29話 弟子の所存
里帰り――師匠にそう言われて、私はファルシウェン王国の王宮に戻ってきていた。
いつだかと同じように転移にて庭園に降り立ち、宮殿を目に入れた瞬間に胸のなかで溢れたのは、ただただ懐かしいという思いだった。
今までだって同じくらいの期間、王都から離れていたことだってある。
しかし今の私にはなぜだか、その目に映るものすべてが懐かしく感じられていた。
それが私の成長の故であるならば、これほど嬉しいことはない。
自然と目を細くしながら、私は生まれ育った場所をしばらく眺めていた。
――肩に乗った小さな相棒、フィアルテと共に。
***
現在、陽が最も高くなった頃。
謁見の間を辞した私たちは、王族が使用する食堂にてお昼を頂いていた。
私たちといったが、もう子供たちはいない。
ここにいるのは私と師匠、そして父上と母上。
さらにウェルティナとベーチェル、フィアルテたち精霊。
今この部屋にいるのは、それだけだった。
……そんななか、私は今すぐにでも部屋から駆け出してしまいたいほどの、むず痒い感覚に襲われていた。
「賢者様。娘はよくやっているでしょうか? なにぶん奔放な子なのでご迷惑をかけていないかと心配だったのです」
「そうだの、我も差し迫った仕事はないことだ。ゆるりと聞こうではないか、賢者殿?」
母上が、父上が……席に着いた瞬間にそう言ったために。
そこから、私にとって居心地の悪い時間が始まってしまったのだ……。
いや、嫌なわけではないにょだ。
……。ごほん……、ないのだ。
ただ、師匠の口から……。
「クレアはとても熱心にやっている」
「ああ、理想的な弟子と言えるな」
「うん……? 好みかどうか? まあ、好みなんじゃないか?」
「心配は無用だろう、彼女の身は僕が万全をもって守っている」
……なんて言葉の数々が出てくるものだから、顔が熱くて仕方なくて。
そんな言葉のたびに、私は恥ずかしくて俯いてしまうのだが、頭に父上たちのにやけた視線が注がれるのが見えなくても分かった……。
ああ、もう父上たちは! ――と、文句を言いたくなるのだが……。
俯きながら抑えた手の下で、私の顔はふやけたようににやけてしまっていたから。
……そんな顔を、私は上げられずにいたのだった……。
「……クレア、大丈夫?」
気恥ずかしさやら、嬉しさやらで私の心は荒れ狂っていた。
そんな私を、フィアルテは案じてくれたようだ。
彼女は目の前に浮きながら、小首をかしげている。
――な、なんとか大丈夫だ。
声に出せないけれど、フィアルテにそう伝える。
すると、ポンと肩に手を乗せて彼女は私を慰めてくれた。
ただそれだけのやり取りが、私の心をひどく癒すのだった。
それからは、ただ食事を口に運ぶだけの動作を行い続けた。
いくばくかの時間が過ぎて――。
「食後のお茶をお持ちしました」
いつの間にかいなくなったと思っていたら……今まで給仕として動いていたらしいアイラが、目の前にティーカップの乗ったソーサーをそっと置いた。
……気づけばすでに、食事は終わっていたらしい…………。
なにを食べたのかすら、私はまるで憶えていなかった……。
師匠ではないけれど、気疲れにため息がもれてしまいそうになった。
そこに、師匠がさらに驚きの言葉を発した。
「じゃあ、聞いていたと思うけれどクレア。明日迎えにくるから、今日は久しぶりの生家でゆっくりとするといい」
家って表現はしっくりこないけどな――と師匠は王宮を眺めながら、言った。
あれ……いま師匠なんて言いました!?
