最終章 終焉
「内田さん!」早川さんが声を上げる。オレたちも思わず駆け寄った。
鬼頭は静かに内田さんの瞼を閉じた。
「早川とかいったな?」鬼頭が振り返りいった。
「はい」早川さんは少し身構えて答える。
「あんた、うちの水谷と一緒にカルロを瀬戸南病院に運ぶんだ。あそこは救急がある」
「わかりました」
「水谷!車を入り口につけろ!」
「はい!すぐ!」水谷が入り口の方へ走る。
早川さんとトシキがカルロを抱き上げ入り口へ向かった。
「おまえら!みんな大丈夫か?」鬼頭が子分たちに呼びかける。
「はい!みんな、かすり傷ぐらいで...」
「そうか、よかったな。おまえらでこの金を事務所に運んで様子を見るんだ。オレたちがいたことがバレないよう片付けて行くんだ。三上のヤロウが嗅ぎつけてくるかもしれん。金も別々の車に分けて違うルート使って運ぶんだ。あとで連絡を入れる」鬼頭がテキパキと指示を出すと子分たちはそれぞれにジュラルミンケースを手に取り車へと向かった。
トシキが戻ってきた。
いつの間にか、村瀬の手下たちは雨の中へ逃げ去っていた。
「亜希さん!カルロは意識を失っていますが病院に行けば大丈夫だと早川さんがいってました」
「そうか、大丈夫だといいんだけどな」
鬼頭と目が合った。
「また、会ったな。怖いもの知らずのお嬢さん」
「…オレたち、どうしたらいい?」
もう体力も気力も限界に来ていた。
「このままだと、オレたちも三上に追い込まれる。内田のおやじがあいつの何か弱みを握ってたと思うんだが...」
「内田さんは、この金庫に村瀬や悪徳刑事の犯罪の証拠となる書類が入ってるといってました」オレは思い出していった。
「そいつぁいいな、監察に知り合いがいる。それがあれば三上を落とせるぜ...で、金庫の番号は?」
「いや、オレたち聞かされてないんだ」オレはトシキを見ながらいった。トシキも頷きながら鬼頭を見る。
「何?肝心の番号を内田のおやじはいってなかったのか?」鬼頭が呆れたようにいい、懐からタバコとライターを出し火をつけた。タバコを深く吸い込みゆっくりと煙を吐く。
「そんな大事なことをおやじがいい忘れるわけないんだが...」
「もしかしたら...カルロが」
「カルロが?」鬼頭が探るように見つめる。
「カルロ、しょっちゅう内田さんのところに行ってたから番号聞いてたかも...」
「だとしても、時間がかかる...それまでに三上が追い込んできやがる」
「花屋に行けば、何かメモしたものがあるかも」トシキがオレを見ていった。
「いや、内田のおやじがそんな大切なことをメモさせるとは考えられない」
「でも、カルロってこういっちゃなんだけど物おぼえが悪くてマリアさんによく怒られてましたよ」
「もしかしたら…カルロが内田さんのところによく通ってたのは金庫の番号を確認するためだったのかもしれない」
「どのみちカルロがあんな状態じゃどうしようもねぇな」鬼頭は顔をしかめた。
「そういやトシキ、カルロが何かいつもおまえにいってたって…」
「は?…あっ、あれですか?アザミから始まる...」
「それそれ!何ていってた」
「確か、風はアザミを訪ね、雨はダリアへ帰る。月はリンドウを越え、朝はスミレへ戻る。そして白ユリの前で待つ。もう何十回も聞かされたから覚えちゃいましたよ。何かヘンテコでしょ?」
「ヘンテコはおまえの自転車だろ!これって?」
「暗号だ!金庫の番号に違いないぜ」鬼頭の顔色が変わった。
「最初が『訪ね』、次が『帰る』、『越えて』、『戻る』、最後は『待つ』。右、左、右、左…最後は止める。金庫の回し方を示してるんじゃねぇか」鬼頭は金庫をじっと見つめながらいった。
「じゃあ花は数字を表しているってことか...」オレも金庫を見ながらいった。
「おい、あの花屋で売ってる花にシリアル番号みたいなのはついてないのか?」鬼頭がオレたちの方を向いていった。
オレは首をかしげトシキを見る。
「シリアルとかわかんないけど整理番号ならどの花にもついてましたよ」トシキが答えると鬼頭は目を輝かせた。
「それだ!それに間違いない。よし今から花屋に行って番号を調べるんだ!」鬼頭が金庫に近づくのをトシキが呼び止めた。
「待ってください、整理番号だったらオレ今わかりますよ。しょっちゅう手伝いしてたから自然と覚えちゃって...」
「本当か?」鬼頭は驚いてトシキをマジマジと見た。
