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停滞の賢者  作者: 楯川けんいち
精霊の増えた日常編
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13話 賢者の温泉8

 ドワーフの里に転移したのは、昼にほど近くなってのことだった。

 僕はクレアたちへの説明もそこそこに、まるで吸い寄せられるようにして湯殿へと足を向けた。



 ***



「――――はああぁ」


 湯船に浸かった瞬間、万感の思いと共に長い吐息がもれた。

 開いた口を閉じることもせずに、僕はその湯の熱さに身をゆだねる。

 

 肩まですっぽり浸かっていると……。

 全身の筋がほぐされ緩んでいくのがありありと感じられた。

 それと同じくして、心が弛緩していくことも。


 しばらくそのままでいれば――まるでお湯へとあらゆる思いが溶けだしてしまったかのような――シンとした静けさが、心の内に訪れる。

 

 いつしか目を閉じていた僕は、また一つ息を吐いた。

 

 そして、ゆっくりと瞼を持ちあげながら、天を仰ぎ見る。

 

 灰色の雲が敷き詰められた空は、はらりはらりと穏やかに白雪を落としていた。

 耳に届くのは、湯船へとかけ流されるお湯の音ただ一つ。

 息をすれば、温泉特有の匂いがほんのりと香る。

 

 今この時――世界はこの上なく『穏やか』に、僕を包んでいた。

 


 ああ、これこそ――――

 

 

 そこから先に続く言葉は、なにも出てこなかった。


 すっかりと温泉の魔性に囚われてしまった僕には……。

 胸に去来する不明瞭な思いを、はっきりと形容することができなかったのだ。

 

 そうして身じろぎ一つせず、僕はお湯に浸かり続けていた。

 

 静かに揺蕩う心は、優しい微睡(まどろ)みのなかにいるようだったから。

 

 

 ***

 

 

 ――幾らかの時間が経った。

 

 

 ***

 

 

 そろそろ本格的に、体がふやけそうだ……。

 そう思い、腰から下だけを湯船に浅く浸かろうとした頃だった。

 

 どうしたことか……ガヤガヤとした喧噪が、僕の耳に入り始める。

 

 そして次の瞬間――ピシャリと、脱衣所と湯殿を仕切る引き戸が開け放たれた。

 

「おお……! 中は初めて見たが、こりゃすげーなっ」


 そして湯殿へと足を踏み入れてきたのは、ペイダだった。

 彼は大きな声を響かせると、ごつい肉体をのしのしと進めてくる。



 ――先ほどまでの深閑な時は、別れの言葉もなく僕のもとを去っていた。


 

 だから、その原因たる彼に対して……意識せずげんなりとした顔見せてしまうのは仕方がないことだったのだろう。


「……って賢者様よ、なぁに嫌そうな顔してんだ。せっかく、俺らは完成祝いに酒を持ってきたってのに」


 上物なんだぜ――と、片手にもった土瓶を掲げる。

 

 酒は素直に嬉しい……しかし今はまだ、太陽が見えれば天頂にいるころ――要するに真昼なのだが。

 仕事は……いや、もしかしなくとも暇なのか……。

 

 ……それとも酒が飲みたいだけなのか。

 

「ほお、これは素晴らしい……」


 次に入ってきたぺルド翁は、顎髭に手をやって感嘆の言葉を漏らす。


「ああ、賢者様。完成してみると……また見事な湯殿になりましたなぁ。急ぎやることのない者には、各々祝いの酒を持参させてきました。わしも秘蔵の一本をお持ちしましたぞ」


 ほほほ――と、朗らかに笑うぺルド翁だが……僕は知っている。

 彼もまた、ドワーフの例にもれず――無類の酒好きだということを。

 

 間違いなく――温泉を名目にして、憂いなく飲む気満々だった。

 

 ぺルド翁の後からもぞろぞろと、ドワーフの男たちが続く。


「これ、三日で造ったってのか?」


「温泉ってぇ言うんだろ、このお湯」


「無色だけど、なんてーか肌にまとわりつくような」


「おいこら、先に体を洗えってぺルド爺さんに教わっただろ」


「悪くないが、ずいぶん独特な匂いだな」


 それらドワーフたちは、湯殿と温泉に興味津々といった目を向けて入ってくる。

 そして彼らの手には……酒瓶がもれなく握られていた。

 

 

 彼らは手早く体を洗うと、湯船に浸かり……さっそく僕に杯を持たせた。

 そこにぺルド翁が「まま、一献」と、酌をしてくる。

 

「おう、すまねぇ義父(おやじ)。そんじゃあ、温泉が無事完成したことと……それを気前よく里にも提供してくれた、我らが恩人たる賢者様に――乾杯!!」


 言葉の後半を照れるように言い切ると、ペイダは赤くした顔を隠すように杯を高く持ち上げた。

 ぺルド翁たちも、同じように杯を持つ腕を上げる。


 そして――


「「「「「乾杯!」」」」」


 唱和した彼らは、揃ってグビリと杯を飲み干した。

 

「かあぁぁー、たまんねぇ」


「……やはり、プレヴィスの三十年物に限るのう」


「そりゃ良い酒のはずだ」


「なら、もう一杯……」


「酒は飲めればいいって、おめー言ってなかったか?」


「まあ誰だってまずいより、美味いほうがいいってもんさ」


「ちがいないな」


 がはははは――と、彼らはいかにも愉快そうに笑い合う。

 

 それは僕の目に、ひどく眩しく映るものだった。



 手酌をしながら、一人静かに温泉を楽しむ自分――。

 当初は、そんな未来予想をして心地の良い気分に浸っていたものだが。

 

 まあ、たまには……。

 こういうのも、いいのかもしれないな。

 

 

 杯に注がれた酒の、その光の揺らめきをしばし見つめていた。


 そして騒がしい声が耳を打つ中、僕はくいっと杯を(あお)った。

 

 思ったよりきつい酒精が喉を焼いて、僕は()せかける。

 

 

 でも、それは確かに――美味い、酒だった。

 

 

 


まさかの男風呂シーン。おっさんのツンデレて……

次は女性側で。


どうぞこれからも、拙作をよろしくお願いします。

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