が教えてやれるのはこれぐらいだ。必ず生きて帰ってこいよ」
《あと少しなんだ!俺は、生きて故郷に帰るんだああああっ!!》
ナイトの剣筋は大雑把、ここかなと思ったところに剣を構えておけば、相手の剣が予想通りそこへ吸い込まれる。二、三合打ち合ったところで肩越しに突きを躱したプロトナイトの剣が、ナイトの首の関節に食い込んで頭部を斬り飛ばした。間髪入れず振り返ったレオは背後から直進してくる隊長機に今しがた倒したナイトからもぎ取ったカイトシールドを投げつけ、敵の視界を塞いだ隙に間合いを詰めて左下からの渾身の逆袈裟で胸部装甲を切断した。無残に転がる三体のナイトの騎士は必ずしも死んでしまったとは限らないが、どの機体もただちに起き上がる気配がないところを見ると意識のある者はいまい。プロトナイトは着弾し始めた敵の大砲の至近弾から逃れるように次の獲物を探した。
「驚いたな……。エリシュ殿の郷里では子供でもあれほど強いのか?」
「甲冑を着込めば誰でも強気になるものです」
崖を迂回して機会を窺っていた騎士エリシュと王国軍の騎兵部隊は、プロトナイトが開いた突入口から防衛線の内側へとなだれ込んだ。
「手投げ弾用意!」
馬上の騎士達が腰に鈴なりに吊った握り拳大の手投げ弾をひとつ取り外し、先端の紐を口に咥えて引くと、紐の抜けた穴から火花が噴き出した。手投げ弾は時限式で炸裂してしまうので、三つ数える間に手近な標的を見つけなければならない。優先順位は第一が砲台、第二が弓兵だ。生身の兵士には対処不可能な脅威となる大砲も、操作する砲兵さえ片付ければただの筒である。大砲を囲む土嚢の内側に手投げ弾を放り込むと、小さな破裂音とともにぱっと土埃が舞い、無数の金属片が砲兵の身体を引き裂いた。こうして本隊の到着までに大砲を傷付けることなく無力化しておくのが先遣隊の役目なのだ。手投げ弾を使い切ったら、次は抜剣しての白兵戦で時を稼ぐ。
王国軍が好き放題に陣地を荒らし回る様子を見るや、仮面の騎士ノイシュは銀の機体に取り付いている整備兵達を退避させた。
「白騎士殿が出るぞ!発進準備!」
「構わん!アークナイト!」
馬に跳び乗ったノイシュの声に呼応して、点検中だったアークナイトの胸部装甲が自動で閉じる。全速力で走り出したアークナイトの歩幅には馬でも追いすがるのがやっとだ。ノイシュは通信用魔法回路も刻まれている白銀の仮面に手をやり、馬上から駆け抜けざまに警備中の部隊を牽制した。
「各機、持ち場を離れるな!敵の魔鉱兵は囮にすぎん!」
前衛のナイトを失ったアーチャーが放つボルトを装甲の強度だけで跳ね返しながら接近し、剣を持ったままの拳で殴り倒したプロトナイトが、アークナイトの突進が生む地響きに気づいて振り返った。アークナイトの銀の装甲は太陽光に照らされて白く輝いている。
「白い……ナイト!?」
「雑魚では相手にもならんか。なめられたものだ……その腕前、見せてもらおう!」
直進しつつカイトシールドの裏で突きの構えを取るアークナイト。その突撃を左へ避けることで、敵の腕が大きく動かしやすい右方向への薙ぎ払いを警戒したつもりのプロトナイトだったが、走り抜けると見せかけてその場で急制動をかけたアークナイトは腰をひねってプロトナイトの横面めがけ後ろ回し蹴りを繰り出した。咄嗟に後退したプロトナイトにアークナイトの剣の追撃が襲いかかり、受け止めようとしたプロトナイトを、剣をフェイントにしたシールドバッシュが張り倒した。一手や二手の先読みで勝てる相手ではない。
「ぬるいな!ウェルスランドの魔鉱騎士!」
《俺はレオナルドだ!》
「その声、ウェルスランドの騎士は少年か!半端な実力で大人の世界に足を踏み入れたことを呪うのだな!」
白銀の魔鉱兵を操っているのは明らかにその背後で生身を晒す仮面の騎士なのに、魔鉱兵の猛攻に阻まれて直接攻撃を仕掛けることもできない。転倒したプロトナイトの胴体にアークナイトが剣を突き立てようとしたとき、プロトナイトの左手がアークナイトの剣を掴んだ。
