78. 未知の遺跡 (みちのいせき)
砂塵が激しく舞い上がった。
「うっ、ぺっぺっ···!」
不快に噛み砕かれる砂の感触。
ライネルは顔をしかめ、唾を吐いた。
「······ここは、どこだ」
歪んだ表情のまま、
周囲へ視線を巡らせる。
だが見えるのは、
果てしなく広がる荒れた砂ばかりだった。
「確か、人間界へ送るって言ってたはずなのに」
語尾を濁して呟くライネル。
そのとき、彼の服の裾の隙間から
小さな頭がひょいと飛び出した。
「なんだよ。長老がミスるわけないだろ」
可愛いのに、やたら生意気な調子。
ライネルと魔力契約を結んだマッドドラゴン、
カミアモネ・タルガウス・メトニカ。
略して『カミ』。
小さな体をライネルの外套に埋めていたカミは、
顔だけを覗かせたまま周囲を見回す。
「······それより」
ライネルは、焦点の合わない目で呟いた。
「暑すぎる」
焼けるような日差しの下、
頭から足先まで汗が流れ落ちた。
二人はとりあえず日陰を探そうと、
当てずっぽうに歩き出した。
そしてしばらくすると、
遠くに風に削られ、半ば崩れて積み上がった石の山が見えた。
「···あそこ」
わずかにできた影へ向かい、
二人は急いで駆け寄る。
幸い、そこは
一時だけでも太陽を避けられる場所だった。
石の隙間に凭れて座ったライネルは、
荒く息を吸い込みながら呟く。
「······助かった、マジで」
だが問題は別にあった。
口の中がひりつくほど乾き、
喉の奥から
じわじわ締め付けられる痛み。
渇きだった。
「カミ」
「ん?」
「お前、魔法で水とか···出せないのか」
カミは小さな腕を組み、首をぶんぶん振った。
「マッドドラゴンだからって、
泥が水って意味じゃないからな?」
「······くそ」
ライネルは苛立ったように
後頭部を壁に預け、目を閉じた。
この見知らぬ砂漠。
誤った転移。
行き先も分からぬまま迫る、生存の脅威。
途方のなさが、
少しずつ現実になっていった。
砂嵐が一瞬だけ弱まった隙。
ライネルは遠い地平線を見つめて呟いた。
「······誰か、通らないかな」
目に力を入れ、
乾いた視界のどこかを凝視する。
だが、息苦しい黄褐色の景色が
ただ延々と目の前を塞ぐだけだった。
「カミ」
「ん?」
「喉、渇いた」
その言葉にカミは眉をひそめた。
「なんだよ。魔法使いなんだろ?
水系の魔法くらい使えないのか?」
ライネルはため息をつき、首を振る。
「魔力は使うけど···
そういうのは習ったことがない」
「······は?」
カミは目を丸くして、
ライネルを頭から足までじろじろ見た。
「基礎も知らない魔法使い?
人間界じゃ基本的に皆やるだろ」
「······俺、そういうの。
教えてもらったこともない」
語尾を濁すライネル。
カミは動揺を隠せず、小さく呟いた。
「······俺、いちおう人間じゃなくても
基礎魔法くらいは覚えたのに···」
カミは内心、首を傾げた。
(おかしすぎる。
まさか人間界の魔法が退化したのか···?)
