第1話 二重の裏切り
「リビルト、こんな所にいたのね」
「アメルタさん、すみません。抜け出すのに少し時間がかかってしまって」
「仕方ないことだわ。あなたの立場を考えたら、当然のこと……」
おぞましいものを見ている。目の前の光景に、私はめまいを覚えていた。
そこにいるのは、私の婚約者であるリビルト様だ。彼はとある女性と親しそうに話している。
彼が浮気しているのではないかという疑いは、前々からあった。
そもそも私が帰宅するはずの彼をこっそりとつけてきたのは、疑いを覚えていたからである。故にこの光景にも、本来であれば納得するだけで驚きはしなかったはずだ。
しかし事実として、私は驚いていた。それは、リビルト様の相手が原因である。
「アルメアとは、上手くいっているの?」
「ええ、まあ悪い関係ではないと思っていますよ」
「歯切れが悪いわね」
「それはそうでしょう。僕はあなたと、こういう関係である訳ですし……」
リビルト様と話しているのは、私の母親であるアメルタだ。信じたくはないが、母の顔を見間違えるはずもない。リビルト様の浮気相手は、私の実の母親なのである。
「まあ、確かにそう思うのも無理はないかしら。私が娘の心配をするのも、おかしいのかしらね」
「おかしいというか、なんというか……その、あなたは僕とアルメアが上手くいった方がいいと思っているのですか?」
「それはもちろんそうよ。これでも娘のことは愛しているのよ。あなたのような紳士に幸せにしてもらいたいと思っているわ」
「僕の想いは、知っているでしょう? それでも、ですか?」
「あなたもこんな年増な女と沈む必要はないわ。この関係はいつか清算して、娘と幸せになりなさい」
年齢差というものは、愛の前には関係ない。そう考えることはできるだろうし、私もそれを否定しようとは思わない。むしろ、肯定したいくらいである。
しかしながら、母のこの行動は問題があるとしか言いようがないだろう。夫も子供もいるというのに、よりにもよって娘の婚約者と関係を持つなんて、正気の沙汰ではない。
「そういう所が、本当にずるい。あなたは、最後の一歩をいつも踏み込ませてくれない」
「当り前よ。これは一時の気の迷いなのだから」
「気の迷いか……まあ、いつかそれを変えてみせますよ」
私の眼前で、二人はゆっくりと口づけを交わした。
その様子に私は、吐き気を覚えていた。なんというか、とても気分が悪い。
母親の女としての一面が、自らの婚約者に向けられているという事実には、やはりそれなりの衝撃があった。
その愛が父に向けられているなら、気まずいながらも微笑ましいと思えただろう。だが、それが外部に向けられているという現状は、泣きたいくらいに悲惨だった。
「……行かなきゃ」
そんなボロボロの心情でも、私はなんとか自分を奮い立たせる。
これから私には、やらなければならないことがある。気は進まないが、これを放っておく訳にもいかないので、とにかく行動するしかないだろう。
◇◇◇
私は、まずお父様に事実を伝えることにした。
婚約を決めたのは、お父様である。故にリビルト様が浮気しているという事実は、すぐに知らせるべきものだった。
それに彼の浮気相手は、私の母――つまりはお父様にとって妻である。そのため、どちらの意味でもお父様に伝える必要があったのだ。
「……趣味の悪い冗談だと思いたい所だな。もちろん、お前がそんなことをする訳がないということはわかっているが、それでも私はそれらの事実を信じたくない」
端的に状況を説明した私に対して、お父様はそのような言葉を返してきた。
当然のことかもしれないが、その顔は暗い。長年連れ添った妻に裏切られたという事実は、やはり衝撃的なものだったらしい。
「……僕も信じたくはないね。姉さん、本当にリビルト様が母様と?」
「私だって信じたくはないわ。でも、事実なのよ。私はこの目で確かに二人を見た。悪い夢なら覚めて欲しいわ」
偶然この場に居合わせた弟のイルルドも、お母様の浮気が信じられないようだ。
彼は亡き叔父様の息子で、お母様とは血が繋がっていない。しかしそれでも、二人は実の親子のように過ごしてきた。
やはりそんな彼にとっても、今回の件は衝撃的だったようだ。
「……今思えば、兆候がないという訳でもなかったかもしれない。あくまでアルメアの話を聞いたからそう思えるだけなのかもしれないが、彼女の意識は確かに外部に向いていた」
「まさか、あの母様が浮気するなんて……」
「受け入れたくはないが、受け入れなければならないのだろうな。この事実を……そして、対処をしなければならないということか」
項垂れていたお父様は、ゆっくりと姿勢を正した。
残酷な現実ではあるが、向き合う覚悟を決めたようである。
お父様がお母様を許すかどうかは、わからない。それは二人の問題だ。
その前に私達は、家同士の問題を解決しなければならない。
私達ローライト侯爵家とリビルト様のエルヴィー侯爵家との間で決められた婚約をどうするかを、考える必要があるのだ。
「エルヴィー侯爵に、とりあえずこの事実を伝えるとしよう。当然のことながら、リビルトがアルメアを裏切ったという事実は重い。その相手がこちらの身内であるという点も考慮する必要はあるが、彼のことを信頼できるかと言ったら微妙な所だ」
「ええ、私としても彼に嫁ぐのは不安があります」
「エルヴィー侯爵がどう思うかはわからないが、こちらとしてはこの婚約を破棄したい。アルメアとしても、それで構わないだろうか?」
「お父様が駄目だと言っても、そうしたいくらいです」
リビルト様とは、これまでそれなりに上手くやっていたつもりである。彼は紳士的で優しい人だった。ある程度の好感さえ、覚えていたくらいだ。
しかし、既に私の中で彼という存在は関わりたくないものになっていた。実の母の浮気相手、それは私にとって、嫌悪の対象にしかならなかったのだ。
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