「はい、アザミが十八でダリアが四十三...リンドウが十二でスミレが三十一、最後の白ユリは九です。オレこういうの覚えるの得意なんで...」
「トシキおまえ見直したぜ!」オレが肩を突くとトシキは頭をかいて照れて見せた。
鬼頭は無言で金庫の前にしゃがみ込み、ダイヤルを見つめた。
「十八……四十三……十二……三十一……最後が九か」
タバコを口から外し、静かに床へ落とす。
倉庫の中が水を打ったように静まり返った。
鬼頭はゆっくりとダイヤルを右へ回した。
「……十八」
そこで一度止め、今度は左へ。
「四十三……」
さらに右へ回して十二。
左へ三十一。
最後に右へ九。
鬼頭の指先が、そっとハンドルに掛かる。
「頼むぞ、おやじ……」
全員が息をのんだ。
──カチリ。
小さな金属音が、静まり返った部屋に響く。
「開いた……」
トシキが思わず声を漏らした。
鬼頭はゆっくりと重い扉を引いた。
中には分厚い封筒がいくつも積まれ、その下には古びた帳簿、写真、録音テープが整然と収められていた。
鬼頭は一番上の茶封筒を開き、中身に目を通す。
その表情が、一瞬で変わった。
「よし、これで三上は終わりだ」
鬼頭は金庫の中にあった革製の鞄に書類やテープを詰め静かに扉を閉めた。
「カルロが気になるんだろ?病院へ連れていってやる」
倉庫の外へ出ると、あれほど荒れ狂っていた嵐は嘘のように去っていた。
東の空が淡く白み始め、雲の切れ間から朝日がのぞいている。
濁流だった瀬戸川も、まだ勢いはあるものの、少しずつ落ち着きを取り戻そうとしていた。
鬼頭は鞄を車のトランクへ積み込み運転席に乗った。
オレとトシキも後部座席に飛び込んだ。
車は朝焼けに染まり始めた町をゆっくりと走り出す。
道には折れた枝や飛ばされた看板が散乱し、昨夜の嵐の激しさを物語っていた。
あれほど荒れ狂っていた雨風は嘘のように収まり、濡れたアスファルトだけが朝日に鈍く光っている。
誰も口を開かなかった。
鬼頭は前だけを見据え、黙々とハンドルを握っている。トシキは両膝の上で拳を握り締めたまま、窓の外を見つめていた。
──カルロ、大丈夫だよな……
頭の中には血を流しながら倒れたカルロの姿ばかりが浮かんでくる。寺島が身を挺してカルロを守った光景も、何度も繰り返しよみがえった。
車は双葉町を抜け、白瀬川に架かる橋を渡る。
川はまだ茶色く濁り、激しく流れていたが、水位は少しずつ下がり始めているようだった。
やがて市街地へ入り、鬼頭は赤い「救急」の看板が掲げられた瀬戸南病院の駐車場へ車を滑り込ませた。
「着いたぞ」
鬼頭のひと言に、オレたちはドアを開け、一目散に病院の玄関へ駆け出した。
救急外来の受付で病室を聞き、階段を上がる。
病室の扉を開けると、ベッドにはカルロが静かに横たわっていた。
点滴を受けている。顔色は青白いが、規則正しく胸が上下していた。
ベッドの脇にはマリアさんが座り、その隣に早川さんと水谷が立っている。
「あ……」
マリアさんがこちらに気づき、ほっとしたように立ち上がった。
「亜希さん、トシキさん……もう大丈夫です。さっき目を覚ましました。先生が命に別状はないと……安心したのか、また眠ってしまいました」
オレは胸の奥につかえていたものが一気にほどけていくのを感じた。
「そうですか……よかった」
トシキも安堵したように何度も頷いている。
カルロは眠ったまま穏やかな表情をしていた。
鬼頭は病室の入口で腕を組み、その様子を黙って見ていた。
やがて踵を返す。
「ちょっと電話してくる、水谷!それから早川、アンタも来てくれ」鬼頭は二人を連れ病室を出た。
病室には規則正しい心電計の電子音だけが響いていた。
「内田が死んだと聞きました」マリアさんがつぶやくようにいった。
「……」
「そんな時がやってくると思ってました。あの人はフィリピンから帰ってきてから人が変わりました。お金の力だけを信じて誰もそばに近づけようとしなくなりました」
「内田さんは双葉のことを考えてくれてました」オレは俯いたままいった。
「そう。その気持ちはありがたかった……でも、そのために危険な人たちを、この町に近づけることになった。自分にもね」
内田さんは双葉を、フラワー・ロードをどうしようとしてたのか…そして何故、鬼頭に金を渡したのか……
鬼頭は水谷と早川に指示を出し事務所へ向かわせた。瀬戸南病院の前に行き腕時計に目を落とす。
やがて一台のセダンが病院の駐車場へ滑り込んでくる。運転席から降りてきたのは三上だった。
