5話 弟子の熱情
クレア視点です。
師匠は静かに、語った。
それほど長い話ではなかっただろう。
まだ、お茶は冷めきっていないのだから。
けれど言葉の一つ一つは、まるで重たい雪のように、私の胸に積もった。
胸の中がその重さに圧迫され、その冷たさに冷え切っていた。
それはお茶を飲み込んでも、溶けて流れることはなかった。
息がし辛くて、胸元を服ごと握りしめて背中を丸める。
いつしか頬を滴が流れ、顎から落ちた。
はじめはポツリ、ポツリと。
次第にボタボタと。
口は不規則に、しかし激しく息を吸おうとする。
ティーカップに映る私は、ひどい顔をしていた。
私は、泣きじゃくっていた。
***
しばらくして、ようやく呼吸が落ち着く。
すると、頭と背中に温かさを感じることに気付いた。
アイラが背をゆっくりとさすり、師匠が頭をなでていた。
その温かみに身をゆだねていると、胸の冷たさが遠のいていく気がした。
「……クレアが泣くことないじゃないの、まったく」
ウェルティナが目の前に浮かび、そう言った。
だが、その口調はとても優しい。
「でもその優しさが、殿下の魅力ですよ」
アイラも穏やかに言う。
二人とも、それでは私が泣き虫みたいではないか。
私が少し微笑むのと同時に、師匠の手の温もりが離れる。
そのまま目の前に、師匠の手が伸びてくる。
私の目尻に残る涙を、その指で拭う。
ぼんやりとした頭のまま、私はそれを受け入れていた。
左右ともそうされた後に、師匠は言う。
「君の涙は温かいね、クレア」
とても温かい――そう言葉を結んだ師匠は、目を閉じた。
反対に私は、その言葉を聞いてようやく頭が動き出し、目を見開いた。
羞恥で顔が熱くなっていくのを自覚する。
泣きじゃくった上に……あやされてしまった……!
なんて、恥ずかしい……!!
今すぐ部屋に駆け込んで、頭から布団を被りたい……。
……あとでアイラに聞いたところによると、私は泣いていた時よりもさらに縮こまってしばらく「うーうー」と唸っていたらしい。
***
「そういうわけだから、僕は北の大陸へ調査に行こうと思う」
私は顔を洗ってきて、すっきりとした。
その間にアイラがお茶を淹れ替えて、話の続きは始まった。
「私も行きます、師匠!」
手を挙げて、私はそう言った。
すると師匠は困ったように笑う。
「心意気は嬉しいんだけど、クレアは王女だ。場合によっては国際問題に発展するかもしれないんだよなぁ」
な、なるほど、たしかに。
でも、先ほどの話を聞いて留守番はできません!
「北の大陸とは、どのようなところなんでしょうか? 寒いところだとは聞いていますが」
アイラが質問する。
普通の人間は別の大陸など気にしないのだから、これは当たり前の疑問だ。
「その通り、寒さの厳しい大陸だ。そのために作物の育ちも悪く、全体的に貧しい。大きさはこの大陸の半分以下。そこにはたった一つの国がある、名をエリウセリア皇国という」
大陸の大きさなど、どうやって知ったのだろう……?
師匠だったら、上から見て比べた、と言われても信じられるが。
ベーチェルだって十日ほどでここに……。
そう考えた私は、ハッとした。
先の話では精霊様が閉じ込められて、十日以上経つと悲劇が起こったのではなかったか!?