「でもお前、スクロールは何枚か持ってなかった?」
その言葉に、ライネルは胸元を探り、
丸めた魔法スクロールを数枚取り出した。
「······全部、
水とは関係ないな」
一枚一枚確かめて、ライネルは首を振った。
カミは口を開けたまま、
髪を一掴みむしりたくなった。
(これ···何か間違ってる。
完全に荷物じゃん)
小さくため息を吐いたカミ。
ライネルがまた口を開いた。
「カミ。お前、マッドドラゴンだろ」
「ん?」
「湿気のある場所、感知できないのか。頼む」
カミは眉を寄せ、軽くぼやいた。
「はぁ···俺が族長なら
今すぐ契約破棄してるとこだ」
そう言いながらも、カミは目を閉じて
神経を尖らせた。
周囲の魔力の流れ。
地面の下に残る湿り気の痕。
気流の密度。
すべてに意識を集中し、
カミはぱっと目を開いて指を差した。
「あっち。
あの下、影が落ちてる地形。
そこに···何かある」
「あっち?」
カミが指した方向。
「その石の山の奥。
中に···弱い湿気の反応がある」
それを聞いたライネルは、
ひび割れた唇を舐めて、静かに訊いた。
「······飲める水かな」
カミは肩をすくめた。
「俺にも分かんねえよ。
今の状態じゃ···感知も正確じゃない」
そして首を少し傾け、付け足した。
「それでも行く?」
その問いに、ライネルは答えなかった。
選べる余地はない。
身体はもう限界に近く、
頭の中も、少しずつ白く霞んでいた。
彼は黙って俯き、
石の山の狭い隙間へ体を押し込んだ。
当然、肩に乗ったカミも一緒だった。
「うわ、これは想定外の体勢だぞ···!」
カミが小さく文句を言いながら、
ライネルの外套の中へすぽっと潜り込む。
石の隙間を何度も捻って抜けると、
突然、視界が開けた。
「······なんだ、ここ」
狭く暗い隙間の先。
いきなり広がる、広い空間。
ライネルは懐から
一枚のスクロールを取り出した。
刻まれたルーンが、柔らかく光る。
「ライト」
短い詠唱と共に、
スクロールの魔法が発動する。
瞬く間に周囲が明るくなった。
形が浮かび上がる空間。
角張った石壁。
精巧な紋様。
長く伸びる四角い廊下。
「······これは」
古代遺跡。
その一言で十分だった。
ただ、光の届かぬ廊下の奥には、
いまだ正体の知れない闇が、静かに横たわっていた。
そのときカミが、
声を潜めたまま呟く。
「······ふん。
やっぱり、ちゃんと着いてる」
「何言ってんだ、カミ?」
ライネルは壁を見てから振り返った。
「ここ···王国冒険者学校と全然関係ない場所だろ」
視線は再び、廊下の闇へ向く。
「お前、いったい何の情報を――」
「知らないのはお前だ、ライネル」
カミが言葉を遮った。
「こここそが、
冒険者を集めて···育ててた『本当の』場所だ」
瞬間、ライネルの瞳が揺れた。
そこでようやく見えてくるものがあった。
光の角度で、壁面に浮かぶ古い情景。
絵なのか彫刻なのかすら判然としない形で刻まれた姿。
そびえ立つ一人の存在。
額には角。
その下に群がり、手を伸ばす無数の人間。
そして、その手に
何かが握られている。
「······これは」
ライネルは壁へ慎重に手を伸ばした。
指先に伝わる荒い石の感触。
それを撫でた、その瞬間――
カチリ。
小さな音。
「······何の音だ?」
そして――
ドン。
ドン、ドン。
ドン、ドン、ドン。
近づいてくる、
重く鈍い足音。
壁の向こうから。
あるいは、廊下のさらに奥から。
何かが動いていた。
ライネルは素早く身を翻し、
音のする方向へ手を伸ばす。
魔力を指先に凝縮し、
慎重に戦闘態勢を取った。
カミも肩の上で囁いた。
「何か、起きたみたいだな」
近づいていた足音の主。
その姿が、闇を割って現れた。
「······ゴーレム?」
ライネルが小さく呟く。
全身が巨大な石材でできた人形。
肩には苔が乗り、
ぎしりと軋む機械音を立てる四肢は、どこか古びていた。
だが、そこから放たれる威圧は
ただの壊れた遺物のそれじゃない。
「押し返せ!」
ライネルは躊躇なく、
掌へ魔力を集めた。
パァン!
そして本来なら、
指先に青い気配が滲むはずの、その瞬間。
「······!」
瞳が揺れた。
手に、何の反応もない。
青い波も、震えも。
何も出なかった。
「なんだ、なんで出ない···?」
混乱。
息が詰まる。
「カミ···!」
だが返事はない。
カミも口を閉ざし、
ゴーレムだけを見据えていた。
そのとき――
ドン!
