オレがハズレ召喚士になるまで
オレの名はアキラ。小さなIT企業で働いている26歳だ。趣味はアニメとSNSでの議論だ。
オレは湿地帯で野営をしていた。
湿地は昼間、空中から見た時は絶景だった。人の手の入らない緑が地平まで広がり、ところどころ澄んだ水面が青空を映している。
自然のままなのは湿地だけではない。朝から狼型の戦闘精霊フェンリルの背に乗り、高度二十メートルほどを行軍してきたが、途中に近代的なものは何ひとつ見えなかった。
歪な形の農地に囲まれた藁葺き屋根の集落が点在し、馬車がやっと一台通れる程度の踏み固められただけの道がそれらを繋いでいる。多くの土地は森に覆われ、それなりの文明国であるはずなのに、人間はまだ自然を十分に支配しきれていない。改めて、異世界に来てしまったのだと実感した。
遠目には美しかった湿地も、野営のために地面に降りてみると最悪だった。上澄みの下のヘドロからはドブの臭いと蚊が湧き、緑を構成する葉の裏には無駄に鮮やかな色をしたヒルがわんさかいる。アニメでは分からない現実の厳しさというやつだ。
オレが率いる軍は戦力として期待できないとされ、裏街道を進軍ルートに割り当てられた。その結果、この湿地を野営地に選ぶ羽目になったのだ。配下の兵士たちもその扱いに士気を下げている。
憂うつな夜だった。
オレが何を言っているか分からないと思う。オレ自身、なぜここにいるのか訳が分からないのだから仕方ない。
黒髪の少女が報告に来た。
「マスター、本隊が夕方、前哨戦を行ったとのことです」
髪型は元いた世界でお姫様カットと呼ばれていた形で、上半身に鎧をまとっている。十七歳くらいに見える。整った顔立ちだが、彼女の目は少しじとっとしていて色気の欠片があり、オレの好みだった。
「前哨戦か。敵の本隊の場所は分かるのかい?」
「いえ、斥候同士の小競り合いとのことです」
急いで合流する必要はなさそうだ。無理に軍を疲労させることはない。
「分かった。明日は二時間早く出発しよう。申し訳ないが、今日はレクリエーションなしで、早めに休むようみんなに伝えてくれ」
「承知しました」
彼女は静かに頷くと、そのまま下がっていった。その顔を見ているだけで、少しだけ胸の重さが和らいだ。
さて、オレも早く寝よう。野営などしたことがないのだから、疲れを残すことだけは警戒しないといけない。
ここへ来る前は夜に習慣があった。床に入ったら、異世界に通じる「ゲート」を開こうと念じるのだ。
別にオレには魔術の心得などなかったが、そうすることで眠りやすくなった。前にいた日本では、なにかと将来がないとジイさんやおっさんたちが議論し、オレ自身も上へ行けない感じがしていたから、いつしかそうするようになっていた。
シラフのときは現実を普通に意識して生活していたが、眠りに落ちるあいまいさの中では「深層意識から魔術への疑いが消えれば、魔術が発現するに違いない」などと思っていた。
しかし、お前らにはそういう習慣を持つことはおすすめしない。
ハズレ召喚士として異世界に転生し、捨て石軍の指揮を執らされる可能性があるからだ。
一ヶ月ほど前のその日、オレはいつも通り目覚めたはずだった。
日曜日のはずだから少し寝てしまったか。マクドか松屋の朝食に間に合えばいい。目を開けると、量産型アパートの白い天井は――なかった。
暗い。もう日が暮れたのか?
いや、天井が異常に高い。石造りだ。どこだここは?