あと少し剣に体重が乗れば魔法鉱石の装甲といえども貫通する。が、プロトナイトの前に現れた一騎の人物を見て、ノイシュの意識はアークナイトの遠隔操縦から逸れた。騎士エリシュが馬上で両腕を広げ、勝負はついたと主張するように立ちはだかっている。
《エリシュ……さん……?》
「ほう……」
「エリシュ殿!敵は!」
「手出し無用!」
女騎士殿は、敵の騎士と知り合いかい……。駆けつけた騎兵隊長は馬の手綱を引いた。腰のベルトを探ったが、手投げ弾は残っていなかった。
「兄上!」
「何年ぶりかな、妹よ。帝国へ帰ってこい。今の私ならば、お前に皇太子妃の身分ぐらいは用意してやれる」
「そういう兄上だから、私は故郷を捨てたのです!」
「エリシュ、この地でお前がどんな扱いを受けてきたか、手に取るように分かるぞ。どれほど努力しても、しょせんは外国人の流れ者と馬鹿にされているのだろう?我が軍はいずれウェルスランドを征服する。そのあかつきには、必ずお前を取り戻してみせよう」
対峙する二騎の背後で、王国軍実験砲兵部隊の長距離砲撃が始まった。まもなく敵の本隊が攻め寄せてくる。皇帝陛下から預かった戦力に比べれば、眼前の死に損ないなどにいかほどの価値があろうか。騎士ノイシュはアークナイトとともに馬を返しながら、敵の砲撃が頭上を通り越し、防衛線や陸上の港湾施設には着弾していないことに気づいた。あんなに遠くから、船着場だけを狙っている……?もし停泊している軍艦を沈められれば、帝国軍の上陸部隊は逃げ道を失うことになる。ノイシュは仮面に手をやった。
「“砲術師”め……。アーチャー!信号弾上げ!」
昼間なのでアーチャーの信号弾は発光信号ではなく、色つきの発煙弾の組み合わせによって沖合で待機中の艦隊へ合図を送る。われ撤退す、敵の別動隊を警戒せよ。ノイシュは撤退する部隊がうかつに海上へ出て王国軍の別動艦隊に海からも包囲されることを警戒したのだが、実際のところ王国軍はそのように即応できる海上戦力までは準備していなかった。
* * *
荷馬車いっぱいに部品を積んだ補給部隊の魔術師団とパペット達がかすり傷まみれのプロトナイトに取り付く脇で、首に湿布を当てたレオが木箱を椅子代わりにしてへたりこんでいる。分不相応な力を持ってしまった者は挫折を味わうのも早い。さっきの一騎討ちが相当こたえたのだろう。それ見たことか、そんなことではあの男には勝てん。落ち込んでいる暇があったら稽古に励むことだ。レオにかける言葉を頭の中で組み立てていたエリシュだったが、スズに先手を打たれてしまった。プロトナイトの整備を監督しなくていいのだろうか?
「浮かない顔ね。敵は退却したわ。あなたのおかげなんだから、シャキっとしなさいよ」
「……プロトナイトって、格好悪くない?」
「はい?」
「敵のナイト、真っ白にきらめいてた。こっちのは何ていうか、手も足もただ付いてるだけで、格好良く見せようとする工夫が感じられない気がするんだよな」
スズはエリシュと顔を見合わせた。背後でノミを振るう魔術師団から哄笑が起こり、老魔術師がプロトナイトの顔を見上げてレオに言った。
「分かるぞ、ハッタリが足りないというんじゃろ?」
魔法回路に魔力が通っている状態の魔法鉱石には金属と同等かそれ以上の強度があるので、余計な外装や装飾は死重量を増やし整備性の劣悪化を招くだけだが、それでもアークナイトが白銀の装甲を持つのは、帝国の力を誇示し最前線で戦う兵士達の士気を上げる目的があるからだ。我こそは正義の騎士と見た目で主張しておくのも、戦を有利に進めるためには大事なことなのだ。同様に、これからはプロトナイトも王国の旗頭となる。
「この傷つきようを見れば、わしらの魔鉱兵の弱点や改善点も見えてくる。レオナルド君の働きで帝国軍機の貴重なサンプルも手に入ったことじゃし、善処するとしよう」
王都へ戻ったレオは、騎士エリシュの手のひらでぐいと頭を押し下げられてひざまづき、居並ぶ家臣団の視線を浴びながら国王に謁見した。
「突然呼び立ててしまってすまぬな。両名ともよく戦ってくれた。まずは褒美を取らせよう」
「滅相もございませんっ」
レオが何か言う前にエリシュが言葉を被せた。まともに躾もできていない田舎者の小僧の不用意な一言で、わずかでも失礼があってはならない。
