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「珍しく早起きね。どっか行くの?」
リビングで俺の顔を見るなり、母さんが嬉しそうに言った。
俺はだいたい昼過ぎにしか起きないから、早く目覚めた今日、そう言われるのは仕方ないんだが、こたえに詰まる。
「どこも行かない。たまたま起きただけ。変な夢見たせいかな。これから二度寝」
「そう」
「母さんもゆっくり寝なよ。おやすみ」
「おやすみ」
母さんの顔をまともに見れないまま、俺は自室に戻った。
せっかく早起きしたのだから、たまには母さんに手のこんだ朝食でも作ってあげようかと思っていたんだが、あんな会話に発展するとは思わなくて。情けないけど、あの場から逃げることしか思いつかなかった。
母さんは口に出さないが、引きこもり生活をやめそうにない俺を、心配してると思う。だからこそ、朝イチであんな質問をしてきたんだ。
学校をサボり始めたばかりの頃、家まで俺を迎えに来てくれた響のことを徹底的に無視していた俺が、今さらどこに出かけるっていうんだよ。
一緒に遊んでくれるような友達なんて、もういない。
元が楽天的な人だから、俺の立場をあまり深刻に考えてないだけ。母さんは無神経すぎる。それも、母さんの性格なのかもしれないけどさ……。悪気はないって分かってるけど、どうしようもなくイライラした。そんな自分も嫌になる。
俺の神経を逆なでするみたいに外はいい天気だ。近所の人が飼ってる犬の鳴き声がキンキン耳に響いてくる。うるさいなぁ……。
普段なら気にならないような些細なことに、なんでもない日常に、腹が立ってしまう。マミさんのトークショー参加チケット当選の事実が、思っている以上に精神的負担なのだろうか。
誰よりも尊敬する好きな声優さんのイベントなのに、こんな風に受け止めてしまう自分がつらすぎる。何とかならないだろうか。
この問題を引きずったままでいたら、そのうち自滅してしまう。
マミさんのトークショー&握手会が行われるのは、今月末。梅雨が明ける6月下旬頃だ。会場も、ウチから行けるところにある。
学校に通っていれば、誰かにチケットあげられたのにな。いや。それだったら、アニメにハマることはなかったか。不登校になったからこそ、テレビを見る時間が増え、結果俺は、アニメファンになったのだから。
あああ、思考がまとまらない!
どうしよう。
この頭で良策を編み出すには限界がある。
すっきり晴れ渡る空。
おとなしく家に居ても、うっすら汗をかいてしまうジメジメした6月下旬某日。
俺は、マミさんのトークショーに参加するべく、自宅の最寄駅から電車に乗った。
我ながら良い案だと自負している。
堂々と外に出られないのなら、正体を隠せばいいのだっ。
半袖シャツとジーパンを着込むと、暑い天候にも関わらず、ネックウォーマーで耳から首を隠し、さらに、サングラスとニット帽を装着。完璧だ!
どこからどう見ても怪しすぎる変装をした俺は、ようやく、心おきなく街を歩くことができた。
マミさんとの対面もなんのその。
道行く他人が奇異の目で見てくるが、仕方あるまい。寛大な心持ちでスルーしようではないか。なんてったって、今の俺は普段とは違うのだから。
変装をする前までは不安もあったし、それ以上に恥ずかしいと思ったが、これ以外に見つからなかったんだ。俺みたいなヤツが握手会に参加する方法は。
道行く人々は、俺とすれ違うなり爆笑したり、キモいとつぶやいたり、「あの人とはかかわり合いになりたくない」という目で見つめてきた後そっぽを向いたり、と、様々な反応をした。
でも、俺は平気。サングラスとネックウォーマーで顔全体が覆われているおかげで。
ボサボサの髪も、ニット帽がいい感じに隠してくれている。
たとえ、同級生の誰かにこの姿を目撃されたとしても、望月永音だとは分かるまい。
ふふふ。正体を隠して出歩くってのは、けっこう気分がいいものだな。顔が見えないのをいいことにネット上で人の悪口書き込みしまくってる奴らも、こういう心境に近いのかもしれないな。自分の正体を悟られないからこそ、世間に対して大きな言動がとれるというか。俺は、そんな陰険な理由で変装したわけじゃないけどさ。
あくまで、マミさんの応援をしに行くだけだ。
万が一、マミさんにこの変装を気味悪がられたとしても、リアルな俺を拒絶されるより傷は浅く済むと思うから。