「え、ど、どういうことですか……!?」
私は混乱していた。
「クレアちゃん聞いていなかったのかしら? わたくしが、クレアちゃんは久しぶりに一晩くらいここで過ごしてはどう?――と言ったら、賢者様も快諾してくれたのよ。……賢者様自身は『家が恋しい』と振られてしまったのだけれど」
母上が、朗らかにそう説明してくれた。
そんな……。
「師匠、また私を置いていってしまうのですか?」
私が師匠に詰め寄ると、師匠は狼狽したように慌てて言う。
「そ、そんなわけではないさ。明日の朝には迎えに来るし、ほら、里帰りしてみないかって誘ったのだから一晩くらいこっちで過ごしてもらうべきかと思ってな」
でも、師匠は……。
「……師匠は、帰ってしまうのですよね?」
私が小さく零すと、師匠は困ったように頭をかいた。
すると、師匠の後ろから影が飛んでくる。
「あんたも泊まっていけばいいでしょうが!」
その影――ウェルティナ――は、飛んできた勢いのままに師匠の頭を蹴り飛ばした。
「まったく、こんなかわいい弟子が涙目で懇願しているってのに……師匠はゆっくり昼寝したいから帰ります、なんて許されないわよ! ほんとまったく、あんたは!?」
食卓に突っ伏していた師匠は、ゆらりと頭を上げると笑った。
……いつだか、似たようなことがあったような気がする。
「《捕縛》」
「みゅぐあっ」
師匠の魔法が、反応も許さずにウェルティナを捕らえる。
いつだかのときよりも、ずっとがんじがらめに囚われたウェルティナの姿は、まるで玉のようだった。
どっからみても、見事にまん丸である。
「僕は連日の魔法の行使で疲れが溜まってるんだよ……!」
その玉を師匠は、むんずと掴むと――思いっきり投げた。
「むううううーーーー!!」
その玉の行く先にいたのは、ベーチェル。
「うわわー」
ベーチェルは自分に向かってくるウェルティナ入りの玉に驚きの叫びを上げると、慌てて風を起こした。
……その風は、玉を弾き飛ばす以上の力があったらしい。
突っ込んでいった以上の速度で、ウェルティナは跳ね返された。
「んむむむむぅーーーーー!!」
跳ね返された先にいたのは、なんと私だ!
「……させない」
向かってくる玉を見ながら固まっていた私の前にフィアルテが出ると、分厚い水の壁が現れる。
……玉はそこに突っ込むと、ようやく止まった。
「あ、ありがとう。フィアルテ」
「……むふん、褒めていいよ」
そう言って胸を張るフィアルテは、いつも通りのぼんやりとした目をしつつも得意げな空気を出していた。
「ああ、さすがフィアルテだ」
そんな微笑ましい私の契約精霊の頭を、指で撫でた。
心地よさそうに目を細める彼女に、さらに頬が緩む。
――しかし、私は大事なことを忘れていた。
「……ねえー、フィアルテ。そろそろ水の壁を消してあげてよー。ウェルティナ姉さんが……」
そんなベーチェルの声に、慌てて水の壁のなかの玉――ウェルティナ――を見ると――。
ぐったりとした様子で、水のなかを揺蕩っていた。
「ウェ、ウェルティナ――!!」
精霊が溺れることはないので、ウェルティナは無事だった。
……しかし、その心には深い傷を負ったようで……しばらく足を抱えてプルプル震えていた。
そしてブツブツと、師匠に恨み言を投げかけていた。
これには師匠も参ったのか……ウェルティナのご機嫌取りをしていた。
そして結局のところ、師匠も一晩宮殿で泊まることになるのだった。
しょうがないな――と言った師匠は、しかし言葉と違って優しい顔をしていた。
今までなら、そんな関係を羨ましがっていたのかもしれない。
けれど、いまでは考えが変わっていた。
肩に座るフィアルテをチラリと見やる。
契約を交わしてから分かったのだ。
師匠とウェルティナがいかに仲が良くたって、羨ましがることも焦ることもないということを。
だって、心が繋がった存在なのだから。
師匠とウェルティナは不可分なもので、私とフィアルテもまた同じ。
それゆえに、その仲は誰よりも近しく。
それゆえに、その絆はなによりも固い。
それが自然で、当たり前なのだ。
――ただ、ちょっとばかりヤキモチをやいてしまうのは、仕方ないことだと思う。
もう少しで、この「囚われの精霊編」も終わりに届きそうです。
これからも拙作をよろしくお願いします。