ゴーレムが腕を高く振り上げた。
落ちる影。
その手が無慈悲に、
ライネルの頭上へ振り下ろされようとする。
「くっ···!」
ライネルは反射的に
両腕を頭の前へ上げた。
バァン!
衝撃が届く直前、
彼の腕から赤い光がぱっと弾けた。
心臓を通って流れた何かの魔力が、
腕を伝って外へ広がる。
その赤い光は、
血管みたいに絡み合い、巻きつき、
周囲へ波紋を打った。
「······うっ···!」
光が空間を照らすと同時に、
ゴーレムの手が
その目前で止まった。
一歩も、先へ動かない。
ライネルは息を荒くしながら、
慎重に顔を上げた。
ゴーレムは腕を上げたまま。
だが攻撃の意志が消えたように、
機械的な動きすら完全に止まっている。
「······何だ、今の···」
そのとき。
カミが静かに呟いた。
「反応したな。
やっぱり···それ、ただの魔力じゃない」
それで終わりじゃなかった。
ライネルがスクロールで辛うじて保っていた明かりは、
もう必要なくなった。
地下遺跡全体が、
自ら光り始めたのだ。
壁面の魔力が動き、
床を走る紋様が順に発光して、
空間全体を温かな光で満たしていく。
「······何だよ、これ」
ライネルは呆然と周囲を見回した。
そのときカミが、ぽつりと零す。
「やっぱりな。
お前、腕に付けてるその石···始祖の宝石の一部か?」
ライネルは否定しなかった。
カミの声は、いつもより真剣だった。
「たぶん、その欠片が
この遺跡の『境界』を解いたんだ」
「証拠に、さっきまでお前を殺そうとしてたゴーレムも、ほら。
もう自分の場所に戻ってる」
ライネルは黙ったままだった。
考えは渦巻くのに、
どんな言葉でも今の感情をまとめられない。
そのときカミが先に言った。
「とにかく、奥へ行こう」
そこでようやく、
ライネルの頭に現実的な問題が戻ってきた。
「······それより、水は?」
「······あっ」
カミは肩から降りると、
小さな前脚を上げて壁にそっと触れた。
「この辺なら···」
少しして、
壁の小さな隙間から
澄んだ水が、ちょろちょろと流れ出した。
ライネルは何も言わず、
すぐ身を屈めて水に口をつけた。
ごく。ごく。
乾いた喉を通り落ちる冷たい感触。
ようやく掴んだ、小さな命綱。
それでようやく、
顔にわずかな血の気が戻った。
カミは疲れたように首を振って言った。
「俺の能力で···
近くの水分を魂ごと掻き集めて、やっと出しただけだ」
そして、どさっと座り込む。
「次は···ないかもしれない」
ライネルはしばらく水を飲んでから、
静かに顔を上げた。
「······ありがとう、カミ。
助かった。少し、落ち着いた」
一口の水でようやく意識を繋いだライネルは、
呼吸を整え、慎重に口を開いた。
「でも···さっきゴーレムに魔力が通らなかったのって。
偶然じゃないよな?」
カミは首を傾げた。
「さあな。
お前の魔力は、そもそも『人間界の魔力』じゃない」
「この施設に特殊な古代魔法が仕込まれてるなら、
お前の力が遮断される可能性もあるだろ」
「······まさか。そんなの――」
ライネルはもう一度手を上げ、
魔力を集める。
ほんの少しでもいい。
何かが動いてほしくて、
目の前の小石に集中した。
だが――
何も起きない。
気配すらない。
「······ありえない」
体内の魔力が、
遺跡全体に塞がれているような感覚。
ライネルは戸惑いながら自分の手を見下ろした。
「どうしてだ···? 魔力は流れてるのに···」
だが隣のカミは、驚いた様子もなく
肩をすくめるだけだった。
「知らねえよ」
「でも、お前。
ここじゃ力が通らないみたいだな」
そう言って、ずかずか前に出ながら言う。
「ほら、奥へ行こう。
今さら引き返してもどうにもならねえだろ?」
ライネルは一瞬迷ったが、
結局、重い足取りで歩き出した。