「し、師匠、ベーチェルが話を聞いてから十日は経っているのでは! もう時間の余裕はないのではないですか!?」
師匠は沈痛な顔をした。
しかし、焦りはしなかった。
そのわけを話し始める。
「ああ。……だが、僕はあの惨劇を知ってから、魔力を完全に遮断するような道具が世にでないように行動してきた。そういったものを見聞きすれば、時には封印し、時には破壊した……。そうしてその技術が進まないようにしたんだ。だから、前ほどは切迫していないはず……最悪でも十日は猶予があるとみている」
そうだったのですか……。
「でも師匠は、ずっとそんなことを一人で……」
「……いや、これは酷い話だよ。もしも悪用されたら……、と僕が危惧したというだけで、そうしたんだ。真実を広めて警告すれば、さっき話したように魔術師は暴走しかねない。……だから、僕の一存で未来の可能性を奪い続けてきた」
師匠は目を伏せて、言った。
彼は、どれほど多くのものを背負っているのだろう。
そうやって一人で守り続けてきた、その心はどうなっているのか。
私には、わからない。
かけるべき言葉もまた、わからなかった。
「はあ。……それはもう割り切ったって、前に言ってなかった?」
ウェルティナが師匠の肩に乗りながら言った。
「割り切ることと、罪悪感を感じることは違うだろう……?」
「一緒よ。それにそれは罪ではないわ、少なくともあたしにとっては。あんたのやったことは精霊のため、そして人のためであることは確かなことよ。……それにあんたは、やるって決めたんだから。今更くよくよするのは、おかしいわ」
胸を張りなさい――とウェルティナは言った。
師匠は、「相変わらず、無茶苦茶だ」とこぼしながらも苦笑した。
二人の絆を、強く感じる。
相棒というより、まるで家族のようだ。
うらやましいなぁ……。
「師匠! 私は、師匠の弟子です……! 絶対についていきます!!」
国際問題? そんなの気にしている場合じゃないのだ。
いろいろな意味で。
それに、ばれなければ問題ない。
私は熱意を胸に、師匠を見つめる。
「殿下が行くなら、もちろんわたくしも参ります」
アイラも師匠を見る。
その際に、ボソッと「こんなにも懇願してる殿下を、無下にはしませんよね……?」と低く言うのが聞こえた。
そちらを見たウェルティナが、なぜか怯えていた。
私はただ、師匠を見つめ続けていた。
「……はあ、わかった。降参だ。だが、人の強い悪意に触れることになるかもしれないよ。二人とも、本当に覚悟はできているか?」
その問いに、私は大きく頷いた。
「わかった、みんなで行こう」
「はい!」
師匠は皆の顔を見回す。
すると、なにかに気付いたかのような顔になった。
「あれ? ベーチェルは?」
あ。
そういえば、師匠の話の途中からすっかり姿が見えなくなっていた。
どこに行ったのだろう?
「あっ! ここにいたわよ。って、あー……」
ウェルティナが声を上げた。
ベーチェルがいた場所は師匠のローブ、そのフードの中だった。
ウェルティナの言葉の後半の意味は、そこを覗くとわかった。
ベーチェルはフードの中で、すぴーっと寝ていた。
そしてべっとりと、よだれを垂らしていた。
あー……。
「…………まったく、精霊ってやつは……!」
師匠はフードに手を突っ込み、ベーチェルを掴んだ。
「……うんー……。なんだよー……気持ちよく、寝てたのに」
師匠は、引きつった笑顔を浮かべる。
そして、彼女を放り投げた。
「うわわわーー!?」
ベーチェルは叫びながら、視界の端へと飛んでいった。
うむ、なにも言えない……。
師匠は手早く、浄化の魔法を自分にかける。
「余裕があったとしても早く動くことに越したことはない。さあ、準備を始めよう」
……無かったことに、師匠はしたようだ。
――そうして、私たちは動き始めた。
「ねえー、賢者? ねえーってばー! ぼくを無視しないでよー……。もう寝ないからー、よだれもたらさないから。ねえー?」
食堂を出るとき、背後でそんな声が聞こえた気がした。
……その声は、今にも泣きそうなものだった。
……『シリアスの間にコメディを入れなければ死んでしまう病』にかかっているのかもしれない
あれ、登場人物に残念じゃないやつがいないかも……?