三上は辺りを一瞥すると、鬼頭の姿を見つけてゆっくり歩み寄る。
「電話の話は本当なんだろうな」
「ここじゃ人目がある」
鬼頭は病院の出入口へ視線を向けた。救急の患者を受け入れているせいか人の出入りが激しい。
「話は車の中だ。助手席に乗れ」
三上は無言で頷き、助手席のドアを開けて乗り込んだ。
鬼頭も運転席に腰を下ろし、ドアを閉める。
「何があった?南浜のあの倉庫は今うちの者たちで大騒ぎだぞ」三上は顔をしかめながらタバコとライターを取り出して火をつける。
「村瀬らが内田を脅し、あの倉庫に隠してあった金を奪い、そのあと内田を殺した」
「何いってんだ、村瀬も殺されてんだぜ。おまえらがやったってことだろう」
「いや、村瀬らが奪った金をめぐり仲間割れしてドンパチが始まった、そしてそれぞれに金を持ってトンズラ…」
「ふざけんなよ!」三上が鬼頭を睨んだ。
「おまえさんにそう絵を描いてもらうんだよ。電話でいったことを忘れたのか?」鬼頭もタバコを出し火をつける。
「で、電話って…」
「おまえとこの監察に平田ってのがいるだろう?ありゃオレの幼なじみでな。オレがあの書類を持って行きゃ、すぐ動いてくれるぜ」
「それなら、何故すぐ平田んとこ持って行かずにオレを呼び出した?」
「だから、さっきからいってるじゃねえか。取り引きだよ、取り引き。電話でもいっただろ、おまえにも悪い話じゃねぇって」
「どうしようってんだ、オレを巻き込んで…」
「これから伊吹組が双葉町の改革に乗り出す。フラワー・ロードも生き返らせるんだ。横槍が入らないよう、おまえに調整を頼みたい」
「ヤクザの手先になれってか?そんなこと…」
「やってたじゃねぇか、村瀬んとこでよ」
「ありゃよ…」
「ただっていってるんじゃねぇんだよ。これだけ出そう」鬼頭は三上に片手を広げて見せた。
「五十万じゃねぇだろうな?」三上は訝しげに鬼頭を見た。
「ガキの使いじゃねぇんだ。引き受けてくれるなら前金で二百万渡す」
「何故オレに金まで出すんだ?監察に突き出しゃ済む話だろ」
「おまえが捕まった後、マトモな刑事に来られちゃ、やり難くなる。このままオレたちで手を組むのが楽なんだよ。どうなんだ?やるのか、やらねぇのか」
「どうせ断るなんてできないんだろ」
「わかってるじゃねぇか」鬼頭は前を向いたままタバコの煙をゆっくり吐いた。
──あ、そうだ!
「すいません、オレちょっとアザミに水やるの忘れてて」
「いいんですよ。早く帰ってゆっくりおやすみなさい」マリアさんが優しいまなざしでいってくれた。
「はい、少し休んでまた来ます。トシキも疲れただろ」
「オレんち、こっから近いんで、もう少しいます」
「そうか。じゃ、またあとで連絡するわ」オレは静かに病室を出た。
表に鬼頭がいた。車のボンネットに腰掛け、タバコをくゆらせている。
「あの金どうするんだ?」オレは鬼頭を睨んでいった。
「どうすると思う?」
「……」
「内田のおやじが血の滲むような思いをして築いた全財産をオレに預けるといった。何故だかわかるか?」
「……」
「内田のおやじが何を考えているか、オレには手に取るようにわかっていたからよ…おやじの無念さもな」
「……わかったよ。もう何もいわないよ」オレは鬼頭の横を通り帰ろうとした。
「待ちな!」鬼頭が振り返っていった。
「もう一度だけ聞く、何故オレを助けた?」
オレは立ち止まり鬼頭を見た。
「あんた、結構オレ好みの顔なんだよな…」
「ふざけるな!」鬼頭が睨みつけてきた。
「オレはあんたを助けた。そしてあんたはオレたちを救ってくれた。貸し借りなしってやつだ。これっきりにしてくれ、ヤクザなんて大嫌いだ」オレも鬼頭を睨み返した。
鬼頭が突然、笑い出した。
「これっきりも何も、首突っ込んできたのはそっちなんだぜ。まぁ、いい。おまえみたいな面白れぇヤツも珍しい、楽しませてもらったぜ」鬼頭は笑いながら車に乗り走り去った。
あの時……
急な体力の衰え、それなのにヒリヒリするほど神経が立っていた。何か起こると感じた時、まだ自分は動けるのかとワクワクした。死と隣り合わせの空間で、気がついたらもうオレは飛んでいた。
こんなこといっても誰もわかってくれないだろう。
帰ったら少し休もう。
そして、もう一度カルロの顔を見に来よう。
足が少しもつれてよろけそうになる。
「オレ、アザミになれるかなぁ」
空を見上げた。
光がぼんやりとしている。音が遠ざかっていった……
完