「命を賭して王に奉じるのが騎士の義務っ、このように拝謁させて頂きましただけでも光栄の極みでございますっ」
「王様、ひとつ質問してもよろしいでしょうか」
「控えよ!」
「よい」
家臣団の中からレオを叱りつける鋭い怒声が上がったが、国王がそれを制した。
「帝国軍にはたくさんの魔鉱兵がいました。プロトナイトの操縦者はどうして他の大人でなく、俺……僕なんですか?」
王に代わって、王の隣で相変わらずにこにこしている竜人ルミラがレオに答えた。人間でもないのに、どの家臣よりも王様の近くに立っている、この人はいったい何者なんだろう。
「魔鉱兵の操縦に君の魔力が必要だという話は聞いていますね?魔力は、生まれつき誰でも持っていますが、魔鉱兵を起動できるほどの適格者となるとそう多くはありません。大陸じゅうから人材を集められる帝国に比べ、このウェルスランド島は特に魔術師の素質を持つ者が生まれにくい土地です。それでも手始めに系図を追いやすい王族や貴族から調べていったところ、宮廷魔術師の家系のスズさんの他に、レオナルドくんの母方の五代前にも高名な魔術師がいたことが分かったんです。……正直なところ、ご先祖の素質をどの程度君が受け継いでいるかは未知数でした」
ということは、この先ウェルスランド製の魔鉱兵が大量生産されても乗り手がいないということだろうか?レオは最初に質問をひとつと言ってしまったので、この疑問は胸に仕舞っておくことにした。
「得心してくれたかな?そういうわけで、我が軍にはそなたが必要なのだよ。さて、褒美であるが……。時に少年、その腰のものはいったい誰の許可を得て帯びておる?」
「えっ?」
「畏れながら、レオナルドは騎士の子息っ!道中の危険も予想され、親心から父リカルド殿が持たせたものっ、決して他意はございませんっ」
「さもあろうが、騎士でない者が主君の許可なく公に帯剣してはいかん。そこで事後承認ではあるが、戦時特例として王の名のもとに帯剣を許そう。騎士号については軽々しく叙任してよいものではないゆえ、しばし待て」
「はい」
そんなこと、父さんも領主様も教えてくれなかった……。レオが狐につままれたような顔で生返事をすると、王は玉座から屈み込むように片耳をレオに向け、その耳介に手を添えた。
「はい!ありがとうございます!」
王は微笑んだ。
「また、騎士エリシュには騎士見習いレオナルドの護衛任務中に限り、王国騎士と同等の権限を与える。ルミラの指揮下で行動するにあたり、いろいろ不便もあろうから、一時的にそなたらの身分を引き上げてやったということだ。これらの免状をもってひとまずの褒美とする。よいな」
「ありがたき幸せっ」
満足げに何度か頷いた王は話題を切り上げ、家臣団に視線を移した。
「皆に集まってもらったのは他でもない、今後の方針を決めるためだ。敵は去った。防衛戦としてはそれでよいが、いずれまた帝国は二倍三倍の戦力をもって攻めてこよう。今後いかにして国土を守るべきか?」
王は本当に今後どうしていいか分からないわけではない。帝国に対して戦を仕掛けたいが、家臣の同意が欲しいだけなのだ。新兵器の開発にゴーサインを出したときのように、どうせ流れ者の竜人に唆されて腹の内はとっくに決まっているのだろう。そういう王の性分を誰もが知っていたので、反対する者はいなかった。
「陛下、今こそ打って出るべきです」一人の将軍が声を上げた。「幸い我が軍には敵を凌駕する長距離砲と、“魔鉱兵”なる新兵器という切り札がある。このたびの戦、軍師ルミラ殿の実験部隊ならば必ずや勝利に導いてくれましょう。……できますな?“砲術師”殿」
「ご命令とあらば」
レオは、宮廷でのルミラの立場がなんとなく分かったような気がした。しょせんは余所者、歓迎されてはいないらしい。
「帝国を倒せば、大陸の広大な土地を運営することになる。余にそれだけの資質があるかな?」
家臣達は一斉にひざまづいた。
「よし、皆の助けが必要だ。各軍団、各部隊の配置は追って討議のうえ決めることとする。一同、戦の準備に取りかかれ」