オレは祭壇のような場所に寝ていた。
5メートルほど隣にも、オレと同じような背格好の男がいた。
長めのマッシュルームカットで整った顔立ちのようだ。ナポレオンみたいな軍服を着て、愕然としている。
自分の服を見ると、オレも同じ格好だった。表情も隣と大差なかっただろう。
ロールプレイングの神官みたいな初老の男が近づいてきた。
「よくぞ応えてくださった。召喚士殿よ」
「は!?」
次に出てきたのは、白髪をカールさせ髭を蓄えた、いかにも王様という男だ。
「おお、神に感謝する! 召喚士よ、頼む……我が国を救ってくれ!」
いや、なんのことやら。
オレはハッシュドポテトを食いたいのだが。
オレたちは仕事や大学があるのだから、勝手に連れてこられては困ると抗議した。今となっては間抜けな話だが。
「分かっておりますとも。別の世界からお呼びしているのですからな。しかし悪い話ではありません」
オレたち召喚士は、一体で兵士十人の働きをすると言われる戦闘精霊ミニオン三百体と、大型の戦闘精霊でミニオンの母艦としても働くタイタン三十体を召喚できるのだそうだ。
「お二人で我が王国軍、四分の一に匹敵する戦力となるのです。どうして粗略にいたしましょう。宴を設けましたのでそこで承けて頂けるか考えてくだされ」
大広間に案内された。
石造りの高い天井、長いテーブル、壁にかけられたタペストリー。
確かに王宮らしい造作ではあるが、ゲームで見るような鮮やかさはない。
緋色の絨毯なんて、流石に敷かれていなかった。
照明は壁の松明と、テーブルに並ぶロウソクだ。部屋全体を明るく照らすには力不足で、隅のほうは薄暗く影が落ちている。
しかし、よく言われる中世の城よりは、快適に思われた。
大臣らしき男が丁寧に頭を下げ、告げた。「君たち二人には、伯爵に準ずる待遇で迎えるつもりだ」
にわかには信じがたかったが、言葉だけでなく、態度でもそれを示してきた。テーブルにはさまざまな料理が並んでいた。
羊肉のシチュー、ローストされた豚肉や鹿肉、豆のペースト、焼き魚などが次々と運ばれてくる。
意外だったのは果物の種類の多さだ。りんごや梨だけでなく、ベリー類や蜂蜜漬けらしきものまで並んでいる。イメージより豊かな食卓だった。
オレは豚肉には手を出さなかった。隣でもう一人の男が、丁寧にナイフとフォークを使って豚肉を切り分け、口に運んでいる。
(アホが。進んでない地域では豚は危ないのだ)
給仕が羊肉のシチューをトレンチャー――皿代わりのライ麦パンによそってくれた。
赤ワインと根菜で煮込まれた肉は柔らかく、香辛料の効かせ方が上手い。
ローストされた鹿肉も臭みがなく、新鮮だった。
(……これは純粋な中世じゃないな。ファンタジー世界だ)
給仕の女官たちは、ゴシック調というらしい宮廷衣装に身を包んでいた。
体に沿ったスリムなシルエットが特徴のドレスで、深い色の絹の生地に金糸の刺繍が控えめに施されていた。
髪はシンプルにまとめられ、小さなヴェールを被っている。
彼女らの距離が異常に近い。
酒を注いでもらうたび、二の腕に柔らかいものが押し付けられ、生花やハーブの素朴な香りとその奥の彼女らの匂いが鼻をくすぐった。
(……伯爵様だもんな。そういうのもアリか)
オレも男なもので、顔が緩むのを止められない。
十分に腹を満たした頃、大臣が穏やかに口を開いた。
「これで我々の誠意を分かっていただけましたかな?」
ここまでの待遇を受ければ、嫌とは言いにくい。
「分かりました」
「ええ、十分に」
二人とも快く頷いた。
大臣は満足げに微笑むと促した。
「では、改めてお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
隣の男が先に口を開いた。
よく見ると切れ長の目や微笑みにわずかな嫌味が漂っている。現代の大学でサークルの幹部をやっていそうな青年だった。
「ユウトです」
「アキラです」
自己紹介を終えると、場の空気がわずかに引き締まった。
「召喚の実演をお願いできますでしょうか。
自然と湧き上がる術を、そのまま使っていただければ結構です」
しばらくしてユウトは言葉が思い浮かんだらしい。深呼吸をひとつして、静かに口を開いた。
「世界の理に記されし契約により現れよ。
ガルーダの主精霊、天駆ける黄金の翼アウルムよ!」
次の瞬間、大広間を埋め尽くすほどの巨大な大鷲が現れた。
黄金に輝く翼が広がり、天井近くまで届く。その姿だけで空間が圧される。大鷲が低く、しかし堂々とした声を響かせた。
「我が主、ユウトよ。
我が誇りの翼、汝のためにあり……」
「おお……! ガルーダか! 素晴らしい!」
誰からともなく声が上がり、大広間に驚きと歓喜のどよめきが広がった。
王も大臣も、女官たちさえも息を飲んで見上げている。大鷲はその後、徐々に半透明になり、大きさを縮めていった。
最終的に体長は3メートルほどになったが、翼の輝きと威厳は少しも失われていなかった。
次はオレの番だった。
自然と湧き上がる言葉を口にする。
「世界の理に記されし契約により現れよ。
ワルキューレの主精霊、不屈なる黒髪の乙女カティアよ!」
光に包まれた長い黒髪の、鎧をまとった少女が現れた。
アウルムに劣らぬ神々しさと、澄んだ美しさに、オレは思わず見とれた。しかし——
「ちっ……!!」
アウルムが激しく舌打ちした。
「ハズレだ……」
王様の落胆する声が聞こえた。
大広間が凍りついたように静まり返る。
大臣や武官たちも、言葉を失って立ち尽くしていた。
何だろう?説明もなくドン引きするの止めてもらっていいですか